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都会が奏でる二重奏  作者: Rudbeckia
二色の街
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第五章

 家に帰ると当然の如く、母さんは不機嫌な声で僕に言った。

「何してたの? 電話にも出ないで……。制服も少し汚れてるみたいだし」

「ごめん、ちょっと寄り道してたら遅くなって……」

「早く風呂入りなさい。そのままじゃ汚いでしょ。もう十時なんだからね」

「……うん」

 風呂場に入り、お湯ををかぶると体のいたる所にひりひりと痛みが走る。

 先ほど洗面所の鏡で確認したが、唇が切れ、両膝は擦り傷で微かに赤く染まっていた。

「うぅ……、入学早々厄日だ……」

 シャワーで軽く洗い流し早々に風呂場を後にした僕は、髪の毛を乾かした後に夕食だったカレーライスを温め直して一人で食べると、自室に戻りベッドへ身を投げる。

「……疲れた」

 帰ってきて枕元に投げ捨てていた携帯を開き、時刻を確認すると二十三時。もうすっかり夜も更けてしまっている。

 すると隣の新着メール告知が二件になっている事に気が付いた。

『あれ、一つは母さんだけどもう一つは……』

 気になって受信ボックスを開くと一番上の項目に、つい数時間前に登録した名前があった。

『ちゃんと無事に家まで帰れた……? 外に居たから体も冷えてるみたいだし、お大事にね』

 初日からいろいろ迷惑かけちゃったな……。

 そう思いながらもどこか口元を綻ばせていた僕はベッドで横になりながらメールを返す。

『大丈夫、心配かけてごめんね。今日はありがとう!』

 送信表示がされ、メールのメニュー画面へ戻ると小さな違和感を感じた。下書きボックスの項目に一件追加されていたのだ。

 何か書いてたっけ、それとも今送ったメールがちゃんと届かなかったのだろうか。ゆっくりと下書きメールを開いた僕は目を見開いた。

『いつまで平和ぼけしているつもりだ?』

 ――――その瞬間、全身に戦慄が走った。

「……なんだよ、これ……」

 少なくとも僕はこんな文を書いた覚えはない。たとえ僕自身が書いたものだったとしても、悪意に満ちたこのメール文を一体どこの誰へ送るつもりだったのだろうか。

 メールの詳細を見みると作成日時は今日の二十時三十八分、つまり僕があの場所で倒れ伏している時に誰かが書いていったという事だ。一之瀬さんとアドレスを交換した時点では既に下書きボックスに入っている。

 通りすがりの人が僕の寝てる間にいたずらで書いたんだろうか。だがあの場所で倒れていた僕の携帯電話をわざわざポケットから取り出し、下書きメールを書く事に対してメリットがどこにあるのだろうか。仮に僕の反応を見る目的だったとしても、そのメールを僕がその場で確認する保障はおろか、その場で起きる保証も無い。一之瀬さんに起こされなければ未だあの場所で僕は倒れていた可能性もあるのだ。

 静かな部屋は時計の音だけがカチカチと鳴り響き、風呂に入ったばかりだと言うのに嫌な汗が背筋を流れていく。

 怖くなった僕はその場で下書きメールを削除し、電気を消すと布団に潜り込んだ。

 当然、中々寝付くことはできなかった。



*



 4月16日、月曜日。

 入学式を終え、そろそろ半月が経とうとしていた。

 校舎周りを鮮やかな桃色に染めていた桜の木々は花びらを散らし、気温は徐々に暖かなものへと移り変わっていく。校内では新しい学園での生活に馴染んできたからか、どの教室も雰囲気が柔らかくなり、休み時間にはちらほらと辺りで談笑する様子も見えてくる。

 そんな中、僕は窓際の席で机の上に突っ伏し、腕を組んで仮眠に勤しんでいた。天候も良く、ガラス窓を通して暖かな日差しが毛布のように身体を包み込んでいく。あれから再び生活リズムが元に戻ってしまった僕は、相変わらず睡魔との戦いを繰り返す日々を送っていたのだ。もちろん毎日こんな事をしているわけではないが、今日は主な話し相手である佐久間も一之瀬さんも用事があるらしく教室には居ない。

 短い休憩時間を限界まで費やし仮眠に勤しんでいた僕の意識は、そのまま深い眠りへとついていった。

「――――――…………」

「ちょっと、綾瀬くん起きて」

「――――……」

「ちょっと! 起きなさい! 綾瀬!!」

 バシバシッ!

「ちょっと!! もう! いい加減にしなさい!!」

少女はシャープペンを片手で回転させると、日差しを反射する頬へと向ける。

『――……んぁ?』

「えいっ」

 ザクッ。

「ふぎゃああああああああああああああああ」

 雷撃のように鋭い痛みが頬を突き刺した。

「なにすんだよ!!」

 僕はその場で飛び起きると、片手で頬を押さえつつぼやけた視界に映った人影に向かって大声で叫んだ。徐々に視界がはっきりしていき、霞がかかりぼんやりとしていた人影は、一人の少女へと姿を変えていく。

