夏は『ねむり』
亡骸を抱え、いつもの部屋へ。
そこにはいつもの平和な世界があり、平和な日常がある。
当然、存在する。
ただそれだけが、幸せ。
片腕と、片足。
左半分の殻が無くなった亡骸を抱きしめながら、私は考えました。
何か名案は無いものかと。
私はとても頭が良く、とても優しい人間。
なら、今の子の状況を、全て幸せな物に変える事は出来るのか、そうでないのか。
分かりません。
あれから亡骸は動かなくなりました。
秋穂と同じく、微動だにしません。
もしかしたら。
化物は、人間と同じく死ぬのでしょうか。
死ねるのでしょうか。なら。
「亡骸ちゃん、私はもう貴方の笑う姿を見る事は、出来ないのでしょうか」
また、一緒になれたと。
もう離れなくて良いと思ったのに。
亡骸がこんなに近くに居るのに、亡骸と肌を擦り寄せているのに。 もう、会えない。
こんな事ならもっと沢山話をしておけば良かった。こうなってしまう事が分かっていたなら、もっと、もっと。
あぁ。
大切だと分かってから、再び失う悲しみ。
それが、私をおかしくさせたのだと思います。
「……昔々のお話」
私は昔話を始めました。
何故こんな事をするのか、分かりません。
ただ、分かってほしかったのだと思います。誰かに、何かを。
「ある所に、幸せな夫婦が居ました」
そして、幸せな夫婦の間に子が産まれました。
ただし。
産まれて間もなく、その子が化物だという事が分かりました。
悪い化物は、生後間もない状態でとても暗くてとても狭い部屋に閉じ込められます。
そして、その化物は産まれなかった事になりました。
月日は経ち、今度は人間が産まれました。
夫婦は活発的な子になる様にと、夏の葉、夏葉という名前になりました。
二人の愛情を一身に受け、夏葉はすくすくと成長します。
ですが。
成長するにつれ、夏葉が異常な行動を取る様になります。
それはつまり、夏葉は化物を愛してしまったのです。
正確には夏葉の姉にあたる化物。
付けられた名前は屑。
夏葉は暗くて狭い部屋で屑に会いました。二人は何気ない会話を交わし、時に笑い、そこに何か温かい物がありました。
そんなある日。
夫婦は夏葉の左目を潰しました。
屑と会っているから。
ジャクッ。
話しているから。
パスッ。
笑っているから。
ブシュッ。
同じ場所に居るから。
ジュー。
夏葉は様々な理由により、色々な場所を刺され、切られ。焼かれ。
それでも最先端の医療で命を取り留めました。
めでたしめでたし。
では、終わりません。
夏葉が目覚めると、白いベッドの上で、真白で扉の無い部屋に横たわっている事に気付きました。
少しして、両親が上から下りて来ました。
何とも奇妙な光景ですが、そう表現する他無いのです。
二人は夏葉の側により、さも夏葉をとても大事な物として扱う様に。
「夏葉、貴方が会っているのは化物なの」
夫婦は口を揃えて、そう言ったのです。
夏葉が質問をしようとすると、母親が包丁を持ち出しました。夏葉はまだ子供でしたが、母親が本気で自分を殺そうとしている事は理解できる程度は大人でした。
夏葉は押し黙り、両親の言葉を聞きます。
「化物は害獣なの」
「生きてるだけで悪なんだ」
「必要無いの」
「貴方は素晴らしい存在」
「誰もが必要としてる」
「生きているとは素晴らしい」
夏葉は言葉の意味を、理解出来ず、胃の中身を吐き出しました。
尤も、胃の中身は何も無いので胃液しか出ません。
夏葉は二人の意思を拒絶しました。
すると夫婦は金槌で夏葉を叩きます。
夏葉が自分達を認めるまで、何度も、叩ける程度に体が治るまで、何度も。
治って、叩いて、治って、叩いて。
治らない傷跡と、正常に働かなくなった内臓を手に入れ。骨の代わりになる金属が十何本も埋め込まれた、ある日。
気が付くと、夏葉は私になっていました。
姉。
いえ化物。
化物は生きていてはいけないのです。
化物がこの世から無くなれば、私の様な素晴らしい人間だけしか存在しない世界になります。
そうする為には、まず化物を全て抹殺しなくてはいけません。しかし難儀な物で、化物は幾ら殺そうとしても死にません。
