25.対峙
城壁とも言える高い生垣。それは景観を優先させた作りであって、外と庭からは見えぬよう、実際には城壁レベルの頑丈な壁が植木により絶妙に隠されている。
そして有能な御庭番が時計塔を隠れ蓑にして24時間体制で外部からの侵入者を見張る。
門扉外は常に2名の門番により護られ、中へ入れば、同じく2名体制で門扉から馬車寄せまでを警戒し、当然玄関にも守衛がいる。侍女をはじめ使用人たちは最低限の護身術と暗器術を身に付けており、そこらへんのチンピラでは手も足も出ないだろう。
広大な敷地を誇る筆頭貴族オルティース公爵家の護りは王宮並かそれ以上と言っても過言ではないのだ。
だが、攻撃を仕掛けてくる無謀な輩というのはどの時代でも一定数湧いてくるもの。過去にも攻撃される事態に陥ることはあっても、侵入を許したことはなかった。
「まさか、侵入を許したのか?なんという失態。。」
ギリリと奥歯を噛みこむと同時に剣を抜き、周囲を警戒する。
馬車寄せから黒煙が上がる緊急事態だというのに、警護の者が来ない。主である俺が最優先で守られるはずであるというのに。。遠くに金属がかち合う音がしている。
それが事態の深刻さを物語っているのを容易く想像させる。
屋敷内や庭には緊急事態用のシェルターがいくつかある。マーガレットをそこに隠し、自分は前線へと。。
腕の中に抱えるようにして彼女を歩かせようとしたのだが、恐怖から足が動かなくなってしまったようだ。
「マーガレット。君をシェルターに避難させる。そこならば安心だからな。」
怯えさせぬよう、髪をひと撫でして、抱きかかえようとすると、彼女は俺の腕を振るえる手で掴み、フルフルと首を振る。瞳に溜まっていた涙が振動でぽろぽろと零れ落ち唇は震えが止まらない。
「マーガレット。大丈夫だ。シェルターは安全だ。」
強く言い聞かせるように言うのだが、彼女の首は横に振られ、震える唇が動くと、
(・・こわい。。。はなさないで。。)と動いた。
「戦いになれば、私は容赦なく敵を斬る。その光景の方が君には酷だろう?」
(・・・いやっ。。。ひとりは。。いやです。)
はっはっ。と彼女の呼吸もままならなくなってきた。恐怖から過呼吸になりつつある。
「私といる方がまだ良いか?」
コクンと彼女の首が動いたのを見て、俺の中でも何かが動いた。絶対に守り抜く。燃えるような感情と共に、内から力が湧き出るような感覚。
「だんな。。さま。。。お逃げを。。。」
ようやく屋敷から走ってきたセバスの様子がおかしい。彼もまた、軍人並みの身体能力を秘めているというのに、足がもつれているのだ。しかも黒い執事服で目立たぬが、かなりの怪我をしている様子。
外からの侵入を許したのは先ほどのはず。屋敷内にいたセバスにこれほど重傷を負わせる時間は無かったはずなのだ。。
「おかしい。。」
どう考えても今までの公爵の経験でも無かった事態だ。。対人間、ではないのかもしれない。
ドゴォォォッン。
「ギャアァッァァ。」
2度目の爆発音が鳴ると、断末魔のような叫びがあがり、血だらけになった守衛が庭の方に転がってきたのが見えた。
当然マーガレットにもそれは見えたようで、歯を鳴らすほどガタガタと震えだした。
そして。。。危惧していたものが目の前に現れた。
ガルルルル。。
のっそりとこちらに向かうのは、フレイムタイガーだ。。爆炎を吐き人を喰らう。
最悪だ。。。こんな住宅街に軍出動レベルのAランクモンスターが来るなど思ってもみない。
しかもその首には、鈍く光る首輪があった。
嫌な予感がする。
モンスター単独で王都に迷い込んだのではなく、誰が糸を引いている可能性があるのではないか?
