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7月、前のめりの告白

 


 ずっとわたしの話を聞いてくれていた彼は、彼らしい言葉で励ますようなことを言った。

 

「僕は上手くいかないことばっかりだから、そう思うことにしてる」

 

 そうして少しだけ笑んだ横顔の優しさに、息をのんだ。

 彼の言葉が、すとんと心に落ちる。

 

(わたしも、そう思うことにしよう。……したい)

 

 そして、誰かにそう言ってあげられる彼みたいな人に、なりたい。

 急にそう感じて、そうしたら、心臓がうるさく鳴り出した。

 思わず足を止めたわたしを、数歩先に進んだ彼が振り返る。

 

「どうしたの」

 

 夜の住宅街。街灯の下、澄んだ瞳と、視線が交わる。

 いつもは全然目が合わないのに、どうして今は、そらさないでいてくれるんだろう。

 白い半袖のカッターシャツが、生ぬるい初夏の風を受けて少しだけ膨らむ。

 そんな彼の輪郭が、やけにくっきりとして見えた。

 

「……やなぎん」

 

 数年前と、そして数か月前に再会してから幾度も呼んだ彼のあだ名を呼ぶ。わたしの声はかすれていた。

 彼は一つ瞬きをして、わたしの言葉を待っている。

 大きく息を吸った。

 

「い、嫌じゃなければ……わたしの、彼氏になってもらえませんか」

 

 彼はみるみる目を丸くして、しきりに瞬きをすると。

 

「……え、と。今、そんな話してた?」


 困惑を全身で表している彼の様子に、とてつもなく唐突な告白をやらかしたわたしも困惑した。


「あれ、あの、えっ。わたし今告白した?」

「たぶん」

「う、嘘じゃないからね!」


 慌てていたけれど、必死にそれだけは主張する。

 今、突然。

 わたしは彼のことが好きなんだって、急にわかってしまったのだ。


 彼といるときは、取り繕わないでいられる。自然体でいても、それをフラットに受け入れてくれる。

 たぶんわたしにとって、それはなによりもありがたくて、嬉しいことなんだ。

 

 そこから突然「彼氏になって」は自分でも飛ばしすぎだと思うけれど、口からでてしまったものはもう戻せない。

 タイミングとか言い方とかに後悔はあっても、告白自体には微塵もなかった。


 (好きな人、できた。ううん、いた)


 全身がなんだかしゅわしゅわしてきて、じわっと感情が体を駆け巡る。

 嬉しい。

 好きな人がいて、今その人が目の前にいて、話をしていることが。


「あの、大丈夫? やけになってない、沢渡さん」


 眉をひそめたやなぎんが、一歩近づいた。

 疑われている。


「全然、むしろ今までがやけだったみたいなものだから、一周回ってめちゃめちゃ冷静に落ち着いて出した結論!」


 ちょっと引かれているのを感じて、思わず彼の腕を取る。

 びくっとしたやなぎんの視線が、腕を掴んでいるわたしの手と、わたしの顔とを行ったり来たりする。

 冷静さを欠いたらしい彼は、おもむろにわたしの手首にひんやりとした指をあてた。


「……脈、すごく速いけど……冷静ではないね」

「なんで脈はかるの?!」

「ごめん、動揺してて、僕も」


 その言葉に嘘はないらしく、やなぎんも視線を泳がせる。

 ぎこちない動きで一歩離れ、そっぽを向いたまま彼は歩き出してしまった。


 慌てて追いかけ隣に並ぶけれど、常になく早足のやなぎん。わたしはほとんど小走りだ。

 

「急に、なんで?」


 こんなにつっけんどんな言い方は、初めて聞いた。

 少しだけ気持ちがしぼむ。わたしだけ浮かれて、一方的に押しつけるように想いを告げて。そういう状況だ。


 口の中が急に乾いて、声が上手く出ない。それでも必死に答えようと声を絞り出す。


「それは……その、す、す……」

「……まさか、好き、とか」


 やなぎんから発せられたとは信じられない、驚くほど冷めた声だった。


「気のせいだと思う」


 彼はようやく足を止めた。もう、郵便局の前だった。

 

「え?」

 

 聞き返す声がみっともなく震える。


「今の会話でどうしてそこに行き着いたのかわからないけど」


 いくぶん柔らかい声音で彼は言った。

 

