領主の屋敷へ強盗に入った平民、下剋上する
「俺は領主の屋敷へ強盗に入ろうと思う。たんまり金をいただくぞ」
俺は目の前にいるメリンダとオットーにそう宣言した。40歳を迎えた2人とは幼少の頃からの仲間だった。
「それなら俺も乗った。どうせラッセルを探しに行くんだろう? 皆で迎えに行こうぜ」
オットーはそう言うとにやにやしている。
長年の付き合いだ。隠してもすぐにバレるな。
「オットーに隠し事は出来ねーな」
「私もやるよ。ラッセルを迎えに行かないとね」
あぁ、この瞳に少しでも多く映りたいと思っていたのは遠い昔だったな。メリンダは俺たちにとっていつもマドンナのような存在だった。
そのメリンダの心を射止めたのはラッセルだった。
「ゴットン、ラッセルを迎えに行くのは分かるが、何で強盗までやるんだ?」
「そりゃあ、俺たちの金を巻き上げるあの悪徳領主にぎゃふんと言わせたいからさ」
ここは辺境の貧しい町だ。土地柄だけじゃない。領主が美味しい思いをしているんだ。そして俺たち領民は毎日の日銭を数えて暮らしている。
自分の洋服なんておしゃれどころか枚数があればいいほうだ。お腹がいっぱいになる日はそれは幸せだった。
それもあってオットーとラッセルとは、馬鹿ばっかりやっていた。
10代の頃は肉屋からよく肉を盗んで店主から怒られたっけ。一度、肉屋のおやじが俺達があまりにも肉を盗むからキレて店の外まで牛刀を持って追いかけてきた時は、本当に怖かった。
あの時に肉屋の盗みは止めようと3人で誓ったな。大人になってからはその肉屋によく買いに行っているし、肉屋のおやじからは笑い話にされていて何度も話を聞かされたな。
「俺は金があっても泡銭になっちまう。俺の分はラッセルに上手く使ってもらおうと思う。オットーは奥さんと子どももいるんだから、取り分の半分は取ってくれ」
「それじゃあ俺だけいい思いをしすぎる」
「俺の腹にうまい肉ばっかり入ったってしょうがないだろう」
オットーは義理堅い男だ。俺は独り身で気楽だが、オットーには家族もいるんだから少しくらいは楽にさせてやりたいなと思っていた。
俺は懐から地図を取り出した。それを見たオットーが目を丸くしている。
「計画はこうだ――」
俺は屋敷の従者の結構な数を酒で味方につけた。その人たちから知っている限りの場所を教えてもらったのだ。
俺の職業は大工だったから、こういう時には役に立つもんだ。屋敷の中の間取りは聞いた限りで細かく書いてある。
領主の部屋に行くには玄関からと従者が使う裏戸のどちらかだ。
その日は庭師として入り込む。庭師も酒で味方になってもらった。夜になり人が少なくなったところで覆面をつけて、鍬を持つ。
強盗と言ってもさすがに殺傷沙汰は起こしたくない。形だけでも強盗になるようにと考えた末に鍬をもつことにしたのだ。
なにぶんお金が無いので、変装はへんちくりんな格好だった。身体だけは質素な半袖と綿のズボンに鍬の姿で農民のようだ。顔には覆面をしているので、まるで出来損ないのハロウィンで着ているような格好だった。
こうして、俺たちは覆面の強盗集団になった。
まず、メリンダは裏戸の近くで待機してもらう。従者たちの中にこちら側に協力してくれる人が多いので、俺とオットーはそのまま領主の部屋へと向かう。背中に背負った麻の袋から縄を出した。
俺たちは3人いるんだ。領主1人くらいどうやったって捕まえられるだろう。
領主の部屋の外に着くと俺はオットーに目配せをして頷いた。
オットーは部屋の外で待機してもらっている間に俺が領主の部屋に入る。縄で縛って金の在り処を聞くだけだ。
そして帰りには金貨がたんまり入るはずだ。
俺は領主の部屋のドアノブに手をかけてそっと回した。
――――――
――――
――
なんでこうなった?
