第三章
不思議な空間を満喫しながら僕らは歩き続けた。そのまま三十分ぐらい歩き続けただろうか。商店街を抜け、更にその先の大通りに出た僕らはふと立ち止まった。
大きなビルの隣に小さな神社がぽつりと立っていた。隣に立っているビルの陰が日の光を遮ってしまい、全体が少し薄暗い。日光が遮られ、地面が固いからか、幸い雑草は生えていないが、辺りには瓦礫が散乱し、赤い鳥居の入り口は黄色いロープでぐるぐるに巻かれていて、『立ち入り禁止』と書かれている札も貼ってある。その上、屋根の上部は崩れ落ち、誰の手入れも行き届いてないからか、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
どうにもきな臭い、あからさまなほどに奇妙な神社だった。
「……なんだ? このいかにもな雰囲気の場所は……。……神社……だよな?」
「……多分。何か物騒な神社だね、御札まで張ってるし」
「昔何かあったのか……。綾瀬は何か聞いた事あるか?」
佐久間にそう聞かれた僕は、首を横に振って答える。
「僕もこの町で何か事件があったなんて記事は見たことも聞いた事もないけど、そもそもこの町の事知らないし……」
「気味悪い場所だな……。さっさと行くか」
「そうだね」
だがどこか気になってしまった僕は、去り際にもう一度神社の方を振り返り目を凝らす。すると本殿の奥に一枚の丸い鏡と小箱が置いてあった。直径一メートル程の大きな丸い鏡は異質な存在感と空気を放ち、その鏡面はまるで見せつけるようにはっきりと僕の方へ向けている。
――刹那、鏡は赤紫の光を放ち、僕らを写していた鏡面は灰色の世界へと変貌を告げた。
「なぁ……佐久――痛ッ」
自らの目を疑いつつも見入ってしまっていた僕に、突然鋭い頭痛が走った。痛みは長引く事なく、すぐに収束して行く。
痛みが引いた後、再び鏡へ視線を戻すと、僕の姿と後ろの建物を映していた。何の変哲も無い普通の鏡だ。
「……おい、またなのか。やっぱりお前、厨2――」
「だから違うって!!」
「……ったく。なら早く行くぞ。もう中学は終わったぞ」
「だからホントに違うんだって……」
多分気のせいだ。小さく呟いた僕は神社に背を向け、自らの奇行を必死に弁論しながら佐久間の方へ小走りで駆けていった。
*
玄関の扉を開くと、トントンとリズム良く野菜を刻む音、更に小さくテレビの音が流れてきた。
「ただいま」
「おかえりなさい、どこか行ってたの?」
見るとリビングでテレビを付け、夕食の下準備をしていた母さんが居た。母さんは僕の方を見ると調理の手を一旦止めて僕へ尋ねる。
「佐久間と町を周ってきた。これから3年間通い続ける場所だしね、少しは慣れておいた方が良いかと思って」
「だから少し遅かったのね。昼過ぎで終わるはずだからどこか寄り道しているとは思っていたのだけれど」
僕がそう言うと、母さんはどこか納得した様子で止まった手を再び動かし始めた。
「そういえば、今朝は母さん仕事だったから早めに出たけれど、電車ちゃんと間に合った? 昨日、随分遅くまで起きてたみたいだけれど」
「――あ、うん……大丈夫。ちゃんと間に合ったから……それより何作ってるの?」
今朝の出来事を思い出し、僕は引きつったような笑みを浮かべてその場をやり過ごす。
「何って……見ての通り今日の晩御飯はハンバーグだから、仕度してたところ」
「そっか」
「……友達はできそう?」
「初日だから佐久間以外とは誰とも話してないし、みんなぎくしゃくしてるからまだなんとも……」
「そう、頑張りなさいよ」
「わかってる」
いつものように生返事を返して自分の部屋へと向かった僕は、部屋に着くとドサっと手に持っていたカバンを降ろし、ベッドの上に寝転がる。
無機質な白い天井を茫然と見つめながら、これからの事について考える。
――川瀬北高等学校、誰にも話していないが、僕があの学校へ入学した理由は、実はもう一つある。
川瀬町は3年前、中学1年の僕が何らかの事件に巻き込まれ、記憶を失くした町なのだ。あの町の交番で母さんに引き取られた僕は、それ以来あの町へ近づかなかった。理由は単純、再び記憶を失くす事が何よりも怖かったのだ。知人、友人、家族、そして自分自身、全てがわからなくなる事に僕は心から恐怖した。あの日、再び目を覚ました僕にとって、全てが他人だった、知らない物だった。だから否定してしまった。そしてしばらくして、過去の友人にとっての僕も他人となった。
この部屋だってそうだ、自分の部屋だと言われてもわからなかった。そして嫌だった、自分で自分の事がわからないのが、部屋に置いてある物全てが、僕を否定しているような気がした。
だから僕は捨ててしまった、自らの過去を、自らの思い出を、部屋の隅々に至るまで、過去という過去を否定し続けた。僕は弱かった、全てから逃げ出していたのだ。
