3.執務は
翌日も晴天だった。
昨日のようにセバスの呼びかけで起きると、すでに朝食が用意されており、ベッドの上で済ませる。
「セバス。この上で過ごすにしても昼夜の違いはつけたい。着替えを頼む。」
自分の一言に???がついた。
着替えを頼む。。だと?いやいやいや。自分で着替えるわ。。と言いかけて、どこに服があるのかもわからず、口ごもる。
しばらくすると、ラフな服を持った侍女たちが来て、手慣れた様子で着せ替え人形のように俺に服を着せていった。。もちろん俺も手慣れた様子で着替えさせられていた。。
この身体に染み付いた習慣というものには素直に従えるらしい。
食後のハーブティーを飲みながらセバスに、公爵が病床に伏してからの状況を聞くことにした。
体調に支障が出ないようにとセバスには30分だけと決められ、その中で要約した内容を話してくれた。詳細については、徐々に。ということらしい。どのみち今の状態では執務をこなせない。
まぁ、それでいいというのだから、何とかひと月をやり過ごせたのだろう。。
と高をくくっていた。
軍の関係に関しては、もちろん代わりがいる。しかし俺の指揮下に置いた者たちは3割が罹患し死亡者も2名出ていた。
さらに、我が公爵家を隙あらば蹴落とそうとしていたコンラード公爵家が事態の収拾にあたり、俺の部隊を疫病の根源だとでもいうように隔離しているという。
そして我がオルティース家のアラをここぞとばかりに探しているらしい。
公爵の功績は無理な作戦によるものが多く、一歩間違えば敵国に侵入を許していたものばかりだとか、権力を笠に着て領地の獲得も強引であるとか。。こじつけばかりだ。
ま、所謂、嫉妬ってやつだ。。
そんなにのし上がりたいなら、自分で勝手になんとかしろよ。俺を巻き込むな。。
呆れつつ、今度は領地経営の話になる。
雨不足により、不作であった南の領地が、深刻な状況に陥りつつあるという。
干ばつとなれば農作物だけでなく、領民の水の確保も急がなくてはならなくなる。
東の領地での鉱脈も産出量が少し減っている様子。こちらも対処が必要だろう。
だが南の領地が気掛かりだ。。あの領地は国境に面しており、干ばつが隣国にも及んでいるのならば、貧困に喘ぐ者たちが流れ込む可能性もある。最悪なのは隣国が物資を求めて攻め入ってくることも容易に検討範囲に入るという事だ。南の国は元から豊かな国ではなかったのだ。
「うーむ。」
少し考え込んでいるうちに、両親が隠居し移り住んだ東の領地の話へと入った。
母付の侍女が妊娠をしたらしく、安定期に入ったものの次の者が見つからないのだという。
まずは簡単なところから手を付けるか。。
「侍女のアーニャの件だが、8か月に入ったら休ませよ。あちらで適当な者が見つからないのであれば、こちらの侍女から希望者を募り送ればいい。」
俺の発言にセバスが驚きの声をあげる。
「お言葉ですが、8か月で休ませるのでございますか?今まで同様に出産の兆候が出るまでは通常通りで良いかと。」と。。
その発言に俺の方が驚く。この世界ではギリギリまで働かせるのか?危険極まりないだろう。
「産前産後は何が起きるか分からぬ。負担をかけるべきではない。予定日の2か月前から出産後の2か月後までは休ませよ。」
「それでは生活の予定が狂う者もおりますので。。」
「給与は当然ある程度出すべきであろう?皆、婚姻後も住み込みで働いてくれている者が大半だ。人生に何度もあることではない。それくらいしてやってもこの家が傾くわけでもないだろう。皆、有能な者たちだ。無理をさせて手離す方が損失となる。」
「宜しいのでしょうか?」
「何度も言わせるな。これよりは出産を控えた者には同じように対応せよ。ケガや病気で長期に休まざるを得ない者が出た場合も、それぞれの状況によって復帰までの対応を考えていく。良いな。」
「かしこまりました。」
セバスはこれまでにないほど深々と頭を下げた。
「あとは、コンラードの動きは大方予想がつく。体調が戻ってからでもどうとでもなりそうだ。。だが、干ばつと鉱脈の件については詳細な資料の確認が必要だ。用意しておけ。南の領地に関しては早急に私兵の配備を厚くせよ。。領地が隣接するルーゼン辺境伯へは国境付近を注視すべきだと書簡を送らねば。。。。それと。。」
