第五話 二階。フィーナ乱心
二階に上がった〝二人〞には、悲劇が待っていた。
ラグとフィーナは二階に上がるなり、近くで戦闘が起きている音を耳にした。壁の陰に隠れて覗き込んだ廊下には見覚えのある背中が二つ。
赤髪の筋肉男ことイングズが大型の円剣を、金髪のクール系男子のハウゼは巧みに槍を振り回し、何者かと交戦中だった。
潤滑に合流を果たしたラグとフィーナは、目を凝らして敵の姿を確認する。銀の全身鎧姿をした敵が、一人、二人──いや、この先の廊下を埋め尽くすほどに闊歩している。
敵の装備は、ラグの記憶では一階の調度品として置かれていたものと同じ鎧で、数から見ても敵チームというわけではなく、モンスターと思うべきだろう。
倒しても倒しても現れる敵を前にして、少し離れた後方から合流した二人にイングズが叫ぶ。
「──援護しろ!」
それが悲劇の引き金になるとは、この時はまだ、誰も思っていなかった……。
───
先に仕掛けるのは常にイングズだった。
〝先駆けの円剣〞の名に恥じぬ猛攻。巨大な円剣は横に薙げば剣、縦に構えれば円形の特徴を活かした広範囲攻撃で敵を巻き込み、全身鎧の群れを右へ左へ散らしていく。
ハウゼが援護に入ると、二人の侵攻の勢いは加速する。
背中の心配をしなくてよくなったイングズはひたすら正面の敵を蹴散らし、敵陣のど真ん中に突っ込んでいく。荒々しい戦い方ではあるが、戦っている本人がとても良い顔をする、彼らしい戦い方でもあった。
正直、援護の必要などないほどに彼らは優秀であり、正確なコンビネーションが構築されている。
だからこそ、彼女も焦ったのだろう。
「え、えええ援護って、どうすればいいのぉ!?」
「たぶん、遠距離から攻撃しろとか、そんな感じだと思うけど」
「遠距離攻撃ぃ? だったら、わたしの妖精さんが活躍してくれるよねっ?」
鼻息荒く気合いを入れたフィーナは──。
「妖精さん、攻撃ぃ!」
攻撃命令とともにフィーナが人差し指を通路に向けると、水妖精はすぐに反応した。表面が波打ち、先端を尖らせた矢のような水弾が、パァンと破裂したような音とともに二発放たれた。
それを見たラグが「あぁ……」と嘆息をつくのと、フィーナの「あぶなーい!」という声が城に谺したのは同時だった。
二発放たれた時点で嫌な予感はしていたが、その予感は見事に的中した。
フィーナが理解しているのは、水妖精は声に反応して攻撃する、ということだけ。どうすれば狙った敵を攻撃できるかまでは彼女の知るところではないのだ。
結果、水弾はイングズとハウゼに向かって直進し、可哀想なことだが、フィーナの声に反応して振り返った二人のこめかみに直撃。
首ごと吹き飛ぶんじゃないかと思うほどに仰け反るも、たたらを踏みつつ見事にこらえて見せた二人の頭上に、それぞれ一本の光の線が表示された。
生命残量と呼ばれるそれは、フィーナの攻撃を受けて二割ほど減少し、消える。
あぁ、あれが噂のライフゲージか。とラグが感心し、ハウゼが鼻で笑いながら濡れた前髪を整える横で。
「テメェら……仲間を潰す気か! しっかり狙いやがれ!」
額に青筋を立てたイングズが怒号を飛ばす。
「ふぇぇ……そんなこと言われても、使い方がわかんないんだもぉん! もぅ、攻撃ぃー!」
半泣きになったフィーナの命令により、水妖精は表面を急激に波立たせる。
「なっ!? おいっ! 待てっ!」
装備者の意識が反映されるのか、感情的な命令に強く反応した水妖精は、バババババッ、と発射音を撒き散らしながら散弾銃のごとく無数の小型水弾を乱射し、壁、床、天井、敵味方の区別さえなく通路を蹂躙していく。
「おいおい、冗談だろ……!」
怒りから一転、青ざめたイングズは隣に立っていた全身鎧を強引に盾代わりに引き寄せる。ハウゼは槍を器用に回転させて水弾を撃ち落とすものの、水妖精はさらなる勢いをもって障害となるものをつるべ打つ。
