第二話 女騎士アナスタシア
然るべき役所に出るべき――
アナスタシアのもっともな主張を聞き、ホッとしたのは遊女たちで、激昂したのはゴロツキどもだった。
「うるせえ! いいからこっちに引き渡せ!」
「邪魔するならテメエも許さねえ!」
「風呂に沈めてやらあ!」
「お貴族様の名前を出しゃァ、おれっちらがビビると思ってんのか!?」
などと脅しつけながら、次々と分厚いナイフを抜き放っていく。
語るに落ちるとはこのことだな。
一方、アナスタシアは刃物を見ても動揺もしない。
腰に佩いた剣を堂々と抜きながら、遊女たちに逃げるように命じる。
「ありがとうございます!」
「このご恩は忘れません!」
男に手を引かれ、アナスタシアの言葉に従う遊女。
周りを囲んでいた野次馬たちも、頻りに応援しながら通してやる。
「逃がすかよ!」
「ここは通さないわよ!」
追おうとするゴロツキどもに、剣を構えたアナスタシアが立ち塞がる。
それでゴロツキどもも、まず片づけるべき相手を見定めたようだ。
「マジであいつの代わりに客をとらせてやる!」
荒事慣れした様子で、三人が一斉にアナスタシアへと襲い掛かる。
だが、この少女騎士の技量は卓越していた。
アナスタシアの剣光一閃、ゴロツキ三人のナイフが全て、持ち手から弾き飛ばされている。
残る二人のゴロツキも続いて躍りかかるが、結果は同じ。
「ケンカを売るなら、相手を選びなさいな」
アナスタシアは息も上げず、自信満々に言い放った。
野次馬たちは拍手喝采、ヒーロー扱いだ。
「ほう……」
と、ニンジンを食い終えた俺も嘆息する。
アナスタシアの歳から考えれば、なかなか見事な太刀筋だ。
良き師の元で、さぞや真剣に学んだのだろうことが窺える。
国中の猛者たちが集まる、一対一の御前試合等に出場しても、きっとかなりのところまで進めるに違いない。
威勢のよい啖呵を切っていたが、口だけの女では決してないということだ。
しかし、詰めが甘い。
俺は率直に思った。
そして、俺が予想した通りの展開になろうとしていた。
アナスタシアの剣術の前に、見事にやられたゴロツキたちだったが、誰一人として狼狽してはいなかった。
むしろ冷静になって、弾き飛ばされたナイフをひろい直した。
本当に荒事慣れした連中だ。
本気の目つきになると、押し殺した声で口々に言った。
「お嬢ちゃんこそ、ケンカを売る相手を選んだ方がいい」
「アンタ、人を殺したこともないだろ」
「剣から甘さが滲み出てるんだよ」
そう言ってゴロツキどもはアナスタシアを取り囲み、ナイフを構えたまま慎重な足取りで、包囲の輪を縮めていった。
迂闊に跳びかかるのではなく、誰かのナイフがまた弾き返されている間に、別の誰かが背後から襲う――数の利をきっちりと活かす算段だ。
もちろんアナスタシアにも対処法はある。
さっさと斬り殺していって、数の利を削ればいいだけだ。
だが、アナスタシアにはそんな真似はできない。
にわかに不利を悟って、蒼褪めている。
ゴロツキどもが言ったのが、図星なのだ。
彼女は人を斬ったことなんてないし、斬る覚悟もない。
この歳でこれほどの剣技の持ち主なのだから、決してただのお嬢様ではあるまい。
家の躾もさぞ厳しかっただろうことが窺える。
しかし、所詮は箱入り娘だったということ。
ナイフを弾き返した程度で、早や勝った気でいるのが、詰めの甘さということだ。
逆にゴロツキどもは、殺されることがないとわかって、嵩にかかる。
またアナスタシアが明らかに怯んだのを見て、その弱気を衝く。
ナイフをひろうと同時に、道端の砂を握り込んでいた男が、アナスタシアの顔面に投げつけ、目潰ししたのだ。
「卑怯者!」
とアナスタシアは批難した。
たわ言だ。
お貴族サマや騎士サマたちの大好きな決闘作法が、ゴロツキ相手に通じるものか。
