シーン12 盾石グループ本社ビル内・会長室
シーン12 盾石グループ本社ビル内・会長室
三人掛けソファーの中央に座るコロンブスが「いや、美味しいお茶ですな。この歳になってやっと日日是好日の意味が、なんともなくわかるようになりました」とまろやかな笑顔で話しながら、茶器を茶托におく。コロンブスは、和やかな佇まいだ。常日頃からコロンブスは本陣から出ると雰囲気を一変させ、羊のような無害な印象にすり替える。非情な決断も厭わず、国の為ならどこまでも荒ぶれ、肝を据えて挑む男の化学だと要は思う。
「同感です」と応じた国男も、そういう意味では負けていない。ふと、親しみ溢れる目で国男を見たコロンブスは「今日は、お願いしたいことがあって、お伺いしました」何気なく、さりげなく、しかし単語を粒立て、しかと国男の心に届くような声で言った。「なんでしょう、私でお役に立てる事ならば、いいのですが」静かな笑みで応じた国男の心が、モゾリと身構える。
この日の朝、コロンブスは国男の携帯に自ら電話を入れ、半ば強引に面談を取り付け、側近を一人も同行させず、要、ファイター、トーキー、チャンスを伴って国男のオフィスを訪れた。
要はコロンブスの後ろに立ち、ファイターは会長室のドア前に、コロンブスの右隣に座ったトーキーはパソコンに視線を落として速記している。当然のことながらトーキーは、密かに映像撮影と音声録音を行っていた。チャンスは玄関前のエントランスに、駐車したヴェルファイアの後部ドアの前に、鉄背を保って待機している。
ザラリとした空気感が緊張を呼ぶ中、しかと鉄背を引き上げたコロンブスが本題に入る。「アメリカ情報士官が、富士子さんの血液を入手したかった理由がわかりました」慎ましやかな声でそう告げ、わずかに口元を引き締めた国男の表情を目にしても、コロンブスは無関心を貫き「半年前、かの国のある場所で、red eyesという疫病が発生しました。ご安心を、今は収束しています。熱帯雨林特有のウィルスが突然変異を引き起こし、中間宿主、終結宿主は不明ですが、情報によると致死率80%の脅威だったそうです。我々の情報源は、一人の感染者からの感染率を12と言っています。このウィルスに感染した者は、亡くなられた奥様の病歴を辿っています」耳たぶに重みを感じる声で事務的に話す。
言葉を失い、コロンブスの顔を唖然とした表情でしばらく凝視していた国男は「当時の、国立感染症研究所の医師は、久美子を隔離する必要はないと判断しました。事実、私や浮子には感染しなかった」低いアルトの声をトツトツと唸るように響かせる。
トーキーは床に直置きしていた、パイロットジュラルミンケースのフタを開け、ケースに両手を入れて右手でクリアファイルを取り出しながら、ケース内の側面に貼った液体デイバイス基盤の超小型盗聴器を左手で剥がして握り隠し、ファイルにその左手の親指と人差し指を添えて、国男に「こちらをお読みください」ピリリとした声で差し出した。
一時の時間が流れ、資料から重苦しく視線を上げた国男に、コロンブスは「機密書類なので、お返し願えますか」と普通に言い、国男から受け取った紙資料をトーキーに手渡す。受け取り損ねてファイルを落としたトーキーは「失礼いたしました」と言いながら、ファイルを床から拾い上げつつ、ソファーの底に盗聴器を設置する。事前にコロンブスから指示された行動だった。現存する探知機では探知不能のこの盗聴器は、これから本陣・通信室の係官の誰かが管理するのだろう。その間も会話を止めないコロンブスは「ご理解いただけましたか。富士子さんの血液サンプルを、我々にご提供ねがえないでしょうか」と単刀直入に切り込む。左眉を上げた国男は「国からの要請という事ですか?」と性急な口調で聞く。
