第七章
「どうなってるんだよ……」
意識を取り戻した僕の目に飛び込んできたのは想像を絶する光景だった。
乾ききってしまい亀裂の入った大地、日の光を覆い隠すかのように広がる灰色の空、ボロボロに風化してしまい今にも崩れてしまいそうな大きな建物の群れ。
辺り一面には大小様々な瓦礫が散乱し、それらを削り取るように風が砂埃を巻き上げ砂塵を起こす。
光を失った夜の街並みは視界から完全に消失し、新たな世界が広がっていた。
「……廃墟の……町?」
それ以上の明確な言葉は見つからなかった。
まるで映画の世界へそのまま入り込んだような光景を前に、平常心を失った僕はその場で立ち尽くしてしまう。
携帯画面を見るとデジタル表示の時計は十分程時間を進め、午後八時半に差し掛かろうとしていた。アンテナを表す白は灰色に染められ、電波が通っていない事を示している。そこで小さな疑問が脳裏に浮かぶ。
既に夜も更けてしまっているような時間だというのに空は雲の色を識別できるほどに明るいのだ。つまりここは川瀬町との時差がある遠い場所、海外の国か、全くの別世界ということになる。
そして辺りの様子から察するに、元々は川瀬町と同等か、それ以上に発展した町だったのだろう。遥か彼方には大きな建造物の廃墟が立ち並ぶ一角も見えた。おそらくこの辺りの道端に転がっている瓦礫も小さな建造物の残骸だろう。
『そういえば一之瀬さんはどこに……』
そうやって徐々に落ち着きを取り戻した僕は、一之瀬さんを探すため再び辺りを見渡す。だが人影らしい影は何一つ見当たらない。もしかしたらこの世界へ引きずり込まれたのは僕だけなのだろうか。
すると後方から強い突風が僕の背に吹き付けた。振り返ると大きく靡く黒い長髪。一之瀬さんは僕に背を向けて空を見上げていた。
――だが、彼女の名を声にするはずだった僕の口を開いたままぴくりとも動かなかった。
彼女の見上げる彼方先に、見たこともないような巨大建築物が聳え立っていた。
先ほどまで僕の視界に入っていた廃墟の建物はどれも川瀬町の建物と比べても劣らないどころか凌ぐようなものばかり立ち並んでいたように見えた。
だが今、僕の目先にある建築物はそんなものとは比べものにならない。
目の前の建築物の頂点は灰色の雲を突き破り、大地に根を張る大樹のように太い幅は目視で推測しても通常のビルより数倍はあるだろう。形状は真四角な直方体、だがこのビルも風化してしまっているらしく、所々崩れているのが見て取れる。
二度目のかけ離れた現実に今度こそ僕は言葉を失ってしまった。少し前に開いた口はいつまで経っても塞がらない。
夢見がちな田舎の子が都会に憧れて書いた絵をそのまま現実に持ってきたような、そんなデタラメな光景だった。少なくとも僕らが住む世界の技術力で実現できるレベルを遥かに凌駕していたのだろう。そしてそんな文明の崩壊跡地がこの寂れた世界だ。
誰がこんな世界を信じると言うのだろうか。だが実際にこの世界は僕の視界に納まってしまい、吹き荒れる砂風は服にパチパチと小さな音を立てて僕に現実を植え付ける。
茫然と立ち尽くす僕を前に、一之瀬さんはこちらへと振り返った。彼女は僕に声をかける事なく、手を自らの首へまわすと一つの小さなペンダントを服の内側から取り出した。ペンダントの色は無色透明、プレートのように長細い形をしていた。ペンダント中央には何かの文字が刻まれているようだが僕の立っている位置からは詳しく見ることができない。
刹那、一之瀬さんの手に納まっていたペンダントが閃光を放ち、視界は一瞬で眩い白に包まれた。僕は咄嗟に視界を腕で遮ってしまう。
視界が晴れ、一之瀬さんの方へ目を向けると、その両手には無色透明で透き通った不思議な刃、空色の束を見せる二本の大型のダガーナイフが握られていた。微かな光の反射から、刃渡りはおそらく四十センチ程。一之瀬さんは握り手を逆手に持ちナイフを構え僕の方へ向く。
