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3月末、青天の霹靂



「向いてなかったって気づけたんなら、それも必要な時間だったんじゃないかな」

 

 ずっと黙ってわたしの話を聞いてくれていた彼は、珍しく、励ますようなことを言った。

 

「僕は上手くいかないことばっかりだから、そう思うことにしてる」

 

 そう言って、少しだけ笑んだ横顔の優しさに、息をのんだ。

 彼の言葉が、すとんと心に落ちる。

 

(わたしも、そう思うことにしよう。……したい)

 

 そして、誰かにそう言ってあげられる彼みたいな人に、なりたい。

 急にそう感じて、そうしたら、心臓がうるさく鳴り出した。

 思わず足を止めたわたしを、数歩先に進んだ彼が振り返る。

 

「どうしたの」

 

 まだほんのりと明るい、夏の夜の住宅街。澄んだ瞳と、視線が交わる。

 いつもは全然目が合わないのに、どうして今日は、そらさないでいてくれるんだろう。

 白い半袖のカッターシャツが、生ぬるい初夏の風を受けて少しだけ膨らむ。

 そんな彼の輪郭が、やけにくっきりとして見えた。

 

「……やなぎん」

 

 数年前と、そして数か月前に再会してから幾度も呼んだ彼のあだ名を呼ぶ。わたしの声はかすれていた。

 彼は一つ瞬きをして、わたしの言葉を待っている。

 大きく息を吸った。

 

「い、嫌じゃなければ……わたしの、彼氏になってもらえませんか」

 

 彼はみるみる目を丸くして、しきりに瞬きをすると。

 

「……今、そんな話してた?」

 

 わたしのとてつもなく唐突な告白に対して、ひどくごもっともなお返事をくれた。



 この唐突な告白に至るまで、わたしは人生の中で一番気を遣う数ヶ月を過ごしてきた。事の発端は、3月末……春休み中のある日のことだった。





 



 ***

 

 高校生活一年目が無事に終わり、迎えた春休み。中学の頃の友達と久しぶりに会うことになって、人気店だというカフェに来ていた。

 そんなおしゃれなカフェで、わたし、沢渡柚は今まさに頬張ろうとしていたパンケーキをフォークとともに皿に置いた。ほんの少し、粉砂糖が舞い上がるのが目の端に映る。

 

「柚、ちょっとこぼしたよ」

 

 向かいに座る友人の梨沙子が呆れた顔をする。隣に座っていた未央が、テーブルにこぼれた粉砂糖をさっとおしぼりで拭ってくれた。

 なんとか未央にお礼を言ったけれど、正直わたしの頭はそれどころではなかった。

 

「待って、え、彼氏? 彼氏できたの、りさっち」

 

 わたしはさきほど聞いたばかりの衝撃の事実を、そっくりそのままオウム返しする。梨沙子は少し頬を赤くして、目を逸らしつつも頷いた。

 思考が停止したわたしを置いてけぼりにして、未央が気を取り直したように嬉しそうな声をあげる。

 

「りさちゃんおめでと、夏休みのとき言ってた人?」

「うん、そいつ」

「同じクラスなんだっけ。ね、どっちから?」

「……バレンタインに、私から」

「ひゃー!」

 

 彼氏、と頭の中で繰り返すわたしをよそに、友人二人はどんどん話を進めていく。

 恥ずかしくなったのか、梨沙子は未央に水を向けた。

 

「未央は? 前に言ってた先輩とは?」

「私は全然だよ、もうほんと見てるだけ」

 

 絶賛片想い中、と未央がこぼす。

 頭の中を、今度は片想いという単語がぐるぐると回る。

 そんな少女漫画みたいな恋愛のあれこれは、わたしにとって未知の世界だった。

 

「りさちゃん、写真見たい」

「え、まともなのあったかな……」

 

 未央にせがまれ、梨沙子がスマホの画面をスワイプする。カメラロールを眺める目は、見てわかるほど嬉しそうだ。

 そんな友人の姿を見て、ようやく衝撃を咀嚼し終えた。これは現実だ。

 

