シーン19 ベータの突入
シーン19 ベータの突入
ベータチームの通信担当Dは建物の屋上で腹這いになり、向かいに建つ6階建てマンションの一室を、赤外線スコープで見ていた。標的は3階の一番右端にある角部屋308号。
バブル期に建設されたマンションに好まれ、その特徴でもある白亜の鱗壁仕上げの外壁は薄汚れ、どっしりとした造りの佇まいが、却って時代遅れを感じさせた。[送る。Dから総員。外監視なし。室内に居るのは計2人、1人はキッチンの戸棚を、開けまくって捜索してる。手際がいい。身長150㎝前後、骨格が華奢だから女性だな。もう1人はリビングをウロウロと、ただ歩き回ってるだけだ。186㎝はある。肩幅も広い。こいつは男だ。2人とも装備軽微。合流する]、近くの車に待機していたサラマンダーは[了。送る。サラマンダーから総員、Dは裏口に移動して待機、警戒にあたれ、カンマルとデスは非常階段から上がってこい、ピッコロと俺はエレベーターからマンションに入る。殺すな。生捕りにする]、[了]と総員から入る。
白のランドクルザーGXのドアを開け、助手席から降りたサラマンダーは口の中に、アドレナリンが沸き立つのを感じつつ[送る。サラマンダー。本陣。約10分後に突入する]と入れ、コロンブスからの[了]の返事を聞きつつ、運転席から降りて来たピッコロと共に歩き出す。
オートロックパネルの鍵穴に、特殊仕様の鍵を突っ込んで解錠したサラマンダーが、誰もいない管理室の前を音もなく通過したところに、[送る。カンマルからサラマンダー、非常階段のカギが壊されています。このドアは中からは開きますが、外からは鍵がなければ開かない設計です。ここが侵入口ではないでしょうか?]カンマルから猫の手よりも柔らかい声で入り、サラマンダーが[痕跡の鮮度は?]と聞く。[ホコリも汚れもついていません]とカンマル、ポストからはみ出し大理石の床に散らばった投函ビラを横目に、サラマンダーは[カンマル、写真撮影を頼む]と指示してエレベーターホールへと向かう。
億ションを誇ったマンションの成れの果て、転売が繰り返されるうちに債権者の質は低下し、その人数だけが増えてゆき、今では沼地にハマった天然記念物のカモシカだ。旨味はあるが、誰かが手を出すのをみな待っている。先頭に立ちたくはない。何が飛んで来るかわからない。誰もクソには当たりたくはない。そんな物件だ。
エレベーターに乗り込んだピッコロが、サラマンダーの横顔を見る。その顔に頷いたサラマンダーは[送る。サラマンダーから総員。静かすぎる。人の気配がない。気を引き締めて進め]と指示を出し、[了。送る。Dからサラマンダー、裏口に到着。送る。本陣。練馬00、0000の車両を照会されたし]、[了]と返した通信員が二拍おいて、[スポーツジム用品の輸入会社、有限会社ゴールド所有の営業車です。登記は世田谷区]と報告する。
私道を塞ぐように、駐車してある赤のAudiのそばに立ったDは[営業車⁈車種はオープンカーの2シーターで、TTロードスターだぞ。車内も妙に綺麗で、足回りには手が入ってる。そもそも裏口に繋がってるこの道は道幅が狭い。しかもUターンできるスペースはどこにもなかった。なのにこのAudiの頭は、マンション出入り口方向を向いてる。車道からバック走行してきたとは考えられないか?だとしたら運転していた人間は、このマンションの見取り図を見ていた事になる。うさんくさい。会社の背景調査を頼む]と入れた。
