第五話 ラッセル校長
入学式が始まった。
校舎から東、少し離れたところにある講堂に、新入生一九八人が整列する。
俺もF学級の列に紛れ込むようにして並ぶ。
生徒の注目を浴びて、最初に登壇したのは校長だった。
歳は四十歳前後。
だが覇気漲る眼差しといい、堂々たる態度といい、もっと若い壮年でも通るだろう。
背も高く、肉体もほどよく鍛えられている。
「この春より新たに校長に就任した、第二王子ラッセルだ」
そう名乗る校長。
たちまち新入生たちから、どよめきが漏れた。
さもありなん。
栄えある〈勇者育成学校〉の校長というポストは、確かに名誉職といえるだろう。
伯爵辺りが就いていても、充分に誇れる地位だろう。
だが王族が――それも王位継承権二位を持つほどの人物が――座る椅子としては、さすがに釣り合わない。
まさに異常事態だし、学校創設以来初のこと。
「諸君らが驚くのも無理はない。なぜ私が自ら求めて校長となったのか、まずはその理由から説明しよう」
くぐもったざわめきが収まらない中で、ラッセルの声はよく徹った。
王族に相応しい声質といえる。
「かの魔王の如き世界の敵が、いつか再び現れる事態に備え、次代の“勇者一行”を育成し続ける――それが当校の精神である。
だが開学より二百年、その志は廃れたと言わざるを得ない。
我がエルドリアのみならず各国の貴族や富豪たちが、箔付けのためにこぞって子弟を当校に入学させ、その権力を以って教師たちに忖度させ、また寄付という名目で賄賂を送った。
実力主義の気風はいつしか途絶え、親の七光りや寄進の額で生徒たちの成績が決まるようになってしまった。
おかげで直近十年の主席卒業生など、目も当てられぬ凡夫ばかりだ。
このままでは勇者の権威は失墜し、同時に我がエルドリアは各国からの敬意を失うだろう。
冗談ではない!
私はこの旧弊を断ち、〈勇者育成学校〉を改革するためにやってきたのだ」
校長の話を聞いて、俺も合点がいく。
改革というのは口で言うほど簡単なことではない。
大義の元に旧弊を断とうとしても、それまで得をしていた者たちが妨害する――この愚行を人という種族はうんざりするほど繰り返してきた、今もどこかで繰り返しているのだ。
しかし、第二王子ともあろう者が改革を望むのならば、話は別。
つまりは王族が校長に就任したこと自体が、エルドリアが〈勇者育成学校〉の改革にどれだけ「本気」なのかというアピールと証明になっているわけだ。
他の生徒たちも納得したのだろう、ざわめきは次第に収まっていった。
だが見計らったように、校長は新たな衝撃を生徒たちの間にもたらした。
「諸君らには一つ、謝罪すべきことがある――」
言って校長は深々と腰を折った。
権威で商売をしている王族は、軽々しく頭を下げてはならない――その頭を下げたのだ。
生徒たちから沸き起こったどよめきは、最初のそれの比ではなかった。
いったい何事かと、皆がまばたきも忘れて校長の話を待つ。
「諸君らの入学試験とその考査について、私の改革は間に合わなかった。可能な限り手を尽くしたが、一部の生徒については例年の如く親の威光で高い成績をつけられ、逆になんらかの事情で不当に貶められた生徒もいる。諸君らの中には良い意味でも悪い意味でも、実力に不相応の学級に配された者たちが混ざっているというわけだ」
聞いて、俺はチラリとアナスタシアの横顔を盗み見る。
F学級の列に毅然と並ぶ彼女だが、その表情はにわかに強張り、拳はにぎりしめられている。
もし彼女の受験が、校長の改革が行き届いた来年だったら、アナスタシアの実力は正当に測られ、もっと上の学級に入っていたのだろうな。
校長は顔を上げると、堂々たる態度と声音で宣言した。
「以後はこのようなことが起こらないことを、第二王子の名誉にかけて誓おう。当校は実力主義の気風を蘇らせ、君たちの成績は公正且つ厳格に考査されることを約束しよう」
その宣誓が合図のように、六人が壇上に現れ、校長の後ろに並んだ。
年のころは校長と同年代かそれ以上。
全員が並々ならない風格を漂わせていた。
如何にも荒事に長けていて、且つ抜け目もないという面構えをしていた。
「紹介しよう――当校に相応しい教師陣として、私が遥々招いた者たちだ。各人が担任教師として六学級をそれぞれ受け持ち、また組別の対抗試験では公平に監督する。
“最深淵に到達した六人”といえば、諸君らも名を聞いたことがあるだろう」
三たび、生徒からどよめきが起こる。
確かに有名人だからだ。それも世界有数の。
辺境や魔境と呼ばれる一帯に好んで踏み入り、そこに棲息する強大な魔物どもの退治を生業とする――近年は「自由騎士」だとか、「冒険者」だとか呼ばれつつある――命知らずども。
その中で最も著名なパーティーが、彼ら“最深淵に到達した六人”だった。
またリーダーのボーンはこの学校を首席で卒業した、勇者の一人でもあったはず。
それほどのパーティーをわざわざ教師に招聘したのだ、これも校長が見せる改革への「本気」だな。
そして、その校長が最後に言った。
「当校の不祥事により、諸君らの入試成績順位は必ずしも実力通りではない。
しかし、こう考えてはくれないか?
