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第28話:土牢の再会、絶望と一条の光

第28話:土牢の再会、絶望と一条の光

母里太兵衛の、まるで己の命を燃やし尽くすかのような壮絶な覚悟と、背後から迫る追手の怒号を振り切るように、太兵衛の指示を受けた数名の選ばれた足軽たちは、内応者の老いた足軽頭に導かれ、有岡城の本丸奥深く、迷路のように入り組んだ薄暗い通路を、息を殺して駆け抜けていた。松明の揺らめく光が、石壁に不気味な影を踊らせ、時折聞こえてくる城兵たちの荒々しい声や、武具の擦れ合う金属音が、彼らの心臓を締め付ける。一刻も早く官兵衛の元へたどり着かなければならないという焦燥感と、いつ追手に発見されるかもしれないという恐怖感が、彼らの全身を支配していた。

やがて、足軽頭が、ある一つの、他とは明らかに異なる、苔むした石壁の前に立ち止まった。そこには、注意深く見なければ気づかないほど巧妙に隠された、小さな木の扉があった。扉には、何重にも太い鉄のかんぬきが掛けられ、その周囲の壁には、不気味なほどに新しい血痕のような染みが、点々と付着している。

「…この奥に、黒田様が…どうか、お早く…この扉の錠は、通常のものとは違うと聞いております。莉央殿の道具が、役に立てば良いのですが…わしは、ここで見張りを…」

足軽頭の声は、恐怖と、そして深い同情の色を帯びて微かに震えていた。

足軽の一人が、ゴクリと唾を飲み込み、震える手で懐から莉央が開発した特殊工具を取り出した。それは、工房で源爺と共に、何度も試作を繰り返した、数種類の形状の異なる細い金属棒だった。莉央から事前に、錠前の種類に応じた使い方を叩き込まれていた。「このタイプの錠前なら、この形状の道具が合うはず…もし、それでも開かなければ、最後の手段を…」と、莉央は図解と共に説明していた。

「皆、少し下がっていてくれ。もし、罠が仕掛けられていたら…」

その足軽は、他の者たちを下がらせると、扉の錠前を、松明の光で慎重に観察した。それは、これまで見たこともない複雑な構造をしていた。莉央の指示通り、数種類の工具を試すが、なかなか開かない。

(駄目だ、これでは時間がかかりすぎる…!莉央殿の指示通り、あれを使うしかない…!莉央殿の道具は、いつも我らの想像を超える。きっと、これも…!だが、これは本当に最後の手段だと言われていた…失敗は許されん!)

別の足軽が、もう一つの竹筒を取り出した。中には、少量の、しかし強力な発破用の粉末が詰められている。指向性を持たせるために、筒の先端には源爺のアイデアで鉄の覆いが取り付けられていた。これも莉央の設計で、使用方法も厳しく指導されていた。「壁の特定の部分に、この角度で押し当てて点火すれば、最小限の音で破壊できるはず。ただし、失敗すれば大きな音が出てしまう。慎重に。そして、中の人に影響が出ないように、細心の注意を」と莉央は念を押していた。

「壁を壊します!皆、衝撃に備えて!耳を塞いで!」

その足軽は、扉そのものではなく、扉の蝶番近くの、比較的脆そうに見える壁の一点(先の爆破で亀裂が入った箇所)に向かって、その小筒を押し当て、短い導火線に火を点けた。

次の瞬間、くぐもった、しかし鋭い爆発音が響き、壁の一部が土煙と共に崩れ落ちた。扉は辛うじて形を保ったものの、蝶番が歪み、閂も衝撃で緩んでいた。

その隙間から、足軽たちの鼻腔を、言葉では言い表せないほどの、強烈な悪臭が襲った。それは、湿った土の匂い、かびの臭い、そして何よりも、人間の排泄物と、腐敗しかけた何か、そして濃厚な血の匂いが混じり合った、まさに地獄を思わせるような、吐き気を催すほどの悪臭だった。

先頭の足軽は、思わず手で口を押さえたが、意を決して、崩れた壁の隙間から、暗く、そして底知れぬほどに深い闇が広がる土牢の中へと、身を滑り込ませた。後に続く者たちが掲げる松明の、頼りない炎の光が、土牢の内部をぼんやりと照らし出す。