アナスタシアは良き師の元で、さぞや真剣に武芸を学んだのだろう。
国中の猛者たちが集まる、一対一の御前試合等に出場しても、きっとかなりのところまで進めるに違いない。
だが、それだけだ。
実戦場で通用する、本物の強さではない。
「ヒャハハ、今だァ!」
「囲んで、さらっちまえ!」
「伯爵令嬢様ともなりゃあ、いったいどれだけの身代金をふんだくれるか、想像もつかんぜ!」
「その前にお楽しみタイムだろうがよお?」
「ヒハァ! お貴族サマの肌は、いったいどんな味がするのかねえ!」
「おまえが普段買ってる街娼とは、そりゃダンチだろうぜ!」
ゴロツキどもが嵩にかかって、一斉にアナスタシアへ襲いかかる。
先陣を切るのは、最も体格の優れた――俺が見るところボス格の男だ。
大きな手で、アナスタシアの喉元をわしづかみにしようとする。
まったく見ていられない。
俺は嘆息とともに動いた。
横合いから、男がアナスタシアへと伸ばした手をつかみ、凶行を制止した。
「……は?」
それで男はポカンと間抜け面をさらす。
他のゴロツキどもも同様だ。思わず足を止めてしまっている。
さらにいえば、周りにいた野次馬たちも全員、唖然呆然となっている。
まあ、当然の反応だろう。
ゴロツキどもや野次馬から見れば、俺が魔法の如くなんの前触れもなく忽然とその場へ現れ、いきなり止めてみせたのだからな。
〈兇手〉を手本に学びとった極技――《完全気配遮断》を使っていた俺を、ゴロツキ風情が察知することは不可能だったろう。
同様に〈拳士〉の極技である《縮地の歩法》を用い、一瞬でゴロツキへと距離を詰めた俺の動きは、この衆人環視の中でさえ誰の目にも留まらなかっただろう。
「な、なんだ、テメエは!? 邪魔するならテメエもぶっ殺すぞ!?」
俺に手をつかまれた大男は、内心の狼狽をおして恫喝してきた。
なかなか肝が据わっている。
だが、まだ温い(全傍点)。
俺は何も返事をしなかった。
ただ男の腕をつかんだ手に握力を込めて――ゴキン、と骨を砕いた。
「ぎっっっ……あああああああああああああっ」
大男が堪らず絶叫する。
俺が腕を放してやると、その場にうずくまり、折れた自分の腕を抱えるようにして、震える。
痛みと恐怖で、顔面蒼白になっていた。
わかるか?
恫喝とは言葉から始めるものではない。
俺は大男を見下ろして――こいつだけに聞こえるよう小さく――冷酷に告げる。
「この女から手を引かなければ殺す。意趣返しを企んでも殺す。他言しても殺す」
男はますます震え上がって答えた。
「わ、わかった! 今日のことは全部、忘れる! だから命ばかりは! 命ばかりは!」
暴力を生業にする、札付きのワルが一切反論せず、ひたすら命乞いしてくる。
いや、こいつは暴力を生業にしているからこそ、理解できたのだ。
俺の脅しが、決して口先だけではないことを。
こいつが想像し得る修羅場の、百倍は過酷な死線を、百度以上もくぐり抜けてきたこの俺の、言葉の重みを。
「いいか? 俺はいつもおまえたちを見ているぞ?」
「わ、わかった! いえ、わかりました! だから勘弁してください!」
「いいだろう。行け」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
大男は、しまいには俺に感謝さえしながら、這う這うの体で逃げていった。
ボス格だろうそいつの逃亡に、残りのゴロツキどもも慌ててその後を追う。
全員もう必死の逃亡だ。
それを見た野次馬たちは、俺が何をやったか見抜けず、何を言ったか聞こえず、ただただ狐につままれたような顔になっている。
そして、アナスタシアがまだ見えない目をこすりながら、
「誰!? 誰か私を助けてくれたの?」
「ルース。あんたと同じく、〈勇者育成学校〉に入学する者だ」