0067.オネエ♡レッスン
場所は昨日と同じ平原だった。
焦げた草の匂いがまだ残っている。
ところどころ黒くなった地面、砕けた岩。
ゼノンさんにボコられた爪痕が、
そのまま残っていた。
「懐かしい景色だな……昨日だけど」
俺がぼそっと呟くと、
隣でカルドが小さく息を吐いた。
「昨日のこととは思えん疲労感だ」
そりゃそうだ。生命力の前借りみたいな
治療をされた後に徹夜だ。
その上、今から“殴り合い”のおかわりである。
「は〜い♡ 準備はいいかしらぁ〜坊やたち」
少し離れた場所で、ディアモンテが
腰に手を当てて立っていた。
フリフリワンピースが風に揺れているけど、
中身はどう見ても鋼鉄製。
筋肉に布が乗っかってるだけにしか見えない。
「ルールは簡単♡ 二人がかりでいいから
全力でいらっしゃい。アタシは素手だけよん」
「素手だけ……?」
俺はカルドと顔を見合わせる。
純粋に身体能力と技術で相手するってことだ。
……嫌な予感しかしない。
「ゼノンちゃんのスパルタよりは、
十分優しいでしょ? 殴るだけなんだから♡」
優しさの基準が根本的におかしい。
でも、まぁ。岩や火炎弾よりは……
マシ、かもしれない。
たぶん。いや、そうであってほしい。
「ヴェル、どうする」
「どうするもこうするも……やるしかないだろ」
逃げ腰のまま殴られても、ただ痛いだけだ。
どうせやるなら、昨日掴んだ“風”と“山”を
ここで試すしかない。
「よし、それじゃあ──」
ディアモンテがふわりと片足を引き、
拳を軽く握った。
肩の力は抜けている。だけど、
あの一歩の前後に何が隠れてるのか、
まるで読めない。
「──始めましょうか♡」
合図と同時に、カルドが前に出た。
「まずは俺が受ける。お前は隙を狙え」
「了解!」
カルドの足が地面をしっかり踏みしめる。
昨日覚えた“不動の山”
──いや、本人いわく不動城塞神楽殿だ。
あいつの周囲だけ、重たくなった気がした。
「あら♡ 頼もしい“盾”ねぇ〜」
ディアモンテは楽しそうに笑うと、
一歩だけすっと前へ出た。
その一歩で、距離が一瞬で詰まる。
ステップ一つで間合いが消えるって、
どういう経歴を積んだらそうなるんだ。
「いくわよ?♡」
拳が真っすぐカルドの胸へ突き込まれた。
ドンッ!!!
地面が鳴った。
カルドはその場から一歩も下がらなかった。
いや、下がらなかったというより
──“押し込まれた跡だけ”が地面に残っていた。
足元の土が円形に凹んでいる。
カルド自身は、微動だにしていない。
「……っ」
歯を食いしばる音だけが聞こえた。
効いてないわけがない。
でも、倒れてもいない。
「いいわねぇ〜♡
本当に“壁”になってるじゃないの。
じゃ、今度は──」
カルドの懐に、そのまま滑り込む。
腕の内側、胸の隙間、腰の位置。
全部を一瞬で測りきったみたいに、
左肘がカルドの脇腹へめり込んだ。
「ぐ……っ!」
さすがのカルドも膝をつきかける。
けど──踏ん張った。
ここだ。
俺は風の滑走で横から回り込む。
足は軽く地面を撫でるだけ。
進む方向をイメージすると、風が背中を押す。
「うおおおお!」
全力で踏み込み──いや、滑り込み、
ナイフの柄を握ったまま、
ディアモンテの横っ面を殴りにいく。
「きたきた♡」
ディアモンテが笑ったのが見えた。
次の瞬間、視界がぐるんと回る。
「ぶへっ!?」
何が起きた!?
俺は確かに横から殴りかかったはずだ。
なのに、気づけば地面と急接近していた。
頬に土。鼻に草の匂い。背中に謎の痛み。
「ヴェル!」
カルドの声が聞こえる。
どうやら、俺はディアモンテの腕を掴まれ、
そのまま投げ飛ばされたらしい。
「視線でバレバレよ坊や♡
いいフットワークしてるんだから、
顔でも誤魔化しなさいな〜」
ディアモンテは、まるで子供にダンスでも
教えてるみたいな軽い口調だった。
実際にやってるのはレスリングと
殴り合いなんだけど。
「ぐ……もう一回だ!」
俺は地面を蹴って跳ね起きる。
痛い。身体は普通に痛い。
でも、昨日ほどじゃない。
どうせ殴られるなら、
殴られながら学ぶしかない。
「カルド、もう一回壁頼む!」
「あぁ!」
カルドがまた一歩前へ出る。
今度は肩だけじゃなく、
腰の位置も低く保っている。
さっきの一撃で何か掴んだのかもしれない。
「はいはい♡ じゃおかわりね〜」
ディアモンテの拳とカルドの拳が、
正面からぶつかる。
ドンッ。
さっきより、音が小さい。
代わりに、カルドの足元の土が左右に“割れた”。
真正面から受け止めるんじゃなく、
力を地面に流したのか。
それでも、腕は震えてる。
それでも、倒れてない。
「いいじゃない♡
そうやって“逃がす”の、大事よ〜」
ディアモンテの言葉が終わるより早く、
俺は動いていた。
正面はカルド。
なら、俺は背中側だ。
スイフトウォークで後ろに回り込み、
ディアモンテの背中側に滑る。
さっきと違うのは
ギリギリまで“どっちに行くか決めない”ことだ。
右か、左か。
寸前まで迷う。迷ったふりをする。
「──こっち!」
最後の最後で、逆側に踏み込む。
自分でもギリギリまで分からなかった加速に、
