第八話 F学級は今日も問題だらけ
入学式の翌日から早速、通常授業が始まった。
午前は主に座学で、魔術や一般的な学問を修める。
午後は主に実技で、体練や武術に打ち込む。
魔力に乏しく素養がない者も魔術を学ばなくてはいけないし、運動神経が壊滅的な者でも剣を執るのを強要される。
〈勇者育成学校〉では一芸に秀でた生徒もちゃんと評価されるし、「俺は剣の道を究めたいんだ!」等の意思も奨励される。
されど「剣の修業以外に時間をとられたくない!」等のワガママは許されない。
やはりここは育成学校なのだ。
今まで全く魔術に触れてこなかった者に学ばせてみれば、案外才能が開花するかもしれない。
だから生徒の可能性を閉ざすような真似を、学校側からは決してしないというわけだ。
無論、そうは言っても現実問題として、生徒全員が卒業までに武術と魔術の両方を高いレベルで修められるかといえば、そんなわけがない。
その両方をモノにできる生徒など――ルーン魔法騎士団から来たリックのような――ごくごく一部の才能の持ち主だけだろう。
それでもただの剣術バカより、「魔術とはどういうものか」「何ができて、何ができないのか」「長所は? 短所は?」等々を知っている人間の方が、社会に出た時に役に立つのは間違いない。
優れた剣技を持つはずのアナスタシアが、たかがゴロツキの目潰しにあっさりやられた――あれのもっと次元の高い話をしている。
〈勇者育成学校〉はただ剣術が得意な生徒ではなく、その剣術であらゆる事態に対応できる、実戦的な人間の育成を考えているのである。
そういうわけで俺たちは毎日、教室でジルヴァの講義を受けた。
教師としての彼女は「ついてこられる者だけ、ついてこい」というストロングスタイルだ。
生徒の私語や居眠りも一切、注意しない。
授業内容に関しては魔術・一般学問どちらに関しても、さすが質が高くて中身が濃い。
ただし板書は速すぎるし、口頭解説は高圧的すぎるしで、落ちこぼれ学級の大半がついていけてないのが明らか。
俺の隣の席でもアナスタシアが、懸命な形相で授業に食らいついていっている。
努力家で、伯爵令嬢として教養もあろうアナスタシアをしてこの必死さだ、学術の素養の乏しい生徒たちなど推して知るべし。
最初の一歩でつまづいて終了。
俺が見るところ――ジルヴァの講義はハイレベルな内容の割には、わかりやすく噛み砕いているし、要点の整理の仕方も素晴らしい。
つまりは彼女なりに生徒に配慮している。
ただその配慮も実際に生徒の助けになっていなければ、完全なる無意味。
どこまでも不器用な女なのだ、ジルヴァは。
今も昔も。
一方、午後の実技も指導するのはジルヴァである。
ひ弱な種族であるエルフに何が教えられるのかと、最初F組生徒たちは半信半疑だった。
しかし鍛錬場のトラックを使った持久走では、生徒に交じって走ったジルヴァが余裕で一位。
剣術に関しても、模範試合に立候補したアナスタシアを相手に八十合の打ち合いの末、ジルヴァが一本とってみせた。
それもジルヴァが受けきって凌ぐ、王者の戦いぶりだ。
「剣を学ぶのには不向きな担任教師だと思い込んでいたけれど、私の不明だったわね」
アナスタシアは負けてなお清々しく言った。
俺の隣に来ると、次いでリックを相手に模範試合を始めたジルヴァを見守る。
担任の剣技を見つめる目は、すっかり憧憬でキラキラしていた。
「仮にも“最深淵に到達した六人”だぞ? 辺境や魔境に出かけていって、何日もサヴァイバルしながら魔物を仕留めて帰るんだ。エルフとはいえ虚弱で務まるものか」
「なるほど、考えてみればそうね」
俺の指摘にアナスタシアが素直にうなずく。
付け加えれば、ジルヴァは二百年前の魔王軍相手の大戦でも、武功を立てた女傑である。
神から天職は与えられなかったし、さすがに“勇者一行”の雷名や戦歴に隠れてしまったが、彼女もまた大陸各地で活躍した、極めて「実戦的な」魔法使い。
多くのエルフが森に引きこもって戦いを避ける中、ジルヴァは彼らを怯懦と誹り、外の世界へ飛び出したという。
その事情を俺が口にするわけにはいかないが――アナスタシアもすぐ傍らでジルヴァの戦いぶりを見て触れて、何か感じとれるものがあったのではなかろうか。