そして新しい人生を始めようとした。新しい友人が出来た、新しい日常が出来た。
最も親しい友達に自らの事を打ち明けた。そしてその友人は言った。
「俺は綾瀬じゃないから綾瀬の気持ちはわからない、痛みも苦しみもな。もしかしたら俺も同じ目に会えばお前と同じことをするかもしれない。だがな、だからこそ言わせてもらうが、それは間違った事だと俺は思う。お前結局、自分の事しか考えてねえだろ」
ハッと目を覚ました僕を前に、彼は笑って言葉を続けた。
「俺は綾瀬の過去に同情はしないし、慰めもしない。辛かったな、だなんて絶対言わねえ。お前は女じゃなくて男だからな。だが、代わりに俺は精一杯お前の力になってやる、どこまでも黙ってついてってやるよ。だから綾瀬、もう逃げるのはやめにしようぜ」
それからしばらくして、僕は佐久間を川瀬北高校へ誘った。もう逃げるのはやめようと思ったから。
そして言葉通り、佐久間は笑って僕についてきてくれた。
これから僕は、どんな形であれ、佐久間を自らの過去へ巻き込む事になるだろう。
そしてそれに対して後悔はしない。これは僕が望み、僕が選んだ道だ。
だから、後悔する事は許されない。
*
翌日、昨日の失敗を繰り返すまいと駅で新しい時刻表を貰い、登校した僕は席について机に突っ伏し、だらけた姿勢で寝息を立てていた。
教室の扉がガラガラと音を立てて開き、先生が入ってくる。そして先生は僕の前の空席に目をやると、困ったような顔を浮かべるとため息をつき、一つ咳払いをしてホームルームを始める。
「出席を取ります」
入学して間もないからか、やはり教室の空気は少し硬く、名前を読み上げる先生の声が響き渡っている。
そしてその途中に、彼女が教室に入ってきた。一之瀬さんだ。
『また君か……』
そんな表情が先生の顔に浮かび、「早く座りなさい」と一之瀬さんに一声。
彼女は昨日と同じ仕草で僕の前の席に座り――……また寝始めた。
……こういうキャラの人なんだろうか、普通にしてればかなりモテそうなのに。
そんな事を思いつつ茫然とその寝顔を眺めていると、いつのまにか授業が始まり、先生がプリント束を最前列の人達に配り始める。
最前列の人から順にプリントを一枚ずつ抜き取り、後ろにまわしていくのだが、僕の目の前に居る彼女は先ほどと至ってかわらず、すやすやと静かな寝息を立てている。
「あの」
「…………」
熟睡しているからか、どうやら少し強引な手を使わなければ目の前の彼女は起きそうにない。
「あの……!」
背中を手で軽く叩いてみると唸り声を上げながら小さな体がむくりと起き上がる。
「――う~~。……なぁに?」
眠そうに半目を開き、髪の乱れた少女はようやく僕の方へ振り向いた。
「プリント、まわしてもらえるかな……?」
すると彼女は机の右端に置かれたプリント束をぼーっと眺めた後、一枚だけ抜き取り僕に渡す。
「――……ぐ~」
そしてまた彼女は寝始めた。……大丈夫なんだろうか、この子。
そんな僕らのやり取りを眺めていたからか、後ろへプリントをまわすと佐久間が苦笑いをした。
*
放課後、佐久間が『スマン綾瀬。今日は俺、用事あるから早めに帰るわ』と言って走り去っていき、相方を失った僕は一人寂しく教室を出ようとする。
すると後ろから透き通った可愛らしい声が僕を呼び止めた。
「――あの……」
「ん……?」
振り返ると、小柄な少女が居た。
顔色はほのかに赤く染まり、深い海のように大きく青い瞳はこちらを見つめ、黒く流麗なその髪は腰まで……って――
「一之瀬さん……?」
「うん、さっきは……ごめんね。最近ちょっと寝不足がひどくて……。髪の毛もボサボサで恥ずかしい所見られちゃったかな……」
「え、あ、うん。全然気にしてないから大丈夫! 僕もあんまりよくやっちゃうし」
というか、人の事を言えるような立場ではないし……。
「そっか……さ、――君、も眠そうにしてたもんね」
……ん? あぁそっか、名前がわからないのか。
「あぁ、僕は綾瀬皐月って言うんだ。綾瀬でいいよ。名前わかんなかったよね……。気づかなくてごめん」
「え、あ……。うん、ありがとう」
あれ、なにか間違えたかな?
「まぁ……。僕もたまに夜更かししちゃうから」
「私も、春休みに遊びすぎちゃって休みボケがまだ抜けきってなかったみたい。ホントごめんね」
困ったような表情を浮かべ、少し恥ずかしそうに一之瀬さんは笑う。
「そっか、似たもの同士かな。お互い頑張って休みボケ解消しないとね」
「……うん。お互い気を付けていこっか」
そう言って一之瀬さんは少し俯いて
「――ん、どうしたの? ……やっぱり体調悪いのかな? あんまり――」
僕がそう言うと言葉を遮るように彼女は笑顔を作り直して僕に言った。
「ううん! 大丈夫、とにかく今日はごめんね。あとこれから1年間よろしく!」
「そっか、こちらこそよろしくね!」