第四話 無人城 攻略(地下)
「うりゃ、てりゃあ~!」
自分から踏み込んだラグは、手近なスライムから手当たり次第に攻撃していた。
初心者向けダンジョンなだけあり、スライムは短剣による攻撃を一度当てるだけで、ぱしゃんと弾け、ただの水になって床を濡らしていく。
無数のモンスターを蹴散らしていくのは想像以上に爽快感がある。水風船を好き放題に割っていくイメージで容易く三十匹ほど倒したものの、ラグの表情には焦りがあった。
多くのスライムを倒したはずが、その数は減るどころか増える一方だ。倒したそばから、通路の奥から新たな個体が現れ、スライムの群れはさらに大きく広がっていく。
発生源を探るべくスライムがやってくる方を辿ると、理由は明白だった。最初に天井に見つけたクモの巣スライムが、次々に小型スライムを産み落としていたのだ。奴という発生源を抑えない限り、スライムは無限に増殖する可能性がある。
このままでは対処しきれなくなる。急いでフィーナの様子を窺った。
「宝箱、開けられ────フィーナちゃん!?」
振り向いたラグが見たのは、仰向けに倒れたフィーナの姿だった。いつの間に、何があったかは不明だが余程の目に遭ったらしく、よだれを垂らしながら腰をヒクつかせている。
「フィーナちゃん、どうしたの!?」
「……ンハッ!? あ、あれぇ? ここは……。そうだ、わたしってばあまりの衝撃でぇ……!」
目を覚ましたフィーナはラグを見るなり、何故か赤らめた頬に手を添えて顔を逸らしていた。彼女が目覚めたことはよかったものの、事態は一刻を争う。
「そ、そうだっ! 待っててぇ、すぐに開けちゃうからぁ!」
気合いを入れ直したフィーナは、すぐさま二つある宝箱の内ひとつに駆け寄った。大きさ一メートルともなれば重そうに思えたその蓋は──。
「よい、しょぉ~!!」
少女の求めに応じるように容易く、扉のような開閉音を伴って開かれた。期待に満ちた笑顔のフィーナが、そこで見たものは──。
「み、水……?」
箱の内部を満たすほどの水が、微かに波紋を立てて揺れているだけだった。それ以外には、何も入っていないようだ。
「………………なんでぇ?」
当然の疑問を抱きながら、揺れる水面を突っついた。
その間も、ラグは襲い来るスライムと戦っていた。
今度は落とし穴の罠じゃない。であれば必ずこの場を攻略するための何かであるはずだ。希望が見えてきたラグは近づくスライムたちをさらに切り崩していき──。
「……ひ……んぎゃあああああああ──!!」
年頃の少女のものとは思えぬ悲鳴に、思わず振り返った。
宝箱の前で尻餅をつくフィーナ。斜め上方に向いた彼女の視線を追っていくと、そこには透明な何かが浮遊している。
大きさは宝箱とほぼ同じ一メートル。姿形は不定形。液体らしきその外見は、今しがたラグが倒していたスライムに酷似している。
「さ、さっきまでただの水だったのに、触ったら急に浮かんで……きっとスライムのボスだよぉ! また罠の宝箱だったんだぁ!」
泣きわめくフィーナは、高速よちよち歩きで戻ってくるなりラグの足にしがみついた。浮遊するその液体もフィーナのあとを追いかけてくる。
「ヤダぁ! ついてくるぅ!? ふえぇぇん、今度こそ終わりだぁ! ラグく~ん!」
完全に戦意を失っているフィーナに代わり、ラグが新たな敵と向き合う。左右に薄墨色の短剣を構え、敵の出方を待つ。
しかし、敵は一向に攻撃してくる気配を見せなかった。時折、上下左右に動いたり回転したりするものの、スライムからは感じられた敵意というものが無い。
それどころか、フィーナの周囲を侍っているような
……。
「……これ、もしかして──」
思い立ったラグが言葉を紡ぐ、その間際──。
「ラグくん、うしろぉ!!」
フィーナの叫びに反応したラグが振り返ると、三体のスライムが目前に迫っていた。その一匹がラグの頭に狙いを定め、とびつく。
「やばっ!?」
動こうにも片足にフィーナがしがみついているため、体を反転することさえ出来ない。万事休すか、二人が息を呑んだ──そのとき、浮遊するだけだった不思議な液体が、ラグを襲ったスライムに飛びついた。
同時に──きゅぽん。と音が鳴る。狭い瓶の口に指を突っ込んで、引き抜いたときに鳴るような音だった。
