シーン36 猛ると横暴と涙
シーン36 猛ると横暴と涙
漆黒の闇の中、アルファは2台の車に分乗して本陣を出た。ヴェルファイアの運転席側の後部座席に座る要は時折、振り向いては後ろの車両をジィっと見続けていた。その眼差しを左隣に座るトーキーに移した要は「3台後ろの車両、黒のジープ・ラングラー、ナンバー品川000、0000の照会を頼む」ピリリとする声で指示し、運転席のファイターは右のサイドミラーで該当車両を確認する。
キーボードを弾いたトーキーは顔をしかめ「有限会社ゴールドの営業車です」とうんざりが香る声で言い、要の「トムか・・・」と言ったつぶやきを聞いたファイターはいつでも左右に進路変更が出来るよう、前の車との車間距離を空け始め、後方のレクサスNXを運転するカンマルに要は[送る。イエーガーからカンマル、お前の一台後ろにトムがついている。CIAのお守りはいらない。トムを足止めしろ、ファイター、やれ]とGOを出し、ファイターは左車線に進路変更するや、そのままローソンを右手に見ながら左折し、助手席のオルガは口を真一文字にして食いしばりながらファイターの横顔を見た。後方で幾つかのクラクションがけたたましく鳴り響く。
左車線に入ったラングラーの前に、レクサスを急停車させたカンマルは運転席のドアを開けて降り立ち、怒りを纏ってドアを開けたトムは駆け寄って来たのがカンマルだと気づく。「トム、こんなところで何してる⁈飯でも食わないか」癒し系の表情でそう言ったカンマルに、いわくの目を向けたトムは「お前、ほんと俺の邪魔するな」アリシアを狙撃されて以来、錆びつき始めた心で笑う。
この時間、六本木通りはいつも渋滞している。客を乗せてメーターを稼ごうとするタクシーか、運転手つきの黒のクラウンか、黒のベルファイアでなければアルファード、そして贅を尽くしたファントムか、もしくはMMだらけだ。ブレーキランプの赤い波を逃れたファイターは319号線との合流手前で車を停めた。要が暗い車内からカンマルに語りかける。
[送る。イエーガーからカンマル、僕はトムのトロンスキーに対する狙撃に私怨を感じている。アリシアに同僚以上の感情があったのではないかとそう思っている。アリシアを撃った宗弥を狙っているのかもしれない。この事案を納める時、トムが提出する報告書がアメリカの理解を引き出すポイントになる。カンマル、トムが愚行に走らないよう監視すると共に、CIAがどこまで情報を掴んでいるか探れ]と。
コインパーキングに車を停めながら[了。食事に誘いました。トムもこちらの情報がほしいのだと思います。僕たちは何をしていると聞かれるでしょう、どう答えますか?]と言ったカンマルに、要は[この辺りは大使館が多い、世田谷での事件をどう受け止めているか、動向調査していると言って連れ回せ。だが、マキシムを捕縛し、本陣に連行するその時にはトムには居てもらう。タイミングをみて連絡を入れる。連れて来い]と応えた。
[了]と返したカンマルがエンジンを切ると、見計らっていたかのようにトムが車窓をノックする。ドアを開けたカンマルにトムは「何が食べたい?」と年上らしく聞き、カンマルは人たらしの笑みを端正な顔立ちに浮かべて「うどん屋に行こう」と誘った。
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純日本風の座敷には床の間、坪庭、檜風呂があり、トムは個室を見回して「六本木のど真ん中にこんな店があったとは」と言い、下座にあぐらを組んで座ったカンマルは「同窓会の仕切りをやった時に見つけたんだ」と適当に嘘をつく。カンマルの正面に座ったトムが「俺たち何一つ、本当のこと言えないな」とダークに顔を曇らせ、その顔を見たカンマルは「そうだな」とこぼした。
メニューを見ながらのトムが「アリシアの意識が戻らない。出血が多過ぎて脳が低酸素症になったらしい。このままだと脳死判定されてしまう。長い1日だ。もう何日も前のことに思えるよ」と世間話でもするかのような口ぶりで話し、メニューから顔を上げたカンマルは「本国に移送するのか?」と聞く。疲れ切った表情でカンマルを見たトムは「いや。なぁ、今日、大使館に行って知ったんだが、アリシアは俺に延命措置の有無を任せると書き残してた。その・・お前ならどうする?」と歯切れ悪く言った。間髪入れずのカンマルが「外さない。脳死だろうがなんだろうが、アリシアの身体は生きてる。医療技術は日進月歩だ。僕なら諦めない」と答えると、「だがな、臓器提供の登録してたんだ」とトム、「それでもだ!」カンマルは癇癪を起こしたかのように反発し、メニューに視線を落としたトムが「すき焼きうどん御膳にするか」と方向転換する。そこに従業員が現れ、視線をトムに据えたままのカンマルは「すき焼きうどん御膳を2つ、飲み物は0を2つ」尖った声でテキパキと注文し、トムは和む目を従業員に向けて「時間があんまりないんだ。急いでもらえるかなぁ〜」と愛想よく言った。
「承知しました」と言った従業員が立ち去ると、カンマルの目をしっかりと見たトムは「お前を知ったアリシアはどうしてほしいと思う?」と唐突に聞く。「わからない。だが、僕はアリシアにこの世にいてほしい」とカンマルがもどかしくもきっぱりと答えると、「そうだよな。俺もそうだ。しかし、アリシアは・・望んでいないような気がするんだ。俺たちの横暴で、身勝手な思いなんじゃないか・・な」と言ったトムに、カンマルは「それでも!…僕は…」と涙が混じってあとは続けられずに下を向く。
「敵討ちと言ったか、日本語では」と呟いたトムに、カンマルは星の如き目に溢れんばかりの涙をたたえ「復讐してもアリシアは喜ばない。そうしたい気持ちは良くわかる。だが、仕返しの連鎖が世界を戦争へと導いて来た。少しずつでも道理に戻すのが、僕らの仕事じゃないのか。だから僕はこの仕事を選んだ。トム、そんなこと口にするな」猛る心を口に出す。
「アリシアが・・・お前を選んだ理由がわかったような気がする」と言ったトムの左目からポロリと涙がこぼれ落ちた。流れ落ちるままにトムは「CIAの歴史が長すぎたのかもな」と言った。寂しさが風のようにトムの心をなでる。限度なく、国益ばかりを追い過ぎた。内心でトムはそう思う。




