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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

潜る

作者: 鯛焼きさん


ねえお母様、どうして私はお父様と似ていないの?

それはね、あなたがお父様と血が繋がっていないからですよ。

私の本当のお父様はどこにいるの?

わからない。でも本当にそっくり…まるであの人が生まれてきたのかと思ったのだから。


―――


 私が物心ついた時から肉親は母様だけでした。


 私が十歳の頃、母様は何かに蝕まれて自由に動くことができなくなってしまい、私は通っていた学校を辞めて働きだしました。男の少ない店で、私は自分よりも何倍も大きな荷物を何往復もしては運び、到底足りないような昼飯を食らい、また物を運ぶことを毎日続けていました。

 私の父様は、母様が私を生んだその日から家に二度と戻ってくることはなかったと言います。幼き頃、母様に手を引いてもらい店の並ぶ道を歩いていると、私にそっくりな顔の男が女を連れて正面から歩いてくるのを見たことがありました。あれが私の父様だったのか、それとも空似だったのか知る由もありません。あの時、私は似ている人がいると話しかけようとしたのですが、私よりも背の高い母様の表情を知るのが何故か怖くなり、ギュッと手を握って正面を向いたことを今でも鮮やかに覚えています。

 母様は快活で、笑顔も美しい元気な娘だったと近所の人は言ってくれました。病気にかかり思うように体が動かなくなってからも、行ってらっしゃいとお帰りなさいを言うために布団から這い出ては手を振ってくださいます。定期的に来る町医者の言う通り、太陽の出ている時は光を浴びて、少ないお金で買った栄養のある食材を使い、食事を私が作ったとしても近所の人が言うような美しい娘に戻ることはありませんでした。ですが私はそんな母様のことは本当に大好きだったのです。たった一人の家族でしたから。


―――


 私は二十歳になりました。相も変わらず母様は布団に臥しています。あの頃よりも気だるげで、輝かしさは失われたものの変わらずに美しい母様です。

「今日も夜遅くまで働いてくるの?」

最近になって母様は時々、私にこう尋ねることが増えてきました。一人で居ることが寂しいと前に独り言を呟いているのを聞いたことがあった私は、彼女の甘えるような瞳を内心嬉しく思っていました。

「ええ、今日も遅くなります。確か今日はお医者様の来る日でしたよね?お医者様の言う通りに太陽の光を浴びて、安静にしていてください。では行ってきます」

母様は私に優しく微笑みかけると、手を振ってくださいました。寝起きだった彼女の着物ははだけてしまい、弱々しい体は露わになっていました。

 私はこれまで家のことを全てやってきたのが功を奏して、とあるお屋敷のお手伝いとして働いていました。そこに住むお嬢さんは巷でも別嬪さんであると有名で、宝石のように大切に育てられているのを私は間近で見ていました。同僚もお嬢さんに恋をしている者が多く、絶対に叶うわけのないことを言っている者も多かったのです。そんなお嬢さんは、私によく話しかけてくれます。学校での面白かったこと、最近華道を始めたこと、そして好きな男ができたということ。正直な話をすれば、八割ほどの会話を覚えていません。庭の雑草を抜いている時や、部屋の掃除をしている時に話しかけられて、逆に覚えている者がいるでしょうか?ああ、きっとお嬢さんに気のある者たちなら一言一句覚えていたのかもしれません。

 そしていつの間にか夜になります。住み込みで働いているのではないので、夜道を疲れ果てフラフラと歩いて帰る日々。昼は喧騒で聞こえてこない波の音が遠くから聞こえてきます。空を見上げると、美しい三日月が私のことを見つめていました。暗い誰もいない夜道で思わずこの前お嬢さんに教えてもらったスキップなるものをしてしまいそうになります。理由ですか?静まり返った大通りで、妄想をしながら帰るのが何よりの楽しみだったのですから。毎日私は頭の中で母様を愛撫するのです。透き通るような真っ白な肌を、私の荒れたざらざらの手で触れると彼女はくすぐったそうに笑ってくれます。着替えを手伝おうとすると生娘のように恥ずかしがってくれるのです。私の中であの人は母親から一人の女へと変貌していました。もちろんこれまでは私の大切なただ一人の肉親でした。偶然にも見てしまった彼女のあられもない姿。それだけで私が狂うのは、きっと必然でした。それ以降は毎日のように私の頭の中で彼女を思うがままにするのです。まるで口の中に入れた飴玉を、ころころと転がし甘やかして溶かすように、あの人を愛していました。もちろん本人にこの甘美な愛情が気づかれないように平然な顔をして家に入ります。怖がられ拒絶されるのが何よりも怖かったので、この抗えない本能は爪で太ももを裂いてまで我慢しました。彼女の前で獣になるのが何よりも避けたいことでしたから。

