第十一話 宝護者との決着
四条の光の矢が、流星のごとく地上を駆ける。
一度目の破裂で十六の光に、二度目の破裂で六十四の粒となった矢は、さらに小さく砕けて数えきれぬ花びらへと姿を変えていく。
ダメだ、もう間に合わない。何をしたところであれは防げない。たかだか一本の槍で幾百の矢を防ぐことなど出来はしない。
なにかしなければ……そう思っても打開策はなにもない。
この手にあるのは、ちっぽけな一対の短剣だけだ。フィーナのように仲間を守る武器も持たず、イングズのようにみんなをかばうだけのライフもない。
ハウゼも諦めてしまったのか、左手で顔を覆って俯くと、新緑の瞳を伏せる。
仲間の危機に歯噛みすることしか出来ず、ラグは左右の短剣を握りしめながら、逆らいようのない現実を受け入れるしかなかった。
その視線の先、ハウゼの口元が動くのを見るまでは。
「≪アーツ≫、起動──」
小さな声。けれど大きな意味を持つ言葉が囁かれた。
瞬間、空気が一度だけ脈打つように大きく胎動した。生暖かい風が頬を撫で、それでいて背筋には悪寒に似た怖気が走る。
それは隣に立っていたラグよりも、敵として向かい合う宝護者の二人の方が強烈に感じていたようだった。呟くような小声は彼女たちの耳には届いていない。にも関わらず、まるで巨大な蛇にでも遭遇したかのように表情を凍らせている。
ゆらりとハウゼの左手が上がり、顔の左半分を隠す金髪をかきあげた。同時に切れ長の眼を見開く。はじめてあらわになった左眼には、右眼の新緑の輝きはなく──。
「消えろ……≪バジリスク≫──!」
槍と同じ鈍色の瞳から、一筋の赤い閃光が放たれた。大砲を打ったような振動が空気を震わせ、反動でハウゼが大きく後ろに仰け反る。
一瞬のことだった。赤い閃光は宝護者の二人を一直線に貫いた。二人は視線だけ反応していたものの、光の速度で放たれる攻撃を前に避けるなどという選択肢は存在しない。
そして、異変が起きた。
目の前まで迫っていた桜吹雪、その幾百もの花びらが突然、溶けゆく雪のように跡形なく消えてしまったのだ。
それだけでは終わらない。真っ直ぐ走っていたはずのバイクが、急にバランスを崩して左右に揺れ始めた。
「うおぁっ! なんだっ!?」
アイナが困惑の声を、その後ろでミシャが悲鳴を上げる。バイクは見るからに操作不能に陥っていて、推進力である風の噴出が止まり、速度を落としながら慣性だけで前に進んでいる。
一連の異変の原因は間違いなくハウゼのアーツが引き起こしたものだ。あえてひとつ加えるなら閃光に射ぬかれた当人たちに変化がなく、ダメージを受けた様子もない。
そこから導きだされるハウゼのアーツの性能は──。
「……武器の……無力化……?」
ラグが呆気にとられている間に、バイクはのろのろと二人に近づいてきていた。距離にして四十メートル。好機と見たハウゼが飛び出し、一気に距離を詰める。
「ヤバっ! ミシャ、降りろ!」
即座に反応したミシャが飛び下り、バイクの前に出た。速度を失ったバイクはもはや重いだけの鉄の塊だ。アイナがギリギリ床に届いた足で転がして逃げる時間を稼ぐべく、ミシャが弓を引く。しかし肝心の光の矢が現れない。
「うそっ、なんなのっ!?」
間合いを詰めたハウゼは戸惑うミシャに容赦なく槍を振るう。
二度、三度と弓を盾にして槍の横薙ぎを防いだものの、直後に放たれた高速の刺突が弓の守りをすり抜けた。
ミシャのライフは残り一割だ。決定打となる槍の一撃がミシャの首元に突き立てられる。
「ミシャァァ!!」
アイナの叫びが城に谺した。無情にも床に叩きつけられる音が続く。
だが──。
「えっ……!?」
驚く声が、ラグとアイナの口から同時にこぼれた。
ハウゼの勝利を確信していたラグは、我が目を疑った。
槍が突き出された瞬間、ミシャは弓を捨てて槍の側面に回り込むなり、伸びきったハウゼの右腕と胸倉を掴んだ。そのままくるりと反転したミシャに引き寄せられたハウゼの体が宙を舞ったかと思うと、勢いよく背中から床に叩きつけられたのだ。
見事なまでの背負い投げだった。武器による攻撃ではないため、ライフゲージの減少は半分までに留められた。障壁が発生するも完全に衝撃を抑えるものではないのか、ハウゼが歯を食い縛った苦悶の表情を見せる。着流したジャージの内側から宝箱が光となってこぼれ落ちた。
「悪いわね。私の家、柔術の道場なの」
ミシャが宝と弓を拾いあげると、噴出する風音が聞こえてきた。ハウゼのアーツの効果がきれ、完全に立て直したバイクが意気揚々と戻ってきたのだ。
「いぇーい! あたし信じてた! ミシャ愛してるぅ!」
「はいはい、私もよ」
すれ違いざまにアイナの手をとったミシャは、くるんと回ってバイクの後部座席に飛び乗った。
我に返ったラグが慌ててバイクに向かって走るものの、大きく外側に膨らんで走るバイクはラグもシャンデリアの残骸も軽快に避けて走り去っていく。
「へっへーん! バイビー!」
「いい勉強になったわ、また試合しましょう?」
