9.青い鳥
ケイトは俺の食事を待っていたのだが、ふと窓際に置かれたチーフに目が行ったようだ。
「・・・閣下?チーフが汚れたのでしたら、新しいものをご用意しましょうか?」
と、鳥には気づいていない様子。
ちょうど食べ終えるところだったので、
「いや。大丈夫だ。替えのチーフは持っている。だが。。ちょっと中身を見てはくれないか?」
そう言ってケイトを手招きして執務机の後ろへと呼び寄せる。
部下が上司の上座に入ることは貴族社会ではあり得ないらしく、ケイトが困り顔をしていたが、俺にはそんなことは関係ないので、「まぁ。いいから。」と半ば強引に彼女の手を引っ張った。
するとようやくその視界に小鳥の姿が入ったようで、目を丸くしながら、
「これ。。どうされたのです?」
「今朝がた、窓ガラスに飛び込んできたのだ。」
と指をさせば、血の跡に汚れたガラス。そしてチーフをめくりその傷を見せる。
「まぁ。。カラスにでもやられたんですかね?」
「カラスか。。あり得るかもしれんな。。。ところで応急手当はしたのだが。。この鳥の飼い方が良く分らん。君は鳥を飼育したことがあるだろうか?」
「いえいえいえ。滅相もございません。。珍しい鳥を飼われるのはごく一部の上流貴族様。。私のような下級貴族は犬猫程度しか。。。そこらに飛んでいる鳥では、一般家庭でも飼わないかと。。」
ツンツンと恐々ケイトは小鳥をつついている。すっかり上司の上座にいるという恐縮さを忘れたようで何よりだ。こうして普通に接してほしい。
「・・・そうか。。隊員の中にも、そういった者は。。」
「居そうにありませんねぇ。。それに遠征が多い隊ですから、留守がちになりますので、そもそもペットを飼わないかと。。」
「もっともだな。。だが、せっかく手当をしたのに捨て置くのもどうかとな。。」
「そうですね。。可愛いですもんねぇ。」
「そうなんだ。。」
「それなら奥様はいかがです?ご病気がちでお屋敷からあまり出られないとのこと。。可愛い小鳥でもいれば、少しは癒されるのでは?」
「・・・マーガレットか。。確かにな。。流石は女性同士だ。。素晴らしい提案だ。。感謝する。」
「どういたしまして。」
俺はポンとケイトの肩を叩いてそのアイデアを称賛する。と彼女も嬉しそうにお礼を言ったのだが。。
小鳥から俺の手に目線が移った途端に、目を見開き後ろに飛びのいた。
「・・・っっ!!!私としたことがっ!!!つい小鳥に夢中になって。。。閣下の御前であるのに。。。大変な失礼を。。。」
それ以上曲がらないだろうというほど身体をくの字に曲げて謝罪する。
「・・・ん?気にすることなどない。もちろん謝罪することでもないぞ。。。私としては、”閣下”などと呼ばれるより、先ほどのような親しみを持って接してくれるほうがありがたい。君は屈託なく笑うほうが似合っていると思う。戦場以外ではもう少し肩の力を抜け。。」
「・・ぜっ。。善処。しま。。。すっ。。」
全然善処できなさそうなカチコチの挨拶をして、ケイトは俺の食べ終わったランチの膳をひったくるように持つと風のように去っていった。。
やはりこの鬼畜野郎め。。。優しい言葉をかけるほうが恐怖を抱かせるとは。。
せっかく”小鳥”という癒しの対象を使っても、距離を詰められないとは。。
敗北感の追い打ちを食らった気分だ。。
そんなことがありつつ、午後もそれなりにこなし、初日は何とかやり終えた。。
やっと終わった。。。。。研修医初日よりも疲れた気がする。。。
帰りの馬車に乗り込めば。。。朝はあんなに”馬車でなくとも”などと思っていたが、職場の様々な出来事に、心身とも疲労困憊。”馬車でよかった”とぐったりと背もたれに身体を埋めながら素直に思えた。。
うん。明日からも馬車だな。。公爵を罵ってみたり、その地位で良かったと有難がったり。。こちらの感情も忙しないが、悪いことじゃなければ受け入れていこうと思うのは都合が良すぎるだろうか。。。
程なくして屋敷に到着すれば、
「「おかえりなさいませ旦那様!!」」
全員勢ぞろいで迎えられた。。。そんなに病み上がりの初出勤が心配だったのか?
