0075.アイリス教
「な、なんだったんですかあの人!?」
セリアの悲鳴みたいな声が、
石造りの階段に反響した。
俺たちは、終わりの見えない地下階段を、
ひたひたと降りているところだった。
背後の地上の光はもう遠く、
足音と灯りの魔石だけが頼りだ。
さっき拠点で遭遇した
“慈愛の緑”エメラルドの件を、
誰からともなく蒸し返した結果が、
セリアのそれだ。
振り返ると、セリアは半泣きだった。
視線が合うと、慌ててぷいっと顔をそらす。
けど耳は赤い。
怖かったのをごまかしてるのは、
さすがにわかる。
「わかっただろう?
彼女たちはまともじゃない」
前を歩くゼノンさんが、淡々と言う。
足音だけは静かで、声はいつも通り穏やかだ。
「慈愛の緑は、まだ害が無いから
マシな方だけどね?♡」
ディアさんが肩を竦めた。
あのエメラルドを“マシ”って呼べる時点で、
俺たちと価値観が違いすぎると思うのだけど。
「アレで……害が無いんですか……?」
セリアが震え声でつぶやく。
俺も同じ疑問を顔に出していたらしい。
ゼノンさんがこちらを振り返り、
クスッと笑った。
「彼女は攻撃はしてこないからね。
ただ勧誘がしつこいだけだ」
「アタシがぶっ飛ばしたって言ってたのも
あの子よ。言った通り“痛みも愛”
って思ってるから、怒ってもないわ♡」
怒ってない、って次元じゃないだろ、あれ。
殴られて喜んでる奴のこと、
俺の中で“害が無い”に分類できないんだけど。
──少なくとも、二度と会いたくない。
言葉じゃなく、心で理解した。
どうやら俺は“マンモーニ”だったらしい。
「彼女を始めとした“七彩の使徒”は、
アイリスの能力で不可思議な力を持つ」
ゼノンさんの声が、
階段の空気を少しだけ冷やした。
前を行くローブの背中が、
わずかに重さを増した気がする。
「虹の七色と、アイリス教の教義である
“七つの美徳”に応じた称号を持つメンバーだ」
ゼノンさんは、淡々と名前を挙げていく。
「正義の赤 ガーネット
希望の橙 カーネリアン
堅固の黄 トパーズ
慈愛の緑 エメラルド
信仰の青 サファイア
節制の藍 ラピスラズリ
知恵の紫 アメシスト
私は数人しか知らないが、
聞いてる話は揃いも揃って、狂人だよ」
最後だけ、はっきりと嫌悪を込めていた。
「アイリス教がヤバいってのはね、
さっき見た通り“押し付け”が強いのよ」
ディアさんが、指を一本立てて続ける。
「信仰の青なんて
“信徒以外は死ぬべき”って豪語してるわ。
あの狂気の押し付けに付き合わされる
周りの身にもなって欲しいものね♡」
「過激派にも程がありすぎるな……」
思わず本音が漏れた。
セリアは「ひっ」と小さく肩を震わせ、
アノンですら顔をしかめている。
「ただ、彼女たちも厄介だが──
アイリスは更に厄介だ」
階段の踊り場で一瞬足が止まり、
ゼノンさんの声だけが下へ落ちていく。
「彼女は“転移者”でね。
元の世界から持ち込んだ魔眼、
異世界人による特異能力。
そして──七彩の使徒の能力を“取り上げ”、
自分で使うことも出来る」
「アイリスって人……
ラスボスかなんかすか??」
言わずにいられなかった。
RPGだったら、序盤に出てきて
怪しい風に見せかけた噛ませキャラ。からの、
やっぱりラスボスです。みたいな奴だろ。
「そうだ、と私は言いたいがね」
ゼノンさんは少しだけ肩を竦めた。
「虹の都は、一応“世界に貢献”はしている。
やりすぎるのは七彩の使徒だけで、
アイリス本人は“信仰の自由”を謳っているし、
世のいくつもの高難度依頼をこなしている。
彼女に救われた者も多いだろう」
実績だけ聞けば、確かに“救世主”側だ。
「じゃあ、ヤバいのは七彩の使徒だけなのか?」
カルドが、静かな声で尋ねた。
階段を降りる足は止まらない。
だが、その一歩一歩が、
さっきまでよりわずかに重くなっている。
「表面上はね」
ゼノンさんは、そこで言葉を一拍置いた。
「邪推かもしれないが。
──私は、彼女が“何か”を企んでいると、
名を聞くたび常々考えている」
「実際、毎回都合がいいのよねぇ」
ディアさんが横から口を挟む。
「大事件が起きると、大抵あの女と七彩の誰かが
必ず現場に居合わせてるのよ。
アイリス本人は“未来視”って言ってるけど♡」
「未来視!? そんなこと出来るんですか?」
セリアが目を丸くする。
「妾も未来を見たいのじゃ!