手を振りながら去っていくバイクを反射的に追いかける。一度だけ仲間の方に目を向けると、ハウゼは立ち上がったものの、少し苦しげに胸を押さえながら。
「追え、絶対に逃がすな」
苛立ちを含むハウゼの声に頷き、ラグはバイクの後を追い掛けた。
「待てぇーー! お宝返せぇーー!」
あとの体力など考えず、全力で疾走する。バイクとの距離は徐々にどころか見る間に開いていくが、サイドミラーでラグを確認したアイナが嫌そうに顔をしかめる。
「うげぇ、まだやる気とか子供の体力じゃん。おねえちゃんそろそろ休みたいんだわ。ミシャ、トドメ」
アイナに促され、ミシャがいい笑顔で弓を構える。
距離にして三十メートル。これ以上離されれば勝機はない。
ラグは唯一残された最後の手段で応えるべく、その言葉を口にした。
「≪アーツ≫スキル──!」
呼応するように、薄墨色の短剣が仄かに発光する。
バイクの後ろに座るミシャが警戒の色を強めるが、もう引き返すことはできない。サイドミラー越しにアイナの顔が強張ったのが見えた。
「ミシャ、やれ!」
狙いをラグの中心、胸の真ん中に定める。
だが、ミシャは直前で踏みとどまった。その矢が放たれ、徒手になる瞬間を狙っていることを悟ったのか、彼女の本能は獣のそれに近い、とラグが心の中で称賛する。
〝薄墨色の短剣〞に設定されているアーツの名は≪クイック≫。≪加速≫という単調な性能のスキルとして設定されている。
ただ、これまでタイミングを逃して使った試しがないので、どれほどの性能があるかはわからない。ちょっと早くなるのか、短い間に一気に加速するのかもわからない。
失敗は許されない。手の内がバレればバイクの速度と弓による牽制であっという間に逃げられるだろう。
埋めようのない三十メートル。それさえ埋めてくれればいい。短剣を握る手に力を込め、祈る思いで宣言する。
「≪クイック≫──!」
走る足が膝を曲げ、踏み出したそのとき──ラグの背後から、びゅん、と音を立てた風が通りすぎた。
「うわっ!?」
背後から吹き抜けた突風に体を押されたラグは、慌てて体勢を立て直す。ザァー、と靴の裏で床を十メートルほど滑って、ようやく止まることが出来た。
「な、なんだ今の?」
新たな敵の来襲を危惧し、振り向いたラグの横を見覚えのある二人の人物が横切った。二人は奇妙なものを見る目でラグを見ながら、高速で走る乗り物で過ぎ去る。
「……あれ?」
「…………は?」
「……うそ…………!」
三者三様に驚きを表す。最初に状況を理解したアイナが、バイクを一気に最大速度へ加速させた。
「ちょっと待てって……そんなんアリか……!?」
三人の中でも、殊更アイナは危機感を覚えたことだろう。速度にものを言わせ、並み居る宝狩人を置き去りにしてきた彼女にとって、それは受け入れがたい真実だった。
「あいつ、あたしより速いじゃん!」
離れていくバイクを見ながら、ラグはようやく何が起きたのかを理解した。
背中を押した突風はアーツによる後押しであり、〝加速〞とされた性能は俗にいう瞬間移動。城の中はどこも同じような景色のため、自分が移動したことさえ気づかなかったようだ。
無意識に跳んだ距離は、おそらく五十メートルほど。それをたった一歩、瞬きの間に〝跳躍〞んだらしい。
宝奪戦とは不思議だ。いったいどんな仕組みでこんな不思議な武器が作られているのか、想像もつかない。
だが、今はそれを考えるより優先すべきことがあった。
アーツは一度使ってしまうと再使用まで時間がかかる。だからこのままでは〝薄墨色の短剣〞のアーツは使えない。
ならば──。
「装備、〝薄墨色の短剣〞」
装備し直した短剣を握る。無論、一度装備を解除したからといって待機時間まで解除されない。
だから、ラグが装備したのは二本目。
屋上で女神像から賜ったものではなく、一階で宝箱から手に入れたもうひとつの〝薄墨色の短剣〞なら、今すぐもう一度≪クイック≫を発動できる。
その様子を遠目から見ていたミシャは慌てて前を向き、アイナに声をかける。
「アイナ、もっと速く! もう一発来る──!」
その言葉を言い終えるより早く、彼女の視線の先には、短剣を振り抜いた姿勢で止まるラグの姿があった。
「ウソ……だろ……」
「こんなの、どうやって──」
ミシャとアイナの体、そしてバイクの側面に、薄墨色の斬撃が走った。
衝撃で転倒したバイクから二人が投げ出され、床をごろごろと転がった。仰向けに二人並んで止まる。
速度によるダメージ補正が入ったアーツによる一撃は、二人のライフを同時に削りきった。散々戦場を荒らしまくった宝護者の二人に、退場者の烙印である赤いゼロの数字と、それを引き裂く斜線が刻まれる。
「あぁ!! くそーっ! 負けたー!」
悔しげに地面を叩いたアイナが叫ぶ。
「うぅ、思った以上に悔しい……貴方、いつか絶対リベンジするから、覚悟しててよね!」
びしっ、とミシャが指を差すと、二人は円柱状の光に呑まれて消えていった。ミシャがいた場所に宝箱が転がる。
「……か、勝った……!」
勝利の余韻に浸る間もなく無数の足音が近づいてくる。
ラグは手に入れた宝を拾いあげると、一階の台座を目指して走り出した。