そして、アナスタシアがジルヴァの実技指導をお気に召した一方で、体力や運動に自信のない生徒たちはやはり、担任の「ついてこられる者だけ、ついてこい」というスタイルに難色を示した。
例えば、ディケムという男子は王都の魔術学院からの転校組で、黒魔術の腕前はなかなかのもの(無論、学生レベルで)だが、身体能力に関してはモヤシそのもの。
「ウォーミングアップに、トラックを軽く十周してこい」というある日のジルヴァの指導に、さっさと体調不良を訴えて早退してしまったほどだ。
恐らくは寮で魔術の自習をするのだろうが、この手の実質サボタージュを許してしまうと、他の生徒たちも味を占めて、好きな授業、得意な授業しか受けなくなるだろう。
それでも担任は私語や居眠り同様、取り締まるつもりはないようだが。
ともあれジルヴァの講義は総じて、生徒がその長所をさらに伸ばす分には有用だが、落ちこぼれは落ちこぼれのまま置いていくという性格のまま続けられた。
これがA学級の話なら、教師は優等生たちの長所を伸ばしてやるだけで充分だろうがな。
ここはF学級なのだがな。
◇◆◇◆◇
F学級の問題は他にもあった。
ドリヤンの横暴に、クラスメイトたちがほとほと迷惑していたのである。
奴の親元、タキトール侯爵家というのは、地元エルドリアの大貴族らしい。調べた。
ゆえにドリヤンは多額の仕送りを得ており、学生とは思えない豪奢な生活をしている。
また学級にもその経済力を目当てに、奴の取り巻きと化した生徒が三人もいる。
腕っ節自慢の粗暴な男子が二人と、色気過剰のダークエルフの女子という組み合わせだ。
貴族の中には領民をいたぶるのが趣味のような奴が一定数いるが、ドリヤンはまさに典型。
気の弱いクラスメイトたちをパシリに使い、ささいなドジをあげつらって笑い者に仕立て、またスキンシップと称して小突き回した。
ラッセルが校長に就任した今の育成学校内では、身分格差による権力の濫用を禁じているが、代わりに取り巻き二人の暴力が学級内におけるドリヤンの地位を担保していた。
連中の無法ぶりを見かねて、正義感の強いアナスタシアや優等生のリックが止めに入ることもしょっちゅうだった。
しかしドリヤンは徹頭徹尾、卑怯な男で、
「貴族紳士はケンカをしないものなのだよフフフ」
と亜麻色巻毛の先をコネながら、その時は大人しく引き下がった。
弱者相手は嬲れても、F学級でも明らかに強者である二人(アナスタシアは一流の剣士だし、リックはルーン魔法騎士団出身のエリート)との衝突は避けるのだ。
なんとも賢しらなことだが、ともあれアナスタシアたちの目があるおかげで、ドリヤン一党に学級を支配されるなどという事態には陥っていない。
少なくとも今のところは。
教育熱心な〈勇者育成学校〉にも、休日はある。
明日が入学式以来初のそれで、放課後になるとクラスメイトたちは生き生きとした様子で、下校していった。
そんな中――
隣の席のアナスタシアが、唐突に言い出した。
「でっ、でででデートをしましょう、ルース」
「デート」
彼女とは思えぬ台詞に、さしもの俺も意表を突かれる。
実際にアナスタシア自身、よほど性分でもないのか、頬は赤いし目が泳いでいる。
「どういう風の吹き回しだ?」
「入学式の前にゴロツキどもから助けてもらったお礼が、まだだったでしょう?」
「だからといってな……」
「ウチは伯爵家といえども貧しいのよ。だから精神的なお礼ですませてもらえると、助かるのだけれど?」
「別に礼など不要だが……」
「それでは私の気がすまないの!」
「なかなか面倒な性格だな」
「自覚はあるわよ! で、するの? しないの?」
「わかった。お礼というなら素直に受け取ろう」
さっさと終わらせてしまった方が、アナスタシアも気が楽になるだろうし、後腐れがない。
そういうわけで、アナスタシアと出かけることになった。
〈勇者育成学校〉の周辺には、学生割引の効く店が多い。
アナスタシアが連れていってくれたのも、そんなカフェの一つだった。
店舗自体は小さいが、テラス席がたくさんあり、春うららかな晴天の下、育成学校の生徒たちでにぎわっている。
俺たちも二人掛けの小テーブルに陣取り、アナスタシアが注文した紅茶とケーキ(さすがにこれくらいは奢ってくれた)に舌鼓を打つ。
