第12話 益の回廊
俺の切風翎が落ちる。
Hp -114
まだ死んでいない。
もう一回……もう一回。
翡翠色の鳥は、もう動かなくなった。
「知恵の書」が飛んできて、ページを開き、
そのままペタリと押しつけた。
『またやった!』
『この図鑑の登録方法、魚拓じゃん?』
『魔物拓だろ!魔物拓!笑』
『真澄、今回は1000円騙されないからな!』
「知恵の書」が飛んでいく。
【風霊鳥 撃破】
【EXP +40】
「知恵の書」がさっそくこの鳥のデータを展開した。
風霊鳥 Lv 2 EXP 40
HP 260 MP 15
反応:8
筋力:5
霊感:8
運:3
この数値を見て、少し言葉に詰まった。
ピクシーを紙くずみたいに引き裂いて丸呑みにしていたから、
相当な強敵だと思っていた。
結果……これだけ?
昨日、俺はいったい何に苦労していたんだ?
チャット欄も二秒黙り込んで、
それから一斉に狂い始めた。
『これで終わり?』
『今、やばいと思ったのに』
『ちょっと待って、EXPが40しかない?』
『人間一人に秒殺されてて草』
「主人」
ピクシー族母の声が背後から聞こえた。
驚きはしなかった。
族母は今、第一層の管理者だ。
奴工を通じて俺の位置を把握できるから、
いつでも現れてもおかしくない。
「巽の塔の生態は、基本的に単体では弱く、
群れになると強くなる構造をしています。
鳥が一羽だけだったから、
主人が楽に感じたのは当然のことです」
彼女は俺の隣に立ち、
回廊の奥へ視線を向けた。
「益の回廊の風霊鳥が単独で行動することは、あまりありません。
この鳥が群れを離れていたのは、
主人の侵入を察知して偵察に来た先鋒です。
益の回廊の中核群落は、
およそ三百から五百羽。
互いに歌声でバフをかけ合い、
群落が存在する限り、
個体の数値は上昇し続けます」
チャット欄が丸々三秒沈黙した。
それから完全に崩壊した。
『三百から五百羽……?』
『今の一羽はバフ無しの状態だったの?』
『群体バフって、
つまり数が多いほど強くなる?』
『消防隊、もう二時間以上経ってるよな?』
『あの鳥たち、今の数値どんだけだよ!』
『この任務に残された唯一の利点は、身体を鍛えられることだけですね。」』
『逃げろ逃げろ!』
『これ絶対無理なミッションじゃないか!?』
チャット欄の声を頭の後ろに追いやった。
崩れるのは分かる。
でも俺はそこまで心配していない。
「族母、消防隊と警察が音信不通になった場所は分かるか?」
「彼らが孤立している場所は、
ここからさほど遠くありません。
ただ、風霊鳥の群落が出口と入口の両方を囲んでいて、前にも後ろにも進めない状態です。今のところまだ生きていて、死傷者は多くありません」
まだ生きている。
深く息を吸った。
「連れていく前に、一つやらせてくれ」
傍らの奴工たちに声をかけた。
「お前たちが偵察できる最大範囲はどのくらいだ?」
族母が少し首を傾けて、
奴工のために何かを計算するように考えた。
「益の回廊は観の門より空間が広いです。
奴工はもともと動きが速いので、最大でおよそ半径三百メートルほどカバーできます」
俺は頷いた。
「じゃあこうする。全員散れ。
風霊鳥には絶対に手を出すな。
単独でいるやつを見つけて、
俺に知らせるだけでいい」
族母が一瞬止まった。
「各個撃破するつもりですか?」
「単独のやつを見つけて倒して、
経験値を稼ぐ。
十分だと思ったら、
孤立した人たちを助けに行く」
配信を見ていた人たちが、崩壊モードから別のチャンネルに切り替わった。
『あ、無謀じゃないんだ!』
『計画的なレベル上げ作戦!』
『先に狩ってから救助、ってことだな?』
『でも向こうはどのくらい持つんだ?』
『族母が死傷者は少ないって言ってたし、
まだ時間はあるだろ』
若菜の声も電話の向こうから聞こえてきた。
「真澄、
中に閉じ込められてる人たちは——」
「分かってる。
族母が今は安全だって言ってた。
今の状態で突っ込んでも、
誰も助けられない。
俺がもう一人の要救助者になるだけだ」
若菜が少し黙った。
「……分かった。絶対気をつけてね」
目の前の奴工たちに手を振った。
「行け、早く戻ってこい」
数百体のピクシーの奴工が一斉に羽ばたき、
回廊の霧と木陰の中へ音もなく消えていった。
回廊の奥から、
あの奇妙な和声がまだ低く響いている。
回廊の木の幹に背を預けて、
偵察の結果を待った。
族母は黙って傍らに立ち、
その複眼はどこまでも穏やかで、
結果を少しも心配していないようだった。
待っている間、チャット欄の人たちは勝手に戦略を語り合い始めていた。
『単独行動してる鳥って、
外周を巡回してるやつじゃないか?』
『偵察ピクシー、
本当にこんなに早く動けるのか?』
『群体バフがどのくらい強いのか気になる』
『まあ、どうせ何か方法があるんだろ』
数分後、
最初の奴工が戻ってきて、
俺の肩に止まり、
ある場所の感知を伝えてきた。