俺だけではなく、オットーとメリンダも腕と胴体を縄でぐるぐる巻きにされて領主の部屋の地面に座らせられていた。
強盗するはずが俺たちが捕まってしまったのだ。頼みの綱だった覆面も剥ぎ取られてしまった。
思ったより若い男は30代に見える。長い黒髪を後ろで結っている。
その男は俺たちの周りを2、3度通り過ぎると俺たちの目の前に戻り黒い笑顔を向けてきた。
「お前たちの目的はなんだ?」
「⋯⋯ラッセルを迎えに来た。それからたんまり貯め込んでいる領主の金を盗もうとしたんだ」
俺は顔もバレたので、すぐに観念した。
「ほう、屋敷の従者を味方につけたのは良かったが、ずさんな計画だったな。こんな計画で領主を捕まえて痛い目に合わせられると思ったのか」
「うるさい、この悪徳領主め。金は勘弁してやるから早くラッセルを返せ」
目の前の男は冷ややかな目線を向けてくる。
「ラッセルはいない」
予想外の言葉に目の前の男に食ってかかる勢いだったが、固まってしまった。
「うそ⋯⋯うそよ⋯⋯」
メリンダはその言葉を聞いて目を見開いたがすぐに目線を下ろすと嗚咽を漏らし始めた。
「ふざけんじゃねー! そんなことって⋯⋯あんまりじゃねーか!」
俺はオットーの方を見たがオットーは怒りでいつもの様子じゃなかった。
俺はその言葉が消化不良のように頭に入ってこなかった。
俺たちはラッセルがここにいるものだとばかり思って、気楽に考えていた。
目の前の男は眉をひそめながらそれを見ている。
俺は会った時からずっとこの男に違和感を感じていた。
この男に俺の言葉は、ラッセルの願いは伝わるのだろうか⋯⋯。
俺たちはこの辺境の町にずっと住んでいる。空気は常に乾燥していて雨もあまり降らない。それでもここの人たちは小さな農地で畑を耕して暮らしている。
俺たちが10代の前半の頃、日照り続きで作物が育たなかった。それで町は食べ物を取り合うような日々が続いた。
俺たち4人はは領主の屋敷にこっそり行ったんだ。そしたら屋敷ではどんちゃん騒ぎをしているようで、外から食べ物とお酒の馬車がたくさん来ていた。
それを見て、俺たちは領主を敵だと思うようになった。
俺たちが10代半ばになると、町に旅人が来たので話をした。旅人はこの町は何もない貧しい場所だと教えてくれた。
その年の暮れに税金を上げると言って来た。俺たちは立ち上がって領主に文句を言おうと町の人に言った。
一丸となって戦おうと町の人に言ったが、協力してくれる人はいなかった。
その時は町の人に怒りを感じていたが、大人になってからは、生活するだけでギリギリだった。そこでようやく町の人に戦う気が無いのではなく、戦う体力が無かったことに気が付いた。
そんな中、1人だけ諦めていない男がいた。
ラッセルだ。
ラッセルは町の人たちから生活苦の声を集めて回った。辺境と行ってもこの領地は広大だった。1人1人と話していては時間が足りなさすぎる。
そう思っていたのにラッセルは何年も続けたのだ。
その書き留めた紙は数え切れないほどになった。ようやくそれが終わると、ラッセルはその紙束の一部を持って領主の屋敷を訪ねたのだった。
それが一昨日のことだった。
「⋯⋯それでも領主は何とも思っていないんだろう?」
「あぁ、何とも思っていない」
俺は思わず顔を歪めた。その時ようやく俺の中にも黒い煮えたぎるものが静かに増え始めた。
俺は目の前の男を睨んだが、おそらく殺意に満ちた目だったのだろう。
その目を見た男はすっと目を細くした。
「とある男の話をしてやろう――」
ある貧しい土地に生まれた男の子は母に捨てられた。もちろん初めから父親の顔は知らない。
孤児院の院長に拾われたその子は何とか生き延びた。
この土地も中々作物が実らない。食べ物が足りない日が続くと、院長は領主の元へ食べ物を分けてもらいに行った。
しかし院長は食べ物どころか頭からずぶ濡れになって帰ってきた。背中を痛めたのか帰ってくると倒れてしまった。
その子は院長の姿を見て領主の屋敷にこっそり行くと、ちょうど高そうな服と装飾品をつけた男が窓際に立つのが見えた。その子はあれが領主だと確信した。
その子は頭に血が上り何も考えられなかった。
領主が見えた窓に向かって石を投げると、甲高い音と共に窓ガラスが割れた。領主は驚いて2、3歩後ろに下がった。
その子は割れた窓へと走っていくと、割れたガラスの破片を握り、窓から部屋へと入ると、領主を押し倒した。
「⋯⋯その後はどうなったんだ?」
俺は目の前の男の話にいつしか夢中になっていた。その男は顔を俺に近づけた。
「もう一度チャンスをやろう」
「えっ? どういうことだ?」
「ラッセルを連れ戻したいなら俺を納得させろ。その時に話の続きをしてやろう」
俺たちは目が点になった。
もう一度チャンスをやろう?