憶測が確信に変わらぬことを祈るばかり。
だがしかし現実は無常。
炎を纏うフレイムタイガーの周りは陽炎のように揺らめき、その後ろから悠然とこちらに向かう人影があったのだ。
そしてその揺らめきから姿を現したのは。。。
「コンラード家の双子か?」
コンラード家の容姿の特徴である鷲鼻と深い紫の瞳。そして人を見下した笑みを零すと歪む唇。王宮での夜会で見たことがある。ギルとティードという名前だったはず。とはいえ目の前のヤツがどっちかは分からんが。。
「お前がオルティースだな。。貴様のせいで我が家門は取り潰しとなったのに、お前は優雅に女連れか?」
憎しみに駆られる瞳は心なしか暗く淀んでいるようにも見える。
「ま、私も女は好きだ。貴様を殺した後に、この屋敷中の女どもと楽しむとするよ。お前の所の使用人は侍女であっても忠誠が強いようだ。命を懸けるのも厭わない。それを征服し、絶望に歪む顔を見ながらお前の元へと送ってやるよ。」
そう言ってヤツが口元に布切れを持って行く。破れた生地と何か小さな刺繍がされたリボン。
(・・・ア。。アナ。ベル。。)
マーガレットの口元を見てその持ち主に気付く。そう。彼女はマーガレットの専属となった時に”マーガレットの花”を制服のリボンに刺繍した。だが、そのリボンと一緒に持っている生地の量を見ると、胸元のブラウスを引きちぎられたと想像でき、ヤツを睨む目が一層キツくなる。
「はっはっは。気丈にも中々沈んでくれなくてね。思わず服を破いてしまったよ。だが所詮は女。服を引き裂き一瞬ひるんだ隙に気絶させてやった。女だからこの後の使い道もいくらでもあるからな。だが、媚薬を飲ませてきた。今頃目を覚まして、異常な身体の火照りを収める為に、淫らにふしだらに、そこら辺の奴に声をかけてるころじゃないかな?」
ヤツの歪んだ笑みが、俺の怒りにさらに火を付けていく。だが。。。ヤツがトラの背をリズム良くポンポンと叩くのは見逃していない。
(何かの指示だ。)
モンスターの動きに即座に対応できるよう、身構えつつ、何とか俺の元へとたどり着いたセバスにマーガレットを預けた。
アイコンタクトでシェルターに行くように伝えた。
その直後、視界にまた靄が。。こんな時に。。。
視線を僅かに外した瞬間、フレイムタイガーの周りの揺らめきがまるでトラに吸い込まれていくように消えていく。
マズイ。軍人として、フレイムタイガーの討伐は数回行ってきたが、陽炎が無くなると爆炎が来る合図のはずだ。。そこまでは分かっている。発動までに時間がかかることも。。だがその秒数は個体差が大きいのだ。
俺はセバスたちをトンと押して、距離を作った。ここから先、援軍が来るまで俺一人で対処せねばならない。確実に戦闘力や瞬発力でモンスターに劣る俺が勝てるとしたら、この爆炎の術までの起動時間内にフレイムタイガーへ致命傷を与える事だけだ。
ジリジリとトラと間合いを取りつつ、セバスたちから離れていく。
セバスも阿吽の呼吸で、じりじりと敵から距離を取り、シェルターへ走るタイミングを見計らっているようだ。
フレイムタイガーが片目を瞑った次の瞬間
グオォォォォーーーーーン。
咆哮と共に爆炎が吐き出された。もちろん目標は俺のようだ。
炎がある程度フレイムタイガーと距離が離れなければ、炎を操られてしまう。
ギリギリまで。
「・・・・っく。。」
思いのほか炎の速度が速く、全てを躱しきれなかった。髪が焦げ、嫌な臭いがする。耳から首にかけても爆風を受け、チリチリと痛む。だが、これくらいならば熱傷のI度程度。ごく軽い。
「クァっクァっクァっ。黒闇の公爵と名高いオルティースだが、所詮噂だけか。。一発目で喰らうとはな。ま、こっちとしては有り難いがな。」
初撃が決まったことで敵の態度がさらに無礼になっていく。
「ふん。ただの様子見で攻撃力を計るためにわざと当たってやったのに、そこまで勝ち誇る態度を取れるとは。。ふっ。親がバカなら子も馬鹿なのだな。」
実際にはマジで避けきれなかっただけだが。。。セバスとマーガレットがもう少しでシェルターに着く。ヤツの気を俺に向かせるための挑発だ。。
「なっ、なんだとぉ!!」
顔を真っ赤にして憤慨し始めた。つーか。。ホントの馬鹿か。。沸点も低すぎるだろう。今回の事でコンラード家が取り潰しとなっていなくとも、没落は近い将来だっただろう。
