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35.幼少の記憶


 乗り物酔いをしてしまったマーガレットに薬を飲ませ、馬車の床を即席のベッドとして寝かせながら、馬車を走らせること二時間。すっかり眠っていたので、二回目の休憩はあえて取らずに進む。

 マーガレットが目を覚ましたら休憩にすると伝えてある。


 彼女が眠っている間に進めていた仕事にキリが付き、書類をケースへと戻して、彼女の寝顔を見ると、髪が頬にかかり、少し苦しそうに息をし始めていた。深い眠りから浅い眠りへと移行したのだろう。という事は目覚めが近いかもしれない。


「マーガレットが目を覚ましそうだ。ゆっくりと馬車を止めよ。」

 指示を出すとスピードが緩やかに落ちていく。


 馬車が完全に止まり少しすると、彼女の瞼が微かに震えた。

 目覚めそうだ。声をかけても問題ないだろう。


「マーガレット。起きたか?」

「・・・・ん。」

 ゆっくりと瞼を開け、俺の顔を見ると小さく頷き、身体を起こそうとしていたので、俺も手を添えた時だった。


「・・・うっぅぅ。」

 べしゃりと生暖かい物が俺の膝にかかる。

「・・・・っ!!!マーガレットっ。大丈夫かっ!!!」

「・・・・っ!!!」

 思わず大きな声をかけてしまったが、大丈夫なわけないだろう。。大丈夫じゃないから吐いてしまったわけで。。。


 日本で医者をしていた俺にとっては、嘔吐など何でもない事なのだが、マーガレットは一瞬何が起きたのかも分からなかったようだ。ぽかんと目の前の事象を見つめ、そして、俺の膝の上の吐瀉物からゆっくりと視線を上げて、ようやく事の次第を理解したようだ。


「・・・ぅ。。。。。ぁ。。。。。」

 顔を真っ赤にして、涙が一気に溢れ、唇や体まで震え始めた。


 そんな彼女に吐瀉物が付かないように近づきその背中をさする。

「マーガレット。まだ気持ち悪かったら、全て吐いてしまえ。その方がラクになる。」

 そう言っているのだが、彼女は近くに置いていたバッグからハンカチを取り出して、俺の膝に手を伸ばすものだから、その手を掴む。気が動転して何とかせねばという気持ちだけが先走っているのだろう。

 気持ちは嬉しいが、そんなハンカチ一枚で何とかなるものでもない。それよりも胃の中の物を出し切ってしまう方が重要だ。


 俺の手を振り解こうとしているようで、か弱い力で抗いながら、首を横に振り泣き続けている。

 

「マーガレット。軍の訓練でももちろん戦場でも、こういったことは良くある。当然私とて、乗り物酔いになったことがある。まだ顔が青い。吐き気があるのだろう?・・・・そう頑なになるな。強行するぞ。」

 いつまでも首を横に振る彼女の様子から、背中のとあるポイントをトンと強めに叩けば、案の定、胃の中の残渣が吐き出された。

 一度目とて、体勢を変えた瞬間であったことから彼女にとっては無自覚だったのだろう。しかも二回目は俺から強制的であったためにこちらも我慢などもできず。。と言ったところ。

 泣き崩れてしまった。


 そんな彼女に「悪かった。」と一応声をかけつつ、「周囲を侍女だけにして扉を開けよ。」と御者に指示を出す。


 すぐに扉越しに「宜しいですか?」と侍女メルディの声がしたので、

「マーガレットの着替えが欲しい。・・・ゆったりとした。。。そうだ、ポリーナは私服でワンピースなど持ってきていないだろうか。」

「確認してみます。」

 と言ってすぐに違う侍女と代わり、自分は年かさの侍女ポリーナの元へ行った。彼女の服ならば、マーガレットよりも一回り・・・いやもう少し体格がふくよかだから、今のマーガレットにはゆったりと着れるだろう。


 本当ならば、俺が馬車から降ろしてやりたいのだが、如何せん服が汚れてしまっており、マーガレットの降車は侍女たちに任せれると、着替え用に従者用馬車に乗り込んでいった。