天下を取るのじゃ!!」
「んふふ~、アノンはパパだけ
見てくれたらいいんだよ〜?」
横でいつもの親バカスイッチが入った。
(大事な話だからアノンは黙っててくれ……)
口に出すとゼノンさんが怖くなりそうなので、
心の中だけで呟いておく。
親バカモードに入ったゼノンさん。
代わりに、ディアさんが話を引き取った。
「まぁ、あの子の魔眼は色々いわくがあるの♡」
階段の灯りの魔石が一つ切れている場所を、
ひょいと飛び越えながらディアさんが続ける。
「あの魔眼は、未来視・千里眼・透視。
更には、魔眼と“目が合う”と操られるとまで。
どこまで本当かは知らないけどね♡」
「やっぱラスボスでは?」
思わず二回目の感想が出てしまった。
むしろ、これでラスボスじゃないなら、
誰がラスボスを名乗れるんだって話だ。
ゼノンさんも、そこは否定しない。
「厄介なのは、彼女や七彩の使徒だけじゃない
──というのが虹の都の嫌なところだよ」
言葉の響きが、少しだけ低くなる。
「アイリスの能力なのか、
七彩の使徒へ能力は“授けられる”。
さらにその配下にその“劣化版”を
七彩の使徒から分け与えられるらしい」
「例えばね」
ディアさんが指を立てて、
楽しそうに付け加える。
「慈愛の徒と呼ばれる、
さっきのエメラルドの門下は、
本人ほどじゃないけど“再生能力”を得るのよ。
自動治療の信徒が量産されるってわけ♡」
ゾクッと背筋が冷たくなった。
劣化版とはいえ、
さっきみたいな狂信者が何人もいるとか。
そんなの、悪夢以外の何物でもない。
「だから、冒険者を始め、
様々な人が能力欲しさにそれぞれの門に下る。
それが虹の都の人数の多さと、強さの秘密さ」
ゼノンさんが淡々と言う。
(ねずみ講もやってんのかよ……)
俺の中では、アイリスは
完全に悪の親玉として固まった。
悪の組織の教祖にしか見えない。
“虹色”とかついてるけど、
実質どす黒い一本線だろ。
「まぁ、アイリスの能力にも制限はあるはずだ。
でなければ──」
そこで、一瞬だけ、
ゼノンさんの目つきが鋭くなる。
「とっくに、この世界は彼女の手中だからね」
静かな断言。
階段を降りる足音が、一瞬だけ止まりかけた。
ほんの数秒の沈黙ののち、
ゼノンさんはふっと息を吐き、
いつもの穏やかな顔に戻り。
ゼノンさんはニコッと笑ってみせた。
「まぁ、私の目の黒いうちは問題ないさ。
任せておきなさい」
さらっと。なんでもないように、
とんでもない安心ワードを投げてくる。
「そんなことより……」
ゼノンさんが、階段の下を顎で示した。
「ここから先が“調査区域”のようだよ」
最後の段を降りきると──
急に視界が開けた。
地下のはずなのに、天井は思った以上に高い。
岩肌むき出しではなく、
均整の取れた石材で組まれた広い通路。
壁のあちこちに、淡く光る魔法陣が浮かび、
静かに回転している。
中には、通路を完全に塞ぐように
道の真ん中に展開しているものもあり、
一目で「触っちゃいけないやつだ」とわかる。
足元には、噂の古代機巧と思われる
沢山の“破片”が散らばっていた。
金属とも石ともつかない材質。
歯車と装甲片が混ざり合ったようなそれは、
今はただのゴミに見えるのに、
妙な“圧”だけは残っている。
焦げ跡や、斬り裂かれたような溝。
どこかの誰かが、ここで戦った痕跡が、
通路のそこかしこに刻まれている。
「さぁ──Aランク依頼、開始だよ」
ゼノンさんの声が、静かな空間に広がる。
俺は、腰のナイフにそっと手を添えた。
銀のプレートが、腰で小さく鳴る。
深く息を吸い込む。
湿った地下の空気は、
少しだけ金属と油の匂いがした。
こうして──
俺たちの初めてのAランク依頼が、
本格的に幕を開けた。




