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渡すのは、二冊目のノート

ぺらぺらと今までの日記を読み返しながら、彼にもらった万年筆を手に取る。30P綴りの、松葉色のノート。最後のページを、私が埋める。



「よし、書けた」


全て文字で埋まっているのは素晴らしい――最初にやり取りした通り、やはり何度読んでも飽きはしない。 たった一日を除いて毎日書かれたそれは、彼の律儀さや真面目さをよく表しているように思う。彼くらいの年頃の男性に交換日記を申し出てみたとして、彼のように書いてくれる人は少ないだろう。何せ、携帯のメールで済んでしまう時代なのだから。


「行って来ます」


ノートと必要なものを大事に鞄に詰めて、朝早く家を出る。夏休みに入っているため、咎める人は誰もいない。自分でも少々無謀な計画だと自覚してはいるが、覚悟はとうに決めていた。


(通報されないかだけが、心配)

彼のマンションに辿り着き、入り口前の花壇に腰を下ろす。後はひたすら待つだけだ。この交換日記の橋渡しをしてくれていた人を。恐らく、ちょっとした茶目っ気でプリキュアのシールを貼った張本人を。



「あな、た……」


途中で何度か水分補給して、時刻は昼過ぎ。想像通りの時間帯ではあった。自由になる時間、かつ私と遭遇する可能性の低い時間、と考えればこのくらいだろうと推測したからだ。しかし相手はまさか私がここにいるとは思ってもみなかったようで、彼と同じ色の瞳はこれ以上ないほど見開かれている。


「――――初めまして、菖蒲さん」


立ち上がり、微笑んで挨拶すれば、彼女は気まずそうに顔を逸らす。


「はじめ、まして。比奈ちゃん」


聞き慣れた、けれど二ヶ月聞いていない愛しい声を思い出す一言だった。彼とよく似た色合いの長い髪は後ろで一つに結ばれており、風でゆらゆらと揺れている。瞳の色はそっくりそのまま同じように思うが、違うのは彼女の方がやや勝気な印象を与える事だろうか。


「ずっと協力してくださった菖蒲さんに失礼な態度を取ってしまって、申し訳なく思っています。でもどうか、彼のところに案内してもらえませんか」


その意味を正確に悟ってくれたのだろう、彼女は観念したように息を吐き出す。そうして、真正面から視線を合わせてくれた。本当は私も反対だったのよ、と語りながら。


思い返せば、おかしな点はいくつもあった。そもそも交換日記という時代錯誤な手段を選んだ理由、何度も何度も謝罪しながらも二ヶ月の間一度たりとも会わなかった不自然さ、忙しいと言う一方で趣味に使う時間の多さ。極めつけは、彼なら絶対に忘れないだろう誕生日に会えなかったばかりか日記さえもなかった事だ。その事自体は怒っているわけではないし、責めたいわけでもないけれど。


分かっている。彼が最大限の気を遣ってくれた事を。高校生活に慣れるので精一杯だった年下の恋人に負担をかけまいとした事を。或いは、彼の男としてのプライドも混じっていたのかもしれない。力が入らず震える字を寝不足で、なんてごまかしていたくらいなのだから。でも、もし。もしも自分がもっとしっかりとした大人であったのなら、彼のように社会人であったのなら。頼っていてくれたのかもしれないと思うと、どうしようもなく切なくなった。――――だって、彼の支えになりたかった。


「兄もね、ごまかし通せるなんて思っちゃいないと思うわ。男の意地なんて壊しちゃえばいいのよ。だから私、比奈ちゃんの味方するわね」



◇◇◇



白く塗り潰され、独特の臭いが立ち込めるそこを桔梗の花を手にしながら歩く。途中子供とすれ違い、彼とクローバーを探したという女の子もどこかにいるのだろうか、とふと思った。作り方を教えたと書いてはいたけれど、きっと一緒に作ったのだろう。穏やかな彼なら、老若男女問わず仲良くなれるはずだから。


「ここよ、比奈ちゃん」


この扉の先に、彼がいる。迷いはなかった。


「どうぞ」


こんこん、とノックするとすぐに返って来た返事に、涙が込み上げてきそうになる。でも今はまだ、その時じゃない。ぐっと堪えゆっくりと開けると、点滴に繋がれてベッドに横たわる彼の目線がこちらに向けられた。まるで幽霊でも見るかのように大げさなまでに驚いてみせる彼に、にこりと満面の笑みを送る。


「こんにちは、桔梗さん。二冊目のノートを、お届けにあがりました」


またあなたと、愛おしい日々を綴ろう。今度は人伝ではなく、あなたの顔を見ながら声を聞きながら手渡しで。


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