5月、思いがけない再会
高校二年生の4月は、目まぐるしく過ぎて行った。
その一カ月の間に、わたしは三回合コンまがいの集まりに参加した。クラスの子の男友達とのボウリング、カラオケ、そして部活の先輩の知り合いの人たちとのカラオケ。なるほど、高校生男女とはカラオケが好きらしい。わたしも好きだけど。
結論から言うと、全く恋愛に発展する気配がない。原因はわかりきっている。
ボウリングでは、ガチりすぎて男子と同じノリではしゃいでしまった。運動神経は良い方だし、よく父や上の兄が連れて行ってくれるのでかなり得意。結果、男子たちより女子にモテてしまった。柚、かっこいい! の歓声が未だに耳に残っている。何しに行ったんだろう。
次にカラオケ。ボウリングでの反省を生かし、とっても大人しく、おしとやかに過ごそうと頑張った。結果、地蔵になっていた。
その次のカラオケ。大人しくしすぎて会話に加わらず気疲れしていては意味がないので、適度にはしゃごうとした。きっと男子も好きだろうと、小さい頃夢中になって見ていた戦隊モノの主題歌を熱唱した。引かれた。いつも喧嘩ばかりの下の兄も、わたしがこれを歌うときはノリノリでマラカスを振ってくれるのに、なぜだろう。
そういうわけで、わたしの出会い探しの旅はまだまだ続いている。
そろそろ現実逃避をやめようと思う。今わたしは、予備校の個別ブースの堅い椅子に腰かけて、映像授業を受けている。パソコンのモニタの中で面白おかしく英語の授業をしている熊みたいな講師のおじさんが、1.25倍速で動いているのが少し可愛い。内容は全く可愛くないけど。
授業の動画が終わったので、マウスを操作して確認テストのページに移る。回答を進め、結果が出た。うーん、そこそこ。この回は普段よりも復習が必要そうだ。授業中現実逃避した分、理解が足りなかったみたい。
5月に入り、わたしは予備校に通いだした。
二年生に進級した最初の確認テストで、英語だけ赤点を取ってしまったのである。人生初の赤点。少し泣いた。他の教科は普通にいい成績であるばかりに、英語だけ突出して悪いこの状況を母が危ぶみ、予備校に通ってみようということになった。
コースごとにテキストと映像授業を購入するタイプの予備校に決め、部活のない放課後、せっせとコースを進めるべくパソコンのモニタとにらめっこしている。ちなみに費用は出世払いで、つまりは借金。大学生になったらバイトして返済する約束だ。
赤点さえ取らなければ、と思うものの、後悔先に立たず。英語は文理どちらを選択しても逃れられないから、この機会に苦手を克服したい。
テキストやペンケースを片付け、授業を受けていたアカウントからログアウトする。手早く荷物をまとめると、わたしはブースを出た。
いくつもの机にパソコンがずらりと並び、その一つ一つがコの字型の衝立で囲われている。背中側が開いていて、下手したら隣の席ともきちんと区切られているとはいいがたいブースの環境は、もしかしたらわざとなのかもしれない。映像授業だからこそ、ある程度他人の存在が感じられる方が怠けずにいられる気がする。
(あ、今日もいた)
入り口近くのブースに、その人は今日もいた。まるっと短い黒髪の男子生徒。少し猫背気味の背中とつむじの感じにどうも見覚えがあるように思える彼は、華女の近くにある中高一貫の男子校、白桐高校の生徒らしく、襟に校章のついた学ランを椅子の背にかけている。
この予備校は、わたしの家の最寄り駅前の校舎だ。華女や桐高のある駅から4駅離れている。つまり、わざわざこの校舎に通っているということは、彼もこちらが地元なのだろう。
中学か小学校が同じだったのかもしれないな、なんてことを考えながら、わたしは教室を出た。
時刻は19時半。今日も頑張った。もっと遅くまで校舎は開いているけれど、わたしはいつもこのくらいには帰宅する。お腹がすくから。
受付のカウンターへ寄ったら、ちょうど担当してくれているチューターさんがいた。橋本さんという明るい女子大生さんだ。
「ありがとうございました」
ブースの番号札を返却すると、橋本さんはにこっと微笑んだ。
「沢渡さん、お疲れ様。そろそろ面談しようかと思うんだけど、次はいつの予定?」
「明々後日です」
「わかった、いつでもいいから声かけてね」
「はい、よろしくお願いします」
そこまで話したところで、後ろに人の気配を感じた。橋本さんに帰りの挨拶をして、さっと場所を空ける。
顔は見なかったけれど、後ろにいたのは例の男子だった。
「柳くん、お疲れ様」
どうやら彼も橋本さんが担当らしく、声をかけているのが聞こえる。
聞こえてきた彼の名字に、わたしは思わず足を止めてしまった。
(柳……?)
