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「おつかれさま。」

「終わったぁ……。」

 一日目のあとの嬉しそうな叫びとはある意味対照的な、京花の気の抜けたような呟き。

「何、京ちゃん。疲れた?」

 月香なんかはけろっとして、疲れ切った顔の初心者五人をちょっと楽しそうに眺めていた。その五人の中の一人である梨絵は、半ばうめくようにして後片付けに駆け回る飛鳥に声をかけた。

「飛鳥ちゃん……元気ねぇ。」

「なーに言ってんの、まだまだ元気ハツラツよぉ。」

「初めてだから余計緊張したんだろ。精神的に疲れるんだよな。」

 礼子がそんなフォローを入れる。彼女もあまり疲れてはないらしく、あちこち飛び回っている。

 そして一番元気なのは、やっぱり部長だった。

「よーし、じゃあ打ち上げは今度の日曜ね! 人数で場所決めるから参加希望は名前書いてって!」

 そんな事をのたまって、栄たち一年生と新人達を仰天させた。

「打ち上げなんかやるんですか!?」

 飛鳥が目を輝かせて食い付いた。平然としているのは去年もいた二年生5人と裏方班だけ。バラバラッと何かが散らばる音がしてびっくりして振り向くと、康平役の七波がヘアピンの山ほど入ったケースを落としたところだった。(彼女は今回男役という事で、くるくるした長めの髪を隠すのにヘアピンをたくさん使っていたのだ。もっともそんな器用な事をこうも手早く見事にこなせるのは当然、この部には月香しかいない。)

 そんな皆を見て、雪穂部長は皆の反応のわけがよく分からないという顔をした。

「やるわよ。まあせいぜいカラオケくらいだけど。参加できるのはキャストと、脚本含む裏方ね。あ、費用は割りカンだから参加強制はしないわ。」

「普通は無いよね、打ち上げって。俺も去年は驚いたよ。」

 礼子が笑う。部長はちょっと肩をすくめたが、何も言わなかった。ルーズリーフを一枚出してその辺に置き、後は放りっぱなしで自分のメイクを落としている。もう着替えも終わった奈々がまずそれに慣れた様子で自分の名前を書いた。

「笑実ちゃんも来るよね?」

「うん、是非。みんなの美声が聞けるしね。」

 冗談なのか本気なのか、笑いながら言って奈々のペンを受け取る。ついでに書いといてーと副部長が遠くから叫び、私も私もと便乗する裏方の人たちの名前を笑実が丁寧に書いていく。そんな様子を見ながら、飛鳥が少しおずおずと言った。

「あの……わたしたちも参加しても……?」

「もちろん、いいに決まってるじゃない!」

 先輩の言葉と笑顔にホッとしたように、飛鳥はペンを受け取ると二人分の名前を書いた。

「栄、書いといたからね。」

「は? 何それ勝手に? 私まだ参加するって言ってないよね。」

「でも参加するでしょ。」

「……するけど。」

 こんな二人のやり取りはもう恒例と化している。梨絵も沙矢子もやっと名前を書きに来た。一応遠慮してたらしい。

「あ、そうそう。」

 唐突に笑実が声を上げる。彼女は持ち上げかけていた台を放り出して、自分の荷物の方に駆けて行く。そして何かを手にとって、それを部長に渡しに行った。

「はいこれ、もう早めに渡しちゃうね。OKなら清書して印刷しちゃうから。」

「え、もう出来たの?」

「今日書き上げた。一部急いで書いたから読みにくかったら勘弁ね。チェックよろしく。」

 部長は頷き、早くも真面目な顔で渡された冊子を読み始めている。手の空いた部員がその周りにぞろぞろと集まって来た。部員達がただ取り巻いて見ている中、月香は妹が読んでいるのも構わず冊子を軽く持ち上げて表紙を覗き込む。

「ちょっ、何するの。読みにくいじゃない。」

散華(さんか)乱舞(らんぶ)……。」

 タイトルと思わしき四字熟語を読み上げる。中もざっと見て内容を察したらしい。溜息をつきたそうな顔で笑実を見た。笑実は相変わらずにこにこして、そんな副部長に首を傾げてみせる。