「攻撃、攻撃、攻撃、こうげきぃ!」
「バカ! よせ! 味方だぞ!!」
声も届かない様子で、フィーナは攻撃命令を止めなかった。もはやイングズに対する反抗なのだろう、水弾の多くはイングズに向かっているが、巻き込まれたハウゼには同情しかない。
全身鎧には回避も防御も設定されていないらしく、無数の水弾の直撃を受け続けた衝撃で後退し、ついにはドミノ倒しの要領でガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
数十にも及ぶ敵を、意図せず倒してしまったようだ。
「おい! いつまでやってんだ!」
「攻撃、攻撃、攻撃、攻撃、こうげきぃ────!」
「こいつ、聞こえてねぇのか! ラグ、そのバカ女を今すぐ止めろ!」
「そう言われても……」
水弾は絶えず放たれ、フィーナは今や誰にも止められない最強モンスターと化している。
どう止めたものかラグが困っていると、ぷすっ、と空気が抜けるような音と共に、嵐のような水弾乱射が一瞬にして止んだ。
「あ、あれぇ? どうしちゃったのぉ?」
忠実に従っていた水妖精の突然の反抗に、慌てて己の武器を見上げる。
すると、二メートルほどの大きさだったはずの水妖精は、手のひらに乗るまでにサイズダウンしていた。それでも主の命に従おうとしているのか、雫程度の水弾を懸命に吐き出すものの勢いはなく、すぐに落下させては息を切らすように表面を上下させている。
「よ、妖精さんっ!? こんなに小っちゃくっ!?」
「スライムを倒したときも小さくなってたし、体に入ってる水の量までしか使えないんじゃない?」
「えぇ!? 大変だよぉ! はやく水分補給しなきゃ!」
慌てて水妖精を両手で抱き寄せると、水を求めて右往左往するフィーナの肩を、イングズの手が掴んだ。
「よォ……ずいぶん好き勝手してくれたじゃねぇか……!」
鬼の形相で目をつり上げたイングズに見下ろされ、フィーナの足がガクガクと震える。
「は、はわわわわ……ごごごめんなさいぃぃ……」
「なんだ、悪いとは思ってるんだな。だったら……ゲンコツ一発で許してやらぁ……!」
「ひぃぃ! ぜんぜん許す気ないぃ!」
「うるせぇ! こっちがどんだけビビったと思ってやがる! 鉄拳制裁だゴルァ!」
無慈悲に打ち下ろされた拳が、フィーナの脳天に落下する。
「あっ、女の子に──」
何をする、と言いかけたラグは、そこで目を見開いた。
イングズの拳が届く直前、紫色の閃光が迸り、フィーナの頭上で光の半弧を描いたのだ。そこに拳が叩きつけられると、衝撃を散らすように紫電が火花のごとく散る。
「あれ……痛くない……」
「な、なんだぁ、今のは!?」
フィーナの頭上に表示された生命残量も微量の減少に留まり、すぐに消えた。イングズの血管の浮き出方からして二割はいくと思われたが、困惑する二人にハウゼが口を挟んだ。
「宝奪戦の影響下では、障壁が参加者を守る。剣や槍で斬った刺したじゃ練習にならないからだ。この障壁に接触した物や、当たった箇所、速度等によってライフが減る仕組みになっていると生徒証に書いてある。それくらいは読んでおけ」
「お、おう、すまねぇな……」
面目ないとイングズが頭を掻く隣で、何故かフィーナが胸を張った。
「じゃあイングズくんに怒られても、もう怖くな──ひぇ!?」
イングズがゆっくりと忍ばせた手が、フィーナの頬を掴む。
「ゲンコツはダメでも、頬を引きちぎってやるくらいは出来るみてぇだなぁ……こりゃいいこと知ったぜ」
「あぅぅ、ごめんなひゃいぃぃ! もうひましぇん~……」
それから数十秒、頬を引き伸ばされたフィーナは解放されるまで、地味にライフが削られていた。