[送る。サラマンダーからD、その車に発信機を装着しておけ]とサラマンダーから入り、Dは[了。本陣、タグ付けを頼む。発信器番号は、ちょっと待ってくれ]と言いながら、右手のジュラルミンケースを私道におき、発信器を取り出して[送る。番号は101012だ]と伝え、車の下に潜り込んで作業に取り掛かった。
308号室のドア側面に立ったサラマンダーは、左腕で鼻と口を押さえ、3ヶ所の蝶番に潤滑スプレーをふり、スプレー缶を上着の外ポケットに入れて、背後に立つピッコロの顔を見る。ハンカチをポケットに突っ込んだピッコロが、小さく頷く。突入の号にしては、至って静かだ。サラマンダーがドアノブに、そっと左手を掛けて回す。鍵はかかっていなかった。ドアを開けたサラマンダーは、初めて人前で踊る女性をリードするかのように慎重にドアを開け、ソロリと身体を滑り込ませ、ピッコロは非常階段前の物陰にしゃがみ、長い廊下を警戒しているカンマルにゆるりと視線を送り、目を合わせたカンマルが頷くやサラマンダーに続いて入室する。
低い体勢をとったカンマルはグロックを構え、斜傾した太陽に照らされた影のように、伸びやかにドア前へと移動し、閉じかけたドアの隙間に左手を掛けて緩やかに大きく開け、屈んだ背中で支えると、非常階段のドア前に立った大男デスに頷いた。水が侵食して行くようにベータは陣形を整えつつ進む。
部屋に入ったサラマンダーとピッコロは真っ直ぐに続く廊下を進み、右側にあるドアを開けるが10畳の部屋には家具一つ無く、向かいのトイレも確認するが一欠片の不審もなかった。廊下を4歩進んで左側のドア側面に立つ。ドアが4センチほど開いていた。事前に確認した室内図面ではそこはプライベートルームで、入って左手が風呂場で、洗面台を挟んで右手は家事室だ。つまりは洗濯機おき場と、天井に室内乾燥器が完備されている8畳の部屋だ。
グロックを左手に持ち替えたサラマンダーは開いているドアに右手を差し込んで、隙間を大きくして一瞬、中を覗き見る。洗面台の2つの蛇口の1つから、ポタポタと水滴が垂れていた。だが、スクウェアタイプの洗面ボウルには、水ジミはなかった。全面ガラス張りの風呂場に人影はない。と、いう事は、家事室だ。サラマンダーは細心の注意を払ってドアを開け、家事室の蝶番をチラリと確認する。開けは図面通りだった。家事室のレバーハンドに右手を掛け、そっと押してグロックを構える。侵入してからのサラマンダーの動作は、普段のガサツな言葉使いとはかけ離れ、観客を酔わせるワルツを踊っているかのように優美だ。この男の本質なのかも知れない。
家事室は家具はなく、もぬけの殻でカビ臭いだけだった。
背後のピッコロに右親指を立てたサラマンダーは、瞬時に揃えた右手を縦に振り、うなずいたピッコロを先頭にして前進してゆく。リビングのドアを開けようとノブに手をかけた瞬間、ピッコロは声を上げる間もなく、卒倒し、力なくその場にうずくまった。
サラマンダーは迅速に動き、ピッコロの首にそろえた人差し指と中指をあてて脈をとる。
[送る。サラマンダーからD、ピッコロがダウンした。ドアノブに手をかけた瞬間、意識を失った。なんだと思う?]と口内発声で通信し、[電磁波か、通電]とDが入れ、[だよな。カンマルとリビングに入る。デス、ピッコロを外に出せ、D、上がって来い]と指示するサラマンダーの隣に、いつの間にか来ていたカンマルは、音もなくピッコロを抱えて玄関へと運び、そよ風のようにサラマンダーの足元に戻って来た。
しゃがんだカンマルは無邪気な瞳でサラマンダーを見上げ、頷いたサラマンダーはドアを蹴破り、二人はリビングへと突入する。それぞれのグロックが定めた先には、銃を構えた白人の男と女がいた。
4人は罵り合う。
