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第9話:未来の断片

第9話:未来の断片

小寺政職が織田信長への臣従を宣言すると、黒田官兵衛は使者として、また羽柴秀吉の与力として、京や安土へと頻繁に赴くようになった。

莉央の立場も変化し、官兵衛不在の間の技術工房の運営や、領内改善策の立案・実行を実質的に任されるようになった。城内での行動の自由度は増し、書庫への立ち入りや薬草園での実験的な栽培、工房での道具開発に没頭する時間が増えた。

官兵衛は、莉央の能力を高く評価し、中央の政情に関する重要な案件についても、彼女の意見を求めるようになっていた。その問いかけは、彼女の知識の深さを測るような響きを帯びつつも、異質な視点への純粋な好奇心も感じられた。しかし、家臣団の中には、若く素性の知れぬ異国の女が重用されることへの反感や嫉妬を抱く者も少なくなかった。「殿は、あの女に惑わされておられるのではないか」という囁きも、莉央の耳に届くことがあった。

官兵衛自身も、莉央の存在に複雑な感情を抱いていた。彼女が時折、記憶の断片として語る「故郷の古い教訓話」や「歴史物語の一節」(例えば、「賢王が商業を活発にし国が富む話」「火薬を用いず鉄を溶かす術や水に浮かぶ鉄の城の奇譚」など)は、莉央自身はそれが未来の知識とは明確に自覚せず、あくまで「朧げな記憶の断片」として語っているものの、 その内容が後の情勢と奇妙に符合することに、彼は深い驚愕と探究心を抱いていた。(この女は、一体何者なのだ?本当に記憶が曖昧なのか?それとも、恐るべき先見の明を持つのか…?彼女の言葉は、まるで未来を知っているかのようだ…だが、それを尋ねれば、彼女はさらに心を閉ざしてしまうやもしれぬ…)

官兵衛は、莉央が「故郷の技術」として語る、あまりにも先進的な技術の可能性(「鉄の船が煙を吐いて海を駆ける」「火を噴く筒が雨でも使える」など、莉央が防災技術の延長線上やSF作品の知識として断片的に語るもの)を密かに記録し、その真偽と実現可能性を探っていた。

一方、莉央もまた、自身の持つ知識が、この時代の歴史に意図せず介入し、取り返しのつかない影響を与え始めているのではないかという、重い倫理的な葛藤に悩まされていた。(私の言葉一つで、人の運命が、この国の未来が変わってしまうかもしれない…それは許されることなのだろうか…?でも、目の前の苦しみを見過ごすこともできない…私の知識は、本当に良い方向に作用しているのだろうか…この金属片が、私をここに導いた意味は何なのだろう…)

そんなある夜、莉央は一人、部屋の窓辺に立ち、故郷の空を想っていた。戦国時代の夜空は、無数の星々で埋め尽くされている。その美しさが、逆に莉央の孤独感と望郷の念を際立たせた。

ふと、莉央は首から下げていた小さな革袋に手をやった。中には、あの事故の際にポケットに紛れ込んでいた、指先ほどの大きさの、奇妙な紋様が刻まれた金属片が入っていた。それは、新型耐震構造のコア部分に使われる予定だった特殊合金の試作品の一部だった。ここ数日、莉央が孤独感や望郷の念を強く感じている時や、あるいは城下に何か大きな出来事(戦の噂や疫病の気配など)が起ころうとする際に、その金属片が、時折、微かに温かくなったり、ごく僅かな振動を発したりすることに、莉央は気づいていた。(この反応は一体…?何かのエネルギーに呼応しているの?それとも、私の精神状態に反応しているの…?事故の時、まるで意志があるようにポケットに入ってきたのも気になる…そして、この振動は、以前に疫病の兆候を感じた時と似ている…何か良くないことが起こる前触れなのだろうか…)莉央は、この金属片が現代への帰還と何らかの関係があるのではないかと、漠然と感じ始めていた。

そして昨夜、城の裏手にある古い社の近くを散策していた時、その金属片が、まるで何かに強く呼応するかのように、一瞬だけ、しかし鮮烈な青白い光を放ったのだ。その光は、脳裏に遠い故郷の風景を一瞬だけフラッシュバックさせた。(この光…!この社に何か特別なものが…?今の映像は…家族…?この金属片は、私の記憶とも繋がっているの…?それとも、この社自体が、何か特殊なエネルギーを放っているのだろうか…)莉央は、これが自身の身に起きた転移現象と何か深い関係があるのではないか、そして帰還への唯一の手がかりになるのではないかと考え始めていた。

彼女は、光や信頼できる侍女を通じて、その金属片が光を放った古い社に関する伝承や、周辺地域で過去に起きたとされる奇妙な現象の噂などを、それとなく「あの社には何か変わった言い伝えはないか」と尋ねる程度で、慎重に情報を集め始めた。「龍の穴」と呼ばれる洞窟が近くにあるという話も耳にしたが、詳細はまだ不明だった。

官兵衛は、莉央の知識をさらに探るため、領内で実際に起きている課題の解決を次々と莉央に依頼するようになった。例えば、毎年のように氾濫する川の治水対策、連作障害で収穫量が激減している農地の土壌改良、効率的な鉄鉱石採掘と製鉄技術の確立など。

莉央は、その都度、現代の農業技術の効率化のヒント(輪作の概念、堆肥の利用)、土木工学の基礎概念(堤防の構造、排水路の設計)、鉱山技術のアイデア(選鉱の効率化、炉の改良)を、「私の故郷では、このような考え方で問題を解決していたと朧げながら記憶しております。試してみる価値はあるやもしれませぬ」といった形で、あくまで伝聞や記憶の断片として、この時代の技術レベルと入手可能な資材を考慮しながら応用し、具体的な改善策の「方向性」を示唆した。

彼女は、図面を描いて指示を出すだけでなく、自ら泥にまみれて河川の測量を行い、農民と共に畑を耕し、職人たちと共に汗を流して新しい道具の試作に取り組んだ。そのリーダーシップと真摯な姿は、当初彼女を疑っていた家臣たちの心をも動かし、井上九郎右衛門のような内政に長けた官僚たちは、彼女の最も強力な理解者となっていった。

莉央の尽力により、黒田領は目に見えて豊かになり、国力は増していく。官兵衛は、莉央の得体の知れなさ、そして時折見せる寂しげな表情に戸惑いつつも、その知識と人柄、黒田家への貢献に、絶対的な信頼を寄せるようになっていた。しかし、莉央の心の中では、官兵衛と共に生きる覚悟と、現代へ帰りたいという願いが、未だ複雑に交錯し続けていた。そして、官兵衛もまた、莉央という得難い存在が、いずれ自分の手の届かない場所へ去ってしまうのではないかという、漠然とした不安を抱え始めていた。

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