第三話 全てはお家再興のため
俺はアナスタシアの手を引いて、小さな広場へ案内する。
公共の井戸があり、そこで目を洗わせる。
「ありがとう……。ルースと言ったわね? 本当に助かったわ」
「どういたしまして」
お貴族サマの中には「平民は貴族を助けるのが義務」だと思い込んでいる奴も多いが、アナスタシアは違った。
まあ、何の得もなく人を助けに入るような奴だしな。
結果こそ詰めの甘さが目立ったが、彼女の善行や勇敢さは称賛に値するだろう。
「後でちゃんとお礼をするわ。私はナインベルク伯爵の長子で騎士、アナスタシアというの」
「必要ないさ。たまたま通りすがり、同じ制服を着ている奴がからまれていた。だから止めに入った。それだけのことだよ」
「そんな簡単な話ではないでしょう? あの札付きどもをよくも一人で追い払えたものだと、私は感心しているのよ? 手練れなのね」
「簡単な話だったよ。あいつらは卑怯なだけの、見掛け倒しの連中だった。ちょっとハッタリを効かせて脅してやったら、面白いほどに逃げ散っていったよ」
アナスタシアはあの時、灰で目潰しされていたから、俺が何をやったか見ていない。
「本当に……?」
腑に落ちないという顔だったが、俺が認めない以上は彼女も追及はできない。
「とにかくお礼はさせて頂戴。あなた、どこの学級かしら?」
「合格通知書にはF学級と書かれていた」
「そう。じゃあ私と一緒じゃない」
アナスタシアは顔をほころばせた。
探す手間が省けたわと冗談めかしていたが、恩人の俺が同級生だったのが、うれしかったのだろう。
一方で俺も、彼女と学級が同じだったという数奇な縁に、想いを馳せずにいられなかった。
ともあれ。
入学式の時間が迫っていることもあり、俺たちは移動しながら話を続けることに。
「ルースは知っているかしら? 〈勇者育成学校〉では一学年にAからFまで六つの学級があって、入学試験の成績上位者から順に振り分けられる」
「らしいな。俺は新入生全員の中で、最下位で受かったと通知された」
これは嘘じゃない。
〈勇者育成学校〉では全生徒のあらゆる成績はオープンにされるので、嘘をつく意味がない。
ただ、俺はF学級に入りたかったので、合格ラインのギリギリを正確に見定め、力を精密にセーブして入試を受けたというだけの話だ。
「だけどね、ルース。これは公然の秘密だけれど、学級の選別は入試の成績だけで決められるものではないのよ。家柄や学校への寄付額も加味されるの」
「へえ、そうだったのか。じゃあ俺は貧民の出だし、やはりF学級しかなかったな」
実は知っていたが、俺は空惚けて答えた。
事前に調べたところ、仮に王族や公爵家の人間ならどんなに無能でもA学級確定だし、実家が大金持ちならD学級は堅いようだ。
空惚けたまま、俺はアナスタシアに訊ねる。
「家柄や寄付金で上位の学級に入れるのなら、逆にワケアリだと下に落とされるのか?」
「…………っ」
予想通り、アナスタシアは覿面に肩を震わせた。
「私がそうだと言うの?」
「だって伯爵令嬢サマがF学級は変だろう?」
加えて、年齢不相応の剣の腕前。
性格面や人格面でも、プラス考査はあってもマイナスがあるとは思えない。
「……その通りよ。私の家は、〈騎士〉ナイトハルトの家系なの」
アナスタシアは恥を忍ぶような顔で白状した。
「やっぱりか」
「知っているの!?」
「ああ。〈勇者〉たちの英雄伝は大好きでね。人より詳しいつもりだ。だから、“落伍者”たち十七人のことも知っているし、〈騎士〉ナイトハルトの家名がナインベルクというのも知っていた」
俺は胸に去来した苦々しい郷愁を、押し殺しながら答えた。
魔王を討ち、歴史に名を遺した十六人の英雄たち――“勇者一行”。
しかし、〈勇者〉のパーティーは最初、神に選ばれた三十三人で構成されていたのだ。
ただ、そのうちの十七人は、比較的早い段階で命を落としてしまっていた。
魔王城のある暗黒大陸まで、たどり着くことができなかった。
“勇者一行”や十六英雄の称号は、魔族どもの本拠地へ上陸を果たすことができた者たちだけを指すのである。
対して道半ばで斃れた十七人は、“落伍者”と世界中から貶められ、嘲られたのだ。
