プロローグ 二百年前
全体(特に序盤)に大幅改稿いたしました(2022年6月1日)
かねてより抜本的に気になっていた部分が多くて、踏ん切りをつけて修正いたしました
もし混乱を招いてしまったら申し訳ございません
魔王が作り出した漆黒の火球は、あまりに巨大で、禍々しい圧を放っていた。
「バカな……これほどの《極大火球魔法》、私は目にしたことがない……」
パーティメンバーの一人であるハインケスが、うめくように独白した。
〈賢者〉の天職を神から与えられた、世界最高の魔法使いであり博覧強記の彼がそう評したのだ。
残りのメンバーたちは皆目を剥き、戦慄した。
だが――真の恐怖がパーティーを襲ったのは、この後だった。
魔王。
瞳のない黒き眼を持つ、魔族たちの王。
そいつが俺たち全員を等しく見下し、呵々大笑しながら打ち明けたのだ。
「貴様ら人間の矮小な基準で、魔王を測らぬことだな。これは《極大火球魔法》ではない。余の《下位火球魔法》だ」
告げられた絶望的な真実に、パーティーメンバーたちは声を失った。
魔王はますます愉快げに哄笑すると、ハインケスらへ向けて嬲るように漆黒の火球を投じた。
「皆さん、私の後ろへ!」
すかさずユーフェニアが前へ出て、悲壮な覚悟で叫んだ。
〈神官〉の天職を神から与えられた彼女は、防御魔法や回復魔法だけならば、ハインケスをも凌駕する。
さる王家の血筋に連なり、聖女と名高い人物だ。
そのユーフェニアがパーティーメンバー全員を火球から守るため、《極大障壁魔法《アルルミ・フォトス》》を展開する。
しかも、ただの《極大障壁魔法《アルルミ・フォトス》》ではない。
世界でただ一人、〈神官〉の彼女だけが使うことのできる天技――《魔力超増幅》によって強化されたものだ。
如何に魔王の力が人間を凌駕し、その火球魔法が恐るべきものだといえども。
ユーフェニアの障壁魔法ならきっと食い止めることができる。
ハインケスらは誰もがそう信じていた。
根拠のない盲信にすぎなかった。
魔王が放った漆黒の火球は、ユーフェニアごと障壁魔法を呑み込み、焼き尽くしたのだ。
「ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」
聞くに堪えない、ユーフェニアの断末魔の絶叫。
典雅で、清楚で、何よりも美しかった彼女に、内心で懸想していた者はパーティーにも大勢いただろうに。
最期は何ともあっけなく、惨たらしいものだった。
しかし、彼女はさすが〈神官〉だ。
その世界最高の防御魔法で、魔王の火球からパーティーを守った。
ユーフェニア自身は気高い自己犠牲によって斃れたが、ハインケスたちはケガ一つ負っていなかった。
「次の火球魔法が来たら私たちはもう終わりだ! だから全力で先制して斃しきるしかない!」
ハインケスが指示を叫んだ。
俗に“勇者一行”と崇め奉られる俺たち十六人の中で、いつもアドバイザー然と振る舞ってきたのがこの〈賢者〉だ。
まして〈勇者〉その人がいなくなった今、リーダーを気取るのも当然か。
他のメンバーたちも異論は唱えず、各々が持てる最大攻撃方法を魔王へ向けて準備する。
率先垂範したのはハインケスだ。
《極大火球魔法》を撃ち放つ。
しかも一発ではなく、何十発と。
〈賢者〉のみが使える天技――《魔法超連発》の効力だ。
ハインケスは個人にして、軍隊にも勝る火力を発揮できるのである。
「賢者殿に続けぇッ」
「おおよ!」
さらに荒々しい雄たけびを上げて、〈戦士〉のゴッペルと〈拳士〉のカリョウが魔王へ向かって突撃する。
ゴッペルの天技は、《真髄覚醒》。
あらゆる魔法武器のポテンシャルを限界以上に発揮させる。
カリョウの天技は、《乾坤一擲》。
防御をかなぐり捨て、近接攻撃の一発に総てを懸けることで、とてつもないダメージを生む。
最後まで生き残り、魔王の間までたどり着いた勇者パーティーの内の三人が、全身全霊をかけて「世界の敵」を討たんと挑む。
三人ともが、それぞれの得意分野での世界最高。
一騎当千の強者たち。
その決死の覚悟は、並々ならぬ迫力を放っていた。
が――言ってしまえば、それだけだ。
先制を目論んだハインケスらよりも早く、魔王はあっさりと次の火球魔法を作り出し、嘲笑とともに投げてよこした。
ハインケスが、ゴッペルが、カリョウが、まとめて漆黒の炎に呑み込まれ――討ち死にした。
所詮、迫力では実力に勝てなかった。
「ハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハ! “勇者一行”最後の生き残りといってもこんなものか! こんな程度か! ゴミ虫どもめが!!」
魔王は愉快でならんとばかりに大笑する。
「〈勇者〉は既に死んだ! 我が右腕と相討ちになるのが精一杯だった!
