16 ウィリアムの言い伝え
「はい、チエロ」
「ありがとうございます」
塩で味をつけたのオニオンスープを渡し、彼女と同じように家の壁に背中を預け空を見上げた。
空にはやせ細った三日月。月の光が弱い晩は小さな星がよく見える。空気は冷たく雨が残した粘り気のある空気が残っていた。
「あれで本当に出るか。私には信じられないのだが」
「今日みたいな夜は彼らが出てくるには一番いい環境だよ」
ボクらの視線の先には松明がある。家の隣り、何かの畜舎があっただろう場所に残った支柱がある。その天辺に松明を縛り付けている。風もなく松明の火は煌々と輝いていた。
「ウィルオウィスプか。見たことはあるが、それを呼び寄せることになるとはな」
「名前に関する逸話とか知ってる?」
「有名な話だからな。母によく聴かされたものだ」
視線を松明に置いたままチエロは静かに語り始めた。
ある男がいた。名前をウィリアムという
男は極悪人。騙し、盗み、殺しありとあらゆる悪を働き、最後には恨みを買って殺された
生き途絶えたウィリアムの前に聖人が現れる
聖人は善悪を説き、ウィリアムは次の人生では正しい生き方をすると約束する
それを見た神はウィリアムを信じて再び人間へと転生させた
だがウィリアムは第二の人生においても悪人となり、前回と同じ結果になった
神は言う
この先にお前は何者にもなることなく、未来永劫に渡ってさまよい続けなさい
そうしてウィリアムの魂は一掴みの藁に火を灯して、夜の闇を彷徨い続けている
いつしか人の形を忘れたウィリアムの魂は、藁に灯した光の形になりましたとさ
「こんな話だったかな」
「子供が悪いことをする度に大人が聞かせてるよね。本当かどうか神様にしかわからないけど、今となってはただの魔物だよ。チエロの話とは別の物語を知ってるよ。ボクはこっちの方が好きだな」
「では聞かせて貰うとしようか」
喉の調子を伺う。一音出すだけで夜の静寂は破られた。それほどに静かだった。
少年ウィリアムには家族がいた
一人は母、一人は妹。貧乏だが三人仲の良い家族だった
ある日、妹が熱を出し倒れた。貧乏な家では薬を買えず祈るしかない
少年ウィリアムは妹を助けるために森の中へ薬草を探しに行きました
手には一掴みの藁を持って
森の奥の暗がりで藁に火を灯すと、あっという間に燃え尽きてしまいました
それでも諦められない少年ウィリアムは進みます
だけど彼は底なし沼に飲み込まれて死んでしまいました
今でも少年ウィリアムは薬草を探して森の中を彷徨っています
決して助けようとしてはいけません
彼の灯す光の下には底なし沼が口を開けているからです
「そんな話。冒険者の人に伝わる話らしいよ。ウィルオウィスプは沼地に出没しやすい魔物だから、注意のために変化したのかな」
「悲しい話なのだな」
「残念だけど愉快な話は聞かないね」
すぐに話し終わってしまったがウィルオウィスプは姿を見せていない。
待っている間は暇なので話をする。話題は必然的に共通の知人になった。
「バレル殿はどうだった」
「将来に期待ってところかな。口は悪いけど本人に悪気はないよ。本当にあれが普通だと思っているみたいだ。皆はやる気がないって言うけどあれは単に体力がないだけだね。村と牧場を毎日往復していればすぐに動けるようになるよ。世話の仕方も注意点もしっかり把握してた」
「そうか、態度が大きいだけの男ではなかったのか」
「本人はバブルカウの上に乗ってみせるって息巻いてたから、興味がある内はやってもらうよ。怒っても手を上げるような人じゃないし、良いところ半分悪いところ半分かな。ボクは仲良く出来そうだよ」
話を聞いたチエロはなぜか痛々しそうに歯を噛み締めていた。
「チエロはポーラさんと仲良く出来そう?」
チエロのさっぱりと性格と、布の服程度では隠すことのできない気品と相まって男女隔て無く人気がある。ポーラさんはバレルと分かれている間は、謙虚で働き者の、亜麻栗色の波毛が特徴的な美人さんだ。
