第三話
「やぁあ、デルタ。相も変わらず悩ましい顔をしているねぇ」
昼休み。昼食を終え、午後の授業まで人の居ない庭園で本を読んでいると聞き覚えのある気だるげな声が降ってきた。
「君はそんな暢気そうな顔していながら、いつも何かしら気に病んでるだろう?ベータ」
ベータ・ネモンテーロ。準公爵家でアルファの右腕だ。諸事情により、彼の家は侯爵よりも身分は上だが公爵家としては扱えないという得も言われぬ地位となっている。
そんな家庭で育った彼はいつも笑顔の鉄仮面を被っているのだ。
「手厳しいぃ〜」
「それで、今日はどんな助言をしに来たんだい?」
すると、ベータの声色が少し低くなった。
「昔からのよしみで言うね。いい加減《《どちらの立場か決めなよ》》。今のままじゃ、両者にすり潰されてお終いになんて結果になる。デルタもそんなの不本意でしょ?」
「だから、聖女派に付けと? 君も笑えない脅しをするようになったなぁ。憶測の価値観ほど陳腐で不正確なものはないよ。その結果が不本意かどうかは僕が決める。《《それ》》が簡単に交渉に使えるものではないことは君が1番分かってるだろ?」
「ああ、それは言えてるね。確かに俺は後悔はしていない。たとえ、今すぐ過去に戻れたとしても同じ事を思い、その決断をした父を慕うだろう。ネモンテーロ家の行いは決して間違っていない」
馬鹿な事を言うから、過去の古傷を抉られるのさ。苛ついてるようだけど、それはこっちの方だ。そろそろ諦めなよ。こんなこと、どうせ学園を卒業するまでのお遊びに過ぎない。
「そういえば、まだ《《新しい従者》》は決まってないのかな? 何なら俺が紹介しようか?」
「はぁ、もういい歳なんだからこんな小言でで気を悪くしないでくれ。本当、見た目だけ大きくなって、心の器の小ささはあの頃からちっとも変わらない。不快に思うなら最初から僕にくだらない話を持ちかけるな。正直、3歳の頃の君の方が今より余程賢人に見えるよ」
桃色にふやけた脳味噌は元に戻るのだろうか。僕が彼に言い返せる隙がこんなにあるなんてことは幼い頃からは考えられない。この調子であれば、この世代の宰相はあの小太り公爵になるだろうな。今のベータじゃ、執政、論争なんてまともにできやしない。
「あの頃から変わっていないのは君の方だろう? デルタ、いつまで過去を引き摺ってるんだ?」
「だから、言ってるだろ。 《《価値観》》は僕だけのものだ。君が推し量り、押し付けるものじゃない。僕がすることは僕が決める。それに、自身に返ってくる発言ばかりするなんて本当に衰えてしまったようだね。残念だよ、ベータ。僕に対しての言葉、もう一度君の中で復唱することを勧めるよ。そしたら、何か見えてくるかもしれないね。いや、今の君には見えないか......」
盲目の君に見えるだろうか。僕の目からではなく、第三者から見た君の姿が。過去を乗り越えられないまま、偽りの笑顔で日々を過ごす道化。きっとおそろしく滑稽で憐憫な姿だ。
「デルタ、君は本当に冷たくなったな。俺だけでなく、アルやガンマたちに対してもだ。いくら派閥争いが気に食わないからといってそこまで俺たちを邪険にするものなのか?今まで積み重ねてきた俺たちの友情はそんなものだったのか?」
「先程から質問ばかり。いつもと立場が逆だね。まさかこんな日が来るとは思いもしなかった。まあ、言うなればこんな色恋沙汰とままごと遊びに巻き込むのは止めて欲しいだけだ。そういうことは僕の存ぜぬ所で勝手にやってくれればいい。あと、強いて言うなら恋という病に罹った君たちがこれ以上愚こうを重ねるのを見たくない。だから、この騒動が落ち着くまで君たちと距離を置こうと思ってる。それを冷たいと感じるのは君たちの勝手。それで切れてしまう関係なら、その程度だったってことさ」
僕はそんな事で絶えてしまう関係ではないと願っている。でも、人というものは些細なきっかけで取り返しが付かなくなることも知っている。友と恋は感情のベクトルが違うから僕が何を言っても無意味だ。だから、祈るしかない。彼らとの友情が固く結ばれていると。
「はぁ、ほんと気難しい奴だ。理屈を捏ね回して、捲し立てる。君と話してるとなんだか昔を思い出してしまうなぁ」
ベータは数秒だけ僕を見つめ、校舎の方へ振り返った。
「ガンマはきっと最後まで諦めないよぉ」
「分かってる。アイツがわからず屋なのは身に染みてるからな」
「もし、公爵派に何かされたらいつでも頼ってくれよなぁ。俺たちが何とかしてやるからぁ」
ベータは手をヒラヒラと振りながら、去っていく。
「ああ」
僕は彼らが嫌いなわけじゃない。むしろ、その反対だからこそ、あんな無様な姿が見たくないだけだ。でも、それは僕が勝手に思っているだけだから、こうして欲しいと言う訳にもいかない。ただ、この関係が壊れてしまわないように。
今は静観の時
妙な胸騒ぎと不快感が
胸の中で蠢いているうちは
何もしない方が吉だ