他の者らどもだ! 十六英雄などと祭り上げられた〈将軍〉も〈盗賊〉も〈教師〉も〈御者〉も〈狩人〉も〈海賊〉も〈魔女〉も〈鉄人〉も〈商人〉も、皆余の元へたどり着く前に犬死した!
そして〈戦士〉と〈神官〉、〈賢者〉、〈拳士〉はこの余、手ずから葬ってやった――」
魔王は笑いながら指折り天職を数え上げ――
「――残るは貴様ら二人だぞ?」
――そして十五人目と十六人目である、この俺とマリアを指差した。
「貴様らの天職はなんだったかな? おお、確かハーフエルフの方は〈剣姫〉であったな。名だたる余の臣下たちを討ちとった、敵ながら天晴な奴だ。しかし、ハテ……小僧よ。おまえの方はとんと知らぬ」
芝居がかった口調で魔王が言った。
この化物は、ただの魔力自慢の阿呆ではない。
ちゃんと俺のことも調べた上で、嘲弄しているのだ。
〈墓守〉のルース。
そんな天職や名前など、記憶するにも値しないとバカにしているのだ。
だが――今の俺には言い返している余裕などない。
腕の中の彼女に、懸命に《極大治癒魔術》をかけている真っ最中だ。
マリア。
目を覚ましてくれ、マリア。
〈剣姫〉でありながら〈勇者〉なんかより遥かに勇敢な君は、魔王の元にたどり着いた六人の中で、真っ先にその身を盾にし、俺たちを庇ってくれた。
腹を抉られ、瀕死状態に追い込まれた。
その時点で俺たちは魔王との実力差を悟り、皆で撤退して体制を立て直すべきだったんだ。
俺はそう主張したが、功名に逸ったハインケスたちは聞き入れなかった。
「〈墓守〉風情が命令をするな」「パーティーの士気を下げるな」と〈賢者〉に喝破された。
俺もそれに反論している余裕などなかった。
治癒魔術に専念せねば、マリアの命が危うかった。
だけど……ああ、だけど……。
その判断が誤りだった。
ハインケスたちがあくまで退かぬというならば――
俺は奴らを囮にして、マリアだけを連れて退却するべきだったんだ。
なぜ仲間を見捨てたのかと後でマリアに叱られるだろうが、彼女を喪うよりは遥かにいい。
ハインケスらが全滅するのは、〈賢者〉の愚策に殉じた結果。自業自得。
いや、俺だとてハインケスのことを笑う資格はない。
今さら気づいても、悔やんでも、もう遅い……。
瞳のない魔王の黒い眼が、ひたと俺たちを捉えている。
「無駄なことはやめたらどうだ、小僧? その女はもう助かるまい」
「……助ける」
「それだけ治癒を施し、なお目を覚まさぬというなら、もう仕舞いよ」
「助けるっ」
「〈墓守〉らしく、看取ってやればよかろうに。それが貴様の〈天命〉なのだろう?」
「俺が助けてみせる!」
人間があがき、もがく様は、魔王にとってはさぞ愉快な見世物なのだろう。
だけど俺はどんなに嘲弄されようとも、懸命にマリアの治癒を続ける。
続けているのに……マリアは目を覚ましてくれない!
俺の《極大治癒魔術》で既に傷は塞がり、出血も止まっているというのに、意識が戻る気配がない!!