「待って待って、え、りさっち彼氏できたの?」

「柚はいい加減そこから進んで」

 

 ぴしゃりと言い放つ梨沙子。相変わらずクールでドライだ。

 

 梨沙子も未央も、中学時代の友達だ。同じバド部で、三年生の時はクラスも一緒だった。

 梨沙子は私立大学の付属高校に進学し、未央は部活動が盛んで人気の都立高校に進学した。どちらも共学。


 対してわたしは、華園宮女子学院といういかにもお嬢様校な名称だが別にお嬢様校なわけではない女子校に進学した。

 第一志望ではなかったけれど、通称華女と呼ばれる今の高校に進学したことに後悔はなかった。のびのびした空気が肌に合っているとも感じている。何より、女子校と言うと想像されがちな女同士のジメジメギスギス、なんてことは全くなく、むしろさっぱりした関係で心底快適だ。もちろん知らないところで起きている可能性はあるが、知らなければないのと同じ。女子大に通う姉を持つ耳年増な友人は、女が揉める原因ぶっちぎりの第一位は男であると言っていた。至言だと思う。揉める原因が校内にいないのだから、平和なのも自然の摂理だ。

 

 しかし今ここにきて、夏休みに話を聞いたときも少しだけ感じた焦りのようなものが、心に染みを落とす。

 二人とも、好きな人がいて。梨沙子に至っては、彼氏だ。


 中学のときも、梨沙子には好きな人がいた。未央は確か理科の先生がかっこいいと言って、アイドル的に憧れていた。わたしにはそういう人がいなかったけれど、全然気にしていなかった。そのうち、具体的には高校生くらいになったら、お子様な自覚があるわたしにも好きな人くらいできるだろうとぼんやり考えていた。


 でも、高校生活一年目が過ぎた今。わたしには好きな人すらいない。このままのびのびと過ごしていたら、このまま何事もなく高校を卒業するに違いない。

 考えがそこに行きついたとき、わたしの心には焦りがぶわっと広がった。今一緒にいる二人だけでなく、高校の友達も、同年代の女子みんな、わたしを置いてどんどん大人になっていくような、そんな焦りだ。


「りさっち、未央……」

「柚ちゃん、どしたの」

 

 わたしの弱々しい呼びかけに、未央が心配そうにこちらを見た。梨沙子も、先を促すように首を傾げる。

 

「好きな人って、どうやったらできるの」

 

 え、と呟いたのは、一体どちらだったのか。未央は考え込み、梨沙子はにやにやとどこか嬉しそうな笑みを浮かべだした。


「柚もとうとう興味でてきた? あんた中学のときも男子とは小学生のノリで絡んでたもんね」

「あれは同じ小学校だった子が多かったから今更変えようがなかったっていうか」


 言い訳だ。正直、体育着袋とかを振り回してバトルするのは普通に童心に帰れて楽しかった。当たっても痛くないし。

 わたしの悪い癖である。さすがに中二くらいからまずいと気づいて極力大人しくはしていたけれど、わたしの本性は小学二年生男子並みのお子様マインドなのだ。


 わたしには5歳上の兄と年子の兄がいる。年子の兄と遊び、喧嘩しながら育った。同じ小学校から持ち上がりの男子たちはわたしがそういうやつだと知っている。別の小学校からきた男子たちにもすぐにそれが伝わって、わたしに絡むときは、ちょっといいなと思っている女子の前では口が裂けても言わないような小学生レベルの下ネタを普通に言うし、態度も男子に対するそれだった。

 べつに女子扱いされたいと思ったことはなかったけれど、そんな環境で恋愛がどうこう言えるような情緒が育つはずもない。……とは、梨沙子の冷静な分析である。その通りだと思う。わたし自身、ごく薄い興味をときたま思い出す程度の関心しかなかった。

 

 悩みだすわたしに、未央が言う。

 