「ラッセルは生きているんだな?」
そこまで静かに聞いていたオットーは声を張り上げた。
「あぁ、生きている」
メリンダは目をゴシゴシと拭くと、目の前の男を見た。
「私はやるよ。そのチャンスを受ける」
その男は従者を呼ぶと俺たちの縄を解かせた。
「ヒントをやろう。ラッセルを取り返したいのなら、その覚悟を見せろ。それから金銭の要求は受け付けないが、金じゃない要求は聞こう。そして俺を納得させろ」
俺たちは屋敷から離れると作戦を練り始めた。
オットーとメリンダは俺の方を見てきた。俺はあの男に会った時から感じていた違和感を言葉に出した。
「⋯⋯あいつはたぶん領主じゃない」
その言葉に2人は目を見開いた。
「あいつは領主じゃないのか?」
「俺も領主の顔は見たことないが、金を巻き上げて私腹を肥やすようなふうには見えなかった。話しぶりからすると領主と同じくらいの権力のあるやつだと思う。
俺たちはあいつを満足させなきゃいけないんだ。あいつが納得出来る行動を示せと言うんだ⋯⋯」
「ただの強盗では駄目ということは分かった。あいつが観念するくらいの圧倒的な力⋯⋯首を縦に振らないといけない状況」
「それでいて、ラッセルの返還とお金じゃない条件をつける⋯⋯」
ラッセルの返還は一番大事なことだ。俺たちの頭で何とかなるものだろうか⋯⋯。
「あいつがお金じゃないものを要求しろと言っているんだ。それも探さないといけない」
世の中に金じゃないもので何を要求すればいいんだ?
俺たちは重い足取りでそれぞれの家へと向かっていた。
オットーの家が見えた。
「悪いが今日はこのまま俺は帰る。また明日集まろう」
俺たちは手を上げると軽い挨拶をして別れた。
オットーが家の扉を開けると、中から大きな音が聞こえた。
俺とメリンダはオットーの家へと急いだ。家の中に入るとオットーの奥さんが倒れて足を抱えている。
「セリナが足をぶつけたようだ」
「痛そうだな、今から医者が見つかるかな⋯⋯」
医者か⋯⋯金を支払ったら目の前に来てくれるもんじゃないしな⋯⋯。
あぁ、この町には足りないものがたくさんあるんだな。この町はお金じゃないものでも足りないものはたくさんある⋯⋯。
その夜はオットーの家から15分ほど走った所にある診療所の医者が見つかったので呼んで打撲と診断された。
次の日、俺たちは集まると昨日の医者の話をオットーとメリンダにした。
「なるほど、お金じゃなくて足りないものを見つけるのか」
「それならたくさんあるよ。うちは牧畜をやっているから牛舎や馬小屋も建て直したいから木材や柱も必要だし藁も必要だ」とメリンダ。
「俺も畑の肥料も農耕具も足りないし、水や人手もそもそも足りない」とオットー。
俺たちは思いつくままにありったけ書くとまた領主の屋敷へと向かった。
昨日の男は俺たちが書き殴った紙を目を細めて見ている。全部に目を通すとそっと紙を置いて俺たちを見てきた。
「やり直し」
「えっ、やり直し?」
「お前たちやる気があるのか? これでこの領地が良くなると思っているのか? それにラッセルのことはどうした。こんな武装もしないでのこのことやって来て、はいどうぞと渡せるものか」
俺は目の前の男のことを睨みつけだが、図星だったことは強く感じていた。
「⋯⋯あんたは誰なんだ? そろそろ教えてくれないか? あんたは領主ではないだろう?」
「⋯⋯あぁ、違う。だが、それくらいの権力は持っている」
俺は気に食わなくて、鼻をふんと鳴らした。
これだからお貴族様は嫌いなんだ。上から偉そうに言ってきて、さぞ苦労もしていないんだろうな。
俺たちは屋敷を出た。
少なくともあいつは少しは話のわかるやつだと思った。俺たちの話を聞いてくれる。それにラッセルは大丈夫そうだから少し安心した。
「ゴットン、あいつはあれじゃ全然足りないって言ってたな」
俺は頭をがしがしと乱暴に掻いた。
これだから気に食わん。さらりと大変なことを言いやがって⋯⋯。
そしてあいつの意図が分かったのも、嫌気がさした。
「オットーとメリンダ、どれくらい本気になれる?」
「⋯⋯私は本気でやるよ。ラッセルにはちゃんと戻ってきてほしいからね」
「俺もだ。俺には守らなきゃならない家族もいる」
あぁ、俺たちは腹をくくるしかないんだ。
■
それから1年が経った。
ラッセルを見捨てたのかって?
