0025.それぞれの過去
その日の夕食は、いつもより少し豪華だった。
仕留めたイノシシの残りを、
セリアが上手く使ってくれたらしい。
香草で匂いを消した肉と、根菜の煮込み。
パンとスープまでついて、
俺としては完全にごちそうコースだ。
テーブルには四人。
ゴードンじいさんが一番奥。
向かい合わせに俺とカルド。
セリアはじいさんの隣で、
よく動く手つきで料理を取り分けている。
「ヴェルさん、カルドさん、
もっと食べてくださいね。
たくさん用意してありますから」
セリアが笑顔で皿を差し出す。
遠慮なく受け取った俺の隣では、
カルドが無言のままスプーンを動かしていた。
だが、その速度と量からして、
かなり気に入っているらしい。
そんな穏やかな空気の中で、
セリアがふと、少しだけ真面目な声を出した。
「あの……」
俺とカルド、そしてじいさんの視線が
一斉にセリアに向く。
「お二人は、その……、
ご家族の方はいらっしゃらないんですか?」
スプーンが一瞬だけ止まった。
重たい問いのはずなのに、
セリアの顔は真剣で、
悲壮感よりも「知りたい」という気持ちが
勝っているように見えた。
俺が返事に迷っていると、
先に口を開いたのはカルドだった。
「……いない」
短く、淡々とした声。
カルドは視線を皿から上げずに続けた。
「育ての親は、傭兵だった。
だが、本当の親ではないらしい。
そして、戦場で死んだ。
帰る場所も、帰る理由も、もうない」
さらりと言うには、少々重すぎる事実だ。
セリアははっとして、慌てて首を振る。
「す、すみません……! 辛いことを……」
「気にするな」
カルドは本当に気にしていない声で言った。
嘘も、強がりも混じっていない。
「俺が話した。聞かれたから答えただけだ」
セリアの表情が少し和らいだところで、
今度は三つの視線が俺に集まる。
「ヴェル、お前は?」
「……そうだな」
今までは、カルドも俺も、
過去のことを深く話したことはなかった。
奴隷として生きるには、昔話なんて
毒にしかならない。そう思っていたからだ。
けれど、カルドが話した。
なら、俺も話すべきだろう。
これから同じテーブルで飯を食う仲間として。
「俺は、風の国の……ストーム家の出身だ」
言った瞬間、空気が変わった。
「……ストーム家?」
「ストーム……って、まさか」
カルドとセリアの声が重なる。
じいさんはスプーンを持つ手を止める。
「四英傑の一人、《風の英雄ストーム卿》の直系だ。
俺は、その家の……長男だった」
「は、はぁぁぁぁ!?」
思い切り変な声を出したのはセリアだ。
カルドは驚きを押し殺そうとして、
逆に眉が引きつっている。
「お前、なんで今まで黙ってた」
「聞かれなかったからな」
「そういう問題か?」
カルドの突っ込みはもっともだが、
そこはまあ、許してほしい。
奴隷の枷を付けられている間は、
名乗ったところでどうにもならなかったのだ。
むしろ余計な厄介事を呼ぶ可能性すらあった。
「帰らなくていいんですか?」
おずおずとセリアが聞いてくる。
その目は「帰るべき場所がある人」のことを、
本気で心配そうに見ていた。
「帰るつもりがないわけじゃないさ」
俺は笑って肩をすくめる。
「でも今は、行く足も金もコネもない。
手紙の出し方も知らないしな。
歩いて帰るには遠すぎる」
「それは……そうですね」
セリアが困ったように笑う。
カルドが、少しだけ目を細めた。
「いつか、か」
「ああ、いつかだ」
俺はカルドの肩を軽く小突いた。
「そのときは付き合ってくれよ、カルド。
俺の自慢の相棒を、
俺の家族に紹介しなきゃならないしな」
カルドは一瞬だけ目を丸くして、すぐにふいっと視線をそらした。
「勝手に決めるな」
言葉とは裏腹に、声にはわずかな照れが混じっていた。
「……でも、悪くない話だ」
その言葉に、セリアが「あわわわ……」と
顔を赤くして変な声を出した。
「えっ、その……お二人って、そういう……?
いえ、なんでもないです、ご飯冷めますね、
ご飯食べましょう」
「なんで今、変な誤解しようとした?」
「し、してないですしてないです!
ただなんだか、とても強い絆だなぁって!」
セリアはますなす真っ赤になって手を振る。
じいさんは、それを見て声を上げて笑った。
「通じるもんには通じるということじゃ!
