0066.花も恥じらう乙女
「……そろそろ戻るか」
カルドが、ぽつりとそう言った。
もう東の空は白んでいる。
森の影はまだ濃いが、
夜の気配は確実に薄くなってきていた。
「あぁ。セリア達も心配してるだろうしな」
そう返しながら、
俺は空間把握をぐっと広げる。
周囲の木々の位置、枝ぶり、獣の気配、
地面の窪み。全部が、立体の地図として、
頭の中に浮かぶ。
「キロロに肉持って帰らなきゃだからな」
「そういや約束してたな」
キロロはキロロで、
俺たちのことを「遊びに行った」としか
思ってなさそうだが、肉さえあればご機嫌。
分かりやすくて助かる。
辺りを探ると──ちょうどいいところに、
気性の荒そうなイノシシの気配があった。
肩で風切って歩いてる、みたいな空気が、
ひしひし伝わってくる。お前今日から食材な。
俺はそっと近づき、足元の石をつまんで、
軽くポイッと投げつけた。
コツン。
「フゴォッ!!!」
見事なまでの逆鱗ヒット。
イノシシは鼻息荒く、
地面を蹄で掻きながらこちらを振り向いた。
目が合った瞬間「ぶっ殺すリスト」の筆頭に
俺が載ったのがわかる。うん、計画通り。
「こっちだ、ブタ野郎!」
わざと煽るように石をチビチビぶつけながら、
俺は風の滑走で後退していく。
足はほとんど動かさず、
意識だけ後ろ向きに滑る感覚。
空間把握さえあれば、
振り返らなくても木にぶつかることはない。
左右に木。少し先に茂み。
もっと先──“壁”候補一名。
「フゴッ! フゴフゴッ!!」
イノシシは苛立ちを増しながら、
ほとんど一直線に俺を追ってくる。
鼻息の圧がすごい。
ちょっとした風魔法くらいあるかも。
十分誘い込んだところで、
俺は一気に横へ滑った。
進行方向だけを、スッと変える。
抵抗はほとんどない。風は優秀だ。
その先にいるのは、立っているだけのカルド。
イノシシからすれば、ただの人間。
避ける素振りも、構える動作もない。
だから──そのまま迷いなく突っ込んだ。
ドゴォッ!!!
壁に全力で顔から突っ込んだ、
みたいな音がした。
イノシシはその場で前のめりにひっくり返り、
地面を転がってピタリと止まる。
カルドは、一歩も動いていなかった。
「ナイス、カルド!」
「お前こそ、誘導は完璧だった」
言葉だけは淡々としているけれど、
ほんの少しだけ口元が上がっている。
自分の新技に、手応えを感じている顔だ。
気絶しているのか、最悪死んでいるのか。
わからないが──どのみち食材ルートは確定だ。
俺はイノシシの身体に手を当て、
循環のマナをそっと付与していく。
意識がある状態だとや暴れるから難しいが、
なければナイフにマナを込めるのと大差ない。
「……よし」
循環のマナを薄く纏わせ、抵抗を減らす。
あとは、ロープを引くみたいに、
雑に引きずっていくだけだ。
本来ならかなりの重量のはずなのに、
地面との摩擦が削られているせいか、
ずるずると滑るように動いていく。
多少重い買い物カゴ、くらいの感覚だ。便利。
森を抜ける道すがら、
カルドがふいに口を開いた。
「俺の新技は『不動城塞神楽殿』って名にした」
ドヤ顔だった。
空が白んできているのに、
顔だけ夕焼けみたいに誇らしげだ。
「ふどう……なんだって?」
「不動城塞神楽殿だ。
お前の世界では技に名前をつけるのだろう?」
あぁ。
俺の厨二戦術会議の産物が、
ついに実を結んでしまったか。
風斬一閃とか風穿一閃とか、
あの辺を楽しそうに聞いてたのを思い出す。
カルドは見た目も中身も真面目なのに、
どこかでしっかり厨二魂を飼っていたらしい。
「ふっ、これで俺にも出来たな……『必殺技』」
「おっ、おう。そうだな」
人それぞれ、好みはある。
ネームセンスにツッコみたい気持ちは
喉まで出かかったが。
が、こればかりは本人の大事な儀式だ。
口出しはやめておくことにした。
……今度、さりげなく略称だけ変えよう。
◇
じいさんの家に戻ると、まずは納屋へ向かう。
まだ薄暗いが、キロロの気配はしっかりある。
丸くなって寝ていたのが、
俺たちの足音で首だけむくりと起こした。
「ただいま、キロロ。お土産だぞ」
「きゅきゅ〜い♪」
返事と同時にイノシシにガブッと噛みついた。
そこから先は仕事が早い。
皮ごと肉ごと、もぎもぎ・バリバリ・ゴキッ。
うん、モザイクが欲しい。
朝から見る映像じゃない。
「……じゃあ行くか」
「あぁ」
俺とカルドは顔を見合わせ、
小さく頷き合ってから母屋の方へ向かう。
足取りは、さっきまでの風滑走より
よっぽど重い。
◇
「──あんなに怪我した後なのに、
どちらへ行ってたのですか?」
玄関を開けた瞬間、
柔らかいけれど芯のある声が飛んできた。
セリアだ。
腕を胸の前で組み、眉を少しだけ寄せている。
怒鳴っているわけではない。
けれど、目の奥にははっきりと
「心配しました」が書いてあった。
「悪い。ちょっと、風と山の研究をな」
「全くじゃ。父上に鍛えてもらって
ボロボロなんじゃから、無理するでない」
アノンも腕を組んで、
そっぽを向きながら言う。
言葉だけ聞くと偉そうだが、
声色は心配の色濃い。
俺とカルドは、少しだけ戸惑った。
昨日までだったら、真っ先に
「無茶をするからじゃ!」と
説教から入ってた気がするのに。
「……悪かった。心配かけた」
「すまん」
俺たちが頭を下げると、
セリアはふっと表情を緩め、
アノンも「ならよい」と小さく鼻を鳴らした。
「まぁ♡ ゼノンちゃんに絞られた後なのに
折れてないなんて、ス・テ・キ♡
食べちゃいたいくらい♡」
「誰だお前は」
第三の声は、聞き覚えのない高めの
男声──いや、オネエ声。
視線を向けると、そこには筋肉。
フリル。ワンピース。
筋肉とフリルの集合体みたいな
“なにか”が、椅子に優雅に腰掛けていた。
うん、オカマだ。
思わず、反射で無礼な言葉が、
俺の口から飛び出していた。
「あらやだ、挨拶がおくれたワ!