ラグが見たものは、事実そのような光景だった。スライムに襲い掛かった液体は、スライムの体にくっつくなり、思いっきり吸い上げて自分の中に吸収してしまったのだ。液体同士であるがゆえに同化した、とでも言うべきだろうか。
ともかく、浮遊する液体は吸いとったスライムの分、大きくなっていた。近くに残っていた二体も、きゅぽんきゅぽんと吸いこんで、その分だけ大きくなる。
「ひ……ひぃぃぃぃ…………!」
その光景は、フィーナには恐ろしいものにでも見えたのだろう。口をあわあわさせて絶句しているが、ラグはある確信を得ていた。ポケットから困ったときのお助け電子端末、生徒証を取り出し、メニューの〝?〞マークを押す。
画面の表示が消え、カメラモードに切り替わった端末を浮遊する液体に向けると、すぐに資料画像に切り替わり正体が表示された。
≪武器名〝不明物体・ティンクトゥラ〞≫
表示されたのは名前と≪武器≫であるということだけだった。画面下に表示されるはずの性能開示は行われていない。おそらく、これを手に入れた者、つまりフィーナの端末にのみ詳細が表示されると思われる。
フィーナはここまで何故か武器を持たずに歩いていた。そのため彼女が触れた時点で武器として装備され、その後ろをついて回ったのだろう。
「フィーナちゃん、これ武器だよ! しかも簡単にスライムを倒せるやつっぽい!」
生徒証をフィーナに見せると、そこに書いてある情報と、今しがた繰り広げられた光景から全てを察したであろうフィーナは、これまでの弱気が嘘のような、したり顔で立ち上がる。
「……ふっふっふ、これさえあれば、わたしにもう怖いものなんてないよっ!! 水の妖精さん、やっちゃってぇ!」
フィーナが指をたてて指示を飛ばすと水の妖精──もとい≪不明物体・ティンクトゥラ≫は、近くにいたスライムを片っ端から吸い込み始めた。元々一メートルほどしかなかった水量は、どんどん膨れ上がって五メートル近くなっている。だが──。
「あ、あれぇ? たくさん吸い込んだのに、なんか全然減ってない気がぁ……?」
……そう。このスライムたちは倒しても倒しても際限なく湧いてくる。ならば、元を絶つしかない。
「フィーナちゃん、あそこ! 最初に見つけたデカいやつが、きっとこいつらのボスだ!」
向こう正面、天井と壁に張り巡らされた粘糸の中心に鎮座する大型スライムを指し示す。
「よ、よぉし! 妖精さん、あれも食べちゃってぇ!」
装備者であるフィーナがビシッと指差すと、水の妖精は倒すべき敵を睨みつけ──。
──げふぅ。と苦しそうな息を吐き出した。小さいのを食べ過ぎたせいで既に十メートルほどまで膨らんだそいつは、本命に行き着く前に最大容量を満たしてしまったらしい。もういらない。というようにイヤイヤをしてみせる。
「お、おまえぇ! ここまで期待させておいて! ほら、あと一匹だけ! 頑張れって!」
ラグが強く指示するものの装備者以外の命令は聞かないのか、そっぽを向いて口笛なんぞ吹いて見せる。体が大きくなったことで、態度まで尊大になっているようだ。
「こいつ……! 生意気に意思表示まで……! こうなったら力ずくでも──!」
ラグが掴み掛かろうとすると、不意に水妖精はラグを一瞥。唾を吐くように巨大な水の弾を吐き出した。ラグは咄嗟に回避し、足元で水が盛大な飛沫をあげる。
「あぶなっ!?」
避けたラグに向かってチッ、と舌打ち。慌ててフィーナが止める。
「だ、ダメだよぉ! ラグくんは仲間で、わたしの大切なおともだちなんだから、攻撃したら、めっ!」
フィーナに叱られても聞く耳を持たず、水妖精はラグに連続的に水弾を吐いて攻撃。逃げ惑う様を楽しむような素振りに、怒り心頭に発したラグが奥の手に出た。
「装備、解除」
唱えたのは装備の解除宣言。ラグの一対の短剣は水で流されたように色を失くし、光を放つ輪郭線だけとなり、次第に薄れて消えた。
自由になった両手でラグがとった行動は、近くにいたスライムをむんずと掴みあげ、水妖精にぶん投げることだった。巨大化した水妖精に避ける術などなく、触れた瞬間にスライムを吸収。さらに肥大化する。
「ふんっ。それだけ大きくなったら避けられないだろ! もう食べられないってんなら、俺が食べさせてやるから安心しろ!」