次の瞬間、瞳を鋭く研ぎ澄ました彼女は、ナイフを握りしめたまま一直線に駈け出した。鋭利な刃を両手に、閃光のように迫りくる一之瀬さんを前にして、僕は反射的に後ろへ仰け反り尻もちをついて転倒。
距離を詰めつつ腕をクロスにさせた一之瀬さんは、僕の目の前まで迫るとついにナイフを振りかぶりその刃を解き放つ。
「ちょっ――待っ――」
僕の制止を留めることなく、彼女はその刃を解放させた。
――バキン
という鋭い音が静かな街並みに大きく鳴り響いた。
「えっ……?」
ぽつりと僕が声を零すと同時に、透明で細やかな破片が弧を描いて周囲に飛散した。
パラパラと辺りに散らばった無色の破片は徐々に地面を湿らせ、そして消えていく。
状況の把握が出来ていない僕を置き去りに、一之瀬さんは真っ直ぐ駆けていった。咄嗟に振り返り、奥に見えたのは切り裂かれた大きな二つの影。黒い影は塵のように空気に溶けて消えていく。
一連の流れに言葉を失った僕は、ふと一之瀬さんの立つ場所から左側に位置する小さな建物の上へと目を向けた。すると一人の黒い男が立っていた。
いや、正確には違う……。人のような形をしているがとても人には見えない容姿をしていた。薄暗い灰色に染まった全身、顔のパーツは存在せずマスクを被ったように凹凸の無い顔、焼けただれたように縮れている皮膚。これを『化け物』と呼ばずに何を『化け物』と称すのか。
漆黒の空気を放つ化け物は一之瀬さんの方へ向き、体を捻り腕を構え、押し出すように突き出すと掌から炎球を噴出した。炎球は凄まじい速度で彼女の方へと接近する。
すると、その噴出と同時に一之瀬さんは漆黒の化け物の立つ建物の屋根へと高く跳躍した。一之瀬さんはそのまま無色の刃を両手でクロスにさせて防御の構えを取る。そして炎球と無色の刃が交差すると同時に、十字に構えたナイフを解放して炎球を振り払った。
瞬く間に化け物との間合いを詰めた一之瀬さんを前に、男は再び掌から炎球を生み出そうと腕を振るう。微かに生成された炎が一之瀬さんの足を撫で、彼女の表情が鋭く歪む。
「一之瀬さん!!」
僕の叫び声と同時に、一之瀬さんは右手ナイフで男の腕を切り落とし、左手の刃で首を切り落とした。
事を終えた彼女は、地面に膝を付き、ゆっくりと僕の方へ向いた。だがその瞬間、彼女の瞳が大きく見開き、僕に向かって大声で警告を叫ぶ。
「――危ない!!」
その声を耳に僕が咄嗟に後ろを振り返ると先ほど遠目で見ていた漆黒の男が大きなハンマーのように太い腕を振り下ろそうとしていた。
「――――ぐっ!」
間一髪のところで体を捻り、攻撃を回避した僕は一之瀬さんの居る後方へと力いっぱい駆ける。
だが男の動きも早く、振り切ろうとする僕へと距離を再び詰めるとハンマーのように大きな拳を振りかぶる。
刹那、風を切るような音と共に男の頭に細い棒状の物が突き刺さった。黒い男はそのまま塵となって飛散する。すると地面に音を立てて工作用カッターナイフが落ちた。
一之瀬さんはいつの間にか僕の隣に立ち、落ちたカッターナイフを拾うとスカートのポケットにそれを突っ込み、右手にナイフを束ねると左手で僕の腕を掴んで駆ける。
「こっち、走って!!」
腕を引っ張られた僕はおぼつかない足取りで彼女の隣に並び走る。
「――痛ッ……」
数十メートルほど走ったところで一之瀬さんが小さな悲鳴を漏らした。先ほどの戦闘で足を焼かれたからか、皮膚が赤く爛れてしまっている。ひどい火傷だった。
「一之瀬さん、足が……」
「……私は大丈夫、それより早くしないと追い付かれるから……。あと少しだから頑張って」
そう言って一之瀬さんは苦渋の表情を浮かべながらも、荒野の大地を駆け抜けていく。