そこまで言うとセバスから”待った”が入った。
「旦那様、大まかにお話をさせていただくお約束にございます。これでは執務と代わりございません。」
心配そうなセバスの様子に申し訳なくも思うが、こういったことは時間が勝負な事柄もある。
「分かっている。最低限の指示だけだ。。南の領民たちへは水を手配しろ。農産物に関しては今期は諦めることも視野に入れる。だが領民にその責を問うべきではない。天変地異は彼らの失態ではないからな。苦しい状況に陥れば、領民が他の領地に流出することも考えられる。我が公爵家が潤ってきたのは、領民あってこそ。苦しい時には手を差し伸べねばなるまい。暫くの飲み水に関しては無償で与えよ。」
セバスの目はこれまでにないほどに見開かれた。
「・・む・む・・無償で、でございますか?」
「無償だ。問題があるか?」
「問題もなにも。財源は無限ではございませぬ。」
「であろうな。。だがやってやれぬことはないだろう。金が尽きたとしても我が私財を売り払えば、数年は持ち堪えられる。」
「・・・それは。。了承いたしかねます。天下のオルティース公爵家がそのようなことを。。」
「私とてそれくらいは分かっている。だからそうならぬように早期に問題を解決するのだ。だが万が一を常に視野に入れておかねばならぬ。もしも突然予期もできずにそうなった場合では何も対処できぬからな。家令であるセバスがいるからこそ切り抜けられると判断したまでだ。」
そこまで言うと、セバスチャンはゆっくりと目を閉じ俯いた。。
だが次に顔を上げた時にはしっかりと目の奥に灯を湛え、
「かしこまりました。このセバスチャン。旦那様の御期待に添えるよう、心力を尽くしてお仕えいたします。」
「あぁ。暫くは辛い思いをさせるが頼んだぞ。」
セバスの報告に対応策を言い終えると、ホッとしたのか、一気に疲労が襲ってきた。
「セバス。。。少し。。。やす。。む。。」
落ちるかのように意識を手放した。
次に目覚めたのは昼をとっくに過ぎた15時ごろ。
昼食を聞かれたが、腹は空いてもおらず、この時間に食べては夕食にひびく。喉が渇くので果物だけを運ばせ食すと幾分か身体が軽くなったように感じた。
気分を変えるために外の空気が吸いたくなったが、ふらつく身体では散歩は無理だろうと、サロンへ連れて行くように指示を出す。あそこならば全ての窓を開け放てば、解放感もある。
意識して公爵の記憶をみようとしてもできないが、無意識に向けると自然と記憶がつながる感覚。
今も当然のように屋敷の構造が浮かんできた。
庭師長のゼペトがやってきて、俺の身体を支えた。彼は庭師ながら屈強な身体を持ち、なんなら俺をお姫様抱っこで運ぶことも容易いのだろうが。。。野郎に抱きかかえられるのはごめんだ。。
情けなくはあるが、息を切らしながら2階の自室から1階のサロンへと歩みを進めた。
「全く。。2階から1階へと降りただけで。。。情けないな。。」
ハアハアと切れる息を整えつつ庭に一番近いソファーへと腰かける。
ヨーロッパの観光地にでも来たかのように素晴らしい庭園。指示通りに開け放たれた窓からは、サロンへと優しい風が吹き込み、庭園の花々の甘い香りを乗せている。
キヌタの病院の周りも自然豊か。。というか自然しか無かったが、山林特有の清々しい空気だった。
ここはまた違う趣で、これはこれでいい。。ソファーに深く身体を預け目を瞑り深呼吸をした。
まるで別世界。。。
いや。別世界というか異世界か。。。
改めて現状にため息を付いた。
そして先ほどまでの絶望感を思い出し。。。かけて、ふと思った。
先ほどまでのセバスチャンとのやり取り。。自ら考えようと貴族年鑑や図鑑を引っ張りだした時には、あくまでも”医師・田之上信二”の思考だった。
だが、領地や軍備の事となれば、オルティース公爵として、スラスラと言葉が出る。頭の中にはその情景や細かい数値なども自然と溢れた。。
何かに似ている。。。
例えば。。そう、後付けの外国語と母国語を操るときのような違いか。。。
考えれば考える程、言葉に詰まってしまう勉強したての外国語と、思考と同時に零れ落ちていく母国語のようだ。。
