表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
都会が奏でる二重奏  作者: Rudbeckia
影の世界
9/29

第九章

 朝の陽ざしが部屋に差し込み、瞼に眩い光が照らしつけた。

 珍しく目覚まし時計の音が鳴る前に起きた僕のベッドはぐしゃぐしゃに乱れ、シーツは汗で微かに湿りを帯びていた。嫌な夢でも見たらしい。

 いいや、嫌な夢で終わっていたとしたらどれほど良かったことか。

 ベッドから降り、洗面所へ行くとひどい顔とぐしゃぐしゃになった髪をした僕が鏡に映り込む。

 乾ききった口内を洗い流して潤しリビングへ向かうと、キッチンから母さんが心配そうに話しかけてきた。

「おはよう。さつき、昨日はどうしたの? 中々帰ってこないと思っていれば帰ってくるなりさっさと寝ちゃったし」

「なんでもない、友達と遊んでて疲れたから早めに寝ただけ」

間違ってはいない。事実、夜八時までは遊んでいたのだから。

「……そっか。とりあえずお水飲んでお風呂入ってきたらどう? その間に母さんごはん作るから」

「……わかった」

「――何かあったら母さんに言いなさいよ」

「…………」

 当然の如く風呂のお湯はすっかり冷めてしまっていたため、シャワーで体を洗い流す。さっさと風呂場を後にした僕はまだ湿っている髪を放置してベッドの上に座り込む。

 昨日の出来事が脳裏でフラッシュバックし、戦場の光景が目の前に現れる。

 一面の荒れ果てた荒野と辺りに並び立つ崩壊した建物の群れ、それらとは比較にならないほど巨大な天空まで続く建築物、透き通った無色の刃を持つ一之瀬さんのナイフ、化け物としか言いようのない形容のカゲビト、脳裏で僕へと囁く鈍い声、銀の光を散らして現れた黒の炎、それを宿した僕の右手。

『いつまで平和ぼけしているつもりだ?』

 半月ほど前に開いた一文が鈍い声で再生される。

「クソッ!!」

 ベッドに右手が深々と突き刺さった。乾いた音が響いた後、部屋には再び静寂が訪れた。

あまりにもかけ離れてしまった現実、そして己の無力で一之瀬さんを傷つけてしまった自分に憤りの無い怒りを覚えてしまう。

 逃げるのはやめよう、後悔はしない、だと?

 ふざけるな、自分自身を守る力も持っていない分際で何を言っているんだ僕は。

 結局すべてを一之瀬さんに押し付けてしまっただけじゃないか。自分では何一つ出来なかった。右手の力に目覚めたのも甘い誘惑に乗っただけだ。僕自身は何の努力もしていない。

 こんなことでは下手をすれば佐久間さえもあの世界へ巻き込んでしまう。そして守る力も無い僕は傷つけてしまう。

ダメだ、そんなことは、このままでは――

刹那、部屋に携帯のメロディが鳴り響き、メールの受信音を僕に知らせた。

ベッドから立ち上がり、机の上に置かれた携帯電話へと手を伸ばす。受信ボックスを開くとそこには透明なペンダントを持つ少女の名前。

「今夜九時に加西町の、駅の駐輪場近くで待っています」



*



 夕刻、学校から帰った僕はカバンを降ろし部屋で佇んでいた。すぐ傍には中身が飛び出た黒の学生鞄が転がっている。

 結局、一之瀬さんは今日学校へ来なかった。僕を気遣って学校を休んだのか。それとも疲れてしまったのかはわからない。

 そして僕はというと珍しく早めに登校し、教室の扉を一番最初に開く事となった。二番目に教室へ入った委員長の観月さん目を丸くして驚き、その後しばらくして教室に入った佐久間は入ってくるなり僕をからかおうとしたようだが僕の顔色が良くなかったからか、必要以上に絡んでくる様子は無かった。