冗談じゃない。ラッセルと同じようにしたのさ。
俺たちはたくさんの人を率いて領主の屋敷へと向かっていた。それは辺境領地の全員とはいかないが、何千人もの人と共にだ。
俺たちはあの日から町の人にそれぞれ欲しいものを聞いてリストを作ろうと決めた。
俺たちは頭が良くないから、必要なものを的確に見つけることは出来ない。
だが、俺たちは聞くことは出来る。
ラッセルが町の人に聞いた紙を出しに行ったように、俺たちだって同じことは出来るんだ。
俺たちは笑われる覚悟をして聞きまわり始めた。
最初は年甲斐もなく緊張した。こんな話をするだけのことで、身体全身が緊張するとは思っていなかった。
理想主義でもない、貴族でもないただの金のない平民が生活に必要なものは何かを聞き回っているんだ。
聞いたところでそれを渡すことも出来ないが、それでも聞くしかなった。
はじめは町の人は変な顔をしていた。でも揶揄する人はほとんどいなかった。
町の人に話しかけてはラッセルの話をして、この町に必要なものを聞いて回るんだ。俺はそんな話を聞いて怒られると思ったし、避けられると思っていた。
地道な作業だった。俺たちみたいな何の取り柄もない、学もない人間が町に必要なものを聞き回っているなんて、笑っちゃうよな。
俺は後ろに引きたい気持ちで溢れそうになったが、オットーとメリンダがついていてくれた。
俺はこんなにも援軍の頼もしさを感じたことはなかった。後ろを振り返れば2人がいる。ラッセルはどうだっただろうか⋯⋯。
そんなことを1カ月もやっていると町の人も俺たちがやっていることに興味を示し始めたのだ。
「君たちはすごいな。必要なことがあったら私も協力したい」
そう言ってくれたのはオットーの奥さんを診てくれた医者だった。俺たちは医者と別れると、さっと1人だけ足早に離れた。俺はそこで立ち止まると、目頭を強く押さえた。
俺たちがリストを集めるにしたがって、それと同時にラッセルに謝りたい気持ちも膨らんでいった。
こんな作業をラッセルは1人でやっていたんだ。
どうして仲間だったのに、協力してやらなかったんだろう。
話を聞いてやらなかったんだろう。
ラッセルが行ったことがどれだけすごいことなのか、日に日に感じ始めていた。
ラッセルに会ったら、詫びたいし俺たちがやった話も聞いてほしい。
それでも作業はまだまだある。俺たちは手分けして聞き回る。
話を聞いていくと色んな意見があった。
必要なものは目の前で必要な食べ物や衣服などから皆が使える施設まで、俺たちが思いつかないことを聞くことも多かった。
ラッセル、お前と早く話したいよ。町の人が欲しいものがどんどん分かってくるんだ。
町の人が俺たちにエールをくれる度に俺は目頭を押さえないといけなかった。俺は自分が涙もろい人間だって今まで気が付かなかったよ。
それを進めていくうちに、ラッセルのことを聞かれることが増えた。
ラッセル、お前の気持ちは少しずつだが皆に届き始めているぞ。もう少し時間をくれ。必ず迎えに行くからな。
俺はこの欲しいものを聞き回る事が終わったら、領主の屋敷にラッセルを奪還しに行くことを伝えた。
「そうか、日取りが決まったら教えてくれよ。俺も参加するからさ」
そんな言葉に俺はまた目頭を強く押さえなければならなかった。
ラッセル、見てくれ。俺たちと同じところを目指してくれる人たちがこんなに増えたぞ。
「私さ、ラッセルがこんな大変なことを1人でやってるって全然知らなかったよ。1番近くにいたのにさ。今はラッセルには話したいことばっかりだよ」
メリンダは少し寂しそうな顔をした。
「俺もラッセルの話をもっと聞いてやれば良かったって思っている。ラッセルは許してくれるだろうか?」
オットーも罪悪感の残る顔をした。
「俺は許してもらえなくてもとにかく謝りたい。それでもってまた仲間として一緒にいたいって伝えたい」
俺は素直な言葉を2人に伝えた。
