19 それはまるで嵐のように
私は「いや待て、幻覚という線もある。何せ急いで走ってきからな、疲れで見えないものが見えているのだろう。そうに決まっている…………まだいるだと、どういうことだ」
信じれられないと自分の顔を手で覆うその人物は、馬から飛び降り入口の柵を越えてやってくるとボクへと手を伸ばした。体を触り、顔を触り、頭を触る。
「なにを……」
「触ることのできる幻覚、匂いまである幻覚、これは新発見だな」
「あの……」
「幻覚が話しただと! もしやオレは混乱状態にあるのか、気付薬はまだ余っていたはずだが」
「薬では解決しないと思いますよ」
「黙れ幻覚。今すぐオレの視界から消し去ってやる」
子供は胸当て部分の内側から何かを取り出すと鼻に当てる。
ボクは幻覚じゃありませんよ。
「ぐおっ、きついな。だがこれで……消えていない」
「少し落ち着いたらどうだブヒ」
「オークが話している。ということは……これは夢か。なんだそうだったのか」
一人で納得する子供騎士を見てバレルは眉を狭めた。
「オレはヒューマンだブヒ。失礼なガキだブヒ。人の話はちゃんと聞くとママに教わらなかったのかブヒ」
「誰がガキだ。例え夢であろうとも私のことを子供扱いすることなど許さぬ」
「おっと、バレルはポーラさんに何か飲み物を用意するように伝えてくれないかな。お客さんはボクが相手をするから」
どうやら二人は相性が悪そうだ。バレルには即刻退場して貰おう。
「まだ話は終わってないブヒ」
「帰ってきたばかりで疲れてるでしょ。休まないと午後の仕事で倒れちゃうよ」
「……後はまかせたぞブヒ」
これからの労働量を教えるとバレルはとたんに大人しくなった。一ヶ月程度じゃ一日中働くほどの体力はつかない。まだ休み休み働いている状況なのだ。
「いったか、なかなか賢いやつだ」
「一応彼はここの従業員ですよ」
「ここではオークを働かせているのか?」
「彼はヒューマンです……たぶん。改めてご挨拶を申し上げます。ボクはこの牧場主であるモンスターファーマーのポロンです。騎士様の名前をお聞きしてもよろしいですか」
ボクは彼が何者なのか、確信を持って尋ねた。
金の髪も青の瞳、それ以上に彼が醸し出す気配が彼女とそっくりだ。
「失礼した、先ほどの無礼を許してくれ。私の名はストロング・ルクスメイデン。妹のチャリオットがこちらにいると聞いて来た」
先ほどの混乱ぶりから一転して、騎士然とした彼は厳粛な空気を纏っていた。
「彼女なら中で作業をしています。どうかしましたか?」
「いや、大抵の者は私が弟ではないかと疑うのでな、まったく疑う素振りを見せないことに少し驚いただけだ」
「男の価値は背の高さじゃありません」
「その通りだ」
自然に手を握り合う。
少し小さいだけでチビチビとうるさい。少しデカいだけで何を言ってるんだ。
男の価値は背丈じゃない。
男の価値は財産だ。収入だ。幼馴染がよく言っていた。
目と目で分かりあったボクらの心地よい沈黙を破ったのはやはり言葉だった。
「お兄様、どうしてここにいるのですか」
「チャーリン、久しぶりだな。心配していたが元気なようで何よりだ」
「お兄様、私はそんなことを聞いてるわけではありません」
どうしたのだろうか。ストロング様の好意的な態度とは裏腹にチエロは難しい顔をしていた。
チャーリンって家族に呼ばれてるの。とは言い出せない雰囲気だ。
「そうだな。チャーリン、とりあえず私を殴ってくれないか」
「わかりまし、た」
「ちょっうえ!?」
躊躇なく繰り出されたチエロの拳はストロング様の頬に当たると、彼の顔を歪ませて地面へと叩きつけた。倒れた彼はしばらく待っても起き上がる様子がない。
容赦がないね、チエロ。
「騎士を殴るとか何を考えてるんだよ」
騎士への攻撃は騎士団への反抗。引いては国家への攻撃だ。
こうなったらもう埋めるしかない。運良く大きな穴がある。浄水池の底にそっと置いて埋めてしまえば大丈夫だろう。起きる前にそっとだ。バレなけば大丈夫だ。丁度埋めるための土もたくさんある。
「大丈夫だ、あれくらいで堪えるお兄様ではない」
視線の先で何事もなかったかのように平然と起き上がる騎士の姿があった。鋼の肉体はあなたたちの家の基本性能ですか?
