0024.初級エンチャント
そうして、俺たちはその日、
素直にじいさんの家へ戻った。
ギルドで手続きを終えた後の高揚感も、
街のざわめきも背中にいい具合に残っている。
だが今日はそれぞれの準備に使うことにした。
「俺は庭を借りる」
家に入るなり、カルドがそう言って、
大剣と鎧を抱えて外へ出ていった。
「新しい装備に身体を慣らしておきたい」
それだけ言って、
表情はいつもの岩みたいな顔だが、
背中はちょっとだけ楽しそうだった。
「私も、えっと、いろいろ準備がありますので」
両手でエプロンの端をつまみながら微笑む。
「女の子にはですね、
明日から家を空けるかもしれないとなると、
いろいろやることがあるんです」
「たとえば?」
「下着を干したり、荷物をまとめたり、
薬草を整理したり、乾物を仕込んだり……」
思ったより実務的な単語が並んだ。
「……なんか、ごめん。
もっとこう、ふわっとした
乙女的な何かかと思ってた」
「そういうイメージだけで生きていけたら
どれだけ楽か、ですね」
セリアは苦笑して、家の中へ消えていく。
(カルドは装備の慣らし。セリアは旅支度)
なら、俺もやることはひとつだ。
風のエンチャントを、
いつでも出せるようにしておく。
言わば、修行期間ってやつだ。
問題は──素材がないことだ。
投げナイフとかの武器があれば一番いいが、
そんな贅沢を言えるほどゴルドの余裕はない。
今日の報酬だって、車椅子貯金と
生活費とで、ほとんどが飛んでいく計算だ。
「……ってわけで、お前で我慢してくれ」
俺は庭先で、適当な小石を拾い上げた。
丸くて、握りやすくて、そこそこでかい。
姉さんなら、こういうのでも
正確に急所狙って投げそうだ。
ふと、五歳の頃の記憶が蘇る。
訓練場の隅で、木製の人形に向かって、
ウィリィ姉さんが小さなナイフを
次々と突き立てていた。
俺が見学していると、
「ヴェンもやってみる?」と
軽いノリで言ってきて──
その日のうちに、なぜか
横で勉強しながら口を出してた姉に
消しゴムを投げられたんだよな。
(やたら痛かったんだよな、あれ……)
今思えば、風の付与魔術だったんだろう。
子供が投げた消しゴムごときが、
あの速度で飛ぶのはおかしい。
「よし」
深呼吸ひとつ。
石を握りしめ、静かに握り、
イノシシに投げた感覚を思い出そうとする。
けれど──
「…………」
何も起きない。
ただの石は、ただの石として、
手のひらに収まっているだけだ。
もう一度。
今度は狙いを定めて、
空気の流れを意識してみる。
……やっぱり、何も起きない。
「だよなぁ」
あの時は、無我夢中だった。
目の前でゴードンが殺される光景が浮かんで、
頭が真っ白になって、気づいたら投げていた。
言語化できない衝動で動いたこと。
その結果の成功なんて、再現性が一番低い。
とはいえ、このまま闇雲に石を投げ続けても、
ただの怪しいやつだ。妖怪 石投げ小僧。
(こういうときは、前世の知識頼みだな)
俺は芝生に腰を下ろし、
じっくり考えることにした。
とあるハンター漫画では、
“オーラ”を纏うイメージだった。
別の世界のスライム魔王は、
周囲の魔力を認識して制御してた気がする。
概念としては、あながち外れてないはず
……たぶん。
自分の中から絞り出そうとすると、
どうにも上手くいかない。
なら、視点を変えよう。
自分の魔力じゃなくて、周りの魔力を見る。
すう、と目を閉じて、感覚を外に広げた。
風の流れ。
木の葉の擦れる音。
遠くでカルドが大剣を振るう重い空気の揺れ。
それらの、もっと奥。
空気の中に、何かが漂っている気配があった。
目には見えない。
けれど、確かに「そこにある」と分かる。
ひとつひとつは小さくて、
決して、指でつかめるものでもない。
しかし、意識を向けると、砂鉄みたいに、
ざざっと集まる感覚が走る。
(……これか)
俺はゆっくりと息を吐いた。
集めた“何か”の流れを、
今度は手の中の石へと向ける。
押し込むんじゃなく、吹き込む。