アタシの名前はディアモンテ♡
花も恥じらう乙女なの♡」
「花を見習って、アンタも恥じてくれ」
「生意気な坊やはキライじゃないわぁ〜♡」
口が勝手に動いた。
……俺、いつからこんなに毒舌になったんだ?
アノンに毒気を移された気がしてならない。
「彼女は私が呼んだんだよ。
ヴェル君たちを鍛えてもらおうと思ってね」
奥の方から、
エプロン姿のゼノンさんが現れた。
エプロン。
S級魔導の親玉が、ピンクの縁取りエプロン。
脳が情報を処理するのを、
拒否しようとしている。連続で濃すぎる。
「その姿は……」
「あぁ、これかい? ケーキが美味しかったと、
アノンがあんまりはしゃぐものだからね。
悔しくて今日は私がケーキを作ろうと思って」
相変わらずの親バカだった。
とても昨日、岩と火炎弾で俺たちを
ミンチ寸前まで追い込んだ鬼畜と、
同一人物とは思えない。
「彼女も私と同じS級だよ。
金剛鬼のディアモンテと呼ばれている
肉弾戦のスペシャリストだ。
私より身体の使い方をわかっているからね。
彼女に君達を鍛えてもらう」
「アタシが来たからには任せなさい♡
力の込め方も〜、受け方も〜、
足さばきや腰使いだって教えるわ♡」
そう言って、ディアモンテは
すっと立ち上がり、その場で腰を
クイクイっと前後に振って見せた。
無駄にキレがいい。
カルドが、普段ほとんど変わらない表情で、
分かりやすく「無理だ」と顔に書いていた。
「アタシはゼノンちゃんみたいに
スパルタじゃないから安心しなさいな。
炎をぶつけたり、岩をぶつけたりなんて、
そんなひどいことはしないわよ」
「私だってかなり手を抜いたんだけどね……」
ゼノンさんが、しょんぼりと肩を落とした。
横でアノンが胸を張って|(無いけど)言う。
「本気だったら貴様らは灰も残らんからの!」
(うるせえよ)
心の中で盛大にツッコんでおいた。
事実っぽいから余計腹が立つ。
「私はただ殴り合うだけよ。単純でしょ?」
「あ、まぁ、岩や火炎弾よりは……」
つい、安心した声が出てしまった。
殴り合い。シンプル。分かりやすい。
そう思った俺とカルドが、
「それなら」と頷きかけた、その瞬間。
「よし、じゃあ行くわよ!」
ディアモンテの声とほぼ同時に、
視界がぐるんっと回った。
「え──」
言葉が終わる前に、
首根っこをひょいっと掴まれる。
重力の向きが一瞬分からなくなった。
かと思ったら、次の瞬間には、
床から足が離れていた。
移動の軌跡が、一切見えない。
空間把握があるのに、
ただ「位置が変わった」事実だけが、
頭に押し込まれてくる。
「時間は待っちゃくれないのよ〜♡」
ディアモンテは、
まるでペットボトルでもぶら下げて歩くよう、
俺とカルドを片手ずつ掴んで
ずるずると引きずっていく。
床の上に靴の跡と、
俺たちの心の叫びだけが残る。
「ヴェル君、カルド君」
背後から、ゼノンさんの穏やかな声が、
追いかけてきた。嫌な予感しかしない。
「彼女の殴打は、少なくとも今、
この世にある城門くらいの障害なら
一撃で吹き飛ばせる。気をつけるんだよ」
「流石S級。って……納得できるかぁぁ!!」
もっと早く言ってくれよ!!!
心の中で叫んだのに、
ディアモンテの足取りは一切緩まない。
ゼノンさんの修行よりハードな未来が
鮮やかすぎるほどの解像度で脳内に見え、
俺は今すぐ気絶したいと心から願った。
しかし、願いは聞き届けられず。
俺たちはそのまま、
第二の地獄へと連行されていくのだった。