 髪型はショート、焦げ茶色の髪を靡かせた少女がそこに立っていた。腕を組んで教科書を丸め、それを片手で持ちながらムスッとした顔つきで僕の方を睨みつける。

「あ・な・た・が、起きないからでしょ? 次移動教室よ? もうチャイム鳴っちゃってるのよ?」

「――あ、え?」

 そう言われ、辺りを見渡してみると、確かにこの教室には僕と少女の二人だけとなっていた。

「あなたが中々起きないから、私まで遅刻してるのよ!! わかってる?」

「……ごめんなさい」

「もう……。まぁいいわ。次の科学は実験なんだから、早く教科書準備して」

「ごめん、今すぐ準備する……」

 僕はカバンから科学の教科書と筆記用具を取り出すと、すぐに立ち上がり少女に再び謝った。

「ごめんはもういいから、早くいくわよ。鍵を閉めなきゃいけないのは私なんだから」

「……はい」

 二人で教室を出ると、茶髪の少女は、スカートのポケットから取り出した長細い鍵を取り出し、鍵を閉めた。

「早く行くわよ」

「うん、わざわざ僕のためにありがとう、えっと……――」

「……観月唯菜、私の名前。一応学級委員長なんだけど、もしかして決める時も寝てたの……?」

「あ~……」

 あまり興味は無かったが、確か三回目のホームルームでクラス役委員を決める時に率先して委員長に立候補した者が居た。あの時は物好きな奴も居る者だな、と軽く聴き流していたが……。

「ホント、もうちょっとしっかりしてよね。次同じことしたら今度は容赦しないわよ」

「……十分容赦なかったような――」

「何か言ったかしら?」

「……いえ、何でもないです。以後気を付けます」

 さっき刺された場所、黒くなってなきゃいいんだけどなぁ……。



*



 帰りのホームルームの時間、先生の説明を聞き流しながら頬杖をつき、窓から見えるビルの群れを眺めているとチャイムが鳴り響いた。いつもならこのタイミングで、皆カバンを手に取り一斉に下校し始める。だが今日は少し違っていた。

 いつものように床に置かれた黒塗りカバンを手に取り、ゆっくりと顔を上げ辺りを見渡すと、教室に残っていた生徒はさっさと立ち去ってしまう。だが黒塗りの学生カバンは教室に残されたままだ。

「あれ、何かあるのかな?」

 茫然とカバンを片手に立ち尽くしていた僕に後ろから声がかかった。

「お前また話聞いてなかっただろ……。部活動体験があるからだ。適当な場所にカバン置くと邪魔になるから教室に置いておけって担任が言ってただろ」

「あぁ……」

 振り向くと全身紺色の体操服を着た佐久間が立っていた。首には白いスポーツタオルが巻かれ、片手には500mlのペットボトルが握られている。

「と言うわけで、俺も今日はテニス部の見学に行ってくるよ。お前は先に帰っててくれ」

「そっか、わかった。頑張ってね」

「おう」

 早足で教室を後にする佐久間を見送り、僕はほぼ無人となった教室で小さく呟く。

「今日は一人かな」

 そう言って僕が教室を出て行こうとしたその時――

「綾瀬くん!」

 後ろから透き通った声が僕を呼び止めた。

 振り返ると見えたのは腰まで伸びた黒髪ロング、一之瀬さんが僕の方へ走り寄ってきていた。

「綾瀬くんこれから一緒に買い物行かない? 駅の向こうのデパートへ行こうと思ってるの」

「うん。それは構わないけど……。一之瀬さんは部活動見に行かなくていいの? 体力テスト凄かったのに」

 僕がそんな事を言うのには理由があった。一之瀬さんは数日前、体力テストで他の生徒と圧倒的な差をつけ全項目トップの記録を残したのだ。

 入学式当日の粗暴な態度からは想像も出来ない程の華麗な動きに皆驚きと感嘆の声を漏らし、体力テストの時間はちょっとした騒ぎとなった程だ。

「うん、あんまりそんな余裕はないかな……」

 少し寂しげな顔を浮かべて一之瀬さんは言う。

「そっか、じゃあいこっか」

「うん!」

 そう言って一歩踏み出した所で僕の足は静かに止まり、脳裏に桜色の単語が走り抜けた。

 待て待て待て! これってもしかして『デート』――

「どうしたの綾瀬くん?」

 ぼーっと立ち尽くしてしまっていた僕へ一之瀬さんは上目使いで声をかける。頬はほのかに赤く染まり、ケーキのような甘い匂いが鼻を撫でる。

 ダメだダメだ、落ち着け皐月。普段通りだ、そう、普段通り。

「ねぇ、どうしたの? 行こうよ」

 そう言って一之瀬さんは小さな掌を広げ、僕の手首を掴んだ。細く綺麗な指先が絡みついていく。同時に、大きな鼓動が僕の心臓を波打った。

 もう無理だ。いくらちょっと変わった女の子だとはいえ飛び抜けた美人だという事実は変わりない。と言うか、前々から思っていたがこの子の何気ない動作は天然なのだろうか、自分の容姿が優れている事に気が付いているのだろうか? この子にとってはこれが自然なスキンシップなのかもしれないが、僕は生まれてきてこの方、ここまで女の子と距離を詰めた覚えは一度たりとも無い(もちろん覚えている範囲でだが)。故に女の子に対する耐性は皆無と言っても良い程である。

 強烈な桃色攻撃を正面から食らい、心身に壮絶なダメージを負った僕は何とか理性を保とうと断ち切れた会話を繋ぎ止めようとする。

「あ、あぁ、うん。それじゃ行こうっか」

 そう言って僕は握られた手をさり気なく離し、歩き出した。

 離れた掌を見て、一之瀬さんは少し寂しげに微笑んだ。

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