2.現状を把握しよう
オペを終えようとしていたところまでの記憶を確認し項垂れる。
はぁぁぁぁぁ。。
俺は深く息を吐く。転生とか入れ替わりとかするポイントって、どこにもなくね?
どこか別な場所に飛ばされた。タイムスリップした。でもない。それでは、既に形成された”公爵”と呼ばれていることがおかしいからだ。。
もちろんリアルな夢説はあっさりと打ち砕かれる。その線は残念ながらなさそうだ。。
まぁ、当然、超常現象など、自分に起きたことが無いので、参考にすると言えば、漫画や映画などの物語しかないが。。何かきっかけとなることがあるはずだ。
オペ中に倒れたのか?いや、健康そのものだった。何せそのあとムフフな展開が待っていて準備万端。健康状態は良好。医者の俺が言うのだからこれは間違いがない。
突然死となれば脳や心臓、大動脈解離などだろうが。。その兆候は全くもってゼロだった。そもそもそんな年齢ではない。過労死、もないな。。人生で一番のんびりやっていたのだから。。
となれば。。。天変地異か。。今日は全国的に快晴で、雲一つないと朝の天気予報で言っていた。雷雲や竜巻が起こる要素は無かったはずだし、建物内だし。。
大地震が起きた。。ならば、衝撃を受けるまでに地鳴りなどで気付くはず。。
本当に全く何なのか分からない。。
が、体が別人になっているところから”入れ替わり”や”憑依””転生”という言葉がしっくりくるのだろう。。。
せめて、お楽しみを満喫してからにして欲しかった。。。あの看護師の子を落とすのに1か月もかけたんだよなぁ。
だが。。こうなるとオペ中の患者はどうなった?と心配したいところではあるのだが、何せ齢85になるじいちゃんの”痔”の手術。後は縫合後の糸を切るだけだったし、同席した研修医でもできることしか残ってない。残してきた患者を心配する部分はないな。。
だが”入れ替わり説”であるのならば。。。この身体の持ち主”公爵”には気の毒なことだ。
突然目の前にじいさんの尻があるだから。。
まぁ俺がどうこうできる問題でもないが、同情だけはしておこう。
そんなことを思いつつ、”ひと月ぶりに目を覚ました”という今の俺の身体は記憶を確認しただけで疲れ切ったのか、またゆっくりとまどろみへと落ちていった。
再び目を覚ましたころに、ようやく”時間”という概念を思い出す。
窓の外が茜色に染まっていたからだ。
”おはようございます”のセバスの声を聞いて目覚め、今は夕刻だろうか。。だが国によって夕暮れの時間はまちまちだろう。
「セバス。今は何時だ?」
「お目覚めでございますか?旦那様。ただいま17時になりました。」
そういって姿を現したセバスの手には盆に乗せられた白湯があり、「お飲みになりますか?」という問いに頷くと、俺の身体をゆっくりと起こし飲ませてくれた。
時間の経過は地球とそう変わりはなさそうだ。
「なぁ。セバス。私は本当にひと月もの間、眠っていたのか?」
「はい。東の村で始まった流行り病が王都でも広がり、対応に当たっていた旦那様が罹患してしまわれました。致死率も高く王陛下はじめ大旦那様も大奥様も大変心配をなさっておりました。」
彼の説明を聞いていると、王の顔も両親の顔も浮かぶ。
そして確かに病の把握に努めたのが俺が指揮する統合司令部ではあった。。
というか全くの見ず知らずの人物や部隊名も違和感なく思い浮かび受け入れられる。。
不思議な感覚だ。
「・・・そうか。。心配をかけてすまなかったな。。」
「・・・いいえ。お目覚めになられただけで使用人一同、喜びにございます。」
礼を言うとなぜかセバスは一瞬神妙な顔をした気がする。。気のせいだろうか。。。
とにかく、現状把握が目下の課題だろう。
自身が置かれた状況を正確に把握せねば、迂闊に行動することもできない。まして”公爵”だというならば、なおさらに。
とりあえず与えられた絶対安静の3日間にできる限りの情報を集めなくては。。
そうして俺は新たな人生を踏み出した。
俺の人生に”超常現象”が起きたらしい事を把握してから半日。。
まぁ朝起きてから眠るを繰り返しすでに夜。目覚めていた時間は少ないが。
ひと月ぶりに目覚めたというこの見ず知らずの身体は”公爵”。
ただいま料理長が俺の身体を気遣ったリゾットらしきものが目の前に出されている。
うーん。日本人の俺にとってはリゾットよりおかゆか雑炊だろう。というのは贅沢な悩みなのか。