「どーしたのかな月ちゃーん。何か問題でもある?」

「……いや、別に。」

 言葉とは裏腹に、呆れ果てたような表情は変わらない。笑実はそれにキラッキラの笑顔を向ける。

「ねー、何か言いたいなら言ってよ。気になっちゃうな。」

「……じゃあ言うけど。あんたさー、これ、思いっきり趣味出したろ。」

「やーね、どの辺が?」

「全部だ全部。」

 そんな脚本と演出のやり取りを、二年生たちは軽く聞き流していた。ちょっとだけハラハラしている一年生の肩を、礼子がいつもの事だよと優しく叩く。京花は内容が気になって仕方ないようで、部長の持つ台本を奪おうとして攻防を繰り広げていた。

「雪ちゃん、悪いけどそれ家で読んで。京ちゃんもやめなよ、どうせ配るんだからさ。」

 今更ながら笑実が声をかける。雪穂が台本を自分の鞄にしまうと京花は渋々諦め、みんなも三々五々さっきまでの作業に戻って行った。

「文化祭か……」

 栄は思わず小声で呟く。それを耳ざとく聞きつけたらしい、奈々が珍しく口をきいた。

「どうしたの、心配事でも?」

 栄は慌てて首を横に振る。誰の目もなくなると、栄はこっそり溜息を()かずにはいられなかった。


(ひかる)はねー、(かおる)とギリギリまで迷ったんだよ。」

「笑実ちゃん、それってもしかして源氏物語から?」

「あたり。こういうネタならいくらでもあるよー。」

 カラオケのパーティールームが狭く感じるほど、演劇部員その他がひしめき合っている。絶えることない歌声と喋り声。このような楽屋オチ話をする者はまあいいとして、テンションが上がりすぎてもっとめんどくさい者も現れる。

「マチも歌えよおおぉぉぉぉ」

「やめろ寄るな触れるな抱き付くなーっ! 京ちゃん、あんた酔っ払ってる?」

「失礼な。これはコーラよ。」

「寝オチがない分、酔っ払いよりタチが悪いな。」

「笑ってないで助けろ礼子!」

 京花にがっちりと捕まったマチこと七波が叫ぶ。でもふざけてじゃれ合っているだけだと分かってるので、みんな笑って見ているだけで手を出さない。京花は今し方までマイクを放さず、ノンストップで三曲歌い終えたところだった。七波に抱きついた姿勢のままで、まだ歌っていない人々に声をかける。

「ちょっとー、みんなも歌ってよ! 一人一曲はノルマだからね!」

 ちょうどその視線の先にいたのは、行儀よく並んで座っている一年生五人。一応ドリンクを頼んだだけで、先輩方の会話に入ることも歌うことも出来ずにいた。

 けど、他にも歌っていない人がいる。礼子が不満げに言った。

「おいそこの双子、それと笑実。せっかく一年生も新人も来てるんだから、たまには歌えよ。俺や奈々でさえ歌ったんだぞ。上手いんだから出し惜しみするんじゃねーよ。」

「そんなんじゃないわよ、上手くなんかないし。」

 雪穂は唇を尖らせて言い返す。けれどその隣りで黙っていた月香はひょいと端末を手に取った。

「え、月ちゃん歌うの? わーい珍しー!」

 一人が叫び、部屋中から拍手喝采が沸き起こる。その中でも月香の平然とした声はよく通った。

「うん。雪穂もね。」

「はぁ!?」

 勝手に言われた雪穂はバッと立ち上がると、姉を睨みつけた。誰もが怯むその視線を受けても動じないのはこの人くらいだろう。月香は座れと妹の腕を引っ張り、端末に表示された曲を示す。

「まあまあまあ、これでどうよ。」

「……まあ、これなら。しょうがないわね。」

 渋々頷く雪穂。ちょっとシーンとしたカラオケボックスの部屋にあまり聞き覚えのない音楽が流れ出し、月香がまずマイクを握った。

 朗々と響く、月香の少しハスキーな声。次のパートを歌う雪穂の声の方が少し高く、繊細で美しい。全員が些細な動きも止め、呼吸さえも忘れて聞き惚れていた。サビで二人の声が重なり、ますます綺麗に延びる。クラシックの名曲が歌いきられてから、しばらくは音を立てる者すら誰もいなかった。