「もうよい。そんなにその女が大事なら、諸共に葬ってやる。余の慈悲だ」
その魔王の言葉に、俺はハッとさせられた。
奴が再び《下位火球魔法》を作り出す気配を感じた。
「させるものかよ!」
もはや治癒魔術に専念しているというわけにもいかず、俺はマリアを置いて飛び出す。
剣を抜いて魔王へと躍りかかる。
奴が《下位火球魔法》を顕現させるより早く! 早く! 早く!
〈拳士〉カリョウが得意とした妙技、《無拍子》で魔王に肉薄する。
同時に〈鉄人〉ガンドフの極技、《金剛砕破》で体当たりする。
どちらも〈教師〉の指導の下、カリョウたちを手本に学んだスキルだ。
今は亡き〈教師〉は、パーティーメンバーたちが持つ優れたスキルや魔法のほぼ全てを一度咀嚼し、理論化し、体系化し、俺のような能のなかった〈墓守〉でも、努力次第で習得できるようにしてくれた。
それが文字通り血を吐くほどの鍛錬が必要でも、初めから才能と実力に恵まれていた〈勇者〉たちに憐れられても、俺は努力することをやめなかった。
今、魔王のまとう漆黒の外套を、十字に斬り裂いた《グランドクロス》は、俺の亡き親友――かつては騎士の中の騎士と謳われたナイトハルト――から学んだ奥義だ。
しかし……ああ、しかし……。
「そんな力でこの魔王を討てると思ったか?」
俺の剣は奴の外套を斬り裂くことはできても、凄まじい魔力で守られた奴の肉体そのものを傷つけることはできなかった。
妙技も、極技も、奥義ですらも、この化物には通用しない……っ。
「確か天技と申したか? 〈賢者〉らのそれでも余には通じなかったのだ。それ以下の児戯が効くものかよ」
魔王のもっともな指摘に、俺は何も反論できない。
形相が歪む。
天技とはその名の通り、俺たち勇者パーティー一人一人に、神が与えた絶大にして特別な力だ。
魔王軍との血で血を洗うこの戦乱の時代、奥義と呼ばれるものでさえも、死闘の日々の中で開眼した者がわずかながらいる。
しかし、天技の使い手は俺たちだけ。
しかも一人が一つだけ。
「貴様にも天技があるのだろう、〈墓守〉?」
見せてみよと、弄ぶように魔王が手刀を振るう。
魔力に覆われただけの素手の一撃で、俺の左手があっさりと切り飛ばされる。
だが――
「おう、それが貴様の天技だな」
魔王がわずかに目を細めた。
切り飛ばされたはずの俺の左手が、一瞬で蘇生されたからだ。
魔王が続いて戯れに、俺の首を手刀で落とすが、結果は同じ。
死ぬこともなく、一瞬で胴にくっついている。
俺の天技は、名を《看取る者》というらしい。
初めて神の啓示が聞こえ、俺が〈天命〉を与えられた時に、一緒に教えられた。
効果は……正直、よくわからない。
ただ、俺はこの天技のおかげで死なない。歳もとらない。
《不老不死》というスキル名の方が、正確なのではないかとマリアは言った。
しかし〈教師〉は、
『我々パーティー全員を看取るのがルース君の〈天命〉だという、神のブラックユーモアかもしれませんね。仮にルース君が先に死んでしまったら、その時点で我々の墓を作る〈天命〉を果たせなくなってしまいますから。だから死なない――いえ、死ねないと」
と推測してみせた。
「なるほど、神とやらも意地が悪い。ならば貴様に〈天命〉を果たさせてやろう。パーティー全員を看取らせてやろう」
俺は何も説明していないのに、俺の不死ぶりを見ただけで、魔王もまた推測してみせた。
そして、哄笑とともにとんでもないモノを顕現させた。
魔王の――《極大火球魔法》だ。
冗談みたいに巨大な漆黒の炎を見て、俺は絶望する。
「やめろ! やめてくれえええええええええ!」
奴の意図を悟って、俺は絶叫する。
だが魔王は哄笑したまま、無慈悲に《極大火球魔法》を放った。
未だ横たわったままのマリアへ向けて。
途上にいる俺諸共に。
「マリアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
俺は慟哭した。
金切り声で叫んだ。
叫ぶことができるくらい、俺は魔王の極大魔法を浴びても平気だった。
一瞬で全身が蒸発してなお、天技により数秒後には蘇生していた。
でも、マリアは違う――
魔王の漆黒の炎で、灰も残らず焼き尽くされていた……。
「ハハハハハハハハハハ! これは余としたことが! 骨も残らねば、墓を掘ってやることもできぬな! これはあい済まぬ、ハハハハハハハハハハハハハ!」
愉快で堪らぬとばかりの魔王の嘲笑を、俺は他人事のように聞いていた。
最愛の人を失い、瞼を閉じることもできず、彼女がいたはずの場所を見つめていた。
「……もう……殺して……くれ……」
溢れ出る涙とともに、死人のような声が漏れ出た。
だけど――
神が俺に与えた〈天命〉というやつは、どこまでも皮肉で残酷だった。
――聞こえていますか、〈墓守〉よ。
とその時、啓示が下りたのだ。
最初に俺を〈墓守〉にして以来、一度も聞こえたことのない神の声が。
今さらになって聞こえてきたのだ!
