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第29話:有岡城炎上、決死の脱出行

第29話:有岡城炎上、決死の脱出行

土牢の狭い入り口を、松明を掲げた荒木方の兵士たちが、まるで黒い濁流のように雪崩れ込んできた。その数は十を超え、抜き身の槍や刀が、松明の赤い光を反射して不気味にきらめいている。絶体絶命の窮地に、黒田家の足軽たちは、悲壮な覚悟を固め、官兵衛を守るように最後の盾となろうと身構えた。しかし、彼らの武器は短く、数も圧倒的に不利だ。このままでは、全滅は時間の問題だった。

(ここまで来て…万事休すだというの…!? いいえ、まだだ…!莉央殿が託してくれた、最後の手段が残っている…!あの時、莉央殿は言っていた。「もし、土牢の壁を破っても追手が迫ってきたら、これを使いなさい。ただし、これは本当に最後の手段。風向きと周囲の状況をよく見て、一瞬の隙を作るためだけに使うこと。そして、必ず成功させなさい」と…!)

官兵衛を背負った足軽の一人が、奥歯をギリリと強く噛みしめた。その瞳には、もはや絶望の色はなく、代わりに、全てを焼き尽くすかのような、激しい怒りと、そして最後の賭けに出る者の、凄絶なまでの覚悟の光が宿っていた。彼は、懐から莉央が最後の切り札として事前に使用法を厳しく叩き込んでいた、あの指向性の高い小型発破装置――硝石と硫黄、そして例の未知の鉱石の粉末を、竹筒に粘土で固め、源爺の助言で先端に鉄の覆いを付けたもの――を、震える手で取り出した。この装置は、土牢の壁を破壊したものよりもさらに小型で、威力を一点に集中させることに特化していた。莉央は、「この鉱石の粉末は、少量でも強い閃光と衝撃波を生む。目くらましと威嚇に使えるはず」と説明していた。

「殿、皆、しっかりと伏せて!耳を塞いで!そして、この煙を吸い込まぬように!」

その足軽の、普段の彼からは想像もつかないほどに鋭く、そして切迫した声が、狭い土牢に響き渡った。そして、導火線に、サバイバルキットの着火具で素早く火を点けると、追手の兵士たちが密集する通路の入り口めがけて、渾身の力でそれを投げつけた。

次の瞬間、耳をつんざくような轟音と共に、通路の入り口付近で強烈な閃光と爆発が起こり、周囲の石壁の破片が飛び散った。土煙と、焦げ臭い硝煙の匂いが、一瞬にして通路全体に充満し、視界を完全に奪う。追手の兵士たちは、予期せぬ爆発と轟音に度肝を抜かれ、悲鳴を上げてその場にうずくまるか、あるいは狼狽して逃げ惑う。

「今です!この壁の穴から外へ!莉央殿の指示通り、城の北西を目指すぞ!必ずや合流できるはずだ!」

足軽の鋭い指示に、他の黒田の者たちは、咳き込みながらも即座に反応した。彼らは、先ほど爆破した壁の穴から、夜の闇へと続く新たな脱出経路へと、官兵衛の体を担ぎ上げ、雪崩れ込むように飛び出していく。

その頃、後方の作戦本部でこの爆音を聞いた莉央は、これが計画の最終段階の合図であることを悟った。「殿はご無事だ…!太兵衛様たちも、きっと…!」胸の金属片が、一際強い熱と振動を発し、まるで彼女の決断を後押しするかのように脈打った。「井上様、皆に伝令を!陽動開始です!」

「計画通り…!これで、追手の目を少しでも長く欺けるはず…!井上様、太兵衛様たちとの合流地点へ、急ぎ使者を!そして、城内に仕掛けた陽動の火の手も、今こそ!」

莉央の指示を受け、事前に城内数カ所に潜んでいた内応者や黒田方の少数の工作部隊が、莉央が開発した煙幕弾や発火装置(松根油と布を組み合わせた簡易なもの)を一斉に作動させた。有岡城は、瞬く間に、黒煙と赤い炎に包まれ、城内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