怒り心頭の奴は、フレイムタイガーの鎖を引いて、見ている限り何の策も弄せず俺の方に向かってきた。
良し。視界の端では間もなく二人がシェルターの入り口であるベンチに到着する。
「行けっ!!!」
掛け声とともにフレイムタイガーが放たれた。
真っ直ぐと俺に向かって来る。
剣を構え急所に飛び込まれぬよう防御も欠かさない。
ガッキイインン
フレイムタイガーの牙を受け止めるとまるで金属音。当然のことながらトラの方が力があるわけで。
ズザザッザッザーーーーと地を擦りながら後方に押しやられる。
「兄さまがまだだが。。。もう待たずとも良い。そいつの首を噛み切れっ!!」
その一言で奴は弟のティードと判明。しかも兄もこちらに向かっているというのか。。
ティードの命が下りたことにより、フレイムタイガーの闘争心はさらに火が付き、グルルルウと牙を剥き出しにし始めた。
飛び掛かってくるフレイムタイガーの爪や牙により、傷を負っていくが、大したものはない。それよりもネコ科のしなやかな動きがやりにくい。
長い尾でバランスを取りながら、こちらが躱したと思ったところから体勢を変えてくるのだ。それによりイマイチ距離感が掴めず、傷が増えていくのだ。
それでも歴戦の騎士である公爵の身体。致命傷は喰らわないし、フレイムタイガーが攻撃の体勢を取る前に片眼を瞑る癖を見つけていた。
グルルルウ。グガァァァ。
癖を見抜いた俺の事を、中々仕留めることができない為にフレイムタイガーがイラつき始めた。
良し。良い兆候だ。モンスターだろうと冷静さを欠けば隙ができる。
傷が痛むがかえってそれが冷静さを齎してくれる。
そして。。。
苛立ったフレイムタイガーが大きく飛び上がって攻撃を仕掛けてきた。
チャンスだ。ここしかない。
渾身の力を剣に込めて、薙ぎ払った。
グギャァ。
短く鳴いたフレイムタイガーの足から血がしたたり落ちた。
何とか一撃を決めれたようだ。前足を2本とも切りつけることに成功だ。左足からの出血は多く、つま先も着けられないでいる。
このままであれば勝機もあるだろう。
僅かに生まれた余裕からチラリとセバスたちが入ったであろうシェルターを見て驚愕する。
これだけの時間があれば、既に避難が完了しているはずであったのに。。
セバスの傷は腕だったのか、入り口を開けることに手間取っていたのだ。
そしてマーガレットも少し落ち着いたのだろう。一緒に手伝っているのだが、未だ身を隠すことができていない。
どうすべきか。。幸いティードとフレイムタイガーの意識はこちらに向いている。彼女たちが逃げたことすら気付いていないようだ。
そう思っていた。
「・・・・っ!!!!」
突然、全身が粟立つような感覚と共に、頭上に影が差した。
この感じは絶対的な強者と対峙した時の感覚。。。公爵の身体が最大の警鐘を鳴らしている。
背中に一筋の汗が伝う。
それでも影の向かう先はマーガレット達がいる方向。
覚悟を決めて上を見上げた。
「兄上っ!!!」
「ドラゴン!!」
ティードと俺の声が重なった。
そして目を凝らせば、ドラゴンには鞍が着けられその上に人影。
絶望的だった。。Aランクのモンスター、フレイムタイガーですら仕留め切れていないのに、Sランクのドラゴンが来ては。。厄災レベルのモンスターでは軍が出動したとしても犠牲者の数は計り知れないのだ。。
さらに、ドラゴンが今まさに攻撃をしようとしているのはマーガレットとセバスなのだ。。
「間に合ってくれ。」
反転してマーガレットとの元へと走り出す。
せめて。せめてこの身を呈してでも二人をシェルターに。俺が死ぬのは仕方ない。それでも彼女には活きていて欲しい。
(公爵よ。。君がもしも俺と入れ替わっているのではなく、俺がこの身体に憑依しているだけならば。。今だけでいい。出てきて欲しい。君の身体を能力いっぱいに使えるのは君だけなのだ。。君がこの身体を最大限に使う事ができれば。。。二人は助かるかもしれない。)
走馬灯とは良く言ったものだ。二人の元へと走る時間は数秒だったはずなのに、思考はそれ以上の事をしていた。聞こえるはずもない公爵にただ願う事しかできなかったのだが。。
グルオォォォオオオオン。。。
フレイムタイガーの咆哮とは比べ物にならない絶対強者の咆哮が響くとき、俺は二人に覆いかぶさることができた。辺り一面が強い光に覆われ身体に何か衝撃が来た気がしたが、その時には既に俺の意識は落ちていた。