第一話 王都の朝
エルドリア王国の都エイラーンは、大陸でも有数の大都市だ。
大通りからは二本外れ、それでも他の町の目抜き通りより遥かに賑やかだろうそこを、俺は皮肉な気分で歩いていく。
二百年前まで、エルドリアは大陸の端っこにある田舎国にすぎなかった。
このエイラーンも王都とは名ばかりの、さびれた小都市でしかなかった。
しかし、たまたまこの国を出身とする男が、〈勇者〉として神から天命を与えられたために、エルドリアは「〈勇者〉の生誕国」として注目を浴びることになった。
“勇者一行”が魔王を倒し、世界が平和になった後はもう大変で、〈勇者〉の祖国を巡礼しようという旅行客が途切れず、観光業で潤った。
また諸国家に対する発言力も絶大なものとなった。
全ては〈勇者〉サマサマの栄達、サマサマの発展というわけだ。
俺の祖国であるレイクランドは、今も昔も変わらず辺境の弱小国のままだというのにな。
いったい誰が魔王を討ったのか?
人々は真実を知らない。歴史にも伝わらない。
〈勇者〉の名が、あまりにも大きすぎたのだ。
“勇者一行”が魔王を斃したのならば、その手柄は全て〈勇者〉一人に帰結するというわけだ。
あいつが――〈勇者〉ビリー・ハイフォレストが、本当は道半ばで斃れたのだという事実を、当時でさえ誰もそう思っていなかった。
俺は自分の手柄を主張する気力などわかなかったし、魔王が滅びたことと他のメンバーは全滅したことだけを諸王連合に報告すると、「きっと〈勇者〉は魔王と相討ちになったのだ」と彼らは勝手に解釈した。
まして二百年経った今では、笑えるほどに美化された英勇伝ばかりが巷間に流布している。
誰もが〈勇者〉が魔王にとどめを刺したと、信じて疑わない。
◇◆◇◆◇
「その制服、育成学校の生徒さんだね?」
道行く俺を、露天商の中年女が引き留めた。
近隣の村から稼ぎに来ているのだろう、台車に野菜を陳列している。
「そういえば、そろそろ入学式の時期だったかねえ?」
「……ええ、今日がそうです」
「なんだい元気のない声だねえ! 若いんだから、しゃんとおしよ」
気怠く思いつつも一応は律義に答えた俺を、露天商は笑い飛ばした。
この二百年というもの、目的もなく、生きる理由も気力もなく、それでも天技のせいで死ねない俺は、すっかり「呼吸だけしている死人」のようになってしまった。
でも中身は摩耗しきった一方で、外見は未だ若々しい。
そう、神より啓示を受けた十六歳の時から、俺は全く老いていない。
この中年女に、「若いどころか実は二百歳を超えている」と本当のことを教えてやったら、どんな顔をするだろうか?
いや。
笑って取り合わないだけだろうな。
「ホラ! うちの野菜を食って、元気出しな!」
「……おいくらですか?」
「要らない、要らない。あんたの入学祝いさ!」
露天商はそう言うと、本当にタダでニンジンを投げてよこしてきた。
俺は頭を下げ、先を急ぐ。
もらったニンジンはそのまま、生でかじった。
通行人には奇異の目で見られる。
食べることにさえ興味を失って久しい。
美味いものを美味いと感じる味覚は残っているが、不味いものを死んだような心で食べることも苦にならない。
捨てるという選択肢もあったが、それは俺にはできなかった。
〈教師〉は食べ物を粗末にすることを、絶対に許さなかったからだ。
その時に叩き込まれた習い性が――二百年経った今でも――俺に染みついている。
八時を報せる聖殿の鐘楼が、都の空に鳴り響いた。
入学式は九時からだ。まだまだ余裕はある。
この道を真っ直ぐ行った先に、目指す学校が聳え立っていた。
二百年の歴史を持つ、由緒ある学校だ。
“勇者一行”が魔王を討伐した記念に、各国同意の元、この地に設立された。
いつかまた魔王のような、世界の敵が出現してもいいように。
次代を担う勇者を育成し、またそのパーティーメンバーを輩出するための育成機関。
最初にして最高の〈勇者〉から名をもらい、こう呼ばれている。