現在の順位に実力が反映しきれていないからこそ、A学級は絶対に超えられない壁ではないし、F学級は落ちこぼれの吹き溜まりでもない。
卒業時に“勇者一行”となるのはどの学級であってもおかしくないし、諸君らの学生生活はチャンスと挑戦に溢れているのだと。
ぜひ武術の鍛錬に、魔術の切磋に、学術の修習に励んで欲しい!」
◇◆◇◆◇
校長の手短な挨拶とともに、入学式は早々に終わった。
徹底した実力主義を標榜するだけあって、さすが格式張っていない。無駄なものに時間を割かない。
式の後、俺はクラスメイトたちの列を抜け、ふらりと講堂の横手に向かった。
そこには本物の“勇者一行”の――世界を救った十六人の英雄たちの銅像が並んでいた。
講堂へ向かう折、ふと目に入り、気になっていたのだ。
実物より遥かに美化された〈勇者〉ビリーの像。
逆に〈神官〉ユーフェニアの像は、彼女が持っていたオーラともいうべき美しさまでは表現しきれていない。
さらに逆に〈賢者〉ハインケスの像は、奴が隠し持つ品性の卑しさを、見事に顔つきに表しているように思える。
ドワーフの〈鉄人〉ガンドフの像がある。ダークエルフの〈魔女〉ライラの像がある。
〈剣姫〉マリアの像を心穏やかに直視できるようになるには、二百年という歳月は短すぎる。
それら十六人分の像を一つ一つ、俺は眺め見ていく。
どの像もよく磨かれ、手入れされているのがわかる。
そして最後まで見て回り、そこに〈墓守〉の像が並べられていないことを知った。
代わりに立っているのは〈聖者〉マーノウの像。
〈勇者育成学校〉ともあろうものが、二百年の間に真実を忘れ、捏造された十六英雄を祀っているとは。
これも育成学校の精神とやらの廃れでは――いや、俺にとってはどうでもいいか。
魔王討伐の旅の間、表立って活躍していない奴が悪い。
〈教師〉によるスキルと魔法の体系化のおかげで、最終的にはパーティーメンバーたちが使うほぼ全ての能力(天技を除く)を会得した俺だが、それには当然のように膨大な時間がかかった。
たとえ血を吐くような努力を重ねても、英雄と呼ばれたほどの連中のスキルや魔法は、一朝一夕でものにはできなかった。
結局、俺は旅の間の四分の三以上を足手まといとして、ただの雑用係として、不老不死特性を利用した囮役としてすごしたのだ。
偽者に取って代わられるのも、ある意味で当然だな。
俺がそんな由無し事を考えていたところだ。
「“勇者一行”の英雄譚は好きかね?」
横合いからいきなり声をかけられた。
第二王子にして新校長、ラッセルがゆっくりとやってきていた。
気配はとっくに察知していたので、俺も別段驚かない。
「彼らに憧れて、この学校に入るのを決断したようなものですから」
俺は心にもない返答をした。
校長にとっても、声をかけるための方便でしかなかったのだろう。答え自体には関心がないように、すぐに話題を切り替えた。
王族とは思えない気さくさで、一生徒に話しかけてきた。
「見たところ……君はA学級の生徒かね?」
「いいえ、F学級です」
いったいどこに目をつけているのかと、俺は笑ったりなどしない。
校長は恐ろしく真剣な眼差しでこちらを凝視しながら、独り言のように言ったのだ。
「不思議だ……。極めて平凡な生徒にしか見えないのに、同時に恐ろしく実力を持っているようにも見える……。錯覚だなどとありきたりな言葉では片づけられない……。私も王族の端くれ、昔から多くの者と対面してきたし、人を見る目は肥えているつもりだがね。しかし、君のような人物を見るのは初めてだし、私の目を以ってしても底が見えない」
「どうも」
俺は曖昧な返事とともに会釈をし、この場から立ち去ることにする。
学校内で目立つのはごめんだ。校長に目をつけられるなんて以っての外。
それは「アナスタシアを勇者にする」という、新たな目的ができても変わらない。
目立つべきは彼女であって俺ではない。
さすが切れ者らしい校長から、さっさと背を向ける。
その俺の背に校長の声がかかった。
「学級対抗試験が楽しみになった。下馬評を覆す躍進を期待しているよ」
「買い被りですよ。もしそうなったとして学級全員の力であって、俺一人の手柄じゃない。違いますか?」
「常識的にはそうだな」
校長がくつくつと喉を鳴らした。
「心にもないことを言うな」と、そう笑い飛ばしているように聞こえた。