シーン42 任務完遂
シーン42 任務完遂
富士子と宗弥が通っていた小学校は廃校となって石川記念公園になっていた。宗弥は今、その公園で富士子を待っている。要の遺書を富士子に渡したあの日、開校記念樹のキッコウヒイラギは白い花をつけていた・・今日は色の氾濫か・・・赤、ピンク、黄色、紫、白、ランダムに植えられているチューリップが風に吹かれて咲いている。
目を染められるような華やかな色彩は、今の宗弥には居心地の悪さを感じさせるだけだった。富士子からの呼び出しがなかったら絶対に足を踏み入れない場所。ここは宗弥にとって戒めの聖地だ。それでも宗弥は「麗しいが平和すぎる」とつぶやいてみせる。要と再会して7日、俺の人生はたった1週間で大きく方向転換した。今の俺にはチームにいた頃のような奔放さではやっていけない自由がある。日毎脳のどこかが始終ピリピリと毛羽だって眠りは浅く、なのに身体は疲れを感じない。睡眠不足は破綻への序曲に過ぎない。俺の脳みそは臨界態勢を常に保ち、警戒を解こうとはしない。俺が生に対してこれほどの執着を持っていたとは、自分のことながら驚かされる。
「待たせてごめん」求めて止まない声が天から降ってきた。見上げると富士子が俺の右隣に立っていた。俺は富士子に気づかなかった。大いに戸惑う。が、富士子だけは俺に危害を加えないと本能が知っていると思えば納得でき、やすらぎを覚えた。
立ち上がった俺は「今、来たところだ。久しぶりだな、富士子。元気だったか?」富士子の顔を見つめる。その表情は今の俺にはまばゆく、キラキラとした目が俺の心に苦痛を呼ぶ。落ちぶれてしまったと恥ずかしい。「座れよ」と言いながら視線を背けて左に動き、パークベンチに座り直す。富士子をマトモに見れないなんて、初めてだ。
動揺を隠して「メッセージもらったのに、何もしてやれなくてごめんな。要は大丈夫か?」とサラマンダーから回復したと聞いて知っているのに、白々しくも俺は聞く。わだかまりが俺を卑屈にしている。そのサラマンダーからの連絡も途絶えた。捨てられた。らしいと言えばらしい、サラマンダーなのだから。俺が不要になっただけだ。作戦は新たな段階に入ったのだろう。どうでもいいと嘯いてみたら、心に木枯らしが吹いた。
「回復したわ。特効薬が間に合ったの」そう言った富士子に、花を見ながら「よかったな」と言うと、富士子は俺の横顔をまっすぐな目で見ていた。何か言いたそうだ。「何か言いたいのか?」と聞く。「チームを離れるって聞いた。宗弥の意思じゃないって、私のあの事件が迷惑をかけてしまったからなの?」けなげな富士子の率直な聞き方だった。俺は富士子の顔を見た。富士子の罪悪感が富士子の表情を儚く曇らせてゆく。心配させてはいけない。
「そうじゃないよ」きっぱり言って立ち上がり、あの日と同じように自販機でお茶を買い、あの日のように封を切り、あの日とは反対の手で手渡す。受け取った富士子が俺を見上げ「ありがとう」と言った。
富士子と生きてゆきたかった。軽井沢でプロポーズするつもりだった。時代が変わっても、振り返ればいたはずの富士子。いつも、何もかも、富士子には正直に話してきた。それさえも俺の感があたれば許されなくなってしまうはずだ。俺は逮捕されて、投獄されるだろう。富士子から連絡があった。それが裏付けだ。富士子に会えたのは誰かさんの最後の慈悲に決まってる。刹那がよぎる。あの時、要に・・・話していれば。これからあの時の決断を、俺は幾度となく悔やみ続けるのだろう。自分が招いた小さな世界でこの先はずっと・・・生きていくんだから・・・。
この世界で生きる富士子には正直に話しておこう。そうしないと俺は・・俺を取り戻せない。
ベンチに腰掛け、勇気を振り絞って「富士子、お前が拉致された後、サヤから連絡があったんだ。チームの情報を流せば1つにつき水1杯か食事をお前に与えるって、サヤに言われて、俺は従った」罪から逃れたくって聞いて欲しい一心で話す。
「えっ!」目を見開き、俺を凝視した富士子の態度は当たり前で、真っ当で、正直だ。行き場のない視線をうろつかせた俺は「今は何も言わず聞いてほしい。ちゃんとお前に話したいんだ。罵詈雑言は後でしっかり聞くから」悲哀に堕ちた俺は、身も心も項垂れる。