だが二人とも黙々と食べ終わってしまったので、ちっともデートらしくない。
もし学級の奴に目撃されたところで、「伯爵令嬢と子分」にしか見えないだろう。
「ご馳走様。帰るか」
「もう少しゆっくりしなさいよ……」
「しかし別に話題もないしな」
「そんなだからルースは友達ができないのよ」
「おまえにもできた様子はないがな」
「…………」
図星を衝かれたアナスタシアが、給仕を呼ぶ格好をしてそっぽを向いた。
そう、俺たちには未だに他に、仲の良いクラスメイトがいない。
原因は入学式の日のことだ。
ハーフエルフのミュカが主催した懇親会に不参加だった俺たちは、すっかり友達を作る機会にそびれ、孤立していた。
俺は友人など煩わしいだけなので構わないが、アナスタシアは少し寂しそうだった。
追加注文をすませたアナスタシアが、そっぽを向いたまま俺に訊ねてきた。
「あなた、困ったことがあるんじゃないの?」
「(友達ができない)おまえじゃなくて俺にか?」
「真面目に聞いているのだけれどっ」
「真面目に心当たりがないな……」
俺が率直に答えると、アナスタシアがこっちへ向き直る。
真剣な顔つきになって、
「授業についていけないのではなくて? 座学は心ここにあらずだし、体練ではいつもビリ。武術も馬術もダメダメ。正直、入学できたのが不思議なくらいよ」
「ああ、なるほどな……」
俺がジルヴァに教えることはあっても習うことなどないし、実技はどこまで体力消費を抑え、且つ怪我をせずに手抜きできるかを研究しているだけなのだが。
まさか本当のことは言えない。
一方、何も知らないアナスタシアは額に手を当て、
「私はね、ルース。あなたのことを測りかねているの……」
「というと?」
「ゴロツキから鮮やかに私を助けてくれた時には、只者ではない気配を感じたわ。なのに蓋を開けてみれば、この体たらく」
「だから買い被りだと言っただろう?」
「ねえ、ルース。もし手を抜いているのだとしたら、事情を教えて?」
アナスタシアはあくまで、俺が実力を隠していると言わんばかりだ。
なかなか鋭いところがある。
「買い被りだ。単に助けてもらったうれしさから、おまえは俺のことを良く見たいという心理が、働いてしまっているんじゃないか?」
「……そうね。……そういう気持ちは、あるかもしれないわ」
あくまで白を切り通す俺に、アナスタシアは諦めたように一つ嘆息し、
「わかったわ。ここはあなたの話につき合うとして、では授業についていけてないルースは、困っているのではないの?」
「まあ、〈勇者育成学校〉がこんなにレベルが高いとは思わなかった」
「自習する気があるなら、私が教えてあげるわよ?」
心にもないことを言う俺に、アナスタシアは前のめりになって言った。
根本的に、世話焼きな性格なのだろうな。
こいつの先祖もそうだった。
思い出すと、少し懐かしい……。
「ありがとう、アナスタシア。でも自分の力でやっていけるか、今はまだ試したいんだ」
「そう……。わかったわ。確かに自立心は大事だものね」
「どうしようもなくなった時はちゃんと助けを求めるから、その時はよろしく頼む」
「ええ、いつでも待っているから」
アナスタシアは安心したように、運ばれてきたカップを傾けた。
俺へのお礼でデートをするという話だったが、彼女の本題は案外こっちだったか。
落ちこぼれの中の落ちこぼれになりつつある俺を、見かねて助け舟を出したわけか。
やはりナイトハルトそっくりの、世話焼き気質だな。
少しだけ楽しくなった俺は、少しだけアナスタシアとの会話が弾んだ。
他愛もない雑談に興じることができたし、お茶もケーキも味がするようになった。
しかし――残念ながら長続きはしなかった。
「おうおうおう、“準最下位”ちゃんじゃねえか~」
「ぼっちだと思ってたのに、オトモダチいたんだなあ?」
「楽しそうだねえ。ワタシたちも交ぜてくれたまへよ」
という、どこかで聞いた卑しい声が聞こえてきたからだ。
ドリヤンと取り巻きの男二人が、テラス席でお茶をしていた女子にからんでいたからだ。
それを見て、アナスタシアが眉間にシワを寄せたからだ。
……これは一波乱ありそうだな。