だからチエロの反応はボクを驚かせた。
「あの女は好かない。できれば関わり合いになりたくない部類だな」
「ど、どうしたの。チエロにしては辛辣だね」
チエロが誰かのことを悪く言うのは初めてだ。
「今まで私の気に障る者がいなかっただけのことだ。知っているか、あの女はバレルの専属侍女をしていたらしいぞ」
「聞いたことはあるよ」
「あの女は言葉巧みに家の者たちを誘導してバレルと距離を置かせ、自分だけを信じるように育てたと言っていたぞ。しかも体型も自分の好み合うように調整したらしい。バレル殿はあの女に人生を壊されたも同然だ」
へ~、あの体型が好みですか。それは大変だね。
農民や街の人々は太るほどの食料を確保することができない。太るのはお金を持っているという証拠であり、痩せているよりも太っている方が美しいという美的感覚が存在する。そのためにポーラさんの性癖は驚く程のことでもない。やっていることは恐怖だけどね。
「自分の欲求を満たすためにはいかなる犠牲を払うことになろうと躊躇しない。危険に陥ったとき自分の身の安全を第一に考えるタイプだ」
「確かに、元騎士のチエロとは相性が悪そうだね」
「私を騎士とするなら、あれは善き魔女といったところだな。魔女の秘密を叫ばない限りは、親身に相談に乗り術を持って助けてくれる。そんな女だ」
「綺麗な花には刺があるってことだね。扱いには注意を、か」
パキリと音がした。
「なんだ、古くなっていたのか」
チエロが手に持つ木製のスプーンに亀裂が入っていた。食器に亀裂が入るなんて不吉だな。
一陣の風が吹き松明の炎が揺らいだ。月が雲の背後に隠れ、大地が闇に染まったそのときだった。
闇の中を近づいてくる光があった。青白い光はフラフラと移動する度に尾を引き、稀に火の粉を落としていた。それは柱上部をしばらく浮遊すると元の来た方向へと戻っていった。
「キレイだったね」
「私は何だか物悲しいよ。まるで何かを探しているように見えた」
チエロは少年ウィリアムの話を投影しているのかもしれない。
「無理に牧場に押し込めてもすぐに逃げられるよ。なにせ空を飛ぶ上に火まで使える」
「それでどうするつもりだ」
「今日は松明が燃え尽きるまで待って見るだけ。居着いてもらうためにはエサしかないけど、そのエサを探さないといけないね」
今日の夜に3、4回ほど来てくれるなら、あの松明でこれからもウィルオウィスプを誘えるはずだ。
「鬼火のことではない、あの魔女のことだ。あなたはどう思っているのだ」
ああポーラさんのことか。
「キレイな人だと思うけど?」
ミシリ。チエロの手に持つスプーンがくの字に折れていた。皮一枚を残してつながっているだけで今にも半分になってしまいそうだ。
手元を見つめるチエロの目が鋭く見えた。
怒ってる?
「周りに害がなければ問題ないよ。バレルさん本人が苦痛に思ってないのならボクが口を挟むことじゃない。それが二人の付き合い方だろ。ボクは手伝ってくれるなら魔女でも魔王でも大歓迎だよ」
「私の旦那様は大物だな」
深い溜息を付く。口元には笑みが戻っていた。
チエロはボクへと顔を向けると口を開いた。
「何?」
「スプーンが折れたのはあなたのせいだ。食べさせてくれ」
思わず空を見上げた。月を隠していた雲は去り、三日月と満点の星だけがボクらを見つめていた。
ところで、ウィルオウィスプの光は人を惑わせる力があるという。その力で底なし沼に誘い込み、腰までどっぷり嵌ったところで正気に戻ると言う。
あーんは熟練者の技で初心者がするには危険だ。
ボクは一歩だけ底なし沼へと足を踏み込んだ。
視界の端でウィルオウィスプが踊っていた。
読んでれてありがとうございます。
長いあいだヒロインの名前を間違っていたようです。チャリオットでした。
豚くんはバレルです。