官兵衛を担いだ足軽たちは、燃え盛る有岡城の中を、まるで地獄の業火から逃れる亡者のように、煙と炎、そして混乱の中で右往左往する荒木方の兵士たちを巧みに避けながら、決死の脱出を開始した。彼らは、事前に莉央から叩き込まれていた有岡城の詳細な図面と、煙の流れや風向きを読み取る訓練の成果を活かし、炎の手がまだ及んでいない、比較的安全なルートを突き進んでいく。

やがて、城外へと続く、内応者の足軽頭が最後の力を振り絞って用意してくれていた秘密の通路――古く打ち捨てられた地下の食料貯蔵庫へと繋がる、狭く湿った抜け道――の近くまでたどり着いた時、一行は、そこで息も絶え絶えになりながらも、鬼神の如き形相で追手を食い止めていた母里太兵衛と、数名の生き残った兵士たちと合流することができた。太兵衛の全身は、返り血と泥で汚れ、その屈強な体には無数の刀傷が刻まれていが、その瞳には、まだ確かに闘志の炎が燃え盛っていた。

「太兵衛様!ご無事で…!」

「おお、貴様らこそ…!殿は…官兵衛様はご無事か!?莉央殿の策、見事であったぞ!」

「はい!こちらに!莉央様の策、見事にございました!あの煙幕と爆発がなければ、我らも…」

しかし、彼らが再会の喜びを分か plupartり合う時間は、あまりにも短かった。城門近くの広場では、松明の光に照らし出された、怒りに顔を歪ませた荒木村重自身が、手勢の精鋭部隊を率いて、彼らの行く手を阻むかのように待ち構えていたのだ。その数は、官兵衛たちが到底太刀打ちできるものではなかった。

「もはや、これまでか…!だが、殿だけは…!莉央殿に、殿をお渡しするまでは死ねん!」

太兵衛が、悔しげに奥歯を噛みしめる。

その時、それまで足軽の背で意識を失っていたかのように見えた官兵衛が、ゆっくりと目を開いた。そして、か細い、しかし凛とした声で、太兵衛と足軽たちに告げた。

「皆…よくぞ…よくぞ、この官兵衛を…礼を言う…だが、もはやこれまでじゃ…莉央殿には…黒田の…黒田の未来を…頼むと…伝えてくれ…わしは、ここで村重とけりをつける…お前たちは、莉央殿の元へ戻り、生き延びよ…」

官兵衛は、残された最後の力を振り絞り、足軽の背から自らの体を離そうとしたが、太兵衛がそれを力強く支えた。おぼつかない足取りながらも、荒木村重の前に、敢然と立ちはだかった。

「村重殿…!この黒田官兵衛、まだここにあり!お相手いたす!お主の目を覚まさせてくれるわ!このままでは、お主も、そして摂津の民も、破滅するだけぞ!」

足軽たちは、官兵衛のそのあまりにも悲壮な覚悟に、胸が張り裂けるような痛みを覚えながらも、彼の言葉の真意を悟った。ここで全滅しては、莉央殿の、そして半兵衛様の、全ての努力が無駄になってしまう。

「殿…!必ずや…必ずやお迎えに上がります!莉央殿と、必ず!この太兵衛、必ずや殿をお連れ戻しいたしますぞ!」

太兵衛は涙を振り払い、官兵衛に最後の深々とした一礼をすると、生き残った数名の足軽たちと共に、燃え盛る有岡城の喧騒を背に、再び漆黒の闇の中へと、その傷だらけの、しかし決して折れることのない姿を消していった。彼らの心の中には、官兵衛の最後の言葉と、そして彼を必ずや再び救い出すという、燃えるような誓いが、熱く、そして深く刻み込まれていた。

内応者の老いた足軽頭は、その混乱の中、官兵衛たちを逃がすために自ら囮となり、荒木方の兵士に斬り伏せられたという。その死は、黒田家中の者たちの胸に、新たな、そして消えることのない痛みを刻んだ。

後方でこの報を受けた莉央は、唇を強く噛みしめた。(殿…太兵衛様…どうかご無事で…!私は、必ず…必ず、この借りを返します…そして、いつか必ず、あなたをお救いする。それが、今の私の、唯一の道…私の知識が、まだ足りなかった…もっと、もっと確実な方法があったはずなのに…この金属片が、もっと明確な答えを示してくれれば…)彼女の目には、涙はなかった。ただ、燃えるような決意と、そして自分の知識がもたらしたこの事態への、重い責任感が宿っていた。

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