――〈墓守〉よ。今こそおまえの〈天命〉を果たす時です。
――おまえは私が〈天職〉を与えた者たちを、全て看取りました。
――よって、あの者らの全ての天技が、おまえに継承されます。
――さあ、《看取る者》よ。
――〈勇者〉たち全員のスペアとして、おまえの〈天命〉を果たしなさい。
…………。
……………………。
俺に、何をしろと?
今さら、俺に何をしろと!?
だが、まあ、いい(全傍点)。
やってやろう(全傍点)。
こいつは、魔王は――マリアの仇だ!!
「さて、残りは貴様だけだぞ、〈墓守〉。こうなれば貴様も死ぬのか、《下位火球魔法》で試してくれよう。なお死なぬようなら、《下位冷凍魔法》で永遠に氷漬けにしてやろう」
魔王がそうほざくのを、俺は他人事のように聞いていた。
無言で魔力を練り上げていた。
奴がこちらへ《下位火球魔法》を放ってくるのと同時に、俺も《極大火球魔術》を撃ち返していた。
それも一発ではなく、何十発と(全傍点)。
「バカな! 〈賢者〉の天技だと!?」
「違うな。〈賢者〉と〈神官〉の天技だ」
ただ火球魔術を《魔法超連発》で乱射したところで、待っている末路はハインケスと同じ。
だから俺は《魔力超増幅》も併用し、火球一発一発の威力を激増させていたのだ。
魔王の放った火球魔法を呑み込んで、さらに魔王本体への直撃を成功させたのだ。
この無敵の怪物に、初めてダメージを与えることに成功したのだ。
一個の人間に、十六の天技が与えられるとは、こういうこと。
借り物の力だろうがなんだろうが、関係ない。
マリアの仇が討てるなら、俺は手段など選ばない!
俺が右手を伸ばすと、そこに一振りの剣が顕現する。
世界でも〈勇者〉のみが使えた天技――《聖剣召喚》だ。
さらに《真髄覚醒》を併用し、かつての〈勇者〉でも不可能だった、聖剣の真の力をあますことなく引き出す。
そして魔王に突撃すると――《乾坤一擲》で叩き込んだ。
最も強力な〈勇者〉のそれを核とする、天技の三重併用。
「余を! 魔王を討つ力とは、こういうものか!」
俺に両断された魔王が、今わの際に叫んでいた。
敗れてなお天晴と、俺を讃える余裕があった。
許さん。
おまえは苦しんで死ね。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアッッッ」
俺は魔王が絶命するその瞬間まで――
否、絶命したその後さえ――
斬って斬って斬りまくった。
◇◆◇◆◇
かくして魔王は滅びた。
世界は平和になった。
だが、俺にとっては何もかもが虚しいだけだった。
〈天命〉とやらを果たし、早く楽になるのを待つだけだった。
だが、決して終わりは来なかった。
天技のせいで俺はその後も、老いることも死ぬこともできなかったのだ。
そして、二百年の歳月が経った。
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