彼ら十七人とて世界を救うために立ち上がり、強大な魔族たちへ立ち向かったことには違いないというのに。
懸けた命や志は、十六英雄たちとなんら変わりはないというのに。
まったくひどい仕打ちだ。心無いこと甚だしい。
でもだからこそ、人々は己が為したその非道、卑劣を早く忘れたくて、“落伍者”たちの存在ごと語り継ぐことをやめた。
だから彼ら十七人の存在は、二百年という歳月の中に埋もれてしまったというわけだ。
よほど詳しい者でなければ知らないというわけだ。
そして――〈騎士〉ナイトハルトもまた、“落伍者”たる十七人の内一人だった。
それもパーティーで最初に斃れた者という、汚名を受けてしまった。
おかげで二百年前の当時、死者を鞭打つが如きナイトハルトへのバッシングは凄まじく、家元であるナインベルク伯爵家も落ちぶれることになった。
無責任な市井はそのことをすっかり忘れているだろうが、伝統を重んじる王族貴族たちはしっかりと憶えているのだろう。
今もまだ伯爵家への迫害は続いているのだろう。
だからこそ、アナスタシアはその実力にもかかわらず、F学級に配されたのだろうな。
俺はまさに当事者で、二百年前の真実をこの目で見てきたわけだが、まさかアナスタシアに正直に言うわけにはいかない。
だから、“勇者一行”の英雄伝マニアという設定にしておいた。
果たして、アナスタシアは拳をにぎりしめて言った。
「私はナインベルク家を再興したい。痩せた領地と領民を貧困から救済したい。そのためには私が次代の勇者となって、祖先の汚名を雪ぐしかないと思った。だから、この学校へ来たのよ」
折しも俺たちは〈勇者育成学校〉へ到着し、巨大で重厚な正門を見上げていた。
この学校における基本ルールはこうだ――
AからF学級で競い合い、卒業時までに収めた成績が最も優れた学級を、次代の“勇者一行”と認定する。
具体的には、およそ月に一度の頻度で行われる「学級対抗試験」で勝利することで、各試験ごとに定められた「賞牌」を集め、最終的な数を競う。
また卒業時に“勇者一行”となった学級の中から、さらに最優秀成績を修めた者を特に、次代の勇者として認定する。
入学時に定員百九十八人いる中の、たったの一人だ。
まさしく狭き門だ。
まして、最底辺のF学級からそれを目指すには。
実際、直近二十年の歴史を参照しても、A学級が“勇者一行”として卒業したのが実に十七回。
F学級はゼロだ。
その至難、困難、苦難に、アナスタシアは挑もうというのだ。
勇敢にも。
あるいは無謀にも。
そんな彼女へ向けて、俺は告げた。
「なんならあんたが勇者になれるよう、俺も協力しようか?」
無表情で、無感動に提案した。
対照的にアナスタシアは目を剥いて驚き、次いで喜色を露わにして、
「本当!? ルースはそれでいいの!?」
「俺は勇者って器じゃない。“勇者一行”の端くれにでもなれれば、それで充分すぎる」
次代の“勇者一行”の一員に認定されたという実績があれば、卒業後の仕官口はまず困らない。どころか、各国のスカウトの方からやってくる――という建前を並べる俺。
アナスタシアも疑わなかった。
その動機は〈勇者育成学校〉に入学する生徒にとって、ごくごく一般的なものだからだ。
誰も彼もがたった一枠の勇者を狙っているわけではなく、むしろ少数派だろう。
「ただし俺は、ギリギリで入学できた程度の男だがな」
「そんなのは関係ないわ! 学級に味方は一人でも多く欲しいもの。それにあなたはなんだか、只者じゃない気がするしね」
「さっきのはハッタリだと言ったぞ?」
「わかったわ。そういうことにしておく」
俺たちは互いにうなずき合い、〈勇者育成学校〉の正門を通った。
かくして俺には、「アナスタシアを勇者にするため協力する」という当面の目的ができた。
マリアに呼ばれた事情がわかるまで、何もするつもりがなかったのが、気が変わった。
俺にはなんのメリットもないのに、なぜそんなお節介を焼く気になったのか?
そもそも、なぜゴロツキどもにからまれたアナスタシアを、わざわざ助けてやったのか?
無論のこと、理由はあって――