まぁ。心配だよな。公爵が死ねば、後継者のいない公爵家は廃される。となればいきなり無職の憂き目だもんな。。
迎えの最前列には愛しのマーガレット。。今日も美しいな。。
だがむやみに近づいてはならない。鬼畜の優しい言葉はかえって恐怖を産むらしい。昼間のケイトの怯えっぷりが蘇り、教訓とする。
適度な距離感・・・適度な距離感。。。
心に言い含めるように繰り返すが。。。って。適度な距離感ってなんだよっ!!どれくらいなのか見当もつかないじゃないかっ!!。。。。一応自分に自分でツッコミ入れていると、無言の俺にしびれを切らしたのか、
「旦那様。お疲れ様でございました。ご夕食の準備が整っております。」
とセバスチャン。
「ふむ。。その前にマーガレット。。ちょっと時間をもらえるだろうか。」
俺の一言で、フロアが凍り付く。。いや。帰宅して早々、鬼畜っぷりを発揮しないし。中身俺だから。分別わきまえた大人だからっ。
皆の視線を感じつつ、マーガレットを見れば、ドレスをぎゅっと握りしめている。やはり怖いのだろう。。。一つため息をついてから、
「そう怯えずともよい。少し話がしたいだけだ。。夕食の前にサロンに行こう。」
そう言って手を。。。差し出しかけたが、取ってもらえるわけではないだろうから、宙に不自然に浮いた手をキュッと握り、一人で歩き出す。その後にはセバスにマーガレットにその侍女が続く。
「さてと。。それで話なんだが。。。鳥は好きか?」
サロンについて一声を発したのだが。。。。
「「・・・・?????」」
その場の全員がきょとんと眼を丸くした。。
「・・・えっと。。どのような。。。」
瞬時に現実に戻り職務をこなしたのはセバスチャンだった。
確かに俺も言葉足らずではあった。
「実はな。。。」
と持ってきた小さな箱の蓋をそっと開けると。。
ぴぃぃ???
大きくクリクリとした目を開けて小首を傾げた青い小鳥が出てきた。
蓋を開けて最初に目が合ったのはマーガレット。。。
彼女も青い小鳥に負けず劣らず小首を傾げて。。。
やっぱり可愛い。。。かわいすぎる。。。うちの嫁。。
などと心の中でしか称賛できないのがもどかしい。
「今朝、職場に迷い込んできてな。。ケガをしていたし、片足は足首から欠損している。治ったとしても野生に返すのは難しいだろう。。つい手当てをしてしまった手前、今さら見殺しにはできぬからな。。どうしたものかと考えあぐねていたら、部下が外にあまり出られない君なら、もしかすると喜ぶのではないかと進言してくれたので、持ち帰ったのだ。」
上手く説明しきれていないが、まぁいいだろう。。説明しながら小鳥を撫でるとカジカジと俺の指を甘噛みしては頭を擦りつけていた。野生のはずだが慣れている。
うん。こいつはかわいいな。。だが、マーガレットには敵わんがな。
「まぁ、興味が無ければ捨て置くか、部下にでも押し付けてくるが。。」
とそこまで言うと、彼女は急いで俺の袖を掴み、涙を浮かべてフルフルと首を横に振る。
「すまぬ。。捨て置くとは言い過ぎた。」
そう言った俺の言葉にもう一度、彼女は首を横に振る。。。が、その瞳は今度は悲しみの目ではなく懇願のようにも見える。
「・・・飼ってみるか?」
その一言に、少しだけ綻んだ笑みを見せて頷いてくれた。。。
反則級の破壊力だ。。。微笑でこれか。。。もしも心を開いてくれたら。。。心から微笑んでくれたら。。。俺。。死ぬかも。。。