「いえ、そうではありません。状況変化によってはそうなる可能性はありますが、今のところは秘密裏にお願いしたい」コロンブスの声は洗練されてはいたが、アクセントが強く、聞いた国男は「うぅん」と喉のつかえを払い退けて腕を組んだ。
「会長、red eyesの抗体をお嬢様はお持ちです。詳しくは申し上げられませんが、備えと考えて頂きたい」とコロンブスはひたむきに訴える。「富士子がまた、危険な目に遭うということですか」苛立ちの口調で聞いた国男は、チラリと視線を上げて要の顔を見た。
要はその眼差しに気づいてはいたが、寡黙を通し、揺ぎない視線を正面に据えたままでいる。
コロンブスが畳み掛ける。「ご安心ください。そういう情報は上がっていません」、「では、どうして、備える必要があるのですか?」と聞く国男の声は、絡みつくような粘りを帯びていた。表情を消したコロンブスが「お読み頂いた書類にあった通りの疫病です。蔓延すれば経済活動に影響を及ぼし、対策費、援助金、支援金等々で、大きく国家予算を割くことになります。1からワクチンと特効薬の開発をすれば、研究費は4000億を超えるでしょう。何より、致死率80パーセントです。ですから、お願いしています」と説明する。コロンブスの声の姿勢には責務を裏付ける厳しさがあった。訝しくコロンブスの目を見た国男は「他に、理由があるのでは?」と間伸びした口調で聞く。要はその言い回しと声色に国男のセンスある貪欲な嗅覚が、金脈を嗅ぎつけたと感じた。
コロンブスは「規定上、申し上げられません」真摯に答える。
「富士子に関する事です。明確なお答えがいただけないままに、ご希望には添えません」国男はきっぱりと掴みどころのない声で返し、コロンブスはトーキーを見る。その視線を肌で感じたトーキーは録音と録画を止めて、小さくうなずいた。
それを目の端で確認したコロンブスは「会長、私はこれから独り言を言います。あくまで独り言です」、「他言いたしません。お約束します」国男は真摯に確約する。
「兵器化したred eyesを世界のどこかで使用すると、けしからん事を口走る者を現在、我々は確保しています。事情聴取していますが、いまだ真実なのか、虚言なのか、確証は取れていません。事実だとしても無論、我々は全力で阻止する覚悟でいます、しかしその作戦行動中、不備の事態が起きた場合に、備えておきたいのです」コロンブスは知的なスピード感で、熱意を迸らせた。
国男の表情に、墨を滲ませたような影がさしてゆく。
静寂の中、ファイターが音もなく動いた。要はファイターを目で追いながら、ドアとコロンブスとの間に入る。わずかにドアを開けて外の様子を確認したファイターは音もなくドアを閉め「素水樽太郎さんがお見えです。入室して頂きますか?」とコロンブスに聞いた。
国男の目を見たままのコロンブスは「ここは会長のオフィスだ」と答え、外の様子が徐々に騒々しくなっていく中、国男は「樽太郎は、私の最も信頼している人物です」と誰に言うでもなく、低音に品位が香る声でそう言い、聞いたファイターはコロンブスの顔を見た。
コロンブスの微かに頷きにファイターは扉を開け、要は元の位置まで下がった。
室内に足を踏み入れた樽太郎は一瞬、躊躇したが、国男の背後に立つや深く頭を下げ「丹生さま、お嬢様の件では大変お世話になりました。ありがとうございました。ですが、しかしながら、私、もしくは弁護士の同席なしに、会長との面会は差し控えていただけますよう、お願い申し上げます」やや早口の押し付けるよう口調で言った樽太郎の額から、ポタリと汗が落ちる。
その一筋の汗を観察眼で見たコロンブスは「いやいや、申し訳ない。たまたま近くで打ち合わせがありまして、会長はお元気だろうかと、お尋ねしたまでの事です。美味しいお茶を頂いておりました」愛想の良い表情と他所行きの声で言い、国男は「貴重な機会をいただいたよ。樽太郎」柔和に言い添え、樽太郎は「はい」と言いながら要の顔を見た。