雪合戦のごとく、手当たり次第にスライムを捕まえては水妖精に投げつける。いつの間にか、ラグを襲いにきたはずのスライムが逃げ、それをラグが追い回しはじめていた。
ポイっ。ポポイっ──。
投げられたスライムは全て水妖精に命中。吸収を強制された水妖精は破裂しそうな体を堪えるのに必死だった。
「あわわわわ……! も、もう無理だよぉ、ラグくん! これ以上入んないよぉ……!」
慌てたフィーナがラグと水妖精の間に割って入る。その直前、ラグが最後に投げた一匹が吸収されたことで、遂に水妖精は容量の限界を迎え、我慢できない様子でふらふらと左右に傾き始めた。
それが何を意味するかは言うまでもない。過剰に摂取し過ぎたものを、吐き出そうとしているのだ。
「あわわわわ!! 大変、どうしよぉ!?」
「いや、これでいい! こいつをあっちに向かせて!」
「えっ!? あ、そっかぁ!」
水妖精のひんやりとした体は薄い膜に覆われているため素手で触れることができ、二人掛かりで押して向きを変える。標的はもちろん、天井に張り付くボススライムだ。
やがて限界に達した水妖精は、背中をフィーナにゴシゴシさすられて大きく仰け反り、溜めに溜め込んだ水をくしゃみのように一気に放出した。巨大な水弾が、ボススライムへまっすぐに突き進んでいく。
「いっけぇー!!」
二人の声に押し出されるように、巨大な水弾はボススライムに命中した。破裂した水弾は離れた位置にいるラグたちの頭上にまで、天が決壊したような大雨を瞬間的に降らせる。
その中で、攻撃を受けたボススライムは大きな丸い目を閉じると納得したように頷き、その体から光の粒子を立ち上らせ、ゆっくりと崩れるように消滅した。
ボススライムが討伐されるのを見上げていた小型スライムたちも役目を終えたことを悟ったのか、敵対していたはずのラグたちに体を振って別れを告げると、ボスと同じく光の粒となって一匹残らず消滅していった。
「き、消えたぁ! 倒したのぉ?」
「うん……たぶん……」
あとに残ったのはラグとフィーナ。そして、二メートルほどにまで縮んだ水妖精だけだ。その水妖精も小さくなったためか、先ほどのように悪戯にラグを攻撃する素振りはない。静寂が戻った地下空間で安全が確保されたことを確認すると、二人はがっくりと肩を落とした。
「はぁ~~~、つ、疲れたぁ……。冒険ってこんなに大変なのぉ?」
「いや、体力使ったのは冒険というより……」
水妖精──と言いたかったが、そいつのおかげで危機を脱することが出来たのだから、過ぎたことを言うのはやめておこう。
二人がため息をついていると壁の方から、ゴゴゴ、と地響きをともなう音がした。ボスを倒したことで壁の一部がせり上がり、上に向かう階段が姿を表したようだ。
「とにかくイングズたちと合流しなきゃだけど、どうする? 少し休んでいく?」
「ううん、だいじょうぶ。わたし運動音痴だけど、体力だけは自信あるんだぁ」
気遣うラグに感謝しながら──。
「えっとぉ、それよりぃ……」
迷った素振りを見せたかと思うと、フィーナははにかみながら胸の前で手を翳した。
「ハ、ハイタッチってやつ……! わたし憧れててぇ……! もしよかったら……あ、でもラグくんのライフが失くならないように優しくで……」
……何かと思えば、照れながら言うフィーナを可愛らしく思いながら、ラグはフィーナの手に自分の手を優しく当てた。
ぱちっ。と重なる音。照れくさく笑いながら、二人は微笑みを交わし合う。柔らかな空気に耐えられなくなったフィーナが、思い出したように言った。
「あ、そうだぁ。そういえばもう一個、宝箱あるよねぇ。わたしはさっき一個開けたから、今度はラグくんが開けていいよぉ」
小走りに宝箱に向かうフィーナを追って、ラグは残った方の宝箱の前に立つ。
「ラグくんがんばってくれたからぁ、きっといいもの入ってるよぉ!」
たしかに、これだけ頑張ったのだから報われるものが入っていて然るべきだ。ラグは鼻息荒く、興奮を隠しきれず蓋を開けた。底の深い宝箱の大きさに見合わない、二つの武器が横たえられている。
「……ん? ふたつある……?」
形状は一対の短剣。刀身は薄墨色。どこか見覚えのあるフォルムに、ラグは自分の武器を再装備して細部まで確認したあと──。
「だ……ダブったぁぁぁぁーー!!」
ラグの悲痛な叫び声が、静寂の地下空間に谺した。