町での俺たちへの接し方が変わっていく。協力してくれる人は俺たちがリストを作れば作るほど増えていった。町を歩けば、リストはどれくらい進んでいるのかと聞いてくれる。
親しく挨拶をしてくれて、手を振ってくれる人も増えた。
これも皆、ラッセル、お前から始まったんだ。俺たちを見てくれ。そして一緒に進もう。俺たちはもうラッセルのいない3人じゃない。
何千人もの協力者のいる大きな希望だ。
俺たちは領主の屋敷に着くと、何千人もの人と共に屋敷を取り囲んだ。
■
「ロット様、何千人もの平民たちが屋敷を取り囲んでおります」
執事は窓際から外を眺めている人物に声をかけた。ロットは嬉しそうに笑みを溢した。
「これは想像以上だな」
俺たちは屋敷の前で待っていると、あの男が扉から出て来た。
「そこの3人、中で話し合おう」
俺とオットーとメリンダのことを指しているのだろう。俺たちは頷くと中へと入っていった。
何度か訪れた領主の部屋だ。
俺たちを見るとソファに座るように促した。
「自己紹介が遅れた。俺はロット・ランフィスだ」
その言葉を皮切りにようやく俺たちも自己紹介をした。
「さて、あの何千人もの人たちはラッセルを返せと言ってきたのだな?」
俺は背中にかけた袋から紙の束をその男に手渡した。
「そうだ。それからこれはほんの一部だが、欲しいもの―お前の言う”要求するもの”だ。残りはそれぞれの家に置いてある。町の人のほとんど全員に聞き回って作った」
その男は俺から紙を受けとると、丁寧に紙をめくっていく。その眼差しはどこかに懐かしいものをみているようにも見える。
それを読み終わると大切な物を扱うようにそっと置いた。
「前に話した、とある男の話を覚えているかい?」
「ガラスの破片を持って領主を押し倒した男の話だろ?」
その男は領主に馬乗りになって、ガラスの破片で喉を突こうとしていた。
そこへある人物がやって来た。
「その御方は方法は違えど、男にチャンスを与えたんだ。男は必死になってチャンスをものにしようとしたさ。男のいた町はオーヴル」
オーヴルはこの国の主要な町の1つだ。この辺境の町でさえ知らない人はいない。
この何十年の間に急成長していたなんて驚きだな。
もしかしてあいつはオーヴルの領主なのか?
「その御方は領主になった。その傍らで男は必死に役に立とうとした。御方の指導はとても厳しかったよ」
オーヴルの町が復興し始めると、町に活気が出てきた。男はその努力が実ったように感じた。それからもその人物は男に試練を与え続けた。
この男は貴族になったのか。平民でも貴族に成り上がることが出来るんだな。
俺は純粋に感心していた。そして話を聞く度に目の前の男の方が気になっていく。
だが、俺はロットの話が進むたびに今更焦り、心臓が変な音を立て始めていた。
オーヴルの領主の右腕なら相当のものだろう。俺たちは裏で消させるのかもしれない⋯⋯。
「ようやく男の努力はその御方に認められる日が来た。するとその御方は男の養父になると申し出た」
目の前の男は昔話を思い出すかのように目を細めて遠くを見ていたが、やがて俺と視線を交差させた。
「その養父はレガル・ランフィス宰相」
「宰相⋯⋯殿のご令息⋯⋯」
俺は顔を下げた。
予想をはるかに超えている⋯⋯なんてことをしてしまったのだろう⋯⋯あろうことかこの国の王様と共に国を動かす御方のご令息だったなんて⋯⋯
こんな若造が偉そうにと思っていた俺に誰かあの人の正体をもっと早く教えてやってくれよ。
俺は顔を上げて観念したような顔をした、
「あぁ、安心してくれ。不敬は問わぬ。俺も平民上がりだ」
その時、柔らかく笑ったその顔に初めてロットの顔を見た気がした。
ロットは違う町へ仕事で来ていたが、そこで話をした旅人からラッセルの話を聞いた。その話から領主が甘い蜜を吸っているのではないかと思い、ここにやって来たようだ。
