0086.対価はいただきました♡
視点:セリア
「ヴェルさん!!」
二重の活性で、視界はいつもより鮮明で、
音も匂いも拾えるはずなのに──。
ヴェルさんの“最後の加速”は、
私の動体視力の限界を越えていきました。
風が裂けるような音。
白い軌跡。
そして次の瞬間には……
ヴェルさんの身体が壁へ――。
鈍い衝撃音が遺跡中に響いた気がして、
私の心臓がひゅっと縮みます。
「……っ!」
駆け寄る。
足が床を蹴る感覚が、ふわふわして頼りない。
でも、止まれない。
壁にめり込むようにして崩れた
ヴェルさんの背中へ、耳を押し当てました。
――鼓動がある。
ドクン、ドクン、と不規則だけど、
確かに鳴っている。止まっていない。
「大丈夫ですか!?」
叫んでしまった。
返事はもちろんありません。
身体はボロボロで、息も浅い。
見ただけでわかります。
骨だって折れていておかしくない。
内臓だって……。
壁から引っ張り出したい。
でも、力任せに抜いたら余計に傷つけてしまう。
どうしたらいい。どうしたら、今、ここで。
「え、えいっ!!」
私は杖を構え、壁へ向けて力を流しました。
壊すのではなく、崩すのでもなく、
“逃げ道”を作るように。
石材が、ぽろぽろと外れる。
丁寧に、ゆっくりと。
ヴェルさんの身体を傷つけないよう、
周囲の壁を削り、空間を広げていきます。
ようやく取り出せた身体を、私は床へ寝かせた。
横たわる顔は青白く、唇も色が薄い。
だけど――生きている。まだ、生きている。
「循環の力よ! 風の女神よ!!」
私は息を吸い、二重循環を重ねた。
身体の奥のマナが一気に抜ける感覚がある。
それに、これだけ循環させると、
ヴェルさんはこの後立てなくなるかもしれない。
けれど、まずは命が最優先だ。
絶対に、こんなところで、
こんなことで死なせない。
だって、だって……ヴェルさんは……!
「ふふっ、愛。ですね……セリア様」
「えっ!?」
背筋が凍りました。
足音が聞こえない。
二重活性で私の聴覚は普段より鋭いのに、
それでも気づけなかった。
風すら感じなかった。
ゆっくり振り返ると、
――そこにいたのは、緑髪の女性。
あの目の光のない、慈愛の仮面。
「セリア様。貴方にも愛があります。
それも、深い深い……まさに慈愛が。
貴方もアイリス様のご加護を
賜る資格がございます。私のように……。
もちろん、ヴェル様も……ね?」
「え、慈愛の緑……さん!?」
ぞっとしました。
この人とは関わりたくない。
怖い。危ない。
でも――ヴェルさんを守らないと。
「ち、近づかないでください!!
ヴェルさんには手を出させません!!」
私は杖を構え、足を半歩前へ出した。
怖くて、膝が少しだけ震えます。
でも、引けない。引いたら終わる。
エメラルドさんは、
そんな私を見て、ふふっと笑いました。
笑っているのに、やっぱり目は笑っていない。
「ご安心下さいませ。
人の愛を踏み躙るつもりはございませんから。
愛は尊し、愛は美し、愛は輝かしいモノ。
貴方のような愛を持つ方を、私は愛しています」
ひ、ひぃ……。
“愛している”の圧が怖い。
言葉が優しいぶん、余計に逃げ場がない。
「私に任せてください……ね?」
エメラルドさんは、静かに歩き出した。
近づいてくる。ヴェルさんに。
ダメ。
ゼノンさんもディアさんも、
“関わっちゃダメ”と言っていた。
でも。
何の根拠もないのに。
私は、この人を“信じていい”ような。
そんな、気がしてしまった。
怖いのに。
嫌なのに。
……不思議です。
そう考えた瞬間、彼女はもう、
ヴェルさんの隣に立っていました。
「ちょっと……!」
止めようとして手を伸ばした、その時。
「原初の愛」
「えっ!?」
言葉が落ちると同時に、空気が変わりました。
柔らかい風のような、
あたたかい水のような感覚が、
ヴェルさんの身体を包み込む。
みるみるうちに、彼の呼吸が深くなる。
肌の色が戻っていく。
折れていたはずの箇所が、音もなく整い、
筋肉の緊張がほどけていく。
……まるで、巻き戻し。
さっき彼女が吹き飛ばされ、
折れた骨が元に戻っていったあの現象と同じだ。
今はそれが“治癒”として目の前で起きている。
すごい。
でも……!