「沢渡さん、疲れてるんだよ」


 そんな、思いきりわたしの想いを否定することを、そんなに優しい声で言わないでほしかった。

 足元がぐらぐらと揺れたように定まらない。


 ……でも。

 こんなものは失恋でも何でもない、と、頭のどこかで思った。


 だってそもそも、わたしの想いは受け取ってもらえてもいないのだ。見なかったこと、聞かなかったことにされようとしている。

 そう気づいたら、少し腹が立ってきた。

 今度こそやけになって、言い放つ。


「じゃあ! 今日はもう早く寝て、ゆっくり休んで疲れ取って、明日また言うから! そしたら信じてくれるよね」


 念を押すように、じっと彼の目を見つめる。

 やなぎんはみるみる目を見開いた。

 

「え……」

「バイバイ、お疲れ! また明日!!」


 最後にそれだけ言って、もうそれ以上は反応を見ていられなくて、走り出す。


 鍵を開けるのももどかしく玄関に駆け込むと、勢い余って傘立てに引っかかって大きな音が出た。


 ばたばたと足音がして、ひょいっと下の兄、柊が顔を出す。

 見るまでもなく、呆れたように顔をしかめている。もともと人相があまりよくないので、そういう顔をするとガラが悪く見えるからやめた方がいいと常々思っているのだけど。


「うお、柚。おかえり。変な音したけど大丈夫か?」

「ただいま!!」


 勢いのまま声を出したら、思っている以上に玄関に響きわたった。

 柊は不快感もあらわに鼻の頭にしわを寄せ、目を眇める。

 

「声がでけえ」

「柊も人のこと言えないでしょ」


 ほとんど反射で言い返したわたしの顔を、柊はふと怪訝そうに見つめた。

 

「なんかお前顔赤くねえ?」

「うそ」


 驚いたわたしをよそにもうすっかり興味をなくしたようで、柊は踵を返しつつ言葉を投げる。

 

「風邪だったらうつすなよ、飯食って早く寝ろ」


 ご飯の話を聞いたら、急に空腹を意識した。ようやく他のことに意識が向いて、ダイニングから漂ってくる香りに気づく。

 

「うん……今日焼きそば?」


 今日は柊が夕食当番の日だ。そんな日は、よほどのことが起こらない限り99.9%の確率でメニューは焼きそばである。

 くるりと振り返って睨まれたけれど、慣れっこなので全然怖くない。

 

「それ毎回聞くけど嫌味か」

「ううん。焼きそば好きだよ」


 ただ単に、確かめただけだ。受験生であることが考慮され、柊が当番の日は週1。かろうじて飽きるほどの頻度でもないし、実際柊の作る焼きそばは特別なものが入っているわけでもないのになんだかおいしい。

 

「そうかよ」


 うっとうしそうにそう言って、今度こそ柊は玄関を後にする。


 わたしは荷物を置いて手を洗って、おいしい焼きそばを食べてあったかいお風呂に入って、早々に眠りについた。

 夢にはやなぎんが出てきて、なぜかものすごく建物が入り組んだ映画館へ行き、わけのわからない映画を観ていた。


 目が覚めてぼんやりした頭のまま、わたしは漠然と、これだ、と思った。


 今日から夏休み。やなぎんの通う桐高も。


 えいや、と気合を入れて、何度も何度も文面を考え直したメッセージをやなぎんに送る。


『昨日の話の続きを聞いてもらいたいので、よかったら一緒におでかけしませんか』


 送信したあと、思わずぽいとスマホを投げ出してしまう。枕で弾んでシーツの上に落ちるのを目で追って、顔を枕にぎゅっと押しつける。

 送ってしまった。


 そろそろとスマホを持ち上げて、消えてしまっていた画面をつけなおす。彼とのトーク画面のままになっていた。既読の文字はついていない。

 しばらく画面を見つめて、息を吐いて一度見るのをやめた。


 パジャマのままリビングへ降りていくと、ふわっとコーヒーのいい香りがしてきた。


「柚、おはよう。コーヒー飲む?」


 メガネの奥の細い目をさらに優しく細めてそう声をかけてきたのは、上の兄、椋にいだった。椋にいと柊はよく見るとかなり顔が似ていて、同じように切れ長で細い目でも優しそうなのが椋にい、目つきが悪いのが柊だ。


