第140話 終末の見張り
四つの神器――本、剣、鏡、指輪――が、みんなベルゼブブを警戒していた。
知恵の書のページの縁に、うっすらとした光が滲んでいた。ユウキの腰の鞘がかすかに震え、ワカナの手の鏡は薄い霧を被ったみたいに曇り、サチの指輪には細かい光の粒がちらついていた。四つの神器は、声を出さずに互いに連絡を取り合って、それぞれの状態を確かめ合っているように見えた。
これらの神器の真ん中に立っていて、僕は胸を何度もぎゅっと締めつけられ、それに合わせて呼吸が浅くなっていくのを感じた。何かが胎動している。僕が介入する余地は、まったく残されていなかった。
ワカナも空気の変化に気がついていた。彼女は無言で僕のすぐそばまで身を寄せてきて、声を落として聞いた。「こいつら、いつもは大人しくしてるじゃん。今日は何が起きてんの?」
「僕にも分からない」
僕は正直に答えた。手のひらにはもう汗が滲んでいた。
あの魔王は、挑発の仕草と挑発の言葉を、次から次へと繰り出し続けていた。
「ジェフティよ、いつもいつも重労働を濁世の連中に押し付けてばかりだな。そろそろ自分で出てきて、俺と直接向き合ったらどうだ?」
「お前のボスはどこだ?ウェスィルはどこにいる?」
「お前を創ったラーが去ってから、どれほどの時が経つ?あの方はもう自分の被造物を見捨てたのか?この塔を建てた後に己の被造物を見捨てた伏羲と同じようにな?」
ベルゼブブが一言口にするたびに、その口調に軽蔑の色が一段ずつ滑り込んでいく。まるで彼はもう、この神器たちが応えないと確信しているようだった。
僕の傍の知恵の書は、最初こそ光を燃え上がらせ、ページを勢いよく捲っていた。
けれどベルゼブブの挑発が続くにつれて、知恵の書は逆に大人しくなっていった。
鏡と指輪も、点滅を止めた。
ワカナは自分の手の中で、ゆっくりと光を失っていく鏡を見つめて、困惑を顔に浮かべた。
「これ、どういうこと?あいつを無視してるってこと?」
「ふん。知恵だけじゃなく、真理と幸運までもが口を噤むと決めたか?」
ベルゼブブは額に手を当て、大げさな芝居がかった仕草で肩を落とし、舞台俳優が落胆を演じているみたいだった。
「俺は挑発家として、なんたる失格か!」
落胆しているようには見えなかった。それどころか、目の奥には満足の色がちらついていた。
『知恵、真理、幸運は、衝動で動いてはならぬ。だが勇気は、この局面で立ち止まってはおれぬ』
神々しさを帯びた声が、ユウキのほうから聞こえてきた。
フェアリーが勢いよくユウキのほうに顔を向け、羽ばたきの速度が一瞬で跳ね上がった。
「今の声……勇気の剣の中から聞こえた!」
声には驚きと、畏敬に近い緊張が滲んでいた。彼女はユウキのほうへ数歩分近づいて飛んだ。
サチの目も大きく見開かれた。彼女は僕の腕をぎゅっと掴んで、爪が皮膚に食い込みそうだった。
「こ、この剣、喋るの?」
声は少し震えていたけれど、僕の手を握る力は緩めなかった。
僕たちとベルゼブブの間に、背の高い男の姿が現れた。
長い金の髪が、揺らぐ空気に乗ってふわりと流れていた。目は冬の空みたいに澄んでいた。
顔は端整で欠点がなく、肌はほのかな光を放っているかと思うほど白かった。
彼が身にまとう甲冑は銀と金を編み合わせて作られていて、一枚一枚の装甲に刻まれた紋様は、何世紀にもわたって磨き上げられたかのように緻密だった。
背中には自分の身の丈近い長さの角笛を背負っていて、その表面は古い光沢を放っていた。
表情は厳粛で、周囲への警戒を怠らない構えだった。この世のどんな小さな動きも、彼の目と耳を逃れられないと感じさせた。
ユウキは急に手のひらの重みが変わった剣を見つめ、驚愕を顔いっぱいに浮かべた。
「こ、この人が、私の剣から出てきたの?」
『はっはっ!これはこれは!』
ベルゼブブは軽く手を打ち鳴らした。声は一瞬にして別の次元へ跳ね上がり、もはや人間に対して話しているものではなかった。
これは神と神の対話だった。
『ビフレストの守り手よ!お前は、その角笛を吹くつもりか?』
ベルゼブブは、男の背中に括り付けられた巨大な角笛を、挑発するように指さした。
本、指輪、鏡が同時に一度だけ強く光った。三つとも、仲間に衝動で動くなと促しているようだった。
三つの明滅はほぼ完璧に同調していて、三人が同じ瞬間に鋭く息を吸い込んだみたいだった。
この男は間違いなく勇気の剣の化身だった。
ユウキはその場に釘付けになり、口を少し開けて、自分の武器から歩み出てきたその人物を、瞬き一つせずに見つめていた。手はまだ剣を握る位置のままで、肩は緩め方を忘れたみたいに強張っていた。
「二人には、この人が誰だと思う?」
ワカナはユウキの手の剣を疑わしそうに眺めてから、男本人をもう一度、上から下まで何度も見比べて、迷いを顔に浮かべた。
「ワカナ、ゲームも漫画もアニメも山ほど見てきたでしょ。ベルゼブブが虹の橋のことまで口にした――もう見当はつくはずだよ」
僕は知恵の書の表紙を撫でながら、期待と迷いの混じった声で言った。
「ヘイムダル?」
ワカナは半信半疑で男を見て、目を細めて、それから広げた。答え合わせを待つみたいな顔だった。