ロットが領主に会うと、目の色を変えて猫なで声で擦り寄ってきた。ロットは養父である宰相からある程度の采配を一任されていたので、即刻領主を捕まえた。そして牢屋へ連れて行くと、先客がいた。
「ラッセルは牢屋に捕まっていたんだ。すぐに外へ出すと領主を牢屋に入れた。今は王都の方へ身柄を移している」
その矢先に俺たちが強盗でこの屋敷へやって来たというわけだ。
「レガル様のモットーは“何を言っても、行動をしなければ何もしていないのと同じだ”。俺はゴットンたちが強盗として来たことを喜んでいたんだ」
しかもその後、俺たちが欲しいものを書き殴った紙と共に来た時は思わず笑みが溢れそうだったと付け加えた。
そこへ部屋の扉が音を立てて開いた。俺を含めた皆は一斉に扉の方へ顔を向けた。
「そろそろ私も交ぜて頂いてもいいでしょうか?」
「「「ラッセル!」」」
俺たちの声は重なった。前より少したくましくなったように見えるラッセルは顔色も良く元気そうだった。
メリンダは目を潤ませながらラッセルの胸に飛び込んだ。
優しそうな顔を俺とオットーに向けてきた。
少しの間、再開を喜んだ。俺は待てずにラッセルにこう聞いた。
「今までどうしていたんだ?」
「ロット様のそばで勉強をさせていただいていた」
ラッセルは誰かと鉢合わせないように隣町に滞在すると、時が来るまで俺たちに会ってはいけないと言われたようだ。そしてラッセルはずっと待っていたのだ。
「実は痺れを切らして、ロット様に何度もお前たちに会いたいと伝えた。だが“お前と肩を並べようと必死になっている。もう少しだけ待ってくれ”と言われたんだ」
俺は悔しい気持ちになった。何から何までこの宰相の息子の手の平の上だったからだ。
そこにロットは俺たちの顔を見比べた。
「俺はラッセルに領主になってもらいたいんだが、領民はどう思っているのだろうか?」
その後屋敷を取り囲んでいた平民たちにも同じ質問がされ、参加していない者にも同じ質問がされた。
ラッセルは晴れて領主になった。
ロットは一度王都へ帰ると言うので、領地の端まで見送りに行った。
「ゴットン、君は俺が思っていた以上に素晴らしい人だった。末永くラッセルの隣にいてほしい」
この人は俺のことを買い被っているなぁ。
「えぇ、ずっとラッセルの隣にいるつもりです」
「ラッセルはすごく澄んだ瞳をしているなと思ったんだ。真っすぐ進んでいくことを信念としている。
実は⋯⋯俺はゴットン、君に会った時から俺に似ているなと感じていたんだ。これからここを良くしていってくれ」
「ありがとうございます⋯⋯俺がロット様に似ているなんて買い被りすぎですよ」
「買い被りにならないように期待に応えてくれ」
俺たちはロットが帰る日まで厳しい指導を受けていた。分厚い本を何冊も机に載せるとこれを読んで来いとか、これの真意はなんだとか色んなことを聞かれた。
俺たちは少しでもラッセルの役に立とうと頭に詰め込んでいた。
ラッセルは領主として矢面に立ってしまう。俺は少しでもその隣で矢を薙ぎ払おうと思ったのだ。
ラッセルは再開した日に嬉し涙を流していた。
俺はラッセルに謝りたかったし、話したいこともたくさんあった。でも⋯⋯目頭を押さえるだけで精一杯だった。
これから少しずつでもラッセルに伝えられるだろうか⋯⋯。
40歳にもなってこんなに目頭を押さえるおっさんになるとは思っていなかった。
それから遠く離れたはずのロットから次々と宿題が出させる。
ふざけるなよ、お前なんかなぁ⋯⋯いや、貴方様なんか⋯⋯くそう、何も言えない俺が悔しい⋯⋯
それでも度々この地へやって来るロットは俺にだけしたり顔で宿題の進捗を聞いてくる。
たぶん、宰相殿にやられたことを俺にやっているのだろう⋯⋯本当にこの御方は俺を買い被りすぎている。
「ゴットン、最近は“俺を買い被り過ぎている”と言わなくなったのだな」
「言うとロット様に仕返しの宿題が増えるのでやめました」
それを聞いたロットは笑っている。
