第七話 担任教師ジルヴァ
〈勇者育成学校〉は全寮制となっている。
広大な学校の敷地内、馬場の北側に男子寮と女子寮がある。
親元からの仕送りは認められている一方で、寮外に宿を持つことはどんな事情であろうとも厳禁されていた。
また全生徒に個室が与えられている。
これは気兼ねがなくて俺も助かる。
部屋は広く、ベッドや勉強机などの作りも上等だ。
庶民にとっては贅沢だと感じるだろうし、貴族出身の生徒でも「我慢できなくはない」と思うことだろう。
俺はその部屋で日中を自堕落に過ごすと、皆が寝静まるのを待ち、こっそりと抜け出した。
向かったのは教師寮だ。
〈兇手〉の極技である《完全気配遮断》を使って忍び込む。
目的の部屋も首尾よく見つかった。
真新しいネームプレートに「ジルヴァ」と彫刻されている。
我らが担任殿の名前だ。
俺は扉の前に立つと、敢えて《完全気配遮断》を解く。
それだけで部屋の主は人の気配を察知し、中から誰何する。
「こんな夜更けに何用だ?」
また敢えて俺は返事をしない。
ややあって、銀髪のエルフが内側からわずかに扉を開ける。
その隙間から俺の姿を確認する。
「誰かと思えばルースか……」
俺は応答せず、許可も得ず部屋の中に体を滑り込ませる。
ジルヴァも口に出して抗議はしなかった。
ただ背中を向けた俺に対し、いきなりノーモーションで攻撃魔法を放ってきただけだ。
《金剛礫弾の嵐》――極めて威力の高い精霊魔法で、魔力で生成された無数の金剛石の礫が、俺の背中へと高速で迫る。
だが俺は振り返りもせず、同じくノーモーションの純粋魔法で対処する。
《不可視の手》――面倒臭がりだった〈魔女〉ライラが編み出した魔法を、〈教師〉が術理として解析し、俺に教授したものだ。
文字通り目には見えない、純然たる魔力でできた無数の腕が、ジルヴァの放った散弾を尽く受け止める。
数百発の金剛石が宙空でビタッと制止し、そのまま固定される。
魔力でできた仮初の存在である宝石の礫は、やがて消失していく。
「腕は全く鈍っていないようだな、ルース。魔族が滅びて二百年、ぬるま湯のような今の世で、私の攻撃魔法を余裕で凌いでみせる者など、まずおまえしかいないだろうよ」
「あんたこそ二百年の間にずいぶんと鈍ったんじゃないか、ジルヴァ?」
「フッ。口が減らないのも相変わらずだな」
振り返り、ようやく声を出した俺に、ジルヴァがクスリとした。
憎まれ口を繰り返しながらも、俺に向ける目は柔らかい。
他生徒たちに向ける冷淡な眼差しとは、はっきり違う。
一連のやりとりからわかるように、俺とジルヴァは顔見知りだ。
それも二百年来の古い知人だ。
俺と恋仲だったハーフエルフの〈剣姫〉マリア――
その実の叔母に当たるのが、このジルヴァなのだ。
エルフは長命種だから、今この時代にも当時と変わらぬ容貌で俺の前に立っている。
「巧く入学できたようで何よりだ、ルース。しかし、入試の成績を見て笑ったぞ? てっきりA学級にいるものと思えば、ぴったり最下位とはな。上手に手加減できたものだ」
「別に勇者になりたくて来たわけじゃない。ひっそりと学生生活を送り、そのまま卒業したい」
「こちらもそれで構わない。気難しいルースが、私の要請に応じてくれただけでも重畳というものだ」
「おまえの要請に応じたわけじゃない。マリアに頼まれたから来たんだ」
これには俺もぴしゃりと言って訂正した。
ジルヴァはむっとしつつも「わかっている。言葉の綾だ」と首肯した。
そう――
俺の懐に大切に仕舞われている、一枚の手紙。
マリアの筆跡で、育成学校に入学して欲しいと認められていたそれ。
通常あり得ない「死者の手紙」を送ってくれた、その差出人こそジルヴァだったのだ。
エルフ族は死後、その魂は世界樹の元へと還り、眠りにつく。
そして何百、何千年とかけてその魂は転生し、新たな果実の姿をとって世界樹に生る。
エルフの女はその実を食べることで、妊娠可能な状態になるのだという。
これは決して、エルフ族が創作した宗教ではない。
俺はかつて“勇者一行”として最古の森を訪ね、実物の世界樹を目の当たりにした。
そこで眠るエルフの魂たちの、確かな気配を〈墓守〉の肌で感じた。
一方、ジルヴァのような優れた精霊使いも、眠りについた同胞の魂を感じとることができる。
これは世界樹で眠る死者の魂が、半ば精霊に近い存在になっているからだ。
さらには彼らの魂は、ごく稀に目を覚ますこともあるのだという。
覚醒時間は決まって深夜。それも極めて短いそうだ。
彼らは魂の姿で肉親(近親者を含む)を訪れ、夢枕に立つとしばしの会話を楽しんで、再び眠りにつくのだとか。
そして、ジルヴァくらい優れた精霊使いであれば、お互いに目覚めた状態で死者の魂を己の肉体に憑依させ、しばし貸し与えることさえ可能なのだと。
つまりは――
俺の懐にあるこの手紙は、叔母であるジルヴァの肉体を借りて、マリアが書いたものなのだ。
世界樹の中で昏々と眠り続ける彼女の魂が、二百年ぶりに覚醒したのだ。
「マリアは他に、俺に何か言っていなかったのか?」
「いや。ルースを育成学校に呼ぶようにと手紙をしたためた後、すぐに眠りについた」
「わかった。ならいい」
事情を知りたくないといえば嘘になるが、不明なものは仕方ない。
不明なままでも、マリアの願いならばなんだって叶える。
それが俺の、マリアへの、永遠の愛情の証。
俺が守ってやることのできなかった、彼女への贖――
「マリアを助けられなかったことを、二百年経ってもまだ悔やんでいるのか?」
ジルヴァの問いに、俺は思考を中断させられた。
仮面の如く表情の凍てついた俺だが、今は無念の気持ちが顔に出ていたのだろうか。それで内心を読まれたのだろうか。
「己惚れるなよ、ルース」
柔らかだったジルヴァの目つきが、にわかに変わった。
怒ったような顔で続けた。
「あの子は、マリアは、私の姪は、エルフ族数千年の歴史においても稀有な天才だった。正真の英雄だった。そのあの子が魔王にはまるで歯が立たず、命を落としたのだ。おまえが何をあがこうとも、結果が変わろうはずがない」
彼女らしくない熱い口調で、俺を叱り続けた。
だけど――
これがこの不器用な女なりの、精一杯の俺への慰めの言葉なのだ。
それが理解できないほど、俺も無神経ではない。
「帰る」
俺は言葉少なに告げて、ジルヴァに背を向けた。
急な態度に、ジルヴァも苦笑を浮かべた。
さすがマリアの叔母は、齢数百年を数える女は、見透かしてきた。
そう、俺はこの件に関して、決して、慰められたくなかったのだ。