勇者育成学校〈ハイフォレスト〉。
俺は今日からそこへ通う。
半年前に受験し、合格した。
身分や年齢は偽っているが、本名の「ルース」で通している。
珍しくない名前だし、何より〈墓守〉がどんな名前だったかなんて、歴史の中に埋もれてしまっている。
二百年前、〈墓守〉がどんな活躍をしたのか、記録には何も残っていない。
巷間で創作された英雄伝でもパッとしない。
なんなら〈聖者〉とか他の職業と、置き換えられているくらいだからな。
なすべきは、大過なく卒業すること。
可もなく不可もなく、目立つこともなく、だ。
俺が育成学校に入学した「理由」はあるが、「目的」はないのだから。
そう――
俺の懐には、今も一枚の手紙が大切に仕舞われている。
そこには俺に育成学校に入学して欲しい旨が、簡潔に認められている。
他でもない、マリアの筆跡でだ。
魔王との戦いで命を落としたはずの彼女が、なぜ今になって俺に、こんな学校へ入ることを望んだのか、その目的はよくわからない。
入学して何をすればいいのかすら、書かれていない。
だがそれがマリアの頼みであるならば、俺はなんだってする。
他に理由は要らない。
いずれはきっとマリアの目的もわかることだろうし、それまではとにかく何もしたくない。
教室に埋没し、草のように学生生活をやりすごしたいのが、嘘偽りのない俺の本音。
まして入学式から遅刻だなどと、悪目立ちするような行為は避けたい。
避けたいのだが――
「そいつらをこっちに渡せ、女ァ!」
「遊女が足抜けすんには、きっちり稼ぐ必要があるんだ! 知ってんだろぉン!?」
「男を作って逃げ出すなんざ、とんでもねえ!」
「借金を踏み倒すのと同じなんだよ! 犯罪なんだよ!」
「言っとくけどオレらの方が正義だかんな!?」
「違います! アタシがどんだけお客をとっても、全然勘定されてなかったんです! この人が暴いてくれたんです!」
――この通りは、本当ににぎやかだな。
俺は嘆息しながら、騒ぎの方へと向かう。
遠巻きにしている野次馬たちに交ざる。
二十歳そこらの遊女が、男と抱き合って震えていた。
如何にもチンピラという風体の男たち五人に、追われていた。
そしてその間に入り、遊女たちを庇う少女がいた。
俺と同じく〈勇者育成学校〉の制服を着ている。また同じ一年だと校章でわかる。
客観的に見て、美人だ。勝気な顔立ちは好みがわかれるところだろうが。
キリリと引き締められた表情がよく似合っている。
腰の辺りまで流れるような金髪は、朝日を浴びて燦然と煌めている。
よく手入れされている証拠、貴族か何か上流階級出身の証左。
腰に佩いた剣も、拵えの立派なものだった。
俺はその騒動を――特に育成学校生の少女を、ニンジンをかじりながら無感動に眺める。
大方、遊女らの怯えぶりと、ゴロツキどもの粗暴極まる剣幕を比べて、見るに見かねて助けに入ったのだろうが、まったく人の好いことだ。
これから入学式があるというのに、遅刻したらどうする気だ。
周りの野次馬たちだって、面白そうにするだけで誰も厄介事に首は突っ込まない。
もちろん、俺も助けるつもりは毛頭ない。
そんな気力や情熱は、友や〈教師〉、何よりマリアを喪ったことで使い果たしてしまった。
このまま野次馬になって見物していよう。
「ニンジンをかじりながら入学式に出た男」とあだ名をつけられるのも嫌だったので、これを食べ終わるまでの間をもたせるのにちょうどいい。
俺はそう思っていたのだが――
「私はナインベルク伯爵が一子にして騎士、アナスタシア!」
と、育成学校生の少女は名乗った。
「どちらの言い分も聞いた上で、これは役所に調べてもらうべき問題だと理解したわ! 自分に後ろ暗いところがないと信じているのならば、大人しく私に従いなさい!」
と、歯切れよく啖呵を切った。
それを聞いて、俺が少女を見る目がガラリと変わる。
――ナインベルクだと?
ルースが家名に興味を示した理由や如何に……?
そして次回、ルースが動きます!