要は自分を見たその樽太郎の表情に、違和感を覚える。瞬時に、なぜ、そう思った⁈と自答し、樽太郎の表情に後ろ暗いためらいを嗅ぎ取ったからだと達する。・・樽太郎さんは宗弥を心配している。だから、僕を暗く見た。樽太郎さんは今の宗弥が、どういう立場に置かれているか知っている。秘密を宗弥と共有している。これは先走りすぎの・・飛躍した推測だろうか・・・樽太郎の顔を無表情に見続けてなお、思案する。
樽太郎はその目を振り払うようにコロンブスに向き直り「失礼を申し上げました。ですが、伏してお願い申し上げます。どうぞ、先ほど申し上げました事、ご理解ください」と念押しする。追い払うような樽太郎の態度が、要には決定打となる。要がコロンブスに視線を移すと、コロンブスはすでに要を見上げていた。その怜悧な目が、“ こちらで調べる“ と言っている。要は微かに頭を下げた。
立ち上がったコロンブスは樽太郎に「確かにそうでした。我々のような者が、突然お邪魔するといらぬ詮索を呼ぶ。失礼致しました」威厳ある態度でそう返し、国男に視線を移して「では、会長、これで失礼致します」と意思ある鉄背を折った。
要は国男に視線を送り、目が合い、身に誠実を託して鉄背を折る。深々と礼を尽くしてコロンブスの後へと続く。
廊下に出た要は[送る、イエーガーからチャンス、会長室を出た。来たとき同様、警備ゲートはスルーできるはずだ。約4分後、そちらに到着予定。警戒を厳とせよ]と入れた要にコロンブスが視線を送る。要はチャンスからの[了。こちらは変わりなく異常ありません]という返信を受けながら、コロンブスの右隣に進み出た。揃えた右手を、首元で左右に振るコロンブスの仕草を見た要は、内耳モニターをOFFにする。先頭を歩くファイターは返信のない要に振り返り、目が合った要が頷くと、ファイターは[チャンス、了解した]と返信しつつ、視線を前に戻した。
「素水樽太郎の人柄は?」とコロンブスが要に聞く。「フレミングに似ています」と答えた要の横顔を見たコロンブスは「献身を絵に描いたような人物ということか」と言い、視線を合わせ「はい」と答えた要に、前を向いたコロンブスは「お人好しで、軸を自分に置かず、人に尽くすか。いい人だな。だがなイエーガー、善だけでも争いは起きる。良い人は人の意見に従順で流されやすい。皆0か100で考えてルールを欲しがるが、私は平和を維持するには自身の奥深いところで、正邪のバランスを51対49でとりながら、良心で考えるのがコツだと思っている。覚えておいてほしい」と言った。「はい。胸に留めおきます」と応えた要は歩調を緩め、内耳モニターを起動させながら下がり、国の防壁たるコロンブスの背を見つめて歩く。僕にコロンブスのような生き方ができるだろうか・・・。
会長室のドアが閉まり、そのドアを見つめている樽太郎に国男は「樽太郎、座ってくれないか」と声を掛け、樽太郎が正面に着席すると、国男は上半身を前に押し出し、それを見た樽太郎も自ずと前屈みになって国男の言葉を待つ。
ひたりと樽太郎の目を見た国男は「早急に、東南アジアあたりでBSL-4を扱える私設研究所をリストアップしてくれ。買収する」と言い、「わかりました。手に入ったとして、どうされるおつもりですか?」とひそめた声で樽太郎が聞く。
「red eyesという疫病のワクチンと特効薬を開発する。富士子が抗体を持っている。血液を使えば容易なはずだ」国男は社交辞令のような声と抑揚に欠ける調子で言い、樽太郎は「承知しました。早速、準備を整えます」ピリっと応えてソファーから立ち上がる。




