0030.ゼノンの娘であること
帰り道は、やけに静かだった。
ガタゴトと車輪が石を踏む音。
ときどき、きい、と鳴る組木の軋み。
それだけ。
誰も寝てはいない。
俺も、カルドも、セリアも。
紅蓮さんことアノンも、全員起きている。
起きているのに、誰も喋らない。
(……全員寝てたほうが、
まだ賑やかだったかもしれねぇな)
そう心の中で苦笑したところで
沈黙を破ったのは、意外にもアノンだった。
「……次は、妾が仕留める」
掠れた声だった。
震えている。
「ゆえに、引き返せ。
このまま帰ることはならぬ」
掌の上に置かれたアノンの手が、
ぷるぷると震えている。
それが恐怖からか、悔しさからか。
俺に判別することできない。
ただ、一つだけ分かるのは
──その言葉に嘘はないということだ。
けれど。
「……だめだ」
カルドが短く言った。
いつもの低い声。
そこに、かすかに力がこもっている。
「何故じゃ!」
アノンが立ち上がり、
馬車の揺れでよろけながらカルドを睨む。
「貴様らが恐いというのならば、妾だけで行く!
短命種ごときがあの鳥どもに怖じ気づくのは
勝手じゃが妾は──」
「だめだ」
カルドは、それでも言葉を重ねない。
ただ、同じ言葉を繰り返した。
アノンが言葉に詰まる。
「経緯、理由はどうであれ」
カルドは、まっすぐアノンを見る。
「お前は今、自由の風の一人だ。
仲間を死地に追いやることは出来ない」
短い。
けれど、強い言葉だった。
(……そうだな)
俺も、内心で頷いていた。
アノンがやれると思っているのか、
やれないと分かっているのかまでは読めない。
けれど、さっきの戦いを見る限り──
あの爆炎、威力はある。
けど発動までの隙もでかい。
詠唱の一拍。
魔力を高める一拍。
放出の一拍。
あの真空波の中であれをやったら、
その三拍の間にバラバラにされるのがオチだ。
「……でも、行かねばならぬ」
アノンの視線が揺れる。
「Eランクごときで躓いておるようでは、
父上に顔向けできぬ」
その声は、半分泣き声だった。
セリアが、わずかに目を細める。
何かに気づいたような顔だ。
次の瞬間、セリアは
アノンの肩をそっと抱き寄せた。
「だめ……ですよ」
いつもの穏やかな声。
けれど、芯はぶれない。
「死んでしまったほうが、顔向けできません」
びくり、とアノンの身体が震えた。
セリアは、そのままぎゅっと抱きしめる。
まるで怯えた子供をあやすみたいに、
ゆっくり背中を撫でながら続けた。
「私も、自分の非力さを嘆いたこと。
何度もあります」
セリアの瞳が、
どこか遠くを見ているようになる。
「でも、私のおじいちゃんは……、
私が死んだりしたら、絶対に悲しみます」
それは、確信のある言い方だった。
アノンは何か言おうとして、
上手く言葉にならないのか、唇だけが震える。
やがて、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「……話してくれますか?」
セリアはそっと身体を離し、
アノンと向かい合う。
「どうしてアノンさんが、そんなに……。
そんなに怖がっているのかを」
優しく問いかける。
沈黙が落ちる。
馬車の音だけが、会話の隙間を埋める。
しばらくしてアノンは、
ぽつりと口を開いた。
「……妾の母は、人間であった」
視線は膝の上。
そこから動かない。
「物心ついた頃には、もうおらなんだ。
妾は数年、孤児院で育った。
父が誰かも知らぬまま、のう」
声だけが、淡々と過去を並べていく。
「……じゃが、数年後、ゼノンが迎えに来た。
母上の遺言じゃったのか、
約束じゃったのか……妾には分からぬ。
けれど、千年郷ゼノンは言ったのじゃ」
アノンの目が、少しだけ笑った。
「『迎えに来るのが遅くなってすまない』とな」
俺は息を飲んだ。
孤児院。
ゼノン。
迎えに来た父。
「母上は黒髪であった。父上も黒髪」
そういって首にかけた
ロケットペンダントを開く。
そこには三歳くらいのアノンと……
おそらく母親らしき人が写っていた。
そしてアノンは自分の髪を指でつまむ。
炎のような赤。
