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明日  作者: 小山彰
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滅罪生善

「別府は、そりゃ人はやさしゅうて温い町やけど、人情の深さでいうたら大阪には勝てん。神戸っ子のおまえには悪いけど、俺は、格好つけんと必死で生きてるあの浪花の街が一番好きや」

 ドヤ街で立ちんぼをする勇気はなかった。井上さんのような潔さと信念もなかった。バブルで踊り狂った兄弟の借金で墓穴を掘ったにもかかわらず、どこかで格好をつけている自分が情けなかった。おもわず涙があふれそうになったので、顔をあげ、手で目頭をおさえた。

 会社に着くと、開口一番、社長がいった。

「そげなことあるかな。それでもたしかに書置きがあるし、一年前に積み立てをするときも、経理担当が結婚式の費用といって通帳をつくったと、いっちょったらしい」

 納得しかねている社長を見ていると少し腹が立ってきた。家からもって出た結婚式の招待状を社長に差し出した。

「たしかに小山君宛ての招待状やな。まちがいなさそうや。いったい、井上は、どげえするつもりやったんかぇ」

「先週現場で一緒だったときも井上さんがフェリーの切符が用意できたといっていましたから、行くつもりであったことは間違いないと思いますが」

 行くかどうかは半々だったが、社長の疑り深い視線と物言いが許せず、なにがなんでも行こうと決心した。

「井上は死んでるのに、小山くんはのこのこ出て行くんかい」

「のこのこ?」 

 怒髪天をつく思いで、社長をにらみつけた。

「すまん。そんなつもりやない」

 社長は行かせたくないのだろう。肝の小さな男である。お金のことより現場に穴を開けることを恐れているのだろう。

「先方に亡くなったことをつたえる義務がありますから。お金のことは会社の判断に任せます。自費でも行きます」

「そげなことはいっちょらん。所詮は預かりもんじゃ。ちゃんとした理由があれば出金するけん」

 社長は渋々了解したようだった。

「井上の預かり金を小山くんに出してあげてくれるか」

「はい。それじゃ銀行へ行ってきます」

 事務員が立ちあがって返事をした。

「おう、そうしてやっちょくれ」

 事務員が戻り、無事にお金を預かった。昼飯に出前をとってやろうという社長を断って会社を出た。汗水流して稼いだ銭をピンハネする背広族にご馳走になるつもりは毛頭なかった。

「小山君、自宅待機たのむで」

 別れ際の社長の言葉に、気分は最高欝に達した。

 風に吹かれて破れそうになっている百円傘をみつめながら、

「機嫌をとるくらいなら日当あげろ」と、力なく吼え、これからどうすべきか思案した。気分はすぐれず無性に酒を飲みたくなった。明確な意志をもって自宅待機の掟を破ることにした。

「会社のご都合による身勝手な拘束など糞くらえじゃ!」

 そう言葉にすると少しばかり気分が晴れた。きまぐれで朝から店をあけている『藤代』へ行こうと思った。

 雨空の元、さびしげに立っている別府タワーをながめているとおぼろげに通天閣に見えてきた。そういえばスタイルが似ている。

「坂田三吉、男でござる。やっぱ男は村田や」

 将棋好きだった井上さんの口癖を大きな声で叫ぶと、プラカードをもって客引きをしているソープランドのあんちゃんがいった。

「おいちゃん、雨降っちょるけん仕事ないんか、だいじょうぶか」

「おう、陽は昇ったら沈む。一日、辛抱してたら、また朝が来る。なるようになる。朝から立っとるあんちゃんと一緒や」

 プラカードをおろしたあんちゃんがそばに来ていった。

「そうか、おいちゃん、羽振りよさそうやな。タバコ一本めぐんでくれんか」

「わるい、わし、銭ないからタバコやめた」

 さっきの威勢は消えうせていた。

「なんや、しけてんな」

 あんちゃんは捨て台詞を吐いて、定位置にもどっていった。ポケットに手を入れると千円札が二枚。やはり現実は厳しい。ふところの中にある井上さんからの預かり金に手をつける勇気はなかった。

(我が抱く 思想はすべて 金なきに 因するごとし 秋の風吹く)

 啄木をそらんじて、やっぱり肩をおとした。

 藤代の暖簾をわけるとママがいった。

「えらいこっちゃ。鉄ちゃんも逝ってしもた」

「ママ、なにあほなことをいうてんねや。安物の推理小説か二時間ドラマみたいなこというたらアカン。なんぼ雨が続くからいうて、しめっぽすぎるやろ。鉄ちゃん、元気な顔して来てたやないか。和美と井上さんが死んだばかりやで。悠々自適の鉄ちゃんまでがなんでやねん」

