第三話 無人城、攻略(一階)
無人の城は、その名に相応しい静寂に包まれていた。前後に伸びた廊下は暖色の古典的な洋風作りで、横に二十人でも並べる広さがある。
壁際には見るからに高級な花瓶や赤いカーテン、大きな絵画が彩りを添え、一定の感覚を開けて並ぶ全身鎧が威厳と荘厳さを演出する。見上げるほど高い天井から吊るされたシャンデリアの明かりが、通路を華やかに飾り立てている。
「あー、あのー……」
人の気配もなく、靴音の響く城内を四人は陣形を組んで進んでいた。先頭には円剣を担いだイングズ、その右後方を槍を抱いたハウゼ、左後方ではフィーナが周囲に睨みを利かせている。
そして三人が守る中央の空間には、不満顔のラグが歩いていた。
ライフが〝一〞しかないラグを守るためにフィーナが提案したものだが、イングズはともかく、ハウゼまでなにも言わず付き合っているのはどういうことなのか。
「だいじょうぶだよぉ、ラグくん! わたしたちが守ってあげるからねぇ!」
「あー、うん、ありがとう……」
全力の善意を向けられ、ラグは言い返すことも出来ず肩を落とす。
宝奪戦の開始直後でありながらラグのライフが〝一〞である理由は、簡単なものだ。
宝奪戦で使用される武器は、それぞれ〝要素〞と呼ばれる能力を備えている。
これは「装備した時点で効力を発揮する」ものと「特定の条件下で自動発動する」ものとに分かれるが、ラグの一対の短剣は前者にあたり、「ライフの最大値を〝一〞に固定する」という他に類を見ない強烈なデメリット効果だ。
無論、その見返りとなるメリットも存在するのだが、現時点で披露することは出来ずにいた。それをわかってのことか、前を歩くイングズが肩越しにラグの顔を覗き、プッ、と吹き出して見せる。
「コイツぅぅ……後ろからブッ刺してやろうか……!」
わなわなと震える両手に短剣を握りしめたとき、寡黙なハウゼが口を開いた。
「……なにかある」
ハウゼの視線の先、右へ曲がる通路の真ん中に、大きな箱らしきものが二つ並んでいた。縦横一メートルほどの大きさで、四角い箱に半円形の蓋という〝あるもの〞を思わせる典型的な形にフィーナが歓声をあげた。
「わぁ、宝箱だよぉ! トレジャーハンターっぽいねぇ!」
宝箱に駆け寄るフィーナに続いて、ラグも走り出した。二人の浅慮な行動にイングズが待ったをかける。
「おい、待て! 罠かも知んねぇだろ!」
制止するイングズに、ラグはニヤリと笑って顔を振り向ける。
「あれ? まさかイングズくん、ビビってんの?」
「そうだよぉ。はじまったばっかで罠なんて──」
ないよ、と言おうとした二人の足元で、バタンと扉が開くような音がした。咄嗟に下を向くと、そこにあるはずの床がなく、どこまでも真っ暗な穴が口を開けていた。
いわゆる、落とし穴である。
「ごめぇぇん、あったぁぁぁぁーー!!」
「うわぁぁぁぁーー!!」
一瞬の浮遊感のあと、ラグとフィーナはそろって穴に落下した。地の底まで続きそうな暗闇に二人の姿が遠退き、消えていく。
それを見ていたイングズとハウゼは。
「……うし、置いてくか」
「……あぁ、構わない」
落とし穴を迂回して、先に進むことにした。
───
「いやぁぁぁぁ! ラグくぅぅん!!」
視界を奪う暗闇の中、フィーナの絶叫がこだまする。
穴に落ちた二人は、急傾斜な坂の上に落ちると、そのまま滑り台をすべるように──否、ジェットコースターほどの速度で坂を滑り落ちていた。
