序幕「怪人、ヨロイ、新たな依頼」
初投稿。
手探りでちょっとずつ進めていけたらなと思っています。
星はおろか、月も見えない分厚い雲のかかった夜。
瓦斯灯だけが照らす石畳の街並みを、一人の人物が悠々と歩いている。夜陰に溶け込むような黒一色の出で立ちの中、顔全体を覆う仮面だけが白い。
遠目には、白い顔だけが浮いているように見えるかもしれない。黒いブーツは、そういう素材か歩き方か、一切の足音を立てないのがそれに拍車をかける。
仮面の人物の腕の中には、何か塊の様な物が抱かれていた。黒い布でくるまれたソレは、時々みじろぐように動き、仮面の人物はその度に歩みを止める。しかし、しばらく塊を見つめると、結局何事も無かったように歩き出す。
変化の類が堂々闊歩する帝都とは言え、尋常ならざる光景であった。
石畳を乱雑に踏み歩く音が聞こえ始めた。それに混じるのは、数名の男によると思しき怒号。内容から察するに、人探しだろうか。
静寂を切り裂くそれらの音は、仮面の人物の耳にも届いていた。。歩みを速めて早々に立ち去ってしまうべきなのだが、仮面の人物には依然としてその様子は見られなかった。
足音が、視界の端に映る路地から聞こえても。
「おい、居たぞ!」
路地から飛び出してきた男の一人が、仮面の人物を指差し叫んだ。その声に、ばらばらの方向をそれぞれ見ていた他の男たちが向き直り、仮面の人物を囲むように展開する。
男たちは、同じ服装に身を包んでいた。まだ帝都でも珍しい蘭服に、翻る黒いマント。裏地はその存在を誇示するような赤。霊異省の捜査官達である。
捜査官達はホルスターから抜いた蒸気銃を構え、あるいは腰に指していた警棒を構えて仮面の人物へ向ける。
「さあ、大人しくその子を渡せ!」
警棒を構えた捜査官の一人が、じりじりと距離を詰め始めた。仮面の人物は、それに後ずさるようなこともなく、ただ捜査官の顔に視線を向けた。
石畳の上に、警棒が落ちていた。手の中から抜け出したそれを追うように、捜査官の身体も石畳の上に崩れ落ちる。
「貴様、何を――」
蒸気銃の引き金にかけた指に、力が込もることは無く。
気づいた時には、捜査官達だったモノは一つ残らず石畳の上に転がっていた。それを路傍の石の様に踏み越え、仮面の人物は悠々と歩みを再開した。
しかし、先程捜査官達が現れた路地の前を過ぎようした、その時。
圧縮された空気が解き放たれる音、そして風切り音。糸のようなものが、塊に巻き付いていた。
抱く腕に力を入れるよりも速く、塊は仮面の人物から引き離され路地に消えてく。
追いかけ路地に飛び込んだ仮面の人物が見たのは、彼、あるいは彼女から見ても尚異様な存在だった。
二メートルはあろうかという、鋼の鎧である。奪われた塊は、後ろで横に寝かされている。
しかし仮面の人物は驚くでも、慄くでも、あるいは身構えるでもなく。冷静に鋼の鎧の頭部――視界を確保するためのスリット部分、その奥に見えるモノへと視線を向けた。
すると哀れ、鋼の鎧は先ほどの捜査官達のように力無く崩れ落ち――
「……何故だ」
なかった。
頭部のスリットの奥に見えたのは、間違いなく生ある者のソレだったはずだ。
夜目は利く。見間違いなどありえない。
ならば、何故――
仮面の人物の戸惑いなど知ってか知らぬか、鋼の鎧は腕を振り上げる。
「逃げないのか? そりゃ、その方が楽でいいけどよ」
鎧の発した声は少々くぐもってはいたものの、紛うことなき肉声。ならば、この鎧を動かしているのは、人間もしくは霊異であるはず。
なのに、
「何故だ!」
仮面の人物の言葉をかき消すように、鎧の肘が蒸気を吹きあげる。
加速された拳が唸りを上げ、仮面のど真ん中を打ち抜いた。
※
「『ヨロイ、今度は怪人を撃破す』……ねえ」
新聞の見出しを声に出して読み上げると、南雲孝仁はソレを放り投げ、安楽椅子を揺らし始めた。年季の入った木材が、揺らす度に軋みを上げる。
「行儀が悪いよ、孝仁」
孝仁に比べると幾分か落ち着いた声が、彼をたしなめた。孝仁が視線を向けると、声の主は拾い上げた新聞をはたいているところだった。
「だってよぉ、実。これ好評できたらさあ、うちは今頃大賑わいだぜ?」
「そりゃあ大賑わいだろうね、警察や軍部で」
丸めた新聞で、実は孝仁の頭を叩いた。条件反射で「痛ぇ」と言うものの、拍子抜けするほど軽い音の一発、そんな痛いわけがない。
「それに、そんなことしなくても僕らにはちゃんと仕事が来るだろう?」
頃合いを見計らったように、玄関のブザーが鳴った。
ほら、と親指で扉を指し示す実。
「わかってるよ、んなことは」
立ち上がり玄関まで移動した孝仁が、真鍮製のノブに手をかけ扉を引く。
立っていたのは、詰め襟の蘭服に身を包み、黒の――裏地は赤の――マントを羽織って丸帽を被った男。服装から考えるに、霊異省の捜査官であろう。
「やあどうも、孝仁くんに実くん」
丸帽をとって挨拶した男の顔には、人好きのするにこやかな笑みが浮かんでいた。
「なんだヒオウさんか」
見飽きたとでも言わんばかりの顔をする孝仁に、ヒオウは唇を尖らせる。
「ひどいなー。折角お仕事持ってきたのに、その反応はないんじゃない?」
そう言って小脇に抱えていた鞄から大判の封筒を取り出す。
「……まーた"個人的な頼み"ですか」
「そういうこと」
「"個人的"と言うなら、制服を着てくるのはどうなんだい」
湯気の立つ湯のみを盆に乗せた実が、すこし呆れたようにそう言った。
「実の言うとおりですよ」
耳が痛いね、とヒオウ。しかし、本当にそう思っているかは甚だ疑問な表情だ。
「とりあえず、立ち話で済ますわけにもいかんでしょう」
中へどうぞ、と孝仁はヒオウを招き入れる。
閉じられる扉。その外側にぶらさがった札には、こう記されていた。
『南雲探偵舎』――と。