とりあえず身分が高く使用人も多いようで、厚待遇ではある。この良く分からん状況で、身の安全が確保されていることはありがたい。この際、贅沢は言っていられない。
寝起きの身体になぁ。とチーズの香りを感じながらパクッと一口を入れれば。。。
とてつもなく染みわたる優しい味。。
この身体はすんなりと未知の味を受け入れた。
そしてまた一つ気付く。
俺の身体の優雅な所作に。。特に気にもとめていなかったのだが、銀食器を扱う一つ一つの所作は洗練された動きで、食器の音を立てることも皆無だ。
この身体に染み付いたクセは抜けることなく残っているのか。。言葉遣いなどもスムーズに偉そうだったしな。。
先ほどの”外科結び”の実践もあるように、外科医としての知識と技術もとりあえず継承されているようでありがたい。
考え事をしていれば、無意識に食事は終わっていたようで、食後の紅茶などというなんとも上流階級っぽいものが給仕される。
食後は医局前の自販機の安い缶コーヒーで十分なんだが。。
と思いつつもこれも優雅に口をつける。カップをソーサーに戻してもカチャリとも音を立てないこの身体は素晴らしい。
そして”湯あみ”は今日はNGらしい。当然と言えば当然。俺が主治医でもこの状態の患者を風呂には入れんからな。だがここでの”湯浴み”は湯につかるのだろうか。。サウナ的な蒸し風呂では日本人の俺にとっては物足りない。。
などと考えていたが、問題発生だ。俺の身体を拭き上げるのに、マーガレットが来たのだ。。公爵の嫁であるならばそれが役目なのかもしれないのだが。。。めちゃくちゃ可愛い女性に丁寧に身体を拭き上げられると。。。理性が飛ぶかと思った。身体が変化を遂げぬよう必死に感情を抑え込む。
そこでは何とか野獣化せずに済み、就寝を理由に人払いをし、一人になる。
鉛のように重い身体を叱咤し、ベッドから起き立ち上がろうとするとめまいとふらつきが激しく、ベッドに戻るように倒れこんでしまった。。ひと月ぶりに立ち上がったのだ、起立性の低血圧が起きることくらい予想できただろうに。。自分で自分が情けない。
もう一度ゆっくりと時間をかけ立ち上がり、壁を伝い、目標物へと向かう。
まずは自分の顔を見なければ。。。
「・・・・っっ!!」
鏡をのぞき驚愕した。。。
めちゃくちゃイケメンなんですけど?
いい意味で期待を裏切られた。。。
外国人の面立ちというのは凄いな。いいパーツが揃うとここまで完成された顔が出来上がるのか。。しかも全体像を見れば、病気で痩せているとはいえ、ひと月前は引き締まっていたであろう肉体。さらに足が長い。。今は寝装ではあるが、これで仕事着であろう軍服でも着れば、”王子様”級ではなかろうか。。そして年齢は俺より少し若いと思われる。20代半ばあたりだろう。
スラリとした長身に金髪碧眼。男の俺でも惚れる。女子ならば垂涎ものではなかろうか。
転生した身体は”公爵”という高位な身分で完璧なルックス。。そしてマーガレットという超絶美人が嫁。。
何たる天国であろうか。。。
医師としてモテていた自分が霞んでくる。。
さてと、外見は期待以上のものだった。後は、この身体の仕事関係か。。
書架に並ぶ背表紙をさらっと眺め、目に留まった”貴族年鑑”を取り出す。
問題なく読めているのだが、アルファベットとは似て非なる文字。ここはどこの国なのだろうか。。と疑問を抱くが、まずは手に取ったこの本から始めよう。世界地図などは後から確認すればいい。
そこでまたしても驚愕の事実。。
王族の姿絵から始まったが、貴族欄のトップページに俺がいた。。正確にはこの身体の持ち主だが。。
アルベルト・フォン・オルティース。26歳。
オルティース公爵家第13代当主。
一応パラパラと確認はするが、公爵家としてトップの地位らしい。。
だが、そこで易々と喜べないのが大人というものだ。。
この国の貴族社会においてトップだというのならば、それなりに難しい立ち位置であろう。
政争などに巻き込まれる可能性も高い。。。
めんどくせぇ。。。
しかも先ほどのセバスとの会話”統合司令部を指揮”。。。軍など興味がなく編成等まったくわからないが、自衛隊のように陸・海・空などがあるとするならば、”統合”はその上である可能性は高い。。それを指揮していたとなるのだから、軍部でもかなり高い地位にあるように思う。
この若さでか?