耳朶を打つほどに体を引き絞る風と、首に腕を巻きつけてきたフィーナの絶叫に板挟みにされたラグは頭をキンキンさせながら、遥か下方に光の漏れる出口らしき四角い空間を見つける。点でしかなかった空間は一瞬にして拡大し、二人を呑み込んだ。
「っ……!」
平らな地面の上へと放り出された二人は、床を尻で滑りながらゆるやかに速度を落とし、停止した。
「と、止まった……?」
二人揃って口に出し、豪奢な城から一変した景色を見回した。
地下遺跡を彷彿とさせる石造りの一室は、上階の華やかさとは無縁の世界だった。天井は高く三十メートルはあるだろう。灰色の壁と支柱が立ち並ぶ空間は数百人を収容できる広さがあり、避難施設のようでもある。機械による照明はなく、所々の壁に配置された松明の炎が、かろうじて部屋の全景を見渡せる程度に暗闇を退けている。
「ふぇぇ、助かったと思ったら、なんか怖いとこ出たぁ!」
互いに支え合いながら立ち上がる。開始早々だったためか危険は無いようだ。あるいは、チームを分断するための罠だったのかもしれない。
暗がりに耳を澄まして聞こえるのは、怖がるあまり自分の影や長髪が揺れただけで騒ぎ立てるフィーナの独り言のみだ。漫画や映画ならば魔獣の息づかいが聞こえてきそうな不気味な地下世界には、今のところ何の気配も──。
「ひゃあっ!」
「うわっ!? なに、どうしたの!?」
「ご、ごめぇん、いきなり頭に水滴みたいなのが落ちてきてぇ……」
「水滴……?」
こんな地下空間に水漏れの恐れがあるとは思いたくないが、二人は天井を見上げ────そこで見つけたものに、フィーナが叫んだ。
「な、なにあれぇ!?」
二人の視線の先にあったのは、天井の一角にクモの巣のように張り巡らされた粘糸だった。一本一本の糸は太く、どろりとした光沢を放つ液体が今にもこぼれ落ちそうに垂れ下がっている。
粘糸の周囲には、粘り気を見せて蠢く氷柱のようなものが生えている。それらが天井に斑を描いて至るところに点在しており、その先端からこぼれた滴が、フィーナの頭に落ちたらしい。
不気味な光景に見上げたまま固まっていると、変化があった。粘糸が意思を持ったようにひとりでに幾重にも絡まり、繭のように膨んだそこに真っ白な丸がふたつ、目のように並んで現れる。その目が右、左と動いたかと思うと、二人をみつけ、そのまま見下ろしている──ような気がする。
「あれ、生きてる……? もしかして噂のモンスター? 俗にいうスライムってやつ?」
「えぇ……? でも、そっかぁ。そのために武器もらったんだもんねぇ。じゃあ、アレを倒さなきゃ出られないってことぉ? でもぉ……」
天井までは約三十メートル。一般的な建造物なら七階を越える高さだ。ラグの持つ短剣を投げても届きもしないだろう。
どうすれば倒せるのか考えていると、ぷちょん、と音をたてて、二人の前に何かが落ちた。
大きさにして三十センチほどのゼリー状の塊。あの高さから落ちても飛散しないほど粘度が高いらしく、落下の衝撃でぶるぶると震えている。
「こ、攻撃してきたぁ……!」
怖がるフィーナがラグに抱きつく。女の子に頼られてラグが満更でもない顔をしたのも束の間、その表情は一瞬にして凍りついた。
落ちてきたゼリー状の物体がひとりでに、ぐるんと半回転したのだ。そこには頭上にいるモンスター同様、真っ白な丸い目がふたつ。
「いや、これは攻撃っていうよりも……」
何かを察したラグが乾いた笑いを浮かべながら、もう一度天井を見やる。
すると、粘糸の周囲に生えていた氷柱が一斉に戦慄き、天井がぐにぐにと蠢動するかのように震えはじめた。その直後、数十もの氷柱が次々に落下。空中で楕円形のスライムに姿を変えたモンスターが、二人の頭上に雨のように降り注ぐ。