 鉄ちゃんは、わけはよく知らないが長年連れ添った妻と熟年離婚。それを契機に早期退職。退職金をたんまりもらい、ゴルフ三昧。景気は絶好調のはずだった。

「家で眠ったまま死んでたらしい。今、はやりの熱中症いうやつや。今朝、ゴルフに無断で参加せなんだから、きよしさんが帰りに家を見にいってみつけたらしい」

 ママはかなり落ち込んでいた。

「来年から年金もらういうて、あんなに喜んでたのになあ」

 井上さんと鉄ちゃん、年金を国庫に没収されてしまった独居老人二人がただただ不憫だった。

「死んだらしまい。人の一生は、きれいになってふりだしには戻らん。やり直せるのも生きてるうちや」

 ママの言葉が骨身にしみた。

「ママには覚悟というものがあるな。俺なんかなにもない。ただ生きてるだけや。愚痴ばかりこぼして今日まで生きてきたけど」

「きたけど、どないした?」

「折り返した残りの人生だけはまじめに生きてきた。後悔はしてない。道に迷ったのは人と比べて生きてきたからや。比べてええのは、昨日の自分と今日の自分。そして明日がある。ちょっとだけでも進歩してたらそれでええんや」

「ええこというなぁ」

 ふたりの死に直面して、自分の人生を省みた。昨日までのことが瞬時にフラッシュバックしてきて胸が熱くなった。

 人はいずれ死ぬ。屠殺場に送られる牛やブタを見ていて、人はその宿命をかわいそうだというが、人もおなじく死にむかっているのである。そう気づかされた友人の死だった。

「今日は井上さんと鉄ちゃんに献杯や。明日の朝まで飲める銭はある」

「なにアホいうてんの、まだ朝やで」

 ママの右目から、ひとすじの涙がこぼれおちた。

「あんた、今日はうちの話、聞いてくれるか」

「どないしたんや。ママは自分の話をまったくせんいうて評判やのに」

「身近な人をいっぺんに三人も亡くしたら、なんや、なんでやしらんけど、自分のことを話しておこうおもうてな」

「そんなもんかな」

「おどろかんでや。うちな、井上さんから結婚申し込まれてたんや」

「え~そら、また、なんやて、ウソやろ」

 寝耳に水である。井上さんからは一言も聞かされていなかった。

「嘘やない。これが証拠や」

 ママが、井上さんから預かった大事なものといっていた封筒を引き出しから取り出して見せた。

「これや」

 封筒の中身は婚姻届だった。井上さんの署名と捺印はされているが、相手の署名捺印はなかった。

「井上さんはやさしい人でな、『わしは、いつ死ぬかわからんさかい遺族年金受け取るために籍だけ入れたらどうや。わしはママを応援したいんや。べつに一緒に暮らさんでもええ』そう前からいうてくれてたんやけど、冗談やと思って返事をせなんだら、ほんまに婚姻届に判ついてもってきたんよ」

「そんなことがあったんか」

 井上さんらしいと思った。井上さんが口癖のようにいっていた「秘策」とは、このことだったのだ。

「うちも正直、井上さんのこと嫌いやなかったから、その気がないわけじゃなかったけど、うちには他人にいえん事情もあってな」

「……」

 無言で耳を傾けた。

「じつはうちの弟がどないしょうもないアホで、学校も行かずに極道になってしもたんや。そのことを知ったうちの許婚は、なにもいわずうちの前から消えた。そうこうしているうちに弟が刃傷沙汰おこして豚箱に入ってしもたんや。両親は早く亡くなってたから、身元保証や出所後の引受人はうちしかおらんかった。うちは何もいわず弟を捨ててここへ流れてきた。わけもわからず南港から別府行きのフェリーに乗ったら、船の中は新婚旅行の客でいっぱいやった。うちは客室にもどらんと朝まで甲板の上で泣いてた」

 返す言葉がなかった。

「今の話をうちは井上さんに全部話したんや。もし弟にみつかったら、うちはなにをされるかしれんし、井上さんに迷惑がかかる」

「そしたら井上さんはなんていうた」

「『わしはそんなこと気にせん。そんなことであんたのことを嫌いになるような男やない』そういうて、翌日、この婚姻届をもってきたんや」

 ママは婚姻届を封筒にもどし、わたしに託した。

「うちはあの街に帰られへん。弟が怖いわけやないけど、胸がひきさかれる思いがするんや。たずねていけるところもないし。あんたは井上さんのために行っておいで」

 ママの瞳が涙であふれていた。

「俺が一緒にいてもか?」

「手をあわしてるさかい、かんにんや」

「わかった。わしひとりで行く」

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