頭が痛いというのはこういう時に使うのだろうな。。。
「・・・・はぁぁぁっ。」
俺は執務机で頭を抱え込む。
先ほどまでのルックスでニンマリしていた自分が情けない。。手放しで喜ぶことができない状況となってしまった。。畑違いもいいところだ。。何せ別人なのだから記憶がないし、軍の仕事など想像すらつかない。。復帰できる可能性は限りなく低い。。。いきなり無職になりそうだ。。
気を取り直して、書架を見れば世界地図もあった。
そしてさらに絶望が襲う。
「・・・ここは。。。異世界だ。。」
そう、地球とは似ても似つかぬ地図。中世あたりの調度品であったので、タイムスリップも視野に入れていたが、地球平面説時代だとしてもこれはない。。どう考えても地球ではないのだ。。。
それを裏付けようと生物図鑑を手に取れば、見たこともない生態系が描かれていた。
モンスターと呼ぶにふさわしい鳥獣たちが並ぶ。。
もちろんそれは植物図鑑にもみられた。
これでも医者のはしくれ。やはり薬草が気になるところ。その項目を開けば、”魔草”なる欄があった。
回復系から毒草まで様々だが、草の性質には”魔力”に関係するらしい。。
「もはやファンタジー。」
がっくりと項垂れる。。
そもそも別人と入れ替わってる時点で受け入れ難いんだよ。。
中世レベルの生活様式も慣れるか疑問だ。
挙句の果てには”公爵”やら”魔力”やら?
「やってられるかぁぁぁぁっぁ。」
思わず机の上に並んだ数々の本を払い落としながら叫び声を上げてしまった。
すると間髪入れずに扉がノックされる。
「旦那様。いかがなさいましたか?お加減が悪うございますか?」
セバスチャンの声だ。。心配そうに入ってくると、執務机周辺を見やり、落ちた本を拾い上げながら、
「旦那様。お調べ物ですか?ですが、まだベッドから離れぬようにと医師様からも言われております。必要なものがあれば、寝台までお持ちいたしますから、どうぞお休みください。」
拾い上げた本を机に置くと、セバスは俺の身体を支えベッドまで運んだ。
「すまない。少し混乱しただけだ。。」
そういって背を向けるとセバスは「おやすみなさいませ。」と声をかけて静かに出て行った。
目を覚ました時から、どこか軽く考えていたのだろう。
夢か現か。。とその程度に。。
それがはっきりとした輪郭を持ってきたことによって動揺してしまった。
この先、俺はどうなるのだろうか。。この身体の持ち主はどこへ行ったのだろうか。。
もとに戻るのか。このままなのか。
次から次へと疑問が浮かぶのに答えは出てくるわけもない。
重い本の数々を払いのけた右手が今になってわずかに痛む。本に八つ当たりしたところでこの状況が好転することもないのに。。考えも行動も浅かった自分が情けない。。
それでも身体は疲労を拾う。。自分の部屋を歩いただけなのに。。
疲れは瞼を重くさせ、いつしかまどろみに落ちる自分がいた。