それは攻撃というよりも、獲物を見つけた動物が群れをなして行う捕食行動だった。
「い、いやぁあああああーー!!」
「と、とにかく逃げよう!」
フィーナを先に走らせる。天井に張り付いたスライムモンスターは二人を見つけるなり落下。ぷちょん、もにょんと足音(?)をさせながら、跳ねるように追いかけてきていた。フィーナが泣きながら叫ぶ。
「うわぁぁん! わたしたちモンスターに食べられて終わっちゃうんだ~ぁ! まだアカデミーに来たばっかりなのに~ぃ! ラグくぅん、最後の時はいっしょにいてぇぇ!!」
「最後の時って……ここ練習場、だよね……? あれ、なんか急に不安に……」
言いながら逃走経路を探る。地下空間には出口らしきは見当たらないが、走るほどに数は減っていくようだった。今度はなにかを見つけたらしいフィーナが叫ぶ。
「うわぁ!! ラグくん、前ぇ! また宝箱あるぅ!!」
見ると、上階で見たものと同じ宝箱がお行儀よく二つ並んでいた。さきほど「宝」という魅力につられて罠に掛かった記憶が鮮明に甦る。
「どうしよぅ、また罠ぁ? 落とし穴はもうイヤだよぉ!」
同感だ。だが、もう考えている余裕はなかった。
後方には大量のモンスター。出口も見当たらない。なによりこの先は行き止まり。無機質な灰色の壁が無情にも立ち塞がっている。
こうなったらあの宝箱の中にこの状況を打破できるものが入っていることを願うしかない。
「フィーナちゃん、宝箱を開けて! こんなところに置いてあるんだから、きっと役に立つものがあるはずだ!」
「えぇ!? わたしひとりでぇ!? ラグくんもいっしょに来てよぉ!!」
「ごめん、無理っぽい。俺は──」
両足でブレーキをかけ、振り向く。百を越えるであろうスライムの大群。それを前にしたラグは、両手に掴んだ薄墨色の短剣を強く握りしめ──。
「俺はここで時間を稼ぐ! その間にフィーナちゃんは上に向かうルートを!」
物語の主役のように、精一杯に格好つけて道を塞ぐ。しかしラグの思惑は余所に、つられてフィーナも足を止めて訴える。
「えぇ!? だ、ダメだよぉ! ラグくん、ライフ〝一〞しかないんでしょお? こんな数、わたしなんか庇ってたらやられちゃうよぉ!」
「だからって、困ってる女の子を放ったらかすわけにもいかないじゃんか! 女の子には優しくしろって、俺は母ちゃんに散々そう教えられた。だからフィーナちゃんを守るためなら、俺は戦う! 勝つか負けるかなんてそのあとだ!」
「っ……!」
退く気はないと、華奢な少年の背中が語る。敗けて恥をさらすことになろうとも、ここで戦わないよりよほどマシだと。
「来んなら来い、モンスターども! フィーナちゃんは俺が守る!」
左右に構えた薄墨色の閃きを以って、ラグは己の意思を体現する。
その背後。少年の細い背中を見つめていたフィーナは胸の鼓動が、どくん、と強く高鳴るのを感じていた。
数えきれないモンスターを前に、自らを盾として前に出た少年。自身の危険さえ顧みず、たった二本の短剣を薄墨色に閃かせて構える姿は、深くフィーナの目を惹き付ける。
そしてなにより、最後に放った言葉……。
──フィーナちゃんは俺が守る!
──フィーナちゃんは俺が守る!
──フィーナは俺が守る! 俺の女に手を出すな!
年頃少女の脳内フィルターによって、わずかばかり美化されたその言葉に──。
「ず…………ずっきゅ~~~~~~~~ん!!」
フィーナの〝恋心〞が爆発し──気絶した。