「別に、好きな人って無理に作るものでもないんじゃないかな。恋愛だって、必ずしなきゃいけないものでもないと思うし」

「それはそうなんだけど……わたしも好きな人がいる、っていうのがどんな感じか知りたい。二人、楽しそうだし」

 

 彼氏のことを話す梨沙子は可愛いし、すごく幸せそう。未央も、好きな先輩が長い髪が好きだから、と髪を伸ばしていて、なんだか前より綺麗になった気がする。

 肩くらいまで適当に伸ばして、たまに寝ぐせを直し忘れる自分の髪を見おろす。

 漠然と、このままではいられない、と思う。

 

「それなら、やっぱり出会いじゃない?」

 

 身を乗り出すようにして、梨沙子が言う。

 出会い。なるほど。

 好きな人ができたことがないので断言は難しいが、わたしの恋愛対象はおそらくたぶんきっと男性だ。華女ではおじいちゃん先生しか男性がいない。

 

「男子校との合コンとかないの? そういうの強い子とかいるでしょ、多分」

 

 いきなりハードルが高い単語が飛び出してきた。

 

「ゴウコン……それ高校生でもできるの? ドラマの中の大学生とか社会人とかが催しているイベントではなく?」

「ついていけないからってボケ倒すのやめなさいね」

 

 梨沙子は容赦がない。

 

「柚ちゃんの周りの子は合コンとかするタイプじゃないんじゃない? 調理部って、話聞いてるとおっとりした子が多そうだし」

 

 高校で、わたしは調理部に入った。これには、わたしの高校進学を機に母が時短勤務をフルタイムに戻したため夕食が当番制になったというのっぴきならない事情と、お察しの通り食欲が関係している。

 たしかに調理部の仲間はおっとりした子が多い。恋愛に極端に免疫のない子もいて、比較的マイルドな少女漫画の回し読みですら赤面してしまうくらいだ。とても、他校の男子との合コンをセッティングするような猛者はいない……と思われる。

 

「確かに……いやでも、柚の情緒が育ってないから話が回ってこないだけ説」

 

 それも否定できない。女子高生は大半が恋愛に興味津々だ。小学生マインドなわたしはそういう話をする相手にみなされていない可能性は十分にありえる。

 

「うーん否めない……」

 

 未央も穏やかながら失礼だ。未央は基本優しいけれど、こういう正直なところがある。

 

「ま、合コンっていうと大げさかもだけど、部活の子とかクラスの子とかにそれっぽい話振ってみたら?」

「うん……」

「でも実際に初対面の男子と遊ぶってなったらちょっと怖くない?」

 

 未央は少し眉を寄せてそう言った。確かに、全く怖くないかと言われると嘘になる。

 

「未央は慎重だな~。でも確かに。柚、抜けてるしたまにぽけぽけしてるし、危ない奴も中にはいるか」

 

 梨沙子は最初は笑ったけれど、すぐに真剣な表情でわたしを見てきた。ぽけぽけ?

 

「まあ華女の子の知り合いならそうそういなさそうではあるけど」

 

 未央はそう言いつつも、なおも心配そうである。

 梨沙子が大きく頷いて、わたしにぴしっと人差し指を向けた。わたしが先端恐怖症じゃないからいいけど、人をむやみに指さすのはやめた方がいいよ。

 

「よし、柚、もしほんとに合コンみたいなのに参加するときは気をつけなさいよ」

 

 実践あるのみ、機会があれば参加してみようという気になっていたので、そんなことを言われると急に不安になる。

 

「え、なにに気をつければいいの」

「お姉ちゃんの受け売りだけど……自分の飲み物からは目を離さない。すぐに二人きりにならない。大学生との合コンには行かない。距離詰めてくるのが異常に早い奴は要警戒。あとは……ちょろいと思われないように頑張る、とか?」

 

 指折り挙げていく梨沙子。

 

「わかった。気をつける」

 

 決意も固く、わたしは頷いた。



 

 かくして、出会いを求めるわたしの合コン行脚が幕を開けた。

 合コンのごの字もないような場所での出会いで、初めての恋がはじまるとも知らずに。



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