そこは、大人が数人入れば身動きも取れなくなるほどの、狭く、そして不潔極まりない空間だった。壁は湿った土が剥き出しで、床には汚れたわらが申し訳程度に敷かれているだけ。空気は淀み、息をするのも苦しいほどだ。そして、その土牢の最も奥、壁に打ち付けられた太い鉄の輪に、両手両足を無残なまでに太い鎖で繋がれた、一人の男の姿があった。

痩せ衰え、もはや骨と皮ばかりと言っても過言ではないほどにやつれ果て、その顔は無精髭と汚れで覆われ、かつての怜悧な面影はどこにもない。身に纏うものは、血と汚物で染まり、原型を留めぬほどに引き裂かれた、ぼろぼろの粗末な着物だけ。しかし、その深く窪んだ両の瞳の奥には、まだ消えることなく、まるで暗闇の中で燃え続ける鬼火のように、常人とは思えぬほどの、凄絶なまでの不屈の光が、狼のように鋭く宿っていた。

それは、紛れもなく、黒田官兵衛その人だった。

足軽たちは、そのあまりにも変わり果てた官兵衛の姿に、一瞬、言葉を完全に失い、ただ呆然と立ち尽くした。胸の奥から、熱い、そしてどうしようもなく悲しい何かが込み上げてくるのを、必死に堪える。

「殿…官兵衛様…!お迎えに、お迎えに上がりました…!」

ようやく絞り出した声は、震えていた。

官兵衛は、足軽たちの声に気づいたのか、ゆっくりと、そして億劫そうに顔を上げた。暗闇に慣れたその瞳が、松明の光の中で、彼らの姿を捉える。

「…お主らか…太兵衛の…者どもか…このような場所まで…まこと、夢では、あるまいな…この官兵衛、まだ…まだ、生きて、おったか…莉央殿は…莉央殿は無事か…?あの者の知恵がなければ、お主らもここへは来れなんだであろう…」

官兵衛は、まるで信じられないものを見たかのように、かすれた、しかし確かな声でそう呟いた。その声には、驚きと、安堵と、そしてほんの僅かな、自嘲の色が混じっていた。

足軽たちは、込み上げてくる涙を、もはや堪えることができなかった。しかし、今は泣いている場合ではない。

「殿、お迎えに上がりました!莉央様もご無事です!さあ、こちらへ!一刻も早く、この地獄からお連れいたします!莉央様が、殿のご帰還を待っておられます!」

彼らは、涙を振り払い、力強く、そして官兵衛の魂に直接呼びかけるかのように、きっぱりと言い放った。

足軽たちは、官兵衛の体を繋ぎ止めていた重い鎖を、これも莉央が開発し、彼らが使い方を習熟した小型の鋼鉄製の特殊なカッター(源爺が特殊な焼き入れを施し、通常の鉄よりも硬い金属を切断できるようにしたもの)で、火花を散らしながら断ち切った。そして、もはや自力で立つこともままならないほどに衰弱しきった官兵衛の体を、両脇から力強く支え、土牢から担ぎ出そうとした。

その時だった。

土牢の狭い入り口に、突如として、松明を持った多数の追手の兵士たちの、黒々とした影が現れたのだ。背後からは、母里太兵衛たちの、今まさに死線を彷徨っているかのような激しい戦闘の音が、地鳴りのように響いてくる。もはや、退路は完全に断たれたかに見えた。

「おのれ、曲者ども!神妙に縛につけ!黒田官兵衛もろとも、ここで討ち果たしてくれん!一人たりとも逃がすな!」

追手の兵士たちの、怒りに満ちた声が、狭い通路に反響する。足軽たちは、絶望的な状況の中で、官兵衛の体を守るように盾となり、奥歯を強く噛みしめた。

(ここまで来て…万事休すだというの…!? いいえ、まだだ…!莉央殿なら、必ずや何か手を打ってくれるはず…!我らは、殿を、そして莉央殿の期待を裏切るわけにはいかない…!莉央殿の知恵と、我らの武勇があれば、必ずこの窮地を脱することができる!そして、殿を莉央殿の元へ、必ずお連れするのだ!莉央殿は、我々にまだ奥の手があると仰っていた…この状況も、きっと見越していたはずだ!)

彼らの瞳には、再び、どんな困難にも決して屈しない、不屈の闘志の炎が、激しく燃え上がっていた。

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