「そんなに循環を強めたら、
ヴェルさんが逆に……!」
生命力の前借り。過剰な循環。
ゼノンさんが言っていた危険が頭をよぎる。
エメラルドさんは、こちらを見ずに微笑んだ。
「ご心配なさらず。
これは私の生命力を循環させておりますので。
ヴェル様の生命力は使用しておりません」
「えっ!? そんなこと……!?」
理論は知っています。
昇格試験のとき、
ゼノンさんがカルドさんに循環を使ったとき、
後から、どうやっているのか説明してくれた。
でも“他人の生命力を介して運用する”なんて、
桁違いに高度な技術が必要だと知った。
なのに、この人は、さらっとやっている。
「愛、ですよ」
エメラルドさんが、今度は私に視線を向けた。
「セリア様がヴェル様を救いたいという気持ち。
同様に、私は隣人を助けたい。
そう願って、懸命に取り組みました。
私のこれは、その成果です」
「愛……」
言葉は怖い。
けれど、その“行動”は本物だった。
あんなに恐ろしかったのに。
あんなに気味が悪かったのに。
……今は、この人のことを嫌いじゃない、かも。
そう思ってしまう自分が、さらに怖いです。
「貴方は悩んでおられますね?」
「えっ?」
「愛は有限ではありません。
幾数幾度、どれだけ注ごうと尽きぬのが愛です。
悩むのも愛、揺れるのも愛。
ふふっ、私は多夫一妻は反対ではありませんよ」
「多夫一妻……?」
意味を理解した瞬間、全身が熱くなりました。
頬だけじゃなく、耳も首も。
顔全部が燃えそうです。
「わっ、私はそんな!!」
叫びかけた、その時。
ヴェルさんが、ゆっくりと目を開きました。
「……セリア? ……えっ? 慈愛の緑!?」
声がかすれている。でも、生きている。
動けている。
良かった……!
「おはようございます、ヴェル様」
エメラルドさんが、にこりと微笑み――
そのまま、身を屈めました。
「……っ!?」
唇が、触れた。
ヴェルさんの口に。
キス。
「ちょっと! 何してるんですか!?」
反射で杖を突き出し、
私はエメラルドさんを押しのけました。
距離を取らせる。離す。とにかく離す!
「ふふふっ、対価はいただきました♡」
「ちょっ! はぁっ!? なんで!? えっ!?」
ヴェルさんが顔を赤くして騒ぐ。
私と同じくらい慌てふためいています。
……いや、私は別に慌てふためいてないです。
本当です。ただ、熱いだけです。顔が。
「ど、どういうことだ!?
どうなってんだ!? せ、セリア!?」
「ちょっと、ヴェルさんは黙っててください!!」
「あ……、えっと、はい……」
従順に黙るヴェルさん。
今はそれでいいです。
とにかく状況整理が必要です。
エメラルドさんはクスクス笑って、
私たちが来た道と反対側へ歩き出した。
そして、振り返りざまに、指で示す。
「こちらへ進めば入り口に戻ります。
私は入り口から来ましたから。
迷える子羊のために、と
タブレットも多く持ってますので……
これも、差し上げます」
そう言って、石板をコトリと床に置いた。
支給品と同じ形式。
しかも、複数持っていると言った……。
やっぱりこの人たち、規模が違う。
「ふふっ、セリア様。多く悩むことですよ。
私は愛のある貴方を愛してますから、
必然、応援をいたします。
そして、ヴェル様も。ごきげんよう♡」
それだけ言って、彼女は“消えた”。
消えたように見えただけで、
たぶん走ったのだと思います。
私の活性状態でも追い切れないくらい、速い。
法術の扱いも、体捌きも、
私よりずっと上手いのかもしれない。
私は深く息を吐いて、
ようやく背中の力を抜きました。
そして、振り返る。
ヴェルさん。
顔が真っ赤だった。
そして、ちょっと嬉しそう。
「せ、セリア。あのさ……」
「とにかく、今はタブレットを使って、
古代機巧陸亀の報告をしましょう?」
「あ、いや、でもさ!」
「ヴェルさん? 報 告 を し ま し ょ う?」
「は、はいっ!!」
……私、なんでこんなにムカついてるんだろう。
わかりません。
でも、ヴェルさんが無事でよかった。
それだけは、確かです。
こうして私とヴェルさんは、
石板にトータスの討伐情報。
そして、転移発生のことを書き込み、
仮設ギルドへ同期させました。
そして、もう戦えないだろうヴェルさんを連れ
エメラルドさんの示した入口までの道を、
辿ってみることにしたのでした。