 俺たちの馬車の車内も清掃が必要なため、一旦下車し、木陰で手早く着替えを済ますことにする。

 5日もある旅であるから、俺もシャツにスラックスというラフな格好であったのが幸いだ。着替えるとなっても簡単で良い。


 そうしてシャツを脱いだところで。。。

 何やら森の中が騒がしい。うちの従者が誰かを止めているようだ。。しかも声が女性のように感じる。


「何があった?」

「それが、近くの家に帰るという者が来まして。」

 護衛騎士の報告によれば女性一人とのこと。しかも、この道に出なくては家に帰れないと言うのならば、俺たちが邪魔をしている側だ。「通せ。」と指示を出す。


 シャツを諦め先にスラックスを履き替えたところで

「あらあらあらぁー。そういう事。ごめんなさいね。着替えているならそう言ってくれればいいのにぃ。」

 と30代後半くらいの女性が出てきた。俺は上半身裸で、着替えのシャツを手にしていた姿をマジマジと見られている。


「ねぇ。あなたたち、時間があるなら、うちに寄れば?ここから歩いて5分もかからないし、井戸があるわよ。この先、川は無いし、汚れ物、すぐに洗った方がいいでしょ?」

 女性は俺や馬車を清掃している侍女たちの様子から、察したようだ。


「お気遣いには及びませぬよ。」

 セバスが丁寧に頭を下げる。もちろん公爵家として、ここまで汚れた物であれば基本的に捨ててしまうからだ。勿体ないことではあるが、そういうものらしい。

「汚れは早く落とすに限るわ。それに今日はお天気がいいもの。あなたたちもこの先の宿場を目指しているんでしょう?馬車の外に干していけば、宿場に着く頃には乾いてるわよ。」

 彼女の提案に、うちの者たちは、同断りを入れようかと悩み顔だが。。。


「ふむ。確かにな。。その提案、乗らせていただこうか。」

「えぇ。おもてなしはできないけれど、好きに使っていってね。」

 女性は提案を受け入れられて嬉しいのか、にっこりと笑って先導し始めた。


 まだ馬車は清掃が終わっておらず使えないため、嫌がるマーガレットを抱えて行くことにする。


「あー。吐いちゃったのは奥さんだったのね。まだ泣くほど辛いの?大丈夫?うちに着けば少し休めるから。がんばって。」

 彼女は優しくマーガレットに声をかけてくれた。


 数分の道すがらではあるが、話をしながら歩いていく。

 彼女の名はエリカといい15年ほど前からここに住んでいるらしい。

 エリカの家からさらに5分ほど行くと村とも言えないほど小さな集落があるのだが、彼女は畑の関係で少し家が離れているという事だ。


「家の前が少し拓けてるから馬も少しは草を食めると思うわ。」

 そんな気遣いもしてくれる彼女を見ながら、記憶の奥で、どこかで見たことがある様な気がしてならなかった。だが、記憶を引っ張り出そうにも、俺の記憶ではないのだ。そううまい具合に公爵の記憶が出てくるわけもなく。。。ま、危険はなさそうだし、そもそも助けてくれているのだから。と。。。その時は安易に考えていた。



「・・・さ。小さいけれど、奥さんを休ませるくらいはできるわ。どうぞ。」

 扉を開けてくれた彼女には悪いが。。。本当に小さな平家で、小さなキッチンとダイニングテーブル。少し離れたところにベッドが一つ。20帖も無いほどの総面積の家なので、俺とマーガレットだけが入り、従者は外でそれぞれがそれぞれの仕事を済ませてもらうことにした。


「薬なんて飲ませて大丈夫?」

 俺がマーガレットに追加の薬を飲ませていると、かなり心配した様子でエリカに覗き込まれた。

「あぁ。高名な薬師に調合してもらったんだ。私の知る限り世界一の知識と腕だな。」

「へぇ。すごいわね。お高そう。」

 エリカは驚いていたが、先ほどしておいた自己紹介で「商会を営んでおり、モルディートの街へ商談に行く途中である」と伝えていた。

 そのため、高名な薬師の薬。という説明にも納得していたようだ。


(ヒスイ。頼めるか?)

(うむ。精霊に話はついておる。)

 思念で精霊王であるアラクネノームのヒスイに声をかける。精霊の中には眠気を誘う術が使える者がいるらしく、辛そうなマーガレットを見て、この辺りに住む妖精たちに声をかけてもらったのだ。

 ふわりとした薄い緑色の光の塊がマーガレットの周りを一周すると、コテンと彼女が眠りに落ちた。


「薬を飲むと少し眠くなるのだ。少しの間、休ませてもらえるか?」

「もちろん。ゆっくりしていって。」

 そう言って、頬杖をついていた顔を傾げた彼女の仕草を見た瞬間に、記憶が流れ込んだ。。。


”ゆっくりおくつろぎくださいな。かわいいお客様”

 くるりとしたピンク色の瞳は零れんばかりに大きいのに、首を傾げて笑うと小さく細められるのが、子供心に印象に残った。

 あれは。。。。


 公爵の幼少の記憶が思い出された。小さな隣国へ外交で訪問した父と共に謁見した姫を思い起こされたのだ。。

 第3王女が、幼い公爵を相手にお茶をしてくれた。子供好きだと言う彼女は終始とても優しく、自分の国はとても小さいから、周辺の国々が争いをやめてくれればいいのに。と言っていた。


 それなのに。。。我々が帰国する直前、突然暴動が起こりその首謀者として捕らえられたのが、第3王女エカチェリーナだったのだ。

 国境を既に越えていたが、処刑が国境付近の街で公開処刑となったと聞き、父に頼み込んで戻ってもらった記憶がある。だが、断頭台で晒されることを拒んだ彼女は、牢の中で自害したと。。そう報じられた。