となれば、”医師・田之上信二”と””アルベルト・フォン・オルティース公爵”この二つのバイリンガルってとこだろう。いや。。ハイブリッドか?まぁどちらでもいい。
田之上信二が考えるから”公爵”の事が分からなくなる。だが、”公爵”として動けば記憶は確かに持っているのだ。
無理に動くよりは、記憶に関しては様子を見た方が良さそうか。。。
そう結論づけると、なんだか少し肩の荷が下りた気分だった。。
どのみち戻る方法も全く分からないし、そもそも戻れる保証もないのだ。。現状を上手くこなしていくほかない。
少しだけ気分が良くなると、ふと廊下での事が頭をよぎった。
「セバス。先ほどマーガレットの姿を見かけた気がするのだが。。。」
「はい。奥様をお見掛けいたしました。」
その返答に首を傾げる。俺の姿を見た途端、隠れるように部屋に入った気がするのだ。
「マーガレットは何をしているだろうか。」
「いつも通り、お部屋でお過ごしかと。」
「何かしているのであれば無理にとは言わないが。。時間が空いているならばせっかく天気も良いのだ。ここで一緒に茶でもどうだろうか。」
するりと誘いの文句が出てくる。というか誘いたいだけだ。。
すると、一瞬空気が凍り付いたかのようで。。。セバスの指示を待たずに、メイドが慌てて部屋を出て行った。
自然に誘ったつもりだったのだが。。。そんなに会いたい気持ちが前面に出てしまっていただろうか。。それであれば俺の気持ちを見透かされたようでこっぱずかしい。。。
ほどなくすると、急いでいそうな足音が部屋の前で止まり、一呼吸おいて扉が開く。
「お待たせいたしました。奥様がお見えになりました。。」
とセバスの声。。
「あぁ。」
と俺はあえて素っ気なく言って、振り返れば、愛しのマーガレット。。改めて見ても美しい。
やはり先ほどの足音は駆けてきてくれたのだろう。隠しているようだが、まだ少し息が荒い。
そんなにも夫の俺に会いたかったのだろうか。。。何だかんだラブラブか?
そう思うとわずかばかり頬が緩みそうになるが、公爵の顔は鉄面皮のように動く気配は無かった。
「マーガレット。一人の時間を邪魔したか?」
そう問いかけると、俯き気味にフルフルと首を横に振る。栗色と金色が混じる髪を揺らしながら俺の顔色を窺うような目線はどこか儚げな印象を与え、守ってやりたくなる。
俺は隣に来てほしかったが。。せっかくならば顔も良く見たいと思い、斜め前の椅子を指し示した。
香り豊かな紅茶は、午後はミルクティーになるようだ。ミルクで少し甘く柔らかく感じるそれを口に運びながら、彼女を見るが、特に声をかけてくる様子はない。
「このひと月は心配をかけたな。。世話をかけてしまったようで悪かった。」
目が覚めてからの礼を言うと、少し首を横に振り、小さく頷く。まるで「そんなことはありません。」と言われたかのよう。
「まだ本調子には程遠くてな。。ここに来るのにも、ゼペトの肩を借りてしまった。情けない限りだ。」
自嘲的に笑うと、彼女は少し首を横に振っていた。
「外の空気を吸いたくて窓を開けさせたが、寒くは無いか?」
気遣えば、「大丈夫」とでも言うように首を縦に振った。。。
どうして返事をしてこない?
そう言えば俺はマーガレットの声を一度も聞いていないことに気付く。
「なぁマーガレットよ。。なぜ返事をしない?私と話すのは嫌か?」
と彼女の顔を覗き込み、単刀直入に聞いてみたのだが。。。
今度は”かも”では済まされない。確実に辺りの空気が一変したのを感じた。
目の前のマーガレットの顔色は真っ青になり、膝の上に置いていた指先は震えだしている。
何事かと周りを見るが、やはり使用人たちも顔色を変え、メイドにいたっては口元に手をやり、涙を浮かべるものまでいる。
「旦那様。。。奥様は。。。」
そうセバスが言いかけたタイミングで俺は
「大丈夫か?」
とマーガレットの指先を握っていた。。。
「・・・っっ!!!!」
そして流れ込む”公爵”の記憶。。。
あぁ。。。俺が彼女の言葉を奪ったのだ。。。彼女が話せなくなったのは公爵のせいだったのか。。。
あまりにも衝撃的な内容に、俺自身も言葉を失った。。。