「それに対して妾は、これじゃ。
どう考えても似とらぬ。
周りは皆、思うのじゃ。
『ゼノンの本当の娘ではない』と」
言葉尻に、わずかに棘が混じる。
それは、周りに対する怒りか、
自分に向けた苛立ちか。
「じゃが、妾は知っておる」
アノンは顔を上げた。
「父上が妾を愛しておるのは、本当じゃ。
血が繋がっておろうがなかろうが、
どうでも良いと思えるほどに、のう」
その言葉だけは、迷いがなかった。
だからこそ、なのだろう。
「けれど、世間は勝手に言う」
アノンは悔しそうに唇を噛む。
「そしてこうも言う。
あの娘には才能がない。と。
それだけなら問題ないのじゃ。
いくらでも言わせておけば良い。
妾ひとりが笑われるのは構わぬ」
拳が、膝の上でぎゅっと握られる。
「じゃが──」
そこで一拍。
怒気を押し殺すような沈黙。
「『千年郷はもう衰えた』」
絞るような声だった。
「『師としての力も尽きた』
『目利きもできぬ耄碌者』
『正常な判断ができておらぬ』」
一つ一つの言葉を、
噛みつぶすように吐き出す。
「さらに、言うのじゃ」
アノンの灼眼が揺れる。
「もう後進もまともに育てられぬのなら、
役を降りるときではないか──とな」
そこまで聞けば、さすがの俺でも理解できた。
この子は、自分が貶されることに、
そんなことに怒っているんじゃない。
自分の未熟さのせいで大切な父が軽んじられ、
引きずり下ろされるかもしれないことが
耐えられないのだ。
「妾が弱いせいで、父上が軽んじられる」
アノンはぽつりと続ける。
「それだけは、どうしても許せぬ。
だから妾は、証明せねばならぬのじゃ」
視線が真っ直ぐになる。
「流石ゼノンの娘だ。と。
あの娘を見ればゼノンの偉大さが分かる。と。
そう言わせるだけの手柄を立てねば、
父が誤っておらぬと証明せねばならぬのじゃ」
そのために。
Eランクごときで躓いている訳にはいかない。
そういうことか。
(……なるほどな)
俺はようやく腑に落ちた。
こいつが延々父親自慢をしていた理由。
一見、自分を下げるための「父上の方が〜」
って話をしてるのかと思ったが、違う。
あれは、自分を飾るためじゃなくて、
父親の評価を上げるための布石だったのだ。
(父上はこんなにすごいんだぞ、って
世界に言い聞かせるための話か)
カルドと目が合う。
何も言っていないのにカルドは小さく頷いた。
多分、同じところに行き着いている。
じゃあ、俺たちがやることは一つだ。
「いいか、アノン」
俺は背筋を伸ばし、アノンを見た。
「俺たちは一度街に戻る」
アノンの肩がびくりと震える。
「だが、失敗の報告のためじゃない」
そこで一拍置く。
「リベンジのために戻るんだ」
アノンがきょとんとした顔をした。
「……妾のために、か?」
「別に、お前のためってわけじゃねぇよ」
即答してやる。
「俺たちだってな、
これが“初めてのEランク依頼”だ。
それを失敗のまま終わらせるのは、
こっちの沽券に関わる」
カルドが口の端をわずかに上げる。
「だから、一回戻って準備する。
情報を集めて、装備を整えて。
確実に勝てる形を探す」
馬車の中で、全員の視線がこっちに集まる。
「それでまた、あそこに行く。
鳥共をまとめてぶっ飛ばして、
今度こそ、依頼を成功させる」
それだけの話だ。
「ついでに──」
俺は肩をすくめる。
「そんときゃ、お前のメンツひとつくらい、
保ってやってもいいと思ってるさ」
アノンの目が、見開かれる。
数秒遅れて、表情が追いついてきた。
きょとん、とした顔。
そこから、じわじわと頬が緩んでいく。
やがて、思わず可愛いと口に出しそうになって
慌てて飲み込むレベルの笑顔になった。
「……ふ、ふふふ」
アノンは袖で涙を乱暴に拭う。
「感謝するぞ、凡人共」
「凡人は余計だ」
カルドが即座にツッコむ。
「ふんっ、妾の基準からすれば皆凡人じゃ。
じゃが──」
アノンは胸を張る。
「妾の仲間であることだけは、誇るがよい」
ああ、やっぱり面倒なやつだ。
だけどまあ。
(……こういうのも、悪くないか)
ふと、車輪の音が。
少しだけ軽くなったような気がした。