「わかった」掠れる声が、私の心を代弁するかのようだった。サヤと宗弥が連絡を取り合っていた。やり切れない。許せない。私を思ってした事とはいえ、宗弥が・・・・と知った今、葬ったはずのサヤが蘇る・・・・サヤは悪魔だ。宗弥はサヤの巧みさを高校時代に見抜いていた・・・宗弥がそうしてくれたおかげで私は生きながらえた・・というの・・わからなくなる・・・今となっては何が正しくて、何が間違いだったのか・・・宗弥も必死だった。誰もが私を救い出そうと・・・してくれていた。
話を聞く。そう決めたけれど、それでも今は、宗弥の顔を見たくはない。だから、花壇に視線を移す。風に吹かれたチューリップが揺れていた。遠き日、一緒に帰宅する私に「ここにいろ」と言った宗弥は、花壇に足を踏み入れて白いチューリップを摘み始め、花束を作って私に渡すや、私の手を取って「走れ」と叫び、自宅まで全力疾走した。ゼイゼイと息を弾ませて帰宅した宗弥と私に、浮子は「どうされました?」と驚き、私が左手を添えて胸に抱いていた白いチューリップを目にするや、事情を理解したようで、浮子に手を引かれて学校に戻った宗弥と私は校長先生に謝った。理由を聞かれた宗弥は「花盗みは罪にならない」どこで覚えたのか大人びたことを言い、校長先生は「花の命を絶って何を学ぶかだ。手折りにされた花の気持ちは考えたのか?」と宗弥を諭した。宗弥は「富士子がそばにいれば花は幸せだよ、校長先生」と胸を張って答えた。そう言って退けた宗弥の横顔を、今も私は、純白のチューリップを目にする度に思い出す。宗弥の盲目的な私への気持ちはあの頃から変わらない。変わってはいない。
「俺はもちろん、作戦の事はなに1つ漏らしてなんかいない。適当なことを言った。それらしい事を“ 追尾できていない“とか、“情報が錯綜している“とか、そうやって時間を稼いだんだ。それ以来、俺はスパルタンの使いパシリになった。俺は・・・要が生きていたことも、コンテナ船にいるのも知ってた」これが全てだと吐き捨てる。蒼白の富士子が唇を震わせて「知ってて!!なんで!正直に言わなかったの!!」初めて聞く富士子の怒りの声に、俺の心が刻まれる。
「要さんの手紙を私に渡した!あなたは!!私のそばにいて、私の悲しみを見ていた!!なんて傲慢な!!宗弥!!なんてひどい事を!!」それっきり黙り込んだ富士子の顔は見れず、それでも俺は「誰かに取られるなんて、耐えられなかったからさ」と言った。今更ながらに・・・女々しく。富士子が泣き出した。くちびるを噛み締めて泣いている。肩を震わせて泣いている。俺に肩を貸す資格はない。
「俺は謝らないよ、富士子。憎しみでもいい、俺を覚えててほしいから」思ってもいなかった言葉が口から出た途端に、俺は俺の正気に気づく。魂の血圧が急降下する。それでも凍った心は富士子がいつベンチから立ち上がるか、そればかりを気にしている。俺が俺の息の根を止めたというのに。
「要さんは知っているの?」地の果てからのような声で富士子が聞く。この世の終わりが話しているみたいだ。「知ってるよ。仲間はみんな知ってる。だから、俺はチームを去るんだよ」失うものと肩の荷が入れ替わる。どこか清々しくて、軽い。
「宗弥」と言った富士子が俺に膝を向けた。「宗弥」動かない俺の名を富士子が呼ぶ。「宗弥」俺が顔を向けるまで、富士子は俺の名前を呼び続ける気だ。「宗弥」富士子の頑固さを知ってる俺は、顔を上げた。
顔を上げた宗弥の表情は、穏やかだった。鳶色の瞳を見て気づく。・・違う・・そうじゃない。宗弥はまた私を優先しただけだ。私が何を言おうともっともですと受け止め、懺悔し、1人になって孤独と共に泣くのだ。そんな哀れは宗弥に似合わない。そうさせてはいけない。私は宗弥を知っている。
「宗弥の気持ちを知っていながら、私は気づかないふりをしてきた。ごめんね、宗弥。私を助けるために・・大切な人たちまで裏切らせた。ごめんなさい。全てを元に戻したい。どうすれば・・・どうしたら・・・宗弥、全部を謝りたい」どうすればよかったのだろう、サヤと親友にならなければ、宗弥ときちんと話していれば、液体デイバイスを開発しなければ、要さんに会わなければ・・・・・宗弥はこうはならなかった。「ごめんなさい」と謝ることしか出来ない。
これ以上、泣く富士子を、俺の世界において置くわけにはいかない。富士子には帰る場所がある。「富士子、ここでさよならだ。話を聞いてくれてありがとう。正直に話せて楽になった。要と幸せになるんだよ。さぁ、もう行ってくれ」キッパリとした態度で富士子を送り出そう。