「おはよう……。ちょっとだけちょうだい」

「うん。もうすぐ落ちるから、牛乳あっためときな」

「うん」


 夏でも朝は温かい飲み物を飲む。お腹が冷えやすいわたしの日課だ。

 それをちゃんと覚えていて、そして毎朝丁寧に豆から挽いてドリップコーヒーを淹れる椋にいは、本当にマメな人だと思う。豆だけに。

 現在大学四年生で、院試を控えて勉強中。彼女さんも就活中でなかなか会えないみたいで、趣味のコーヒーが癒しと息抜きになっているらしい。

 本当に、粗暴な柊と兄弟とは思えない。雑なわたしとも。


 大きめのマグに半分くらい入れた牛乳をレンジで温め終えるころに、ふんわり柔らかな湯気を立てるコーヒーも出来上がった。


 椋にいは一口飲んで、満足そうに目を細める。すでに朝食は終えたようで、そのままリビングのソファで新聞を読み始めた。


「椋にい、もらうね」

「どうぞー」


 声をかけて、本当に少しだけもらう。こんなに丁寧に淹れてあるのが申し訳なくなるくらい、牛乳の比率が多いカフェオレだ。コーヒーの味の違いがわからないお子様はホットミルクでも飲んでろ、というのは、わたしのマグカップの中の色味を見るたびに出る柊のセリフである。


 美味しいカフェオレを飲みながら、トースターでパンを焼く。


 イチゴジャムをのせて頬張っていたら、スマホが光った。

 お行儀が悪いけど見てしまう。


『午前中は部活なので、午後でよければ』


 やなぎんからの返信だった。

 もう本当にお行儀が悪いけど、思わずトーストを手放してスマホに持ち替える。


 焦って何度も誤字しながら、なんとかメッセージを打った。


『全然大丈夫! どこか行きたいところはありますか?』

『話をするんじゃないの?』

『それもあるけど、デートです!!』


 言っちゃった……!

 すぐに既読がついたのに、待てど暮らせど返信が来ない。

 トーストを食べ終わってしまっても来ない。


(いやなのかな……)


 不安に襲われるけれど、勇気を振り絞ってもう一つ、メッセージを送る。

 

『映画はどうですか?』


 これにもすぐに既読がついた。

 何かにすごく悩んでいるみたいだけど、わたしにとってそれはいい悩みだろうか。


 しばらく待ってみると。

 

『映画、いいと思います。今ならこれとかどうですか』


 何年か前に話題になった小説が原作の映画のホームページリンクと一緒に、そんな返事がきた。

 

 それからわたしは速やかに朝食をすませるとクローゼットをひっくり返して着ていく服に悩み倒し、恵那にSOSのメッセージを送る。


『こっちとこっち、どっちがいいと思う?』


 なんとか絞り込んだ2パターン。ブルーのストライプのシャツワンピースか、シンプルにTシャツとデニム地のスカートか。

 ワンピースはいつものわたしからすると気合が入りすぎなような気がしてしまうし、かといってラフすぎるのもどうかと思うし。

 鏡の前で撮っておいた写真と一緒に送ったメッセージには、そう時間をおかずに返事があった。なんと電話で。


「なに、柚。出かけるの? 誰と、どこに、目的は? それによるんだけど」


 通話ボタンをタップした瞬間、矢継ぎ早に聞かれる。心なしか声がとんがっているのは気のせいだと思いたい。


「ごめん急に」

「いいから」


 自覚したのが昨日のことでふわふわしたまま、恵那に何も伝えていないことに思い当たって焦る。

 ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「……デート、です」

「はあ? 誰と?!」


 声のボリュームが急に上がって、思わずスマホを耳から離す。

 恐る恐る答える。

 

「好きな人と……」

「だから誰それ! 私なんも聞いてないけど!?」

「今はじめて言った」

「そうだよね」


 一瞬冷静になるわたしたち。

 恵那は声にならない声をあげて、その後急に声が低くなる。


「聞きたいことありすぎ。明日か明後日タピオカ奢って、尋問するから」

「はい……」

「とりあえず今は服。相手どんなタイプなの、真面目? あと行き先は?」

「真面目。映画」

「じゃあシャツワンピ一択。間違いない」

「はい……気合いれすぎとか思われないかな?」


 ドラマに出てくるできる女上司のような恵那は、使えない新人を前に呆れのため息をつく。

 

「デートで気合いれなくていついれるの」

「そっか!」

「てかあんたからしたら気合入ってるのかもしれないけど、それわりとカジュアルだから。全然普通だから」

「はい……」

「じゃあせいぜい頑張りなよ」


 そうして電話はぶちっと切れた。

 尋問、怖すぎる。

 


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