風がようやく追いつく感覚。
ナイフの柄で、
ディアモンテの腰を殴りつける。
コツン。
手応えが──固い。
鎧じゃない。生身のはずなのに、
岩殴ったみたいな感触が指に残った。
「いたっ」
口から素直な悲鳴が漏れた。
拳の方が負けてる気がする。
「あら♡ さっきよりはマシな入り方ね」
ディアモンテが振り返る。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「ご褒美あげるわ♡」
視界が、一度白く弾けた。
◇
「……っ」
意識が飛ぶほどではないが、遠のきかけた。
こめかみに鈍い痛みが残っている。
多分、拳が“ちょっとだけ”掠めたのだろう。
ちょっとだけでこれかよ。
「ヴェル!」
カルドの声が、さっきより近くから聞こえた。
俺は歯を食いしばりながら、
地面を掴んで身体を起こす。
「まだ、いけるかしら〜?」
ディアモンテがこちらを見てくる。
本気かどうかまでは分からない。
ただ、一発一発が洒落になってない。
「……まだ行ける」
自分で言いながら、若干自信はない。
でも、ここで折れたら昨日の修行が
全部無駄になる気がして、
言葉を飲み込めなかった。
「俺もだ」
カルドも上半身で息をしながら前に出てくる。
肩で呼吸している。でも、目は死んでない。
「しょうがない坊やたちねぇ〜♡」
ディアモンテは、
少しだけ表情を和らげたように見えた。
ただの気のせいかもしれないけど。
「じゃ、もう一ラウンドだけね。
倒れたらそこでおしまい。
無理したら筋肉が泣いちゃうもの♡」
「筋肉は泣かないと思うんですが」
「泣くのよ♡ アタシには聞こえるもの♡」
会話の意味はさっぱりだが、
とにかく“まだ終わりじゃない”のは分かった。
それから先の時間は、
正直言って細かく覚えていない。
殴って、躱して、投げられて、
受けて、また殴られて。
何度も地面に転がり、そのたびに
風の滑走で無理矢理立ち位置をずらし、
“山”の横で息を継ぐ。
ただひとつだけ確かなのは──
ディアモンテは、明らかに調整していた。
俺たちが“死なないギリギリ”と、
“無駄に折れないライン”の、
その間を綱渡りするみたいな力加減だった。
殴られてたら嫌でもわかるほどに、
腹が立つくらいには絶妙だった。
◇
「──はい、そこまで♡」
ディアモンテの手が、パンッと一度鳴った。
俺は仰向けで、カルドはうつ伏せで。
俺たちはその場に転がっていた。
身体中が痛い。
でも、さっきより不思議と
“芯”がぶれていない感覚がある。
スッカスカだった足元が、
少しだけ厚みを増したみたいな。
「ふぅ……」
カルドがゆっくり息を吐き、
地面に額をつけたまま言った。
「……強いな、アンタ」
「当然じゃないの♡ これでも一応、
“世界最硬”を名乗ってるんだから♡」
ディアモンテは肩を回しながら笑っていた。
息は上がっていない。
汗ひとつかいてなさそうだ。
こっちは死にかけの雑巾になってるのに。
「でもねぇ、面白いわ坊やたち」
ディアモンテが、俺たちの間に
うふっ♡ と言いながらストンとしゃがみ込む。
距離が近い。近すぎる。
フリフリが視界に侵入してくる。
「ゼノンちゃんの見立て、
あながち間違いじゃなさそうねぇ〜。
責める坊やと、受ける坊や。
どっちも伸びしろたっぷり♡」
「褒められてる気がしないのは俺だけか?」
「俺もだ」
カルドと声が揃った。
言い回しがゾワゾワする。ぶるぶる。
ディアモンテは肩をすくめてから、
ぱんっと手を鳴らした。
「ま、今日はこのくらいにしといてあげるわ♡」
その言葉に、全身から一気に力が抜ける。
ようやく終わった。
これでもう、当分の間は──
「コレ、今日から毎日よ♡」
「「毎日!?」」
俺とカルドの叫び声が、完全にハモった。
肺が燃えてるのに、声だけは元気に出た。
「えぇ♡」
ディアモンテは、当たり前のように頷いた。
「だって、アタシもあそこに住むもの。
お爺さまにも許可もらってるわ♡」
「お爺さま……?」
「ゴードンのことじゃ」
いつの間に来ていたのか、
アノンが木陰からひょっこり顔を出した。
手にはお菓子。完全に見物モードだ。
「ゴードンちゃん、可愛らしいのよぉ〜♡
“若いのを好きなだけしごいてくれ”って、
嬉しそうに笑ってくれたわぁ♡」
(あのじじいーーーー!!)
心の中で全力で叫んだ。
外に出したら、本当に聞こえそうだから
ギリギリで飲み込んだ。
「というわけで♡ よろしくね、坊やたち♡」
ディアモンテはウインクしながら、
俺たちの頭をポンポンと叩いた。
優しく、のつもりなんだろうけど普通に痛い。
「……地獄が、日常になったな」
「泣き言は、後でまとめて言おうぜ、カルド」
俺は空を仰いだ。
雲ひとつない青空が広がっている。
自由の風を名乗ったはずなのに、
足元にはどんどん重りが増えていく気がする。
それでも──不思議と、嫌ではなかった。
……いや、ちょっとは嫌だけど。
でも、その先に“何か”が見えるなら、
もう少しくらい殴られてもいいかもしれない。
そう思った自分に、少しだけあきれながら。
俺は、今日も立ち上がるのだった。