 さて、平然な顔をして家の引き戸を開けますと、珍しく町医者がまだ家にいました。胸騒ぎがして家に飛び込むと、母様は布団に深く潜って顔を出してくれません。

「どうされたのですか!?」

私が町医者に問うと、複雑そうな表情をしたのちに口を開きました。

「どうやら調子が良くないのです。暫くは布団から出ない方が良いでしょう。くれぐれも体に障るようなことをさせないようにしてください。では今日は失礼します」

私は母様の死期が近づいてきていると焦りました。町医者が帰ると、母様は布団の中から少しだけ顔を出して弱々しくお帰りなさいと言ってくださいました。そして今日は食事を摂らないと言って再び顔を埋めてしまいました。はっきりとした拒絶に心臓が張り裂けそうになるのを我慢して、私は一人寂しく食事の準備をしたのでした。

 母様はずっと調子が悪いままでした。喉を通らない食事、食べたとしても戻してしまい床に就く。町医者に聞いてもあやふやな回答しか返ってこない。専門的な知識のない私は、ただ母様の体調が良くなるのを座って待つことしかできなかったのです。そこから数か月の間ずっと、私は呆けておりました。原因のわからない母様の体調不良は今なお続いていたのです。心配で仕方のない私は遅くまで起きて看病をしていました。仕事に支障をきたすと怒られたとしても私は止めるつもりがありませんでした。

麗らかな日差しを浴びながら、庭の雑草を抜いていると、私に影がかかってきました。

「お仕事お疲れ様です。ちょっとよろしいですか?」

振り返るとお嬢さんが立っていた。スカートが汚れるのも気にせず、私の真横にしゃがみました。

「どうされましたか?スカートの裾が汚れてしまいますよ?」

私が問うと、お嬢さんは立ち上がりました。何故か私の腕も持ち上げたので必然的に私も立ち上がることになります。もう一度声を掛けようとしましたが、お嬢さんは神妙な顔をされていたので言葉を紡ぐのをやめました。腕を引かれて連れていかれたのは、ご主人から男は絶対に入るなと言われたお嬢さんの部屋でした。ソファに座らされ、正面から向き合います。

「お茶をしたかったのですが、相手が居なかったので」

いそいそとお嬢さんは飲み物の準備をされています。やがて何度か私も出したことのある紅茶が用意されました。もちろん飲んだことはありません。

「どうぞ、召し上がってください」

「あ、ありがとうございます」

渋いような苦いような良く分からないお茶でした。砂糖を入れることを勧められましたが、お茶に砂糖を入れる感覚がわからなかった私は丁重にお断りして飲み進めました。

「……このカップの模様はとても美しいですね」

沈黙に耐えられず私から会話を振ってみます。するとお嬢さんはほんの少しだけ笑みを浮かべて話してくださいました。

「この月と太陽が寄り添うのは、男女を表しているとお父様が教えてくださいましたわ。男性が太陽で女性は月を意味しているそうです。不思議なものですね」

またしばらくの沈黙の後、ようやく本題に入りました。

「実は、今度結婚が決まりましたの。会ったこともない人とお見合いをすることもなくお父様が決定されましたわ。…そんなの私は嫌!お願い、私をこの檻から救い出してください」

救いを求めるお嬢さんの表情を見て胸が痛みました。ですが、私にとってそれだけのことでした。

「申し訳ございません。それは私には荷が重すぎます」

「……わかりました。じゃあ、最後の思い出として」

お嬢さんは立ち上がると私の隣に座られました。そして肩を押し、私を倒して上に乗られたのです。

「ではせめて私のことを抱いてください。私は知らない誰かによりも、慕っているあなたに初めてを貰ってほしいのです。どうか、どうかお願いします」

洋服のボタンを外すと、お嬢さんは生まれたままの姿になられました。若い女性の肌は、私が思っているよりもずっと美しく艶やかで、陶器のようで。そして普段は感じたことのない魅力を感じている私自身に一番動揺しておりました。