と本気で思うほど、息をするのさえ忘れるほどに美しい笑みだった。。
「・・・ならば餌が必要だろう?図鑑で探したのだが、ここまで美しい青色のインコが見つからぬでな。種類が分からぬが、一般的なインコは穀物が主食のようだ。おやつには果物を与えても良いだろう。それから。初めのうちは体力も落ちているだろうからすぐに食べ始めるかも分らぬが、水分だけは必要だからな。これを飲ませてでだな。。それから。」
ポケットから小さな袋を出して、中身を並べていく。一握りの粟や稗、小さな果実に数粒のナッツ。そして瓶の水。その光景にも皆が目を丸くする。
「・・・旦那様。。こちらは?」
やはりすぐに対応するのはセバスのようだ。
「見て分らぬか?インコの餌だ。鳥は飛翔するために食い溜めはせずに身体を一定の重量で保とうとする。ちょこちょこと食べるのであれば、餌を用意しておかねばすぐに死ぬだろう?」
不思議なことを聞くもんだ。当たり前のことを言ったつもりなのだが。。。
「餌の件は承知しておりますが。。こちらをどうなされたのかと。。」
「無論、買わねば手に入らぬだろう?」
「ですから。。。どのように。。。」
「変なことを聞くやつだな。。帰り道に街で買ってきたに決まっているだろう?」
言っている途中で気づいた。。。もしかして、”公爵”が買い物をするのはいけない。。とか?
「・・・庶民街に立ち寄ったが、馬車も離れた場所に停めさせた。冒険者が着るような足首まである粗末なローブを用意させて被っておったから、私が”公爵”であることは誰も気づいておらぬ。問題はないはずだ。。」
腕を組み、自信満々に言い放ってやった。流石の俺でも、公爵家の馬車で乗り付け、統合司令官の軍服で庶民街を歩く勇気はない。TPOは弁えているのだ。
「・・・坊ちゃまが。。。庶民街に。。ご自身で買い物など。。。」
セバスが遠くを見つめ、何故だが現実逃避をし始めたので、放っておく。
「良いか。マーガレット。私も小鳥の飼い方が詳しいわけではないがな。。」
そう言って説明を始めると、御者に頼んでおいた竹で作られた虫かごが届けられた。
彼女も興味があるようで俺の話に耳を傾けてくれる。
「インコは嘴が伸びすぎるのを防ぐために何かを齧る習性がある。だから本来はこのような木の籠は相応しくないのだが、そもそも鳥を飼う者がほとんどいない状況で、鳥籠は売ってはいなかったから、応急の措置だ。怪我もしているし片足もないから、止まり木もしばらくは使えぬだろうから、これで事足りるはずだ。無事に怪我が治って生き延びたならば、専用の籠を作らせよう。」
鳥籠に丁寧に小鳥を移し、説明を続ける。
「確かインコの類は粗食だった気がする。甘いものやナッツは喜ぶだろうが、おやつは与えすぎてはならんぞ?それから人間の食べ物もだ。首の下にある袋に一度食べたものを貯めるから、調理したものを与えるとここが腐って病気になるからな?」
マーガレットは俺の説明を一言一句聞き逃さまいと前のめりに聞き、侍女は後ろでメモを取る。
「この種類は分らぬが。。インコは群れで暮らす生き物だ。一羽では寂しいからか良く懐くし、口笛だとか、言葉を真似る種類もいるからな。。こいつもマーガレットに懐けばよいのだが。。。」
独り言のように呟くと、彼女が寂しそうに視線を落とした。。そうだな。。話すことができないのに、軽率なことを言ってしまった。雰囲気を変えねば。。
「それから、重要なのは名前だろう。”鳥”と呼ぶのは味気ない。。良い名は思いつかぬか?」