「何よ、音途切れちゃったじゃない。誰か次入れなさいよ。」

 照れ隠しか、雪穂がやや早口に言う。しかし誰も動けない。笑実がフォローを入れた。

「この直後に歌うのは厳しいよねー。じゃあ、質問タイム行きまーす! 今回の舞台のこと、次回のこと、何でも聞いて!」

 ホッとしたような空気が広がる。その中で一人が元気よく手を挙げた。

「はいはいはい! 質問したい!」

「どうぞ京ちゃん。」

 笑実の明るい笑顔。京花はその目をまっすぐ見て真顔で尋ねた。

「脚本って今回オリジナルだけど、普通そういうもんなの? 既存の何かとかアレンジとかって使わないんだ?」

「いや、そんなことないと思うよ。えーと、他校の経験者いたよね。そうだ早苗ちゃん、どう?」

 いきなり話を振られた早苗こと飛鳥は戸惑いながらも、ちょっと考えて答えた。

「そう……ですね。中学では完全オリジナルってほとんど無かったです。」

「ちなみに初主演は?」

「不思議の国のアリスです。栄は?」

 そして栄もなぜか巻き込まれる。そんな飛鳥のいつもの行動に呆れつつ答えた。

「えーっと、火垂るの墓。」

「あ、あれ初だったんだ。わたし観に行ったよね。」

 笑実はふーんと言って聞いている。部長がそんな彼女をつっついた。

「そういえばそうだね。笑実、アレンジとか苦手?」

「苦手って言うか、好きじゃないのよねー。まあただ私が書くのが趣味ってだけよ。他は何かある?」

 笑実がぐるっと部員を見回す。いくつか手が挙がった。言い出しっぺの笑実と巻き込まれた形になった雪穂、月香は丁寧にその質問に答えていく。最後の質問は、飛鳥だった。

「前から気になっていたんですけど、この部って三年生はいらっしゃらないんですか? うちの学校、だいたいの部活で引退は三年の七月だから、まだいらっしゃると思ったんですけど……」

 もしかして聞いちゃいけない事だったんじゃなかろうかと思ったのか、飛鳥の声はだんだん小さくなっていった。雪穂はちょっとだけ苦い顔をして、その質問に答える。

「そうよ、本当は演劇部も七月に引退。それに、ちゃんといるのよ、三年生。ただ裏方班にいるのと、今日は模試で来られないだけで。

 去年までは、役者の方にも一年上の先輩は三人いらしてね。私、月、礼子と奈々と、七人でやってたの。ま、それでも少なくて、寸劇がやっとだったけれど。でも学年が変わると同時に部長が家庭の事情で学校自体辞めちゃって、その学年は彼女一人で引っ張ってたようなものだから残りの二人も裏方に回っちゃって、演劇部はちょっとした活動不能の危機に陥ってしまった。四人じゃ、いくら何でも公演は出来ないもの。

 だから私は、部長として、今年の四月に全てを賭けてたの。京花とマチが入ってくれた時は本当に嬉しかった。そして五月、一年生が五人もいるって知って、どれだけホッとした事か……。言葉では表せないって、本当ね。先輩を責めるように聞こえそうだから、何となく言いそびれてたのよ。」

 思いのほか長い、重い話に、誰も何も言えなかった。知らずに尋ねてしまった飛鳥なんか、おどおどと泣きそうな目をしている。

「ご、ごめんなさい。わたし、知らなくて、無神経で……」

「やだ、気にしないで飛鳥ちゃん。いつかは言わなくちゃと思ってたんだから。」

 雪穂が慌てたように言う。笑実がにっこりと笑って口を挟んだ。

「じゃあ、カラオケ後半戦しましょ。飛鳥ちゃん、明るい曲を頼むわ。」

「はい!」

 それがせめてもの罪滅ぼしとばかりに、飛鳥は力いっぱい頷いた。

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