「私に何かしましたか?」

半信半疑でお嬢さんに話しかける。この時、私は今にも細い腰に手を伸ばしそうになるのを必死に我慢していました。

「ごめんなさい、私はきっと断られると思って予め薬を入れさせていただきました。あなたが紅茶を知らない人で良かった」

お嬢さんの薄い唇が弧を描きます。私の腕を掴むと、お嬢さんは自らの腰に私の手を添わせました。覚えているのは、ふと窓を見たときにお嬢さんの下におぞましい顔をしている獣がいたことだけでした。


 次に意識が帰ってきた時、私の横には満足げな表情で寝ているお嬢さんがいました。自分が何をしたのか思い出して、冷や汗が頬をつたいます。恐らく多くの人は私に同情したでしょう。無理やり薬を飲まされて拒否する間もなくやらされたのは私でしたから。しかし、ここは主人の屋敷の中。つまりここは主人のさじ加減ですべてが決まるのです。結婚相手の決まったお嬢さんを襲った召使いとして私は物理的に抹消されるでしょう。少しずつ頭がさえてきた私は、いつまで経っても休んでいる場合ではないと気づきました。慌ててベッドから出ると、服を着て部屋から飛び出しました。廊下を全力で走っていると、私にお嬢さんが好きだと言っていた同僚と鉢合わせます。

「もう夕方だぞ。顔色悪いけれど何かあったのか?」

驚いて窓の外を見ると夕日が出ていました。確かに窓に映る私の顔は真っ白になっていて、まるで死人のようでした。

「すまない、すまない。お嬢さんのことを頼む」

私はそれだけ言うと一礼して横をすり抜けました。同僚が肩を掴もうとするのをかわして無我夢中で走ります。後ろでは同僚もお嬢さんの部屋に向かって走っている足音が聞こえました。丁寧に整えていた庭を真っ直ぐに最短距離で走り抜けます。もう二度とこのお屋敷に戻ってくることはないから、何をしても怖くありませんでした。

 夕方はまだまだ人が溢れていました。そんな中でも私は世界にたった一人ではないかと感じてしまうほどに疎外感を感じて歩いておりました。私は私の父様と同じことをしたのです。子どもが生まれるかどうかではなく、その可能性だけで身震いが止まりませんでした。私の母様を独りぼっちにさせた人と同じことをしたという事実だけで、私は死のうかと考えました。しかしここで死んでしまうと母様は本当に孤独になります。愛する人を一人残してこの世を去るわけにはいかない。色々な考えが私の頭の中を駆け巡って行きます。叫びだしたくなるのを我慢して、いつもより早い時間にわが家へたどり着きました。

「母様、ただいま戻りました」

引き戸を開けて、私は目を瞠りました。布団に寝そべる母様の上に重なるようにして獣がいたのです。私はこれまでに無いくらい焦り、そして怒りが沸き上がりました。

「卑しい獣め!何をしている!」

私は干していた手拭いを取ると、獣に馬乗りになりました。そして首元に手拭いを掛けると、ぐいと引っ張りました。獣は汚い音を発して必死に外そうとします。私も負けてられないと必死に引っ張りました。やがて抗う力は弱くなり、獣は一切動かなくなりました。目を閉じて深呼吸をすると、母様の上に転がっていた屍に目を向けます。そこには町医者が転がっておりました。苦悶の表情で、そして私を睨むように死んでおりました。私が締めたのは、獣ではなく町医者だったのです。

「母様…?」

「こっちに来ないで!」

私が母様の方を向くと、怯えたように一歩下がられました。私はもう一つ驚くことに気が付いたのです。母様の腹は不自然なほどに膨らんでおりました。一方で母様は町医者の亡骸に縋りつくと、ぽろぽろと涙をこぼし弱々しく声を上げました。

「また私は夫がいなくなった……やっと私を愛してくださった人なのに」

母様の美しく流れる涙は、床に吸い取られました。

「その腹はどうされたのですか?」

「これはこの人との間に生まれたあなたの兄弟よ。どうして殺してしまったの?どうして私から幸せを奪ったの!」

睨みつけられた私は動揺してしまいました。

「わ、私の兄弟ですか?いつのまに…どうして言って下さらなかったのですか!」

「今日言う予定だったのに、全てが台無しになったの。もうこの人は二度と帰って来ない。さようならも言えなかったなんて…」

私は母様に触れようとしました。しかしその直前で手を掃われたのです。

「触らないで!この殺人鬼!あんたなんか牢の中で寂しく死んでしまえば良いのよ!」

そう言われて私は気づきました。この人は母様ではないと。これは母様に化けた醜い化け物だと私は気づいたのです。私の母様は汚い言葉を使うわけがありませんから。

「お前さては母様に化けた化け物だな?私が騙されると思ったのか!」

私は先日研いだばかりの包丁を持ってきました。するとこれまで怒りの剣幕だった化け物の表情が一変して怯えた表情へとなります。私は距離を縮めると、勢い良く押しました。化け物は倒れ込むと、恐怖で動けなくなったのかじっと私の顔を見てきます。