「どこのやつだ!」と男、「お前が先に言え!!」とサラマンダー、「いいえ、あなたからよ」と女、「撃ちますか?男の頭、狙ってます」とカンマル、「私はあなたの頭を狙ってるのよ。ごめんなさい」と女。女性はいつも一言多く、そんな時の女の言葉は大抵、あらゆる意味で気が利いている。
男は「待て!待て!待て!!待つんだ!」と慌て、床にMW11をおき両手を上げ、「意気地なし」と女が罵り、男が「日本で発砲すれば、報告書が百科事典並みの厚さになる。面倒くさいんだよ、アリシア。お前も銃を置け」というが、きかないアリシアは「あなたたち、誰⁈」と言い、サラマンダーが「通りがかりの日本人」と答え、「銃を持って歩くの?日本は世界で一番、安全な国なんでしょ」とアリシアが笑う。可愛らしい笑みだ。
「お嬢さん。その.50GSはお嬢さんの華奢な手じゃ、操作も、威力も、有り余る。握っているのも大変だろうに、大きいのが好みなのはわかるが下ろしたらどうだ」サラマンダーがおじさん丸出しの口調で言い、聞いたアリシアは綺麗に微笑み「試してあげましょうか、昇天させてあげる自信はあるのよ」可憐な声だった。サラマンダーは「おお!正しい日本語を使うね、お嬢さん」と大袈裟に喜び、「あなたは相手のフリもわからず、一人よがりに先にいっちゃうタイプでしょ」アリシアは手加減なしだ。
二人の丁々発止のやりとりにうんざり顔の男は「CIAのトムだ」と明かす。
トムをグロッグで捉えたまま、アリシアの前に歩み寄ったカンマルが「証拠は?」と聞く。アリシアも神速で.50GSをカンマルの頭に据え直す。「コロンブスのお友達、マスクの部下だ」とトム、[送る。カンマルからコロンブス、CIAのトムと名乗る男が部屋にいました。トムはマスクの部下だと言ってます。ご確認をお願いします]、[了解した]瞬時にコロンブスは応え、サラマンダーは男に「CIAがここで何してる?」と尋ね、「お掃除」とアリシアが答え、「俺たちは買い物」と言ったカンマルに甘く、甘美な視線を向けたアリシアは「ここは商店街じゃないわ、殺風景なリビングよ。馬鹿なの、日本の特戦群兵士は」と言う。カンマルはハッとするほどの子供っぽい笑顔で「ああ、馬鹿なんだ、君と同じさ。それから僕たちは兵士じゃない。国家公務員だ」と無邪気に話しかけ、「あなたの笑顔、魅力的」正直に言ったアリシアの声は妙に幼く、甘えかかるようだった。二人は確認が取れるまでの時間潰しにじゃれあっているだけで、が、このひと時でこのいっときで、カンマルはアリシアを気に入り、カンマルの勘もアリシアも同じくだと言っていた。今晩、何時に上ろうが飲みに誘おう。カンマルはそう決める。
[送る。コロンブスからベータ総員、マスクと話がついた。これよりCIAとの合同調査とする。まずは家宅捜査だ。サラマンダー、CIAの目的を探れ]とコロンブスから入り、[了解]と返したサラマンダーはトムの正面に進み出て右手を差し出し「合同捜査で話がついた」と伝え、トムが握手に応じようとした次の瞬間、サラマンダーは右手を拳に変え、猛烈な一打をトムの腹に喰らわせた。
「ゴボッ」と唾を飛ばして膝をついたトムに、「今度、うちに断りもなく、この国を彷徨いたり、うちのやつに手を出してみろ、一生、背後が気になる生活に追い込んでやるからな。覚えとけ」とサラマンダーは言い放つ。.50GSをホルダーに収めながら、トムを見下ろしたアリシアは「うー、スキありね、トム。報告書に詳しく書いてあげるわね」可愛らしい小鳥がさえずるようにそう言い、サラマンダーに右手を差し出して「侍、アリシアよ」爛漫に美しく微笑んだ。