そう問いかけると、困ったように首を振る。まぁ俺も何にも考えていなかったが。。
「見た目から。。。青子。。蒼太。。いやオスかメスかも分らんか。。マメルリハに似ているから。。マメ。。は安直か。。」
ブツブツと考えていると、ようやく現実世界に戻ってきたセバスチャンが残念そうに、
「坊ちゃまがこれほどまでにネーミングセンスがないとは。。。嘆かわしい。。」
と小さくつぶやいた。。が、
「ちょっと待てセバス。まだ序盤だ。候補とも言ってないだろう?まだ。まだ出てくるぞ?」
「いいえ。序盤とてこれでは。。お世継ぎ様がお生まれの際には、先代様に名付けていただかねばなりませぬね。。」
はぁぁぁっぁと頭が痛そうにセバスは溜息をついた。
いや。俺だって、自分の子の名づけとなれば、本領発揮しますよ?流石に見た目とかで安直に決めないでしょうよ。。恨みがましい視線を送っていると、また袖口がちょんちょんと引っ張られる。
すっと差し出された紙にはマーガレットの文字で、
≪見た目からお名前をつけるのでしたら、”ブルー”はいかがでございましょう?≫
ブルーか。。分かりやすいし、呼びやすい。即採用だ。
「良い名だ。。。ではそなたは今日から”ブルー”という名であるぞ?かわいらしい名を付けてくれた我が妻マーガレットに感謝するのだぞ?」
「ピィィィ!!」
鳥籠を覗き込んで、”ブルー”に言い聞かせれば、タイミングよく小鳥が鳴き、まるで返事をしたようにも聞こえる。。だがしかし。彼女に可愛がられるなどうらやましいにもほどがあるな。
そしてこの鳥。。。鳥かご越しに指を出せば俺の指には身体を摺り寄せてくる。侍女の指には見向きもしていない。。やけに懐かれたが、俺が拾って手当てしたからだろうか。。
少し不思議に思ったが、動物好きの俺には嬉しい限りだ。すべすべふわふわの羽毛はなんとも肌触りが良い。
その光景にも皆が目を丸くしていたようだが、その視線には少し慣れてきた。恐怖心を持たれるよりは遥かにいいだろう。
だが、一言だけ。。。少しだけ言葉を紡いでもいいだろうか。。
「マーガレットよ。ある遠い国のおとぎ話でな。。”青い鳥”という物語がある。幼い兄妹が”幸せの青い鳥”と呼ばれる鳥を苦労しながら探す旅の話だ。。兄妹は最後にはその鳥を見つけることができた。。このブルーがそなたに幸せを運ぶ青い鳥となってくれることを私は祈ろう。」
そんなことをこの公爵として言える立場ではないことは重々承知している。俺がマーガレットであれは、”どの口が言っているんだ”と叱責するだろう。それでもそれは本心で。。不遇であった彼女に幸せが訪れてほしいと心の底から切望して。。。我慢できずに吐露してしまった。。
言ってしまってから、言うべきではなかったと後悔が押し寄せ、口を手で覆ってしまう。
何様だといわれるのが怖くて、どの口が言っているんだと責められたくなくて。。
彼女の顔を見ることもできずに、「では。」とだけ言って、足早にサロンを後にした。。
置き去りにするのも良くないとわかっていても。。。
そして夕食のテーブルには一人。。
彼女は”ブルーをお預かりしたので、心を込めてお世話いたします”という理由の元、食事の場には姿を現さなかった。気まずかったので、それはそれでよかったのかもしれない。
俺はこれからをどうしたらいいのか。。。彼女の心の傷を少しでも癒せるのだろうか。。
出ることのない答えを探しながら、一日を終えた。