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明日  作者: 小山彰
3/3

襤褸是生涯

 結婚式当日は恐ろしいほどの快晴となった。

 昨夜、別府を出るときは曇り空で、雨男の自分がつくずく嫌になったが、目覚めたら雲ひとつない空がひろがっていた。

 かつてポートタワーのある中埠頭に着岸していたフェリーは、震災の後、六甲アイランドの港に着くようになっていた。様変わりした風景を呆然とながめていた。観光客でもない人間にとっては風情などどうでもよかった。

 東灘六甲の港からシャトルバスで阪神御影駅まで行き、電車にのりかえ、元町駅を目指した。地下鉄の駅をでて、少し距離があったが中埠頭まで歩くことにした。

 二十年ぶりの神戸の街は、震災を乗り越え、美しくよみがえっていた。残滓のような人生をおくっているフーテンを町は黙して迎えてくれた。

 元町商店街を通り抜け南京町に出た。そこは中国人の旅行客であふれていた。すべてを棄てて落ちのびたわが身が、いま、ふたたび故郷に舞い戻り、喧騒の中に立っている。胸を張る勇気もなくうつむきながら中華街を横切ると、埠頭へわたる陸橋が見えてきた。身勝手な想像だが、ポートタワーがやさしく微笑んでくれているような気がした。

 タワーの形などほとんどが同じようなものだが、神戸ポートタワーは円筒のウエストを絞ったような斬新なスタイルをしていた。設計デザインでは女性の体型をアウトラインしたといわれている。

ホテルの従業員に衣装部屋を聞き、持ち込んだ礼服に着替え、受付にお祝いをとどけ、芳名帳に名前を記し、そのまま披露宴会場に入った。まるで鍾乳洞のようなシャンデリアが、天井全面から降り注ぐように備えつけられ、会場を煌々と照らしていた。金屏風が神々しく輝いている。受付でもらった式次第をひろげ、自分の席を探した。二百人を超える大披露宴である。しかしながら誰ひとり知る人がいないのである。こんなことは人生初めてのことであった。

 会場見取り図の新婦友人席『井上一茂様』のとなりに『小山幸展様』の席があった。当たり前なのに何故だかホッとした。井上さんの席がそのままあるということは、やはり訃報が先方に伝わっていないということである。そうだとすると、あたえられた任務を遂行しなければならない。その任務とは、井上さんの訃報を、井上の恩人、いわゆる新婦の父に伝えることである。しかしながら宴が開くまで、決められた席についていなければ、誰が誰だか判別がつかない。しかも、よくよく考えてみると、結婚式の祝いの席に招待客の訃報を届けるというのはいかがなものか。正義の使者のつもりでここまでのこのこやってきたが、なんだか間抜けに見えておかしかった。

 井上さんが出席していないことを知れば、先方から尋ねてくるに違いない。そう決め込んで、いらぬ行動はとらずに宴が始まるのを待った。


 定刻に披露宴は開宴した。


 新郎新婦の入場は、スター歌手のディナーショーのような華やかさだった。燦々とスポットを浴びたふたりにカメラのフラッシュが絶え間なく明滅した。バブル絶頂の狂乱を彷彿とさせる演出である。とても懐かしく、心は浮かれ気味であったが、日当六千五百円日雇いのわが身を思うと、優雅なひと時を満喫できる気分的余裕はなかった。

 井上さんの料理は、運ばれてきては手つかずのまま下げられていった。

 ひな壇に座った新郎新婦はお似合いのカップルで、ふたりの端正な顔がビデオスクリーンに大きく映し出されていた。新郎新婦の紹介からはじまり、披露宴は予定通り、スムーズかつスピーディーにながれていく。誰も知らない人ばかり、まるで関係のない結婚披露宴である。正直、祝福の拍手にも力がこもらなかった。会場いっぱいにあふれる笑顔や祝福の言葉を見ても聞いても、早く終わってくれることを願うのみであった。

 淡い期待であった先方からのアプローチもなく、声をかけてくれたのは、ワインをグラスにそそいでくれたコンパニオンの『どうぞ』だけであった。

 すべてが終わり、引き出物の大きな袋をふたつ提げ、出口で来賓客を見送る新郎新婦から小さな薔薇のコサージュをもらい、『おしあわせに』と声をかけて会場を出た。任務を果たせなかったもどかしさはあったが、遺言となった井上さんとの約束は果たすことができたので、ここまで来たことを徒労であったとは思わなかった。

 フロントロビーの大きなソファーに腰をおろし、大型液晶テレビに映る夏の高校野球の決勝戦を観戦しながら、これからの予定を考えていた。

 「本日はありがとうございました」

 頭の上でしっかりした口調の女性の声がした。顔をあげると、披露宴の参列者を見送りに出ていた新郎新婦が見下ろしていた。なにかの勘違いだと思い、「わたしに」と首をひねり返事をした。

「生前は父が大変お世話になりました」 

 新婦は周りを気にしたように小さな声でいい、深々とお辞儀をした。

(え? そんな、ばかな、この美しい新婦が井上さんの!)

 あわてて直立して新婦に正対したが、言葉が出なかった。

 どう考えても、どう思い巡らしても、新婦にかける言葉が見つからなかった。ただひたすら、『こちらこそ、こちらこそ』と連呼し、うなずくだけだった。

「じつはお父様が」

 ことの成り行きを新婦に話そうとしたが、新婦はそれをさえぎり、「存じております」とだけいって再び深く頭を下げた。

「父はわたしが子どもの頃、家を出まして、それ以来、会ってはおりません。母へ仕送りしていた養育費の支払いがあったことがわかり、父の生存を知りました」

 そういって新婦は、となりにいる新郎へ視線をなげ、

「このひとが、母を説得してくれたので案内状を送ることができました」

「そうだったのですか」

「父がお世話になっていた藤代雪子さんはお元気にされていますか」

「あっ、ええ、井上さんが亡くなってずいぶん気落ちしていましたが、最近はいつものように元気に店をやっています」

「父との手紙のやり取りで雪子さんのことを聞いておりました。くれぐれもよろしくお伝えください」

 新郎新婦はそろって頭を下げた。

「承知しました」

 身内として井上さんが今日ここにつれてきたかった人は雪子ママだったのだ。今頃になって気づく頓馬な自分がやっぱりおかしくてしようがなかった。

 ホテルから海浜のメリケンパーク側に出ると、ポートタワーが先ほどとは違い、とても厳しい顔をしていた。タワーの真上にはマシュマロのようにふくよかな顔をした入道雲がいた。


 にっこりほほえんだ入道雲がつぶやいた。


「昨日の自分より今日の自分が好きになれたらそれでええんや」

 むくむくと天をつきあげそうにのぼるその雲は、二十年前、あの工事現場で、初めて出会った日に、冷えた缶ビールをくれて励ましてくれた命の恩人、井上さんの大きな顔にそっくりであった。         

                                        〈了〉


                    2019年 第十六回民主文学新人賞 最終候補作品


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