はっきり言って俺は領民と他の町との調整と言う嫌な役回りをやっていた。だが、ハズレくじだとは思わない。
ラッセルには素晴らしい領主様を真っすぐ進んでもらいたいんだ。それにメリンダとオットーにも笑って過ごしてほしい。
こんな斜に構えた俺にはぴったりなのかもしれない。そのうちロット様のように振る舞えるかもしれないし⋯⋯。
そう考えていると、ロットがこちらを見ていた。
「⋯⋯俺の顔に何か付いていますか?」
「いや、宿題の文句は言っても仕事の文句は言わないんだなと思って」
「こんな仕事俺にしか出来ないですよ。強盗をやろうって言った俺の責任は俺で取ります」
ロットはそれを聞いて楽しそうに笑っている。
変な話だが、あの時に強盗で屋敷に入ったこと時のことを俺は感謝していた。ロット様に会えたことのお礼を言いたい⋯⋯が悔しいので本人にはまだ言わないでおく。
それから少しすると、おめでたい話が飛び込んできた。
なんと、ラッセルとメリンダに子どもが出来たのだ。
俺は両手を上げて喜んだ。まるで自分のことのように嬉しかったんだ。嬉しいはずなのに目から涙が出てくる。
年を取ると涙脆くなるのだろうか。目頭を押さえても涙が押さえきれない。
ラッセルたちの嫡男のクロトが生まれた日も俺は2人の家へとすっ飛んでいった。俺は2人の赤子を抱かせてもらった。腕に軽々と収まる小さな身体で必死に泣いていた。
俺も泣いた。本当は笑顔でいたかったんだ。なのに涙腺は壊れたように後から涙が溢れてくるんだ。
恨めしそうな気持ちで2人を見ると、俺の顔を見てラッセルもメリンダも嬉しそうに涙をためながら笑顔で見てきたから、まあいいかと思い直した。
ロットは遅れてラッセルの息子の誕生をお祝いしに来た。
まったく、宰相殿からのお祝いの手紙を持ってくるなんてロット様は何を考えているんだろうか。
クロトが物心つく頃には、この領地の良い評判も頻繁に聞くようになった。
ここは乾燥した土地だ。ここには乾燥した水はけの良い土があるのだ。ここの産業はこの水はけの良い土。じめじめと高温多湿の地域には人気のある土だ。
それから教育にも力を入れていた。
ここでは希望するすべての人が入れることを目指した学校を作ったのが、注目されているのだ。
そこにはロットが直接教えてくれる授業があるからだ。宰相補佐になろうという方がよく引き受けてくれているなと、心から感心している。
それに加えて乾燥に強い植物の研究には多くの人が違う場所からも来るほどだった。
この町にも活気が増えてきている。
町中でも笑顔と笑い声も随分増えてきた。
ラッセルの子どものクロトはなぜか生まれた時から俺にすごく懐いてくれている。
俺も勝手に息子のように接している。
最近、ロット様は俺を色んな町へと連れて行く。他の町を見れることは大変参考になるが、ロット様の意図は別のところにあるのだろう。
俺は男爵の身分をもらったが、ロット様は満足せずにまだ何かを考えているようだ。俺は違和感を感じないように努めている。
それでも俺の外堀を着々と埋めていくのを肌で感じていた。やはり俺はロット様の手の上で転がされているようだ。
俺がロット様にぎゃふん⋯⋯とは言えない。何か言えるようになる日はまだまだのようだ。
目の前にいる天使のようなきらきらとした笑顔を俺に向けてくるクロト。
「ゴットン様、私はお父様のような立派な領主様になりたいのです」
ラッセルの子どもらしくまっすぐに育っているようだ。
そろそろ話してもいだろか。
この話をしたらクロトは目を丸くするだろう。
そう思うと、笑いがこみ上げてくる。
「なぁ、俺が1つ話をしてやろう」
「嬉しいです。どんな話ですか?」
俺は胸にこみ上げてくるなにか熱いものを腹の底へ押し込んで、一度咳払いをした。
「領主の屋敷へ強盗に入った平民の話なんだが――」と俺は話し始めた。
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