 風呂や食事を済ませ、八時半になる頃に僕は家を後にした。

 外へ出るとすっかり更けた夜空には月と星が浮かんでいた。微かに冬の名残を残した夜風が冷たく吹き抜け、僕の体に冷気を注ぎ込んでいく。

 自転車を十分ほど走らせて駅へ向かい、駐輪場に停車。辺りを見渡すと通勤帰りのサラリーマンがちらほらと歩いていた。だが彼女の姿は見当たらない。

 ……早すぎたかな、待ち合わせは九時だったはずだし。

 携帯を開くとまだ八時四十分、時間まではまだ二十分以上も早い。

 このまま立っているのもどうかと思い、駐輪場入口に向かって歩き出したところで右から声がした。

「来てくれないかと思ってた」

 振り向くと紺色の体操着、次に見えたのは腰まで伸びた黒のロングストレート。

 一之瀬さんはゆっくり歩いて僕の前で立ち止まった。

「……そんなこと、できるわけがないよ」

 そう答えた僕に一之瀬さんは寂しげな瞳で微笑んだ。

「そっか。それにしても早いね」

「一之瀬さんの方こそ」

「私は誘った方だから、十分前行動、五分前集合?」

「まだ二十分も前だよ。普段からそうやって動いてれば遅刻しないのに」

 口元に指先を当て視線を逸らした一之瀬さんはそのまま静かに答えた。

「……それは……普段は誘われる側だから?」

「なんだそれ。まぁ、僕も人の事言える立場じゃないけど」

 僕はくすりと笑い、彼女もつられて微笑んだ。

「思ったより元気みたいで良かった」

「授業は耳に入らなかったし、一日中ずっと同じことを考えてたけど……落ち込んでても仕方ないからさ。一之瀬さんは?」

「私も同じだよ、ずっと部屋で考えてた。綾瀬くんの事を」

「…………もしかしてからかわれてる?」

「……そんなことないよ?」

 一之瀬さんはいたずらな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き始める。

「それじゃあいこっか、このまま立ってても仕方ないし」

「どこ行くの?」

 僕の先を歩いて行く彼女は少し間をあけて行先を告げた。

「公園だよ」



*



 駅から五分程歩いたその場所には小さな公園があった。

 さすがに夜も更けてしまい、公園には人影も見当たらない。中は街頭が3本程立っており、月明かりと共に僕らを静かに照らしつける。

 一之瀬さんは公園の端にあるブランコの一つに腰を下ろした。そして僕も右隣にあるブランコに腰をかける。

「ここでいいかな、誰も居ないみたいだし。今日来てもらったのは――」

「昨日の事、だよね」

 一之瀬さんは足元に視線を落とし、静かに頷く。

「……うん」

「……質問、していいかな?」

 彼女の体が僅かにこわばり、小さく頷いて答えた。

「いいよ、なんでも」

「一之瀬さんは、あの世界の事はどこまで知ってたの?」

「綾瀬くんが化け物って呼んでたカゲビトの事とか、ある程度の街並み――あとは特別な能力の事ぐらいかな」

「能力って言うのは、僕の使った治癒能力みたいな物かな?」

「……え? あ、うん。たぶんそれ……かな。あの世界では私たちには特別な能力が宿るみたい」

「そっか。一之瀬さんの能力って言うのは、あのペンダント?」

「ううん、それは違うと思う」

 そう言って彼女は胸元から小さなペンダントを取り出し、首から外すとそれを掌に乗せた。

「あの世界でこのペンダントに力を注ぐと武器に変化するみたい。力って言うのは、綾瀬くんがさっき言ってた能力の事だね。私の場合はダガーナイフっていう種類のナイフみたい」

「他にもそのペンダント持ってる人が居るの?」

「たぶん居ないんじゃないかな? 私は見たことないし、そもそもあの世界にはまともな人なんて居ないと思う……」

「まともじゃないって、あのカゲビトって呼んでた化け物の事?」

「うん、いきなり襲ってきたでしょ?」

「……あいつらは何だったの?」

「私にもよくわかんない……。何で襲ってくるのか、何であんな姿をしているのか……」

「そっか……」

 彼女はその後も、僕の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれた。あの世界へ初めて入ったのは随分昔だという事、出入り口を知っていたのはここ半年間で探索を重ねた結果だという事、昨日のように引きずり込まれる形であの世界へ入ったのは最初に入り込んだ時を含め二回目だと言う事、あの世界へは大きなガラスや鏡などを通じて任意に入る事ができるという事、あの世界へ入れるのは川瀬町からだけだという事。

「あの世界について知ってるのはこんなものだと思う、ごめん、あんまり大した事を教えられなくて……」

「十分だよ、それだけの事が分かれば」

「そっか、他にはもうないかな?」

「最後に二つ、質問していいかな?」

「うん、今日は何を聞かれてもちゃんと答えるって覚悟してたから……」

「それじゃあ一つ目だけど……、一之瀬さんは何を目的にあの世界へ入ってるの?」

 すると、一之瀬さんの体が小さく震えた。

「人を……探してるの」

「……そっか」

 彼女の様子を見た僕は静かに目を伏せ、小さく息をして立ち上がった。その場を離れるとブランコを囲う低い柵に軽く腰掛け、一之瀬さん目の前に立つ。彼女は不安げな表情で僕を見つめ、次の言葉を待ち続けていた。僕はそれに答えるように口を開く。

「最後の質問だけど、これは嫌だったら答えてくれなくてもいいから……」

「……どうして?」

「もしかしたら、さっきの質問みたいに一之瀬さんを傷つける事になるかもしれないから」

「――そんな、私は別に……」

「それに、これは僕が見つけ出さなきゃいけない答えだから」

 そう、全ての答えは僕が自分自身で見つけ出さなければ意味がない。だから彼女に今から尋ねる事はただの確認だ。僕が、彼女の胸にナイフを突き立てていたという確認。無意識に、『彼女を傷つけていた』という確認。

「…………」

 僕は彼女の瞳に視線を合わせる。月の光を反射し震えるコバルトブルーの瞳を前に、僕は静かに尋ねた。

「僕ら、ずっと昔から知り合いだったんだよね?」

「………………うん」

 彼女が頷いた瞬間、僕は自らの罪を認識した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