「やはり幻覚ではないか。チャーリン、まずは謝らせてくれ」
「どういうことですか」
「私はポロンなる人物がお前の妄想の産物だと思っていたのだ。だがこれは私のせいではないのぞ、お前の日頃の行いが悪かったのだ」
何をしたのかなチエロ。聞きたいような怖いような。
「ボクはここにいますよ」
「ポロン殿。こいつを嫁にするなんて正気なのか。ゴブリンすら避けて通ると言われるほど恐れられている女だぞ」
「そうですか、結構可愛いと思いますけど」
「お前は勇者か!」
妹さんを褒めたぐらいで勇者になれるなら、この国は勇者で一杯なんじゃないかな。
「リザードマンをなで斬りにする女が、ゴーレムを素手で破壊する女が、オーガと殴り合うことのできる女が、料理も洗濯もできない家事無能力女がそんなにいいのか」
「料理と洗濯は練習中ですよ」
辛うじてフォローすることができた。
「お兄様、私と彼の関係を理解して貰えましたか。私たちは真実、愛し合っているのです。決して妄想ではありません。それとお兄様が私をどう思っているのかはっきりしました」
「むーん」
瞑目して考え込むストロング様の額には一筋の汗が流れていた。
隣から溢れている闘気のせいですね。
背筋を悪寒が這いまわり、大地が怯えているかのような錯覚。今は懐かしいとすら思うことができる。対象が自分じゃないということがこんなに気楽だなんて思わなかったよ。
「私は認めんぞ」
「お兄様、死にたいのですか」
チエロが一歩進み出ると気配はさらに強大なものになった。
「バカめ。兄が妹に負けるはずがなかろう」
睨み返すストロング様の存在感が爆発する。小さな体が何倍にも膨れ上がったかのような錯覚を見た。
ああ、いい天気だな。まるでブルースライムのようなキレイな青空だ。風一つない大空からは太陽の光がボクらを温めてくれる。お昼寝にはちょうどいいだろう。
それなのに空には鳥の一匹すら見当たらず、近くには虫一匹すら見つけることができない。牧場にはボクを含めた三人の姿しかいなかった。
もしかしなくてもボクが止めるのなくちゃいけないのか、この怪物大決戦を。
スモールドラゴンとアイアンゴーレムの闘いを、矮小なこのボクが止めるとか!
いや決して小さくはないけど。
ムリ。
むりです。
ボクは役目はきっと、英雄の横で侍る吟遊詩人のように彼らの闘いを後世に語り継ぐことだ。
「私はポロンと結婚して幸せになります。いえ、私が彼を幸せにしてみせます」
「チャーリンのくせに兄より先に結婚しようとは何事だ。もっと敬わんか。私が結婚するまで待つのが第一、本当にあいつはお前のことが好きなのか。私には騙されているようにしか思えないな」
「そんなことありません。この前だって……」
なぜかチエロがボクとのイチャらぶを話しだした。
止めるんだ、このままでは死んでしまう。このボクが!
「私はポロンを愛しています。彼も私を愛しています。それ以外に何が必要だと言うのですか。他に私たちの結婚を拒否する正当な理由があるなら言って下さい。必ずや私とポロンの二人で乗り切ってみせましょう」
チエロの中でボクはどれだけ美化されているんだろうか。
応えようとしたストロング様の言葉をかき消すように別人の声が響き渡った。
「ちょっと待った!」
誰か知らないが、君こそ勇者だ。顔を向けるとそこにいたのは見知った人物だった。
「って、エリザ」
幼馴染の女性がそこにいた。気の強いつり目が逆三角形を書いて、髪がわさっと膨れ上がった。
あれは怒っている。
「そこのあんた。さっきから勝手なことを言って何様のつもりよ。ポロンの妻になるのはこの私、エリザベス・フリーダラよ。あなたなんてお呼びじゃないわ、さっさと家に帰ることね男女さん」
不自然なほどに静かだった空から急な風が吹いてきた。
突如として正面から吹いてきた迎え風にボクは体勢を崩してしまう。両手足を地につき、なんとか体を支えることで痛い目にあうことはなかった。
「どういうことか、説明して下さい」
聞きなれたチエロの声は鉄剣の鋭さと冷たさを備えていた。
読んで戴いてありがとございます。プチスランプから脱出しました。
まさかのポロンに二股疑惑!
それともポロンはチエロの妄想なのか。
チエロはギガロとして覚醒を果たすのか。
※この話はほのぼの育成系ファンタジーです。