「どんな醜い姿になるのか楽しみだ」

私は包丁を何の躊躇なく刺しました。肉の切れる感触で背中がぞわぞわしましたが、手を離すことなく深くまで刺しました。

「どう…して?」

そう言って化け物は生命を終了させました。私はそこの前に座ると、どのような生き物になるのか楽しみで歌いだします。しかしどれだけ待っても母様の姿から変わることはありませんでした。やっと気づいたのです。己の愚かさに。

「母様……だったのですか?」

この問いに答えを返してくれる人はこの部屋には誰もいませんでした。


 そして現在、私は海岸まで来ております。服に大量の返り血が付いているのでひやひやしておりましたが、偶然にも誰とも会わずにここまでたどり着くことができたのです。小さな頃から嫌なことがあると一人でここに来て海を眺めるのが大好きでした。そして夕方になると帰って来ない私に気づいて母様が迎えに来てくれるのです。それももう叶うことがありませんが。私がここに来たのは入水するためです。小さな頃から母様のために働いていた私は旅に一度も出たことがありません。海には、私が知らないだけで世界が続いていることを知っています。このまままっすぐ進めばどこにたどり着くのか私は知りたいのです。この果てしない闇の先に何があるのか、答えが気になるのです。

 私は海の中に入りました。いつもは鮮やかな青色の海も、夜は暗くて飲み込まれそうになり恐怖で足が動かなくなりそうです。それにひんやりと冷たい水は、足から私を凍らそうとしているように感じられます。いつの間にか腰ほどの深さまで来ました。試しに上を向いて浮いてみますと、大きな満月があることに気がつきました。これまで見たなかで一番大きな月が私に落ちてくるかのように見てくるのです。

「月は女性の象徴か」

母様は月のような女性でした。優しく笑みをたたえて、いつも見守って下さるのはそっくりだと私は思うのです。今も海に一人浮いている私を見てくださっているのでしょうか。

「ああ、でも母様は地獄に行っているでしょうから」

町医者は人を救う仕事をしているのできっと極楽に行っているのでしょう。しかし母様は自分の子どもを働かせている間に他の男と関係を持っているような女でした。これでもし極楽に行っているとしたら、私も極楽行きへとなってしまいます。

「そういえば腹の子はどうなるのだろうか」

母様の中にはこれから生を受けるはずだった妹か弟がいたのを思い出しました。母様と肉体的に共有していたのは腹立たしいですが、罪のない生命を巻き込んでしまったのは申し訳ないと思ってはいるのです。ただ、これから母様の愛情を全てこの子どもに持っていかれるとしたら正しいことをしたのではないかと私は思います。

 波にのまれて足がつかないであろう所まで流れてきました。上を見上げていたので気づかなかったのですが、もう戻れないところまで来ているのは確実です。時折、耳が波に塞がれて外の音が聞こえなくなります。少しずつ四肢の感覚がなくなってきました。

ぼんやりとしていましたが、ふと気づきます。

「もしかしてあの母様の腹は空洞だったのかもしれない」

あれはここで果てる私が入るために作られた空洞だったのかもしれません。そういえば町医者は私に似ている部分もあります。例えば鋭い目、あれは私の目と大変似ております。そして薄い唇、また何より唇の下にある黒子の位置が同じなのです。

「ああ、私はもう一度あの人のもとへ戻れるのか」

嬉しくなって思わず笑みがこぼれます。

「ということは、今私は海ではなくて腹の中にいるのか」

道理で暗いわけです。

「この水は羊水というわけだな」

波は踊るようにして私の体に覆い被さります。

「この満月は母様のお顔」

孤独な私に安心感を与えてくださります。

「母様、きっとまた私はあなたを愛します。次の世では親子として、そして男と女として愛し合えることを約束いたしましょう」

私は羊水のなかに潜ったのでした。



とある満月の夜、一人の男は海の底へと沈んでいくのでした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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