そこへの経路が頭の中に映像として浮かんだ。
回廊の右側、八十メートルほど先。
意外と近い。
一羽の風霊鳥が、
高い枝の上で単独で休んでいた。
体を起こし、切風翎を握って、
いつでも投擲できる体勢をとった。
「案内しろ」戻ってきた奴工に命じた。
そのタイミングで、
他の奴工たちも次々と戻ってきた。
単独個体の位置を頭の中に書き込んでいく。
数は多くないが、十分だ。
ここからは特に語るようなことはない。
単独の風霊鳥は、
見た目ほど一対一が強くなかった。
急降下してくるところを盾で受け流して、
切風翎を叩き込む。
二羽目、三羽目、四羽目……
どれも手際よく片付いた。
チャット欄のムードも緊張からお祭りに変わっていた。
『狩り中につき邪魔しないでください(笑)』
『レベル上がったか?』
『なんか今、熟練のハンターみたいだな』
「知恵の書」が淡々と撃破数値を記録し続け、
俺のEXPバーは着実に上がっていった。
五羽目が倒れた後、
奴工たちに捜索を続けさせながら、
自分は少し息をついた。
地面にまだ完全に光粒化していない風霊鳥を見つめた。
翡翠色の羽毛が消える直前、
妙な光沢を帯びている。
ふと思い浮かんだことがあった。
「族母」
「はい」
「昨日、知恵の書がお前たちを化身、従者、武装のどれにするか聞いてきた」
俺は言った。
「この鳥にも、同じことができるか?」
族母が一拍黙り込んだ。
自分から考えたことのなかった何かを確認するように。
「確かではありませんが、
主人の能力は私たちピクシー族に限定されたものではないかもしれません」
「なら——」
俺はしゃがんで、光粒が完全に散る前に、
その鳥の胸のあたりに手を置いた。
システムメッセージが浮かんだ。
『風霊鳥——化身、従者、それとも武装?』
チャット欄が即座に炸裂した。
『またこれだ!』
『従者!従者にしろ!』
『いや武装だろ、羽根を武器に!』
『化身したら鳥になるの???』
そんなに迷わなかった。
「従者」
金色の光粒が再び集まった。
風霊鳥の形が戻ってきたが、
今の瞳は違った。
金色の縦長の瞳から、
狩りの殺気が消えていた。
代わりにあるのは、静かな集中だ。
翼を一振りして、俺の傍らに止まった。
片側にはピクシーの奴工。
もう片側には風霊鳥の従者。
チャット欄が二秒黙り込んで、
それから一斉に同じ反応で弾けた。
『絵になりすぎる!!!』
『今の、本当の迷宮の主人って感じ』
族母の視線が風霊鳥の上でしばらく止まり、
何かを考えている様子だった。
「主人」と彼女は口を開いた。
「鳴かせてみてください」
俺は風霊鳥を見た。
「歌え」
風霊鳥が頭を下げ、低く鳴いた。
回廊の奥でずっと聞こえていたあの奇妙な和声の韻律。
でも今度は俺の隣で響いている。
俺のために歌っている。
まったく違う感覚だ。
空気が微かに震えた。
近くに止まっていたピクシーたちが一体ずつ、
翅の脈絡に淡い金の光を灯した。
【群落歌声:風の加護】
【我が軍全体:
反応+3 筋力+3 霊感+3
持続時間:30秒】
族母の複眼が微かに収縮した。
これは彼女にとっても、
予想外だったらしい。
ずっと天敵だったものが、
今や仲間の力になっている。
チャット欄は完全に理性を手放した。
『ちょっとちょっとちょっと!』
『そのバフ、
ピクシーにかかってるんだけど!?』
『風霊鳥がピクシーのために歌ってる!?』
『これ意味分かる?意味分かる!?』
『敵の武器を味方のバフに転用って、
どんな神プレイだよ!』
立ち上がって、
周りのピクシーたちを見渡した。
確かに変わっていた。
動きが速くなり、
翅の振動数も上がっている。
野生の風霊鳥と比べればまだ劣るが。
「族母、
今のピクシーたちが、バフなしの野生の風霊鳥一羽と当たったとして、勝ち目は?」
族母が静かに評価した。
「一対一ではまだ無理です」
少しがっかりした。
「最低でも三対一は必要です」
おっ、それなら話になる。
回廊の奥へ目を向けた。
向こうには三百から五百羽の風霊鳥がいて、
しかも互いにバフをかけ合っている。
でも今、俺の側にも歌声がある。
数でいえば、
第一層から奴工を呼び寄せれば、
五百を遥かに超える数を動かせる。
勝負が面白くなってきた。
若菜の声が配信の向こうから聞こえてきた。
珍しく、緊張が少しほどけた感じだった。
「真澄……なんか、中に閉じ込められてる人たちを助け出せる気がしてきた」
「最初からできる」
俺は風霊鳥の従者に鳴き続けさせながら、
奴工たちに命じた。
「全員集結。突入の準備をしろ」
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この物語を気に入っていただけましたら、
ぜひたくさんおすすめしてください。
そして、少しでも励ましの言葉をいただけたら嬉しいです。
この物語を書き続ける価値があるのだと、
実感させてください。