富士子は立ち上がろうとしない。もう一度「カッコイイ男で見送らせてくれ、富士子。さぁ、行くんだ」しっかりとした声で言えた。内心でホッとする俺。
富士子がスックと立ち上がる。俺も立ち上がって富士子の煤竹色の瞳を見下した。変わりなく美しい。そう思って俺は気づいた。富士子は女になっていた。
右手を差し出した富士子の前で、俺は気づいてしまったことに戸惑ったのか、富士子になおも心を掴み直されたことに息苦しさを感じたのか、上目のチャームさに艶麗を見たのか、俺は固まっていた。富士子が「宗弥、握手しよう」艶やかに泣き笑う。
要に愛された富士子は、壮絶に美しい。
あきらめではない希望が、俺の心に光を差す。富士子が幸せならそれでいい。右手で富士子が差し出している手をがっちりと握り、“手よ、これが最後の抱擁だ“と心に刻む。ブンブンと上下に振って「元気でな、富士子」と言った。「宗弥も」そう言った富士子は・・・流石の富士子で、俺を許していた。
「ありがとう」と言った俺の手を、富士子は握り返して背を向けた。アカンサス色のワンピースに深紅のハイヒールを合わせた富士子は、可憐な足取りで歩くホットな女だ。
待たせていたであろう、社用車に乗り込んだ富士子が車窓越しに微笑む。俺は右手を上げていつも通りに見送った。心残りは何もない。行こうか。
ベンチに座って「いるんだろう。出てこいよ」と声を張る。記念樹の右手から男が歩いて来た。1人か……なわけないか。
気を取られた俺の内耳モニターに[バレてたか]と要の声が入る。涙が溢れそうになった[お前が来るとは]。たかが、内耳モニターがつながったくらいで。
俺の隣に座った要が、俺を見てスマートに笑う。「なんだよ」と言ってやる。「いや、逃亡者の風貌が板についたなと思ったんだ」馬鹿野郎の要がバカ正直に言いやがった。「お陰様だよ。それで、なんで俺の内耳モニターがつながってる?富士子の監視か?」皮肉の一つでも言ってやりたくて聞いた俺に、「それもあるが、お前は今でも、俺たちの仲間だからさ」軽快に言いやがった要に、俺は「な、わけないだろう!」と大きな声で言い返してやった。
漆黒の瞳を宗弥に向けた要は「コロンブスの指示だ。これからトロンスキーのそばにいるお前は特戦群の名簿からは除名されるが、それも偽装工作の一貫ってことじゃないか」呑気な調子で返し、スーツの内ポケットから封を切っていない3通の封筒を取り出して宗弥に差し出す。「国防大の図書館にお前が残していた遺書だ。もう必要ない」
俺は絶句した。
「なぁ、宗弥。拉致事件でお前がスパルタンに架空の情報を流していなかったら、アルファーの誰かが貨物船で殉職していたかもしれないし、最悪全員、殲滅されていかもしれない。今回もお前のスタンドプレーがなかったら、ある意味red eyesの散布は阻止できなかった。コロンブスはそう考えたんじゃないか」と要に言われ、「俺ばっか、ババ引いてる気がする。富士子までお前に取られたし」そんな強がりを言ってみせる俺はクソ、泣いていた。馬鹿みたいに泣けてくる。
「お前はこれから長期の諜報活動に入る。この国のために」そう言って微笑んだ要に、俺は泣き笑いで頷いた。
了
“ 国守の愛、red eyes“ 完結を迎えました。無事、納めることができて感無量です。第1章を書き始めてから長い時間旅行をしていたような気がします。楽しい時間、学びの日々、正義とは、人とは、生きるとは、戦いとは、防衛とはいろんなことを考えて私なりに書いてきました。書いて良かったと心底思っています。つたない文章にお付き合いいただきましてありがとうございます。感謝しかありません。今後とも宜しくお願い致します。
國生さゆり
PS.エピローグを一章、書こうと思っています。お楽しみに。
あっ、それから私の考えすぎかもだといいんですけど、読んだ感想を皆さんのお声をもっとお聞かせ願えればと思っています。バラエティーとかドラマの役で私に“強い女”というイメージをお持ちの方々が、大多数だと思いますが、自分で言ってしまうとなんだか恥ずかしいけれど正義感が強く、素直で正直なだけだと思います。Twitter、Instagramでのファンの方々とのやり取りや、言葉遊びも楽しいです。やたらめったら噛み付いたりは致しません。私はワンコではなくおニャンコなのですから。ご感想、お待ちしております。