どうやったら死ぬのか、どうやったらより痛みを味わうのか、どうしたら死にたくなるのか。
殺す事にも慣れ、姉が私に会う度恐怖の表情を浮かべた頃。
夫婦が、化物を人間にする方法があると話していました。
そんな事あるはず無いのに、夫婦は莫大な資金を用いて、化物を人間にしました。
化物から人間になった屑に、春海という名前が付きました。
春の様に朗らかで、海の様に心の広い人になれ。
……後は。
後は。
何なのでしょうね。
それから今に至るまで、あっと言う間の出来事だった気がします。
亡骸と出会い、秋穂と出会って、幸せを知って、失って。
今の私に残る物は一体何なのでしょうか。
…………私は、ゆっくりと亡骸の、人間の部分に触れます。
少し、温かい。
何度か頬を撫でると、亡骸がゆっくりと目を開きます。
殻に包まれた方の目と、人間の目の焦点が私に合い、微笑みました。
こうしていると、まるで赤子を抱いている様です。
……ふふ。
何だか不思議な物で、殺害する気力も、殴ろうという気も起りません。
殺す事に、飽きてしまったのでしょうか。
いえいえ。
化物は殺さなくてはならない存在です。
殺す事が義務であり、当然の行動なのです。
では、私は一体何なのでしょう。義務を果たす事も出来ず、ただ無気力に無感動に生きる、人間。
ですが。
それ以上に私の為すべき事が。
しなくてはいけない事があります。
膝の上で微笑む亡骸を、私は体を倒してのしかかる様に抱きます。
あぁ、誰か許してください。
この愚かな私を許してください。
憎むべき存在を、殺さなくてはいけない存在を、生かしていてはいけない物を。 私は、愛おしく思ってしまいました。
私は悪になりたくありません。
誰からも恨まれたくありません。
ただ愛し、愛されたいのです。
ですが化物である亡骸を愛した私には、生きる価値が無いのでしょうか。
あぁ神様。
これがもし試練だとするならば、私が人間として生きるか、亡骸を愛するか選べという試練ならば。
「亡骸ちゃん」
亡骸は、ずっと私の方を見ています。
笑顔で。
臆する事なく、私をじっと。
「今日も、貴方を殺してあげるね」
亡骸は表情一つ変えず、私を見ます。
「今日はね、亡骸ちゃんを殺してあげる。 貴方は今から冬風よ。 冬に吹く風、時に厳しく時に優しく色々な思いを人に運ぶ、冬風」
……冬風の顔が、今までと違う反応を見せます。
驚き、でしょうね。
「気に入った?」
「どういう、ことだ」
……とても、とても久々に冬風の声を聞きました。
あぁ、こんな表情も出来るのですね、ふふ。
「おまえは、おれをころすんじゃないのか」
「今死んだの。 亡骸が死んで、冬風になったの」
「あのね、冬風よく聞いて。 私はもうすぐ死ぬの」
「ビックリした?」
「特に最近よく思うんだけどね、近代の死の概念ってやたら美しく描かれているじゃない?」
「それってね『死ぬのが怖い』という事の裏返しだと思うの」
「死ぬのが怖いから、死という物を美しく描いて涙を誘う」
「死ぬという事はさも特別な事で、人間には全く関係の無いお話」
「だけどソレって嘘だと思うの」
「だって私は今から栄養失調と傷口を長時間放置して細菌が繁殖する事によってショック死を起こす可能性が大きいと思うし、治療すれば何とか生きれるかもしれないけど、もう手術を耐えきれる程度の体力も無い」
「こんな展開が全然ドラマチックな訳がないし、誰も感動なんてしないでしょ」
「それが本当に死ぬって事なの、死ぬってとっても当然な事で、死ぬ以外何の意味も無いの」
だから。
「ねぇ、冬風ちゃん」
「……だけど私には一つ心残りがあるの、聞いてくれる?」
「貴方が空腹で、どうしようもなく孤独に生きるのが、とても辛いの」
だから。
「私を、食べて」
「私が痛みで叫ぼうが、何しようが無視して食べてね」
……後悔なんてものはないけれど。
けれど。
何だか本当にあっと言う間。
あぁ、私会えて良かった。
冬風に、会えて。
「そう、大きなお口を開けて、」
さぁ。
たーんと、召し上がれ。