ホッホッホ!」
「適当なこと言わないでください!」
俺はじいさんに抗議するが、
じいさんはご機嫌だ。
そして、ふと俺の顔をまじまじと見た。
「風の英雄ストームの血筋……ときたか。
懐かしい名を聞いたのう」
「じいさん、知ってるのか?」
「知っとるとも。
ワシはのう、若いころに一度だけ、
ストーム家の女と肩を並べて
戦ったことがあるんじゃ」
女。しかもじいさんの若い頃。
その一言で、頭の中にひとりの人物が浮かぶ。
「……もしかして、アネモスばあさんか?」
「そうじゃそうじゃ。お前さんのばあさんじゃ」
やっぱりか。
俺が物心つく前に亡くなったらしく、
写真も絵も見たことはないけれど、
その名前だけは何度も聞かされていた。
「話、聞かせてくれ」
思わず身を乗り出す。
ゴードンじいさんは嬉しそうに目を細めた。
「風をまとって、空を駆ける女じゃったよ。
地を蹴ったと思ったら、
そのままふわりと浮かび上がり、
風の刃をまとう剣で空中から敵陣を切り裂く。
中距離を縦横無尽に動き回る、
敵からすれば、厄介この上ない剣士じゃった」
「空を、飛ぶ……?」
「そう見えたのう。
実際は風で跳躍の補助だけなんじゃろうが、
あれを正面から相手にした敵は、
たまったもんじゃなかったはずじゃ。
風の英雄の血筋は伊達じゃなかったのう」
確かに父、ゲイルも何度か剣をふるっただけで
離れた木々を刻むのを何度か見せてくれた。
俺が何度もねだるから応えてたら
庭中の木がいくつもボロボロになって
母にしこたま怒られてたのもいい思い出だ。
俺は逃げたが。
だが「空を駆ける」なんて芸当は、
見たことも聞いたこともない。
「ワシが知る限り、ストーム家で
空を駆いとるのはアネモスくらいじゃった。
……まぁ、お前さんなら、
いつかやってのけるかもしれんが」
じいさんはそう言って笑う。
胸の奥がじわりと熱くなる。
奴隷として穴に閉じ込められていた
十年のあいだ、俺には「どこにも行けない」
という事実しかなかった。
それが今、「空を駆ける」という
未来の話をされている。
感覚としては、土で固められた足に、
急に羽を付けられたような気分だ。
(……空、か)
風をまとって空を跳ぶ自分の姿が、
ありありと頭に浮かぶ。
火山の中、海の底、空の果て。
いつか行くつもりの場所が、
少しだけ近づいたような気がした。
「負けねえぞ」
隣から低い声がした。
顔を向けると、カルドがいつになく
真剣な目つきでこちらを見ている。
「お前が空を飛ぶなら、俺は地べたを守る。
どれだけ高く跳ねようが、
落ちてきたときの盾くらいにはなってやる」
「なんだよそのカッコいい台詞。ずるくない?」
「事実を言っただけだ」
相変わらず表情は薄いくせに、
こういうときだけ決めてくる。
なんだこいつ。ほんとずるい。
「やっぱり二人って……」
顔を赤らめてつぶやくセリアに
俺は必死で否定する。
「違うからな!?」
「いえ、応援してますからっ(?)」
「何をだよ!!」
そういいながらわちゃわちゃ誤解を解きつつ
落ち着いた頃、セリアは静かに切り出した。
「私は……」
セリアが、そっと手を胸に当てた。
「お二人が好きに跳んだり走ったりしても、
ちゃんと戻ってこられるように、
治療術をもっと鍛えます。
……ヴェルさん、すぐ無茶しそうですし」
「そんなことないけど?」
「いえ、事実ですよ?」
柔らかい声でズバッと言われた。
うん、多分セリアは慣れたら天然の毒舌。
……とまでいかなくても
サックリ刺してくるタイプだな。
「ふむふむ、ええのう、若いもんは。
目標があるのはええことじゃ」
ゴードンじいさんが、満足そうにうなずく。
「……ドラゴンのステーキも、
忘れんでくれよ? ホッホッホ!」
じいさんがいたずらっぽく片目をつむる。
「うわ、本気で言ってやがる」
「言ったぞ、ヴェル」
「ああ、聞いた。
聞いたからには、やるしかねぇな」
火山の中。
海の底。
空の果て。
そして、どこかにいるであろうドラゴン。
目の前の一皿の煮込みを口に運びながら、
俺たちはそれぞれの「先」を
心のどこかに思い描いていた。