 一気に流れ込んだ記憶にめまいに似た感覚を覚え、額に手を添えていると、

「ふふっ。いくら奥さんが心配とは言っても。今からそれじゃ、気苦労であなたが倒れちゃうわよ。」

 まるで同一人物かと思うほどに似ている仕草。。

「あぁ。そうですね。殿下。妻を溺愛しているもので。過剰に心配してしまうんですよ。」

「・・・・え?」

 突然、彼女の顔色が真っ青になった。何か変なことを言っただろうか。。つい惚気てしまった自覚はあるが。。。


 とそこで、無意識に記憶と現実が混在して”殿下”などと呼んでしまったことに気付く。


「・・・すみません。。知り合いに似ているなと、思い出していたら。。。ついあなたにそう呼んでしまいました。」

「殿下などと呼ばれるほど高貴な方と、庶民の私と。。。そんなに似ていましたか?」

 未だ顔色は悪く、声が震えているような気がする。。。いや、確実に震えている。各国の捕虜や間諜などの尋問や拷問を行ってきた経験が、小さな変化を見逃すことは無い。


 もしかすると。。。


「幼い頃一度だけお会いしたことのある高貴なお方なんですがね。お茶をしてくれたお姉さんがいまして。短い時間でしたがとてもお優しく美しい方でしたね。ピンク色の零れんばかりの瞳が印象的でした。。あなたの少し薄い赤い瞳を見ていたら、思い出してしまいましてね。ですが彼女は事件に巻き込まれて亡くなったそうなので、人違いとは分かっています。ですが、幼子心にも、あの事件はおかしいと思いましたから。ずっと生きていてくれたらな、という私の願望で、面影が似ているあなたと重ねてしまったようです。」

 少し煽ってみると、彼女の瞳が潤んでいる。。もしかすると本当に。。。

「・・・その人の名。。は?」

「とある小国のお姫様でした。エカチェリーナ姫。」

 その名を口にするとき、まるで目の前のエリカに呼びかけるように口にした。

 彼女は下唇を噛み目を瞑った。

 その仕草で確信を持った。


「追手はは大丈夫なのですか?」

 俺の質問に、彼女は身バレしたことを悟ったのだろう。フルフルと首を振り、

「追手から逃れ、国境付近で崖から落ちたのです。下が川で。。運よく助かった時、旅人に助けられ、ここに来ました。この集落の長でした。そこから追手がどうなったのか分かりません。私が死んだと思って帰ったのか。。それともまだ探しているのかすらも。」

 我慢していたであろう涙がポロリと落ちた。


「あの事件、やはり冤罪でしたか?」

 俺は静かに聞く。

「はい。冤罪なのは間違いないでしょうね。というか、今でも何が理由で捕まり処刑されそうになったのかも分かりません。突然夕方に捕らえられ、夜通し移送されて明朝、断頭台だと告げられただけですから。そして隙を見て逃げ出して、ここに辿りつくまでなんの情報も得ることもできない森の中でした。」

 その説明に俺は頭を抱える。


 アルベルトも当時は5歳。当然詳細は知らない。が、優しく接していた姫が突然暴動をおこし、捕らえられた翌日に処刑はいくら何でもおかしい。と思ったからこその、引き返しだったのだ。

 軍人となってから当時の資料を読んだが、あくまでも隣国の事件。第三王女が後継者争いで暴動を起こしたという情報しか得られなかった。

 しかし、やはりそこにも違和感。かの国は男系男子が後を継ぐことが500年以上続き、既に6人の王子がいたのだ。何故王女が後継者争いをするのだ。と思った。


「・・・ふむ。。それで、集落の長はこのことは?」

「もちろん知りません。」

「となると、気付いたのは私が初めてか。」

「・・・はい。」

 エリカはスカートを握りしめ俯いてしまった。だが、俺としてもこれを公にする気などない。

 というか、したところで別に何か得があるわけでも無いのだ。ただ面倒ごとが舞い込むだけだ。


「・・・実のところ、私としては、あなたの事を知ってしまった以上、放置できない立場でして。。商会の者というのは。。。まぁお分かりでしょう。。。モルディートへ行くというのは本当でして、あちらで2~3週間滞在して、帰路につきますが。。。あなたの事を調べてもよろしいですか?そのうえで、あなたを保護すべき対象と判断したならば。。。あなたを守るために帰りにもう一度寄りましょう。ですが、あなたという存在が問題であると判断した時には、軍が立ち寄る可能性があるという事をお伝えしておきます。」

 包み隠さず彼女に伝えた。俺としてはどうしてもやれない。が、マーガレットを気遣ってくれた恩がある。だから、恩返しとしては、調べた上で冤罪ならば、公爵家で守ることにする。これが今できる精いっぱいの事だろう。追手がまだ来るかもしれないと怯えて暮らすのは神経をすり減らす。


「分かりました。私は何もした自覚は無いので。。でも、国から逃げて、黙ってこの地に暮らしているという負い目はありますから、捕まっても仕方ありません。どうせあの時処刑されていた身なのですから。」

 彼女はそう言うと何もかもを諦めたような、それでいて覚悟を決めているような。。複雑な笑みを零していた。

 

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