風を通した管に、空気を流すようなイメージ。
すると、石の重さが、ほんの少し変わった。
質量そのものが減ったわけじゃない。
握った感触は同じなのに、
「振れる」感じが軽くなる。
「……よし」
立ち上がり、距離を取る。
庭の端にある、少し太めの木を目標に定めた。
狙いを決めて、腕を振る。
石が、伸びるように飛んだ。
空気を裂く音が、さっきまでと違う。
ただの石投げとは比べものにならない速度が
そのへんで拾った石に確かに乗っている。
ドゴッ、と鈍い衝撃音がして、
石は木の幹にめり込んだ。
「っしゃあ!」
思わず声が出た。
イノシシのときと、近い感覚。
あのときは全力で走りながらだったが、今はちゃんと“狙って”やれた。
(この流れを、もっと滑らかにすれば……)
俺は、すかさず次の石を拾う。
今度は、さっきより少し大きいやつ。
握ると、拳に近い大きさの重さが
ずっしり手のひらで感じられる。
「……ふぬ」
さすがにこれは、
魔力の流れを作るまでに時間がかかる。
それでも、さっきと同じように、
空気に溶けている“何か”を集め、
石へと吹き込んでいく。
じわじわと、腕に重さが馴染んでいく。
「いけ」
放った。
最初の一投ほど上手くはない。
狙いも若干逸れて、木の幹の横をかすめる。
それでも、その途中の空気の揺れ方だけは、
はっきり違っていた。
「……悪くない」
俺はニヤリと笑う。
そこからは、ただひたすら繰り返した。
石を拾い、魔力の流れを作り、
風を通し、投げる。何度も。
同じ作業のようでいて、
毎回、感覚が少しずつ違う。
魔力の濃さ、風の流れ、腕の疲労度。
それらを全部「地図」に塗り込む感覚だ。
(穴の形ばっかり見続けてきたけど……
こういう“流れ”も、悪くないな)
十年分の暇つぶしで培った空間把握が、
今度は風の道筋を読むために役立っている。
一時間。二時間。
どれくらい経ったのか分からない。
腕はじんじんと痺れ始めていたし、
肩も重くなっていた。
それでも、石はさっきよりも正確に、深く、
木の幹に突き刺さっていく。
「──ヴェルさん!」
背後から、セリアの声が飛んだ。
「っ……」
そこでようやく、俺は手を止める。
振り向けば、家の戸口にセリアが立っていた。
エプロンのまま、手には鍋つかみ。
「夕食、できましたよ。
……って、何をしてたんですか?」
あたりを見渡したセリアの視線が、
木の幹にめり込んだ石に止まる。
そこには、大小さまざまな石が、
いくつも突き刺さっていた。
一部は砕けて散っている。
「ちょっとした、石投げの練習?」
「練習の域、超えてませんか、それ……」
呆れたように言いながらも、
セリアは微笑んだ。
「でも、いい顔してます」
「顔?」
「はい。なんというか……やり切った顔、です」
そう言われて、自分でも気づく。
汗が頬を伝っているのに、妙に心地いい。
胸の奥には、確かな満足感があった。
「……うん。ちょっとだけ、成長した気がする」
「ちょっとだけ、ですか?」
「“ちょっと”って言っておかないと、
すぐ調子に乗るタイプなんだよ、俺」
笑いながら答えると、
セリアもくすっと笑った。
「じゃあ、調子に乗る前にご飯にしましょう。
カルドさんもそろそろ限界だと思いますし」
「だな。あいつ、絶対黙って無茶するし」
振り返ると、
庭の端でカルドが大剣を肩に担ぎ立っていた。
こっちの会話は聞こえているようで、
静かに近づいてくる。
「夕食か」
「ああ。今日は頑張ったしうまい飯が食えるな」
「いつも食ってるだろうが」
そんなやり取りをしながら、
俺たちは家の中へ戻る。
日がすっかり傾き、
窓の外は朱に染まり始めていた。
新しい力を少しだけ手に入れた実感と、
仲間と囲む食卓を想像するだけで、
足取りは自然と軽くなる。
(よし。ここからだ)
俺は、木に残った石の痕跡を
一度だけ振り返り、
胸の中で小さくガッツポーズを決めた。
確かな満足感を手にしながら、
俺は夕食へと向かったのだった。