あ、と、口の中で小さくつぶやく。
思い出した、やなぎんだ。
あの猫背な感じと、つむじを中心にくるんと伸びている髪の、まるっとしたまとまり方。地元がここで、柳という名字。そうそうよくいる名字でもないだろうし、なにより後ろ姿の面影がある。
小学4年生の頃転校してきて、以来卒業まで同じクラスだった柳秋典くん。あだ名はやなぎん。彼に違いない。
中学受験したのは知っていたけれど、学校までは知らなかった。
偶然にはやる鼓動を感じながら、とりあえず予備校を出る。雑居ビルの5階に入っているので、自動ドアを出てすぐエレベーターホールがある。下のボタンを押して、エレベーターを待った。
ちょうどエレベーターがやってきたとき、後ろで予備校のドアが開く音がした。
エレベーターのドアも開く。乗り込んでドアの方を向くと、続いて乗ってきた人と、ばちっと目が合う。
思わず下を向いた。
(やっぱり、やなぎんだ)
顔を見て確信する。だいぶ大人っぽい顔つきになっていたけれど、切れ長の目にごくわずかに下がり気味の眉、薄い唇。そして、少しだけ色の薄い瞳。長めの前髪越しに見えた瞳は、一瞬合ってすぐにそらされたけれど、見間違えなかった。
エレベーターが動き出す。彼もドアの方を向いていて、今は後ろ姿しか見えない。
わたしは知らず知らずのうちに握りしめていた手を、そっと開いた。わずかに汗がにじんでいる。やけにうるさい心臓の音を不思議に思いながら、大きく息を吸った。
「……あの」
狭いエレベーターの中、わたしのばかでかい声が響く。やなぎんはびくっと肩を揺らして、はじかれたように振り向いた。
目は合わない。
「は、い?」
まさか自分が話しかけられたとは信じられない、といった口調で、聞き返される。
全然知らない、低い声だった。
記憶の中のやなぎんの声を想像していたので、混乱する。
混乱したまま、それでも続けた。
「柳くんって、やなぎん?」
「え?」
驚いている彼に、わたしはどこか必死な思いだった。
「やなぎんだよね。わたし、小学校で同じクラスだった沢渡柚。覚えてない?」
言いつのるわたしの喉元のあたりをじっと見つめて、少しだけ視線を動かして。一瞬合った目が、少し揺れた。
彼は何度も瞬きをしてから、ゆっくりと言った。
「覚えてる。沢渡さん」
途端、安堵が体を包み込む。じわじわと胸に広がる嬉しさが、温かかった。
「よかった! 久しぶり、やなぎん背伸びたね」
小学校の時は、わたしの方が2センチくらい高かった。
今のやなぎんは、頭一つ分わたしより高い。
彼は少しだけ考えて、頷いた。
「……ん。沢渡さんは、……髪、伸ばしたね」
言われて、肩より少し長い髪の毛先が外にはねているのが途端に気になった。手で撫でつけるようにしながら、言う。
「あはは、確かに。わたし小学生の頃は男子みたいな髪だったもんね」
「……」
顎のラインより短いショートヘアを貫いていた小学生時代のわたしを思い出していたのか、やなぎんは目線を上にやって、黙った。
肯定もしないけれど、否定も返ってこない。
ひどく正直なその様子に、変わってないなあなんてことを思って、妙に嬉しくなった。
「わたし華女なんだよ。学校近所だね」
て、制服見ればわかるか。華女の制服は、深い臙脂色のセーラー服で、かなり特徴的だ。誤魔化すように笑うけれど、やなぎんはにこりともしない。表情筋が死んでいるのは相変わらずみたい。でも、こくんと頷いてくれた。
当たり前だけど、頷き方、小学生の頃とおんなじだ。
そんなことを思ってまたにやにやしていたら、足から感じる軽い振動。エレベーターが地上階についた。
ドアが開く。やなぎんが開くボタンを押してくれているので、お礼を言って足早に降りた。
ビルを出て、くるっとやなぎんを振り返る。勢いに驚いたのか、彼の肩がびくっと上がった。
「やなぎん、今も2丁目のおうち?」
頷いた。
「じゃあ郵便局のあたりまで、道一緒だよね」
「……うん」
「よかったら、そこまで一緒に帰ろう?」
久しぶりに会った嬉しさで、そう誘う。
やなぎんは目線を下に落として少し考えてから、頷いた。
どちらともなく、並んで歩き出す。
すると、急に隣で歩いている人が同い年の――高校生の男子なのだと、思い知った。背丈も、体格も、歩幅も、わたしの知っているやなぎんではない。
当たり前だ。小学校卒業以来会わなかったのだから、丸4年もたっている。
それでも、久しぶりだというのに、話しているとそんな感じがしなかった。
(なんでだろう。雰囲気かな)
もともと多弁ではないやなぎんとの会話は、わたしがべらべらと喋り、質問するのに彼が答えるという形になる。
今日もいろいろと質問しながら、わたしはやなぎんと話すようになった頃のことを思いだしていた。