嵐みたいな強風が、突然僕たちの間に噴き出した。激しい気流が、花火の飛沫のように、あらゆる砂埃を舞い上げた。
その風は、周りのエインヘリャルたちを数歩後ろによろけさせるほど強かった。反射神経の鋭い数人は、身を低くして重心を安定させた。
サチは本能的に僕の背中に隠れて、片手で僕のシャツの裾を握り、もう片方の手を顔の前にかざして、飛んでくる砂埃を防いだ。
フェアリーはすぐさま僕とサチの間に位置取り、羽をぴんと張って、いつでも反応できる構えを取った。
ワカナは一足飛びに僕の隣まで駆け寄って、バットを胸の前に横に構え、あの荒れ狂う気流を鋭い目で睨みつけた。
僕たちは全員、警戒の視線を蠅の王のほうへ突き刺した。
「ああ、これはお主らを傷つけるつもりではないぞ――ビンゴという意味だ。お主らは正解した。彼はヘイムダルだ」
ベルゼブブは一本の指を僕たちのほうへ差し伸べた。言葉の中に賞賛の響きは含まれていたけれど、その下に流れる嘲笑は相変わらず尽きなかった。
そこでようやくワカナは肩から力を抜いた。バットを少し下ろしたけれど、目はベルゼブブから離さない。
「こいつ、一言たりともまっすぐに喋れないんだね」
彼女は小さくぼやいた。
ヘイムダルは背中に手を回して、角笛に触れて、少し考えて、それから手を下ろした。
『本当に吹かないのか?』
ベルゼブブの口調にはあからさまな悪意がこもっていた。彼はわざと角笛のほうへ首を伸ばして、まるでショーが始まるのを待つみたいな顔をした。
『その時はまだ来ていない――程遠い。アスガルドの陥落すら未だ訪れておらぬ。それに、この時代、ラグナロクの規模と桁は、大きく引き上げられておる』
ヘイムダルは蠅の王を揺るぎない眼差しで見据えた。その声にも、揺らぎは欠片もなかった。
『古の文明を滅ぼした十の災いが降りかかっても、なおラグナロクの発動とは見なさぬのか?』
ベルゼブブは片手を差し出して、その周りを旋回する蠅を満足げに眺めた。その口調には、老獪な策謀家の自信があった。
『第四の災いだけでは足りぬ』
今度こそヘイムダルは角笛を背中から下ろした。ただし吹きはしなかった――彼は角笛を手の中で優しく輝かせた。
『濁世の人々は、自らを守る術を持っておる』
彼の目が光を放ち、僕たちの前にいくつかの映像を広げた。それらの光景は、無数の小さな窓を空中に一斉に広げたようで、一コマ一コマが直接体感するかのように鮮明だった。
空では、攻撃ヘリ、ドローン、空対空戦闘機が、すでに蠅の狩りに動き出していた。
地上では、スティンガーミサイル、対空砲、武装した兵士たちが、あの巨大な狼蠅にとっくに照準を合わせていた。
同時に、各都市の上空には天使たちが姿を現していて、そこに各地に固有の神の戦士や神将たちが加わっていた。
オスロの上空には、翼のある馬に跨がったヴァルキリーが姿を現し、長槍が雲を貫いて凍てついた輝きを放っていた。
コルカタの上空には、羅刹夜叉が空を埋め尽くして旋回し、爪と牙を剥き出しにして、いつでも急降下できる構えを見せていた。
台北の上空には、もう一本の虹の橋が架かっていた。橋の向こう側には、祖霊の守護者たちの影がうっすらと見えた。
ユウキは映像を見て、表情から緊張がわずかに解けた。
「あの場所の人たちは、放置されてるわけじゃないんだね」
サチも身を寄せて覗き込み、目の中の心配が徐々に安堵の色に譲っていった。
「よかった……本当に、よかった」
声が喉に少し詰まったけれど、彼女は僕の手を握る力を緩めなかった。
フェアリーが映像の前まで飛んで、一コマ一コマを丁寧に観察していた。小さな顔いっぱいに集中がにじんでいた。
「この守護者たちの力、どれも相当強いよ」
彼女は言った。
『ふん。予想した通り――どの神域も、自らの民を見捨てはせぬ』
ベルゼブブは、なぜかこの結果を最初から見越していたみたいな態度を取った。
『七大魔王のうち出張ってきたのはお前ひとり。十の災いのうち出てきたのは蠅の災いのみ。お前が本気でラグナロクを召喚しようとしていることには、俺は大きな疑いを持っておる』
ヘイムダルの手に、二本目の剣が形を取った。刃が日光を受けて銀白色の輝きを放っていた。
彼は深く息を吸い込み、揺るがぬ眼差しでベルゼブブに向かって突進した。踏み出した足音は、地面を震わせるほどの重みがあった。
『ラグナロクへの道は、そりゃあまだ遠かろう。これは超限戦だ――濁世のあの連中から俺が学んだやり方だ』
ベルゼブブは黒い杖を取り出して、ヘイムダルの一撃を受け流した。二人がぶつかった瞬間、目もくらむほどの火花が四方に散った。
ユウキは神々の一騎打ちを見つめた。剣の柄を握る手が白くなるほど張り詰めていた。
「私たちも、何かしなきゃいけないんじゃない?」
声を落として彼女は聞き、視線を僕とヘイムダルの間で行き来させた。
ワカナもバットを握り直して、小さく一歩前に踏み出し、それから止まった。神々の戦いに突っ込んでいいものかどうか、明らかに彼女は判断がつかずにいた。
『動け――でなければ、勝ちの目は無いぞ!』
